2話 武器や防具を持たない異世界人が現れた
古来より言い伝えである生まれ変わり。
それを実際に体験することになったのだが、生まれ変わった先は人間の口の中だった。
しかもその舌へ刻印された魔法陣になったものだから冷静ではいられない。
「今日は無理って言ってんじゃん、ベロのイボを手術でとったばかりだし飯食っちゃダメなんだって。いいのは冷たい飲み物くらいだってあのバカ医者が言ってたもん」
「じゃ、あんた抜きでわたし達だけでいくわ」
「裏切り者!死ね、バァーカ!」
外の会話の内容から、この女が舌の手術をしたことがわかった。
彼が身体に痛みを感じていたのは手術のせいだったようだ。
その手術と彼が舌へ転生したことに、何か関係性があるのか不明だ。
彼はいろいろと考えてはいる中で、女の口の悪さが気になって仕方が無かった。
呪言使いにとって「、死ね」などの言葉を軽々しく使うことは言語道断だ。
呪言の陣が正式に発動するようなことがあれば、たちまち周りの友人達は死んでしまうだろうし、この女自体も代償として自らの命を奪われることになるからだ。
「じゃあね!」
「ハイハイ」
「バ~イ」
どうやら女たちは解散したようだ。
女がひとりになった。
彼はとにかくこの人間に一度アプローチをかけるべきだと考えた。
口が閉ざされているため常に周囲の状況がわかない、そのため細心の注意を払ってアプローチかけなければならない。
突然声をかけて驚かせてしまい混乱を招く場合も考えられる。
話しかけるタイミングは非常に重要だ。
「……凪ちゃん」
「あん?」
今この女はなぎちゃんと声を掛けられて返事をした。
名前がなぎちゃんだという証拠だ。
彼は会話をするための有益な情報を得たことに喜ぶ。
「うえ!ストーカーじゃん。ダル!」
「最近アルバイト休んでたよね。会いに行ってもいないからここで待ってたんだ」
「なんでわたしん家知ってんのよ、怖いし……」
「……ほら」
「ぎゃあ!」
叫ぶと同時に女が口を開いたため外の様子が見えた。
目の前には防御力の低そうな衣類を纏った男が立っており、なぜだか陰部をさらけ出していた。
「凪ちゃん見て……」
「離せよ!キモいって!」
なにやら陰部をさらけ出した男がこの女の腕を掴んで離そうとしないようだ。
「さ、触って……」
「ムリー!」
あまりの女の喚きように、彼はこの女にピンチが訪れているのだと判断した。
相手は見たところ武器も、防具も持たぬ急所をむき出しにした男。
この女は口の悪さから傭兵部隊の者かと思っていたが、この驚き様に傭兵ではないと確信する。
ただの口の悪い町娘だったのか。
……仕方がない。
ー『離れろ』ー。
彼が呪言の陣を開放しつぶやいた途端、陰部もろ出し男は弾かれたように吹き飛んで地面に倒れた。
「えっ?」
「いっ、痛ぁ……」
女と陰部もろ出し男は何が起きたか理解できず、黙って目を合わせた。
「今の凪ちゃんの護身術?」
「やめろってストーカー君、サツにパクられちまうって」
女の声は陰部もろ出し男にまるで届いていない。
当然ながら陰部もろ出し男に理性があるようには見えない。
そもそも理性があるなら陰部にもしっかりとした防具を纏っているだろう。
再びもろ出し男が女に向かって迫ってきた。
それを見て、こいつは魔術で操られているのかもしれないと彼は思った。
もしくは表情から察するにアンデッドの類かもしれないと。
彼は警戒を強め、再び呪言の陣を発動させた。
ー『動くな!』ー。
いまの言葉で動きを止められた男は、四方から陰部がまる見えの体制で止まってしまった。
露出したままの体制から動けない男に周囲が気付き、人だかりができ始めた。
誰かが警察に通報してくれたようで、しばらくするとその男はその格好のまま現行犯として逮捕されていった。
その後女は被害者との扱いで事情聴取のため警察署に連れていかれ、被害届の提出と、同じようなことがあった場合の相談部署を案内された他、帰りはパトカーで家まで送ってもらえる好待遇を受けたのだった。
――――
凪という女の家には誰もいなかった。
凪は自室に入ると鏡をデスクへ立て椅子に腰かけた。
しばらく動かず沈黙の時間が流れる。
舌の上の彼は、外の状況がわからないこともあり、声の掛け時に躊躇っていた。
凪も声を出さなくなり、口の中の環境は静かで居心地のよいものになった。
ただ呪言の陣を発動させたため、その代償が自らに来るのか女に行くのか彼は不安に感じていたが今のところ2人に変わった様子はない。
すると。
「誰かいるよね?」
凪が誰かに向かって話し始めた。
「さっきからなんかおかしいんだよね、頭ん中で声がするっていうのか、口ん中から声がするっていうか」
「……」
「誰?」
凪の問いかけに、彼は今が声を掛けるタイミングなのだと思った。
口は悪いが、頭まで悪くない女であることを彼は祈った。
「口を開けて舌を出してくれないか」
「誰!?」
「口を開ければわかる」
凪は辺りを警戒しながら口を開けて舌をだした。
「どうやら私は本当に魔法陣として生まれ変わったようだな……」
舌の魔法陣が青白く光った。
凪は息をするのを忘れ、こぼれ落ちそうなほど眼を見開いて驚いた。
自分の舌がしゃべりだせば誰だって驚くに決まっている。
「なぎちゃんに聞きたいことが山ほどある、落ち着いて答えて欲しい」
「いいいやややああぁー!」
凪は絶叫した。
彼は落ち着かせようと必死でなだめたが、聞く耳持たずで叫び狂った。
埒があかないと踏んだ彼は、みたび術を発動させる。
ー『黙れ!』ー。
そのセリフと同時に凪は声が出せなくなった。
どんなに力を入れても声が出せない。
「落ち着けなぎちゃん、落ち着いて私の話を聞いてほしい。声は出せるようにする」
「……」
「理解したなら頷いてくれればいい」
凪は急に声が出せなくなったことで、逆に冷静さを取り戻したようだ。
ゆっくりと頷いて、落ち着きを見せた。
落ち着いたのを確認した彼は質問を始める。
「ここはどこで今は何年だ。それと陰部をまる出しにした男も乗せられていた乗り物、あれはなんだ?」
「……わっわたしも聞きたいことあんだけど……」
「すまないが、私の質問を優先してほしい」
「えっと、ここは日本で、今は令和7だっけ8年かな、んで乗り物はパトカーつって」
「待って、何1つ理解ができない。にほん、れいわ、だっけ、んで、ぱとか……なんだそれは?」
凪は彼の質問が理解できず口を閉じ始めた。
「口は開けたままで頼む!」
「なんなのよ、この舌」
「すまない、質問に答えてほしい」
「ジャパンっていったらわかるの?ここはジャパンって国で西暦2025年……」
「じゃぱん、せっせいれき……」
彼と凪は何1つ会話が噛み合わない。
「それでは質問を変えよう、この国の騎士団の規模と魔導士の人数をだいたいでいいから教えてくれ」
「オンラインゲームの話してる?」
「おんらいん……ゲーム?」
2人に沈黙が訪れる。
進まない会話の中、凪の方から質問が飛んできた。
「あのさ、あんた誰?」
その質問に対して彼は自身の過去について語りだした。
魔導に関して、呪言の陣に関して、優しい両親の処刑、復讐への道のり、そして復讐の日。
すべてを女に説明をした。
ところが世界観の違いが大きく、この世界からすると想像できない内容が多かったこともあり、女はそれこそアニメやゲームの話のように聞いている。
「……という話だ。それで私は魔法陣という呪いそのものとしてお前の舌に生まれ変わってしまったようだ。……理解できたか」
「……えっ!あっうん、すごくいい話ね」
「いい話……か?」
「なんかさ、よくわかんなかったんだけど今流行りの異世界転生ってやつじゃないの、もしかして?」
「異世界転生?」
今度は凪が異世界転生について彼に説明を始めた。
口は悪いが、要点を簡潔にまとめた話に彼は聞き入った。
彼自身も異世界へ来たと考えて現状を理解する方が腑に落ちることが多かった。
話を聞き終わったあと、彼はこの世界の風景を見せて欲しいと凪に伝えた。
凪は部屋の窓を開けて、口を開け舌を出す。
景色を見た彼は驚いた。
「なんだこの景色は……。なんなのだあの背の高い建物は」
「あれはマンションで、あっちはビルっての」
「ぱとかぁが無数にいるな。あの長く1列に走っている物はなんだ?」
「あれは自動車で、あれが電車っていって……」
傍から見ると、口を開けたまま舌を出して景色を眺める姿は滑稽だろう。
凪はそこにまだ意識がいっていない。
話は戻り、凪の質問は続く。
「わたしの舌にいつまでいんの?消えてほしいんだけど」
「それは私にはわからない……」
「いやいや、それこまっし!」
凪がなにを言おうと、今すぐに去ることはできそうになかった。
凪には舌から出ていく方法を考える時間が必要だと説明した。
しばらくはこの舌の魔法陣として居座ることを許してもらうしかなさそうだ。
当然のように凪は激しく拒絶したが、どんな拒絶したところでどうしようもない。
「こんなの友達にばれたら人生終わりじゃね?」
「わたしの口から同時通訳みたいに2人でしゃべれんでしょ。やべーっしょ!きしょいっしょ!」
「年頃の女の身体におっさんがいるなんて犯罪っすわ!」
容赦なく畳みかける凪の口撃に彼は耐え兼ねて、交渉を持ち掛ける。
それは舌の魔法陣としている間、呪言の陣として凪をサポートするという内容だ。
さっきの説明でも凪へ語ったが、彼は元黒魔導士である。
そんな彼が今は魔法陣そのものとして舌に存在している。
凪は呪言の陣の効果を、すでに直接目にして体験もしている。
どれほどの物なのかはすでに承知済みだ。
ところが。
「なによ?呪言の陣て?」
「さっき説明したはずだが……」
「知らんし」
現実離れした彼の説明は凪の記憶に残っていなかったようだ。
彼は呪言の陣に関しての説明をもう一度聞かせた。
凪は初めて聞いたような顔で驚いている。
声を出すことを封じられたのに、そのことすら忘れていたような顔をして聞いていた。
「確かにすげー術だけど代償てのが怖いわ。今日すでに何回か使ったって話だけど、どんな代償があったのさ?」
「それはだな……」
彼は返答に困った。
実は今日使用した呪いの代償をまだ払えていない。
本来なら悪魔との契約上、5分以内には代償を求められているはず。
それなのに彼にも、凪にも何も変化が見られなかった。
「とりあえず、わたしの口の中にいる間はわたしの言うことを何でも聞くことね」
「悪用は断る。要望があればできる範囲で助けることは約束しよう」
「そう、まぁそれでいいわ」
あっさりと口の中にいることを許可した。
凪にとっても悪くない話だと思ったのだろう。
「とにかくわたしの中にいる間は、おとなしく私の言うことを聞きなさいよ」
「……」
「口答えは許さないからね」
彼は一抹の不安を感じた。
凪からは邪悪な気は感じないものの、何かをきっかけに人殺しなどを依頼してくる可能性もある。
彼は善人だった者が権力を手にして変わっていく様を聖教アンダース王国で何人も見てきた。
自分自身も含めて、一度道を外れた者の末路は空しいものだと知っている。
「聞くの忘れてたけどあんたいくつで死んだの?」
「28歳の時だ」
「えっ!思ってたよりおっさんだし。名前は?」
「チョベリバだ」
「なんか緊張感のない名前ね」
「アンダース王国にて英雄だった戦士の名を両親が付けてくれた」
「あっそう」
チョベリバはここに長居できないことを理解している。
もとはすでに死んだ人間であり転生者だ。
しかも転生先は白魔術や黒魔術が日常にない異世界。
最悪なんらかの方法で、もう一度死を選ぶこともあると覚悟した。
「ママが帰って来たら明日の夕ご飯は森屋の焼肉がいいと呪言の陣で伝えてよ」
「……んっ?いまなんと?」
「もうすぐママが帰ってくるから、明日の夕ご飯は森屋の焼肉がいいと呪言の陣で伝えてっていったの」
「それぐらい自分で言ったらいいだろ?」
「森屋は高級なんだよ!」
「ママが怖くて言いにくいのか?なぎちゃんいくつになる」
「あのさ、気になってたけどおっさんにちゃん付けされるのってキツイし。ストーカーと一緒じゃん」
「ちゃん?お前、なぎちゃんという名前ではないのか?」
「凪よ。白居 凪、17歳。あんたの世界じゃ名前の最後に君とかさんとかちゃんとか付けたりしてなかったの!?」
「凪だけが本来の名ということか。ちゃんというのは別付けするものでキツイものなのだな」
「……」
「17歳なら子供は何人いる?2人くらいか?」
「きっしょ!」
2人は異世界文化の違いに話が噛み合わなかった。
チョベリバが他者なのだからこっちの文化をいち早く理解しなければならない。
凪の身体から、いやっ口の中から出ていくまでは学んでいくしかない。
それに、この異世界にはアンダース王国では見たことのない物が多い。
彼は今後の進退を考えながら、様々な知識をこの地で取り入れていこうと考えた。
もしかすると、この異世界には舌から分離して人間に戻れる魔術があるのかもしれない。
そんな淡い期待を持って、チョベリバは凪との共同生活をすると決めたのだった。
「チョベリバ、呪言の陣でわたしを億万長者にできる?」
「お前……。私の説明本当に聞いてなかっただろう……」
男と女、舌と魔法陣、異世界人と異世界陣、奇妙な共同生活が始まる。