聖女と手洗いダンサーズ 世界を笑顔と筋肉と石けんの光で満たしましょう
異世界召喚された聖女、しずくだけが使える浄化魔法。巻き込まれて召喚された千佳は「衛生環境が中世ヨーロッパ並みの異世界で、現代日本人が生きていける環境を整えるための魔法ではないか」と仮説を立てる。公衆衛生が改善されたら、聖女を召喚しなくていいのでは? これ以上突然召喚される犠牲者を増やさないため、千佳としずくは立ち上がった。そして、ある男たちは禁断の扉を開ける・・・かもしれない。
■異世界での生活 ■
異世界に召喚された、お笑い養成所の研修生――千佳としずく。
その場でしずくが「聖女」だと判断される。
そして、聖女だけが使える魔法は「浄化魔法」だった。
といっても、この世界は魔物がうろついているわけでもなく、瘴気が湧き出ているわけでもない。特別な浄化が必要という状態ではないという。
しずくが問う。
「聖女って、光の剣を勇者に与えるとか、結界で街を守ったりとか・・・?」
だが、そういうことは求められていないらしい。
聖女が聖属性や光属性の魔法を使うという小説やマンガをたくさん読んできたが、ここでは違うらしい。
聖属性も光属性もなく、結界魔法も使えず。
回復の「癒やし」はできるものの、それは元々こちらの世界の上級神官と同じくらいのレベル。確かにすごいが、奇跡というほどではない。
例えば、失った手足が生えるような奇跡は起きない。
「え、なんで呼ばれたの私・・・?」という声に、返事をする者はいない。
なんとも言えない空気の中、千佳がぽつりとつぶやく。
「更に、巻き込まれただけの私はどうすればいいの?」
口ごもる王国の首脳陣たち。
自発的に積極的に、こちらの世界の困っていることを解決してくれる・・・そんな風に思っていたのだろうか。
「なんでやねん!」
とりあえず千佳はツッコミを入れるのだった。
戦闘力として期待されていないだけ、まだマシな方か。そんな風に自分を慰めた。
後に判明するのだが、魔道士長が権力争いで優位に立ちたくて儀式を強行しただけ。
お笑い芸人を目指して積み重ねてきた日々を踏みにじられた千佳は、いつの日か魔道士長をぎゃふんと言わせてやると心に決めた。
その機会がないまま数年経ち、千佳たちは二十代半ばになっていた。
それはともかく、夏になると思い知らされる。
臭い!!
日本の清潔な環境で育った身には耐えられないほど臭い。上下水道が完備されていない異世界は、本当に辛い。
夏は匂いが更に強烈になる。熱気と混じり合い、なんともカグワシイ香りが肌に貼り付くようだ。
ワンちゃんのお散歩にエチケット袋を持参する世界が懐かしい。
馬車のお馬さんの落とし物なんて、誰も気にしない。
――いや、頼むから、気にして?
外国の映像でお馬さんのお尻の下に袋を付けているのを見たことがあるような・・・形をしっかり覚えていたら、こっちの世界でも作ってもらえたのに。
一応、革製品の職人さんに説明したけど、何のために作るかを理解してもらえなかった。暇ができたら作ると言われたが、何ヶ月経っても音沙汰がない。
あの目は「検討させていただきます」と口先だけであしらい、検討する気がない人の目だった。
「ああー、生き返る! ありがと、しーたん」
臭いに辟易していた千佳は、聖女しずく様に浄化魔法をかけてもらい、文字通り、一息ついた。
ようやく心置きなく空気が吸えるよ。
自分の周りの空気を清浄にしてもらう浄化魔法。
一週間すると切れるので、夏の間は週一で神殿に通っている。
相方のしずくに浄化魔法をかけてもらえなければ、気が狂っていたに違いない。
「そのうち鼻がバカになって、慣れたりするのかなぁ」
未だに慣れないけど。
旅行好きの子が、タイの空港に降り立つとナンプラーの香り、インドは香辛料の香りがすると言っていた。
「日本に帰国すると空気がキレイで深呼吸しちゃう」と続けたら、留学生に「いや、日本も醤油や味噌臭いよ」と言い返されていた。
そんなふうに醤油と味噌の香りが漂っていると感じたことはなかった。
でも、「その状態が当たり前」になると、人の感覚は鈍くなるのかもしれない。
例えば、大気中には何色もの光が満ちているのに、人間の目にはただの「透明」に見しかみえないように。
その国の人にとっては、ごく自然で意識されない匂い。
その土地に根ざした文化の、特有の香り。
もしかすると、こっちの世界の人たちは、この環境にすっかり慣れているから「浄化魔法」が必要ないのかもしれないね。
そんな想像を話したら、しずくに否定された。
「うんにゃ、必要ないってわけでもないと思う。
こっちの人も疫病にかかったときは、浄化魔法が効いたよ。
神官の癒やしだと病状悪化は防げても、回復まではいかなくて・・・。
そうだ、『癒やし』ってなんか栄養ドリンクみたいだなぁと思ったんだよね」と。
そういえば、疫病が発生した地域に出張したことがあったね。
しずくがウィルスだか細菌だかを浄化し、神官が弱った体を癒やして、患者の自己回復を助けたそうだ。劇的に、きらきらーんと一瞬で治ったりはしないらしい。
むむむ、どういうこと? 公衆衛生に役立つ存在が、この世界では聖女ってこと?
私たちが召喚されたとき、自動的に翻訳機能が付与されていた。聖女ではなく巻き込まれただけの千佳にも。
異世界で生きるために必要な力が与えられるとしたら・・・不衛生な環境から身を守るために「浄化魔法」が使えるようになる、という仮説が成り立つ?
この世界には魔物や瘴気が存在しないのだから、社会の公衆衛生が整えば、聖女の力は必要なくなるのではないか。
つまり、「聖女を召喚する意味そのものが消える」という可能性だ。
新たな犠牲者を出さないよう、やれることがあるかもしれない。
■聖女とは ■
この仮説を、魔道士長の娘で、召喚反対派のエリシナさんに話してみた。
過去に呼ばれた聖女が「必要だから召喚された」のか、今回のように目的なく「召喚できる技術があったから呼んだだけ」なのか、彼女に調査を頼んだ。
かつて、魔力量の多い魔道士が数多く存在していた時代、異世界召喚は頻繁に行われていたらしい。
だが、ある時代を境に、状況は一変する。
「魔道士狩り」と呼ばれる事件が起き、魔力量の多い者から順に粛正されていった。
生き延びた魔道士たちは、魔道士同士で婚姻を繰り返す。少しでも魔力の多い子どもを求めて。
そしてようやく、時代を超えて再び「召喚魔法陣を起動できだけの魔力量を持つ人間」が現れた。
とはいえ、召喚は今でも成功率が低い。それでもたまに成功することがある。
だからこそ、魔道士たちは挑戦したくなるのだ。ロマンと執念と、少しの野心を抱えて。
魔道士狩りの混乱で、多くの資料は焼かれ、散り散りになり、失われた。
今残されているものは、専門家による詳細な記述なのか、おとぎ話のような物語なのかの判別が難しい。
完全な形で伝わっている資料はほとんどなく、研究者たちは断片をつなぎ合わせ、欠けた部分を推測して、少しずつ研究しているのが現状だ。
聖女の能力が分かっていたのは、いくつかの神殿が魔道士狩りに抵抗し、そこに保存されていた記録が無事だったおかげである。
「そういえば・・・」
エリシナさんが、飴で片方の頬をふくらませながら、話し出した。
「聖女以外の人間を召喚していた時代もあるみたい。闘いの戦力になるような記述があったわ」
もしかして、それって・・・勇者?
そんな存在が召喚できるのだとしたら、今よりもずっと、召喚賛成派が増えるかもしれない。
反対派のピンチかも。
「召喚賛成派」と「自分には関係ない派」が大半をしめる中で、「本人の承諾も得ずに呼び出すなんて、人権侵害だ!」と訴えても、なかなか耳をかたむけてもらえない。
召喚はやめるべきだと主張するには、相手を納得させるだけの材料が必要だ。
けれど、私たちの手元には、まだそれが揃っていない。
自分たちに都合の良い資料だけが、ちょうどよく見つかる―――そんな虫のいい展開には、やっぱりならないか。
千佳は乾いた笑いを浮かべた。
■異世界の環境を変えるには? ■
さて、情報を集めるのはエリシナさんに任せ、私たちは自分ができることを考えよう。
まずは、公衆衛生の向上ということで上下水道の整備をしたいところだが、とてつもない公共事業になってしまう。
千佳は江戸時代を思い出しながら、できそうな案を書き出した。
「・糞尿はまとめて農家に引き取ってもらい、肥料にする
・井戸や水源に排泄物が流れ込まないようにする
・ゴミを捨てる場所を決め、定期的に回収する
※回収した後はどうする? 要相談 」
王太子にこの案を渡し、これで感染症や伝染病を予防し、死亡率が減るはずと説明した。
具体的にどうやるかは丸投げになってしまうが、これが上手くいけば公衆衛生のレベルが上がり、なにより街が臭くなくなる。
「それから、衛生観念を向上させたいの」
元の世界でも、パンデミックの際には手洗いとマスクが重要だとされていたからね。
「・石けんで手洗い
・鼻水や咳で感染する病気があると周知し、ハンカチやマスクを使うようにする
※ マスクについては、下町の服飾関係の人に説明し、試作を依頼済み
・血液などの体液や便、動物から感染する病気もある」
王太子がメモを見ながら、「面白いな」と感心してくれた。
王族や貴族は普段から高級な石けんを使っている。
けれど、「ただ体を洗う」のと、「病気を防ぐためにしっかり手を洗う」のは、少し意味が違う。
石けんを使った正しい手洗いを実演して見せると、王太子は「工程が多いな」と唸った。
「貴族ならまだしも、平民には難しいかもしれないな」
確かに、毎日忙しく働く人たちには「覚えている暇はない」と言われてしまうかもしれない。
「数え歌とか、語呂合わせみたいなものがあればいいんじゃなかな?」
私が確認すると、王太子は軽く頷き「試しに作ってみてくれ」と言った。
これ、「数え歌」と「語呂合わせ」がなんだか分かっていない顔だ。
「じゃあ、私たちが考えるか」
しずくが請け負った。
私たちは笑顔で明日また会う約束をした。
今日は王太子に会うから王宮に来てもらったけど、明日からはしばらく神殿に通うことにする。
しずくが神殿に帰るので、馬車置き場までおしゃべりしながら一緒に歩いた。
汗をかいた腕に土埃がついて、ざらっとする。
神殿馬車の御者が控えの小屋から飛び出してきて、「お知らせいただけたら、すぐに馬車寄せに参りますのに」と慌てている。
「いいよ、歩きたい気分だったから」
しずくが軽く手を上げて、謝罪の言葉を遮った。
千佳は王宮の部屋に戻るために踵を返し、高くそびえる城を見上げる。
「何年経っても『家』って感じがしないなぁ。筋金入りの庶民だもんね」と、つぶやいた。
■神殿での打ち合わせ ■
翌日。
数え歌か語呂合わせ考える前に、まず石けんの調達をどうするか、という問題が浮上した。
王侯貴族たちは、いい香りのする高級な石けんを使っている。
実は、王宮に一室を与えられている千佳からも、時折いい香りが漂う。
一方で、平民は自身の汚れは水で洗い流すだけ。使っている石けんは主に洗濯用で、洗浄力が強すぎる。
あんなもので何度も手を洗ったら、すぐに手が荒れてしまうだろう。
手が荒れてひび割れや傷ができたら、かえって感染症にかかりやすくなってしまう。それでは本末転倒だ。
「困ったな。石けんそのものを開発してもらう? 適度な洗浄力の」
「神殿ではね、けっこうシンプルな石けんを使ってるよ。お清めのときに必要だから」としずくが教えてくれた。
そっか。灯台もと暗しってやつね。
持ってきてもらって試しに手を洗ってみたら、良い感じ。懐かしい普通の石けんだ。
・・・手に匂いがつくのが苦手だから、一つもらって帰りたいな。元の世界でも、ハンドクリームは無臭のものを選んでいたんだよね。
さて、数え歌か語呂合わせを考えよう。
「・・・ねぇ、ポピ太郎さんがブレイクしたPIPOダンス、覚えてる?」
しずくに訊かれた。
「ああ、右手になにか持つパントマイムをして、左手にもなにか持って、「んー」と溜めてから両手を合わせて、合体させたものを連呼するやつね」
当然、知ってるよ。
シンプルなリズムと奇抜な衣装、クセになる振り付けが特徴で、世界的な大ブレイクになった。
「あれね、手洗いバージョンがあるんだよ」
しずくは右手に石けんを持ち、左手は『手』を前にして、両手を合わせるところで手洗いを始めた。「ウォッシュ、ウォッシュ、ウォッシュ!」と歌いながら。
「あははは! 海外の子ども向けに作ったやつか。思い出した!」
私たちが求めていたのは、まさにこれ! これで、もう問題は解決だ。
お腹を抱えて笑ってしまった。
「いえ、一つ問題があります」
しずくはわざと真面目な顔を作った。
「手を洗うところは適当に踊りました。そこまで覚えていないので」
なんと?! 盛大にコケるところですよ、ここは。
「肝心の手を洗う内容を覚えてないなんて、ダメじゃーん。私も覚えてないけど!」
「千佳ちゃんもダメじゃーん」
「二人揃ってぇ・・・『ダメダメじゃ―ん』」
きれいにハモった瞬間、なんとも言えない爽快感があった。
こういう時、私たちは本当に『相棒』なんだなって再認識する。
さてさて、ネタとしては覚えてなくても、肝心な手洗いの手順を盛り込めばいいんでしょ?と、気を取り直して書き出してみる。
「なんとなく覚えてるのは、指のまた、親指の付け根を洗うところ」
「その前に石けんを水で濡らして、しっかり泡立てなきゃ」
千佳は泡立てるふりをする。
「手の甲と指先、爪の間、それから手首も!」
「あとはしっかり水洗いね」
「ここまで思い出せたなら、動画も思い浮かばない?」
ダメ元でしずくに訊いてみる。
「・・・うーん、それが浮かばないんだよねぇ」
二人して、思い出せそうで思い出せない。
でも、あのホピ太郎さんのPIPOダンスの中毒性、絶対に脳内のどこかには残ってる気がするんだけどなぁ。
「あ、そうだ! モテるナースの『なにぬねの』!」
思わず大きな声になっちゃった。
「何? 何の『なにぬねの』だって?」
「大事なことだから、もう一度言いましょう。
モテるナースのぉぉ! な・に・ぬ・ね・の(ハート)」
しずくの目が点になった。してやったりと、心の中でガッツポーズ。
私はその勢いのまま、元気に踊りだす。
最初は「な:流す(流水で)」から。
「な!」で片手の人差し指を空に向け、もう片方は腰に。足は仁王立ち。
「流す! 流水で!」蛇口をひねって水で手を濡らすパフォーマンスをする。
足は片方の膝を曲げて、腰をくねらせ媚びるようなポーズ、ウィンク付き。
「に:にぎる(手のひら)
ぬ:ぬかりなく(指先・爪)
ね:ねじるように(親指)
の:のばすように(手首)」
「・・・なにそれ?」
しずくが引き気味だ。媚び媚びポーズの連続技だからね。
「看護師の友達から教わった」
「で、どの辺がモテなの?」
「・・・さあ? ナースってだけで、お世話されたい『僕ちゃん』たちにモテるらしい」
「『なにぬねの』とモテ、関係なくない?」
「このモテポーズで、聞く側の熱意が違ってくるらしい」
千佳は肩をすくめた。
一方、しずくはがくりと肩を落とした。
「そういうモテかよ・・・」
ダメ出しと笑いを繰り返しながら、二人で『なにぬねの』の振りを元の歌ネタに組み込んでいく。
「この『ねじるように』のとこ、こう。ぐるっと手首ごと回す感じね」
しずくが自分の手首をひねる。
「おっけー。で、『のばすように』はこう、ビシッと腕を前に・・・こう? あ、なんか体操のお姉さんみたいになった」
「いいよいいよ! 大げさなくらいがウケるって!」
練習の合間にお菓子をつまみ、くだらない話で笑い転げ、また真面目に踊る。
そんなふうにして、二日間。
いい感じにコンビネーションは仕上がった。
「・・・できたね」
「できたね!」
よかった、嬉しい。
「え、やばくない? わりと完成度高いよ、これ」
しずくが、にぱっと歯を見せて笑う。
「うん! 私たち、もしかして天才?」
ハイタッチ、そして無駄に決めポーズ。
笑いがこみ上げてきた。
お笑い養成所のように大きな鏡がないから、動きをぴったり正確に揃えるのは難しい。
でも、いつでも披露できるくらいには仕上げることができた。
「まず、王太子殿下に見せようか。予定を確認したら、神殿に連絡するね」
「うちらにできる、最高の手洗いダンスを見せてやりましょう!」
笑いと健康を届けるため、私たちは拳をトンと合わせて誓い合うのだった。
■手洗いダンスの行方 ■
意気揚々と挑んだ、王太子へのお披露目。また新たな問題に直面した。
王太子はゲラゲラ笑った後、「で、どうやって普及する?」と訊いてきたのだ。
あー!! そうだよ。
誰が? いつ? どこで? どうやって? どのように?
テレビがない世界でどうする?!
「王太子殿下は誰に頼むのが正解だと思います?」
王太子は腕を組んでニヤリと笑った。
「君たちがどのように考えるのか、興味がある」
つまり、異世界人がどんな方法を思いつくか知りたいのね。
石けんでしっかり手を洗えば、疫病も減るし、死亡率も下がるはず。命にかかわる話なんだよ、もう。
「では、貴族には国王陛下に周知してもらえるよう伝えてください。
平民の分は私たちで考えますから!」
丸投げは許さん。半分はそちらでやってもらおう。
「王太子殿下にも踊ってもらうよ。国王陛下の前で踊ってきて」と言い放ったら、固まった。
私たちが国王に謁見を申し込むより、王太子が家族の特権で会いに行った方が絶対に早いじゃん。
そもそも、見本を見せる係を誰にするかってのもあるけど、最終的には国民全員に覚えてもらわなきゃなんだからさ。王族含めて。
あ、王太孫が踊ったら可愛いかも。エリシナさんを誘って見に来たい。
「父上にもやらせるって? そうきたか」
くつくつ笑っている王太子は放っておいて、話を進めよう。
「えっと、関係者でいくと、石けん作りのおじさん? いやいや、職人さんには石けんをせっせと作ってもらわなきゃダメだよ」と、しずく。
「石けんを売る石けん屋さん・・・営業トークっぽくて、逆に信用されないかも」
たくさん売るチャンスだもんね。
「各地の領主に教えに行く? 巡回に時間がかかるし、ちゃんと普及活動してくれるか怪しいか」
「しーちゃんは地方の神殿に行く時に、領主様にご挨拶したりするんでしょ? 頼んでもやってくれなさそうなの?」
「正直、ピンキリ。領民のことを考えてる人もいるけど、自分のことしか考えてなさそうな人もいる」
「はー、どの世界も同じだねぇ。
あ、神殿! 神官さんに普及してもらうのは? 聖女の威光でやってもらえない?」
「うーん、悪くないけど、お堅い感じになりそうだなぁ」
あれ、神殿ってあまりお笑い要素がないのかな。でも、平民と接するのに慣れているから丁度よくない?
「地方の神官を中央に呼ぶ?
逆に中央の神官を地方に派遣するのだと、神殿騎士が神官の護衛に付くでしょ。護衛騎士の人数的に全国一斉に行くのは無理だよ。神殿を守るのが優先だから」
「じゃあ、神殿じゃなく、騎士団に行ってもらえばいいんじゃない? 騎士だったら護衛も必要ない!」
いいことを思いついたよ。賛同してくれるかなと王太子に目を向ける。
「騎士団かぁ」
唸りながら天井を向いてしまった。なにか問題あるの?
「各地に駐屯地があるし、地方にも顔が利く。騎士がやった方が面白くなりそう!」
兵舎で手を洗うようになって、それを市民に広めて―――あっという間に国中へ!
そう、これは手洗いによる国民総健康化プロジェクトの第一歩。
異世界の常識が、またひとつ塗り替えられようとしていた・・・
拳を握りしめて演説する私を、王太子が止めた。
「わかった、わかった。騎士団長に話を通しておくから」
なんで疲れた顔をするの?
王太子からねぎらいの言葉をもらって、執務室を出た。
気持ちよく一仕事終えられるかと思ったのに、何だか釈然としない感じだ。
私の部屋に移動して、侍女さんにお茶を用意してもらう。
自分より高貴な雰囲気の人にお世話されるのって、なかなか慣れない。
たまに「千佳様、気にせず、堂々となさってください」と、たしなめられちゃう。
ふと気付いたことを口にする。
「こっちの世界にも病院があったら話が早いのにね。お医者さんが言ってくれたら、説得力もあるしさ」
「王侯貴族が医師を囲い込み、神殿で癒やしのみ、後は民間療法・・・病院がないんだよね。平民は医師に診てもらえない」
しずくが顔をしかめた。各地で色々な状況を見てきたんだろう。
「ああ、地球でも昔はそうだったじゃない。こっちでの神殿が、元の世界だと教会の施療院や修道院にあたるのかな。」
色々と不満はあったけど、日本は恵まれた環境だったんだなとしみじみ思う。お医者さんに診てもらえるのが普通の生活だった。
■いざ騎士団へ ■
数日後、王太子が騎士団に話を通したと、侍従が伝えに来てくれた。
しずくと待ち合わせて騎士団の建物に向かうと、騎士団長が見たこともない渋い顔をしていた。
「騎士になにをさせる気だ」という思いが、表情からうかがえる。
これ、納得していないですね。
王太子ぃ、『話を通した』じゃないよ。
これじゃ、『伝言』しただけでしょうが?!
仕方がないので、騎士団長と幹部たちに改めて「清潔にすることの大切さ」を説明することにした。
何事も初めてやるときは、時間をかけて丁寧に進めるしかないもんね。
国民全員のためと言っても真剣に聞いてもらえないかもしれないので、身近な騎士団の利益に絞って話す。
訓練でできた傷は流水でしっかり洗うこと。
包帯を巻く看護班の人の手に見えない汚れがついていたら、何人に影響が出るのか。
そんな基本的なことから、ひとつひとつ丁寧に伝えていった。
「怪我をした後の処理が、騎士団に復帰できるかそのまま引退になるかを決めることがある」と言ったのが、響いたのかな。
真剣に聞いてくれるようになった
そこで、すかさず実演タイム。
騎士団の幹部たちは口の端を引きつらせたり、ぷるぷる震えたりながら、笑いを堪えている。
理解できないとばかりに、すごいしかめっ面の人もいる。
「これは・・・手洗いダンスと同時に、お笑いの普及もした方が良いかも」
思わず眉をしかめる。
「騎士団、なかなか手強いね」
と言うしずくと目を合わせ、どちらともなく頷いた。
こほんと咳払いした騎士団長は
「納得した。ダンスは部下に覚えさせるので、訓練場に移動しよう」
と踊るのを断固拒否。
後で見ていろ。王命で踊らせてやる!・・・なんてね。
おじさんたち、手強いわ。
■騎士団長のプライド ■
来ましたよ、訓練場に。
騎士団の訓練場にずらりと並ぶ、屈強な男たち。
鎧を脱ぎ捨て、訓練用の制服に着替えた彼らがこちらをじっと見ている。
空気はどこか緊張感に満ちていたけれど、私たちはひるまない。
ひるまないったら、ひるまないのだ!
騎士団長が「石けんで手洗い」の必要性を騎士に向かって説明する。
すっごく、お硬い表現で。
時々、ボワンボワンと変な響きで聞き取れない単語が混じる。翻訳しきれない言葉があるみたい。
次は、私たちの出番です。
騎士たちの反応はまちまち。
笑いを堪える人、しかめっ面の人に加えて、顔を真っ赤にする人、ヒューヒューはやし立てて隣の人にどつかれる人・・・。
威圧感にびびっていたけど、中身は・・・男子学生の、わちゃわちゃした感じを思い出す。
観客いじりするのも楽しそうだけど、とにかく覚え込ませるのが先だ。
「本日はご協力ありがとうございます! これから『手洗いダンス』を皆さんに伝授します!」
しずくが通る声で宣言した。
「ただ手を洗うだけじゃありません。踊りながら楽しく覚えるのがポイントです」
千佳は人差し指を立てて、ウィンクした。これでやる気になってくれたら安いもの。
看護師の友達に共感した瞬間だった。
「我々が目指すのは、疫病予防と―――あと、ネタとしての完成度です!」
ああ、残念。しずくの発破は、ちょっとスベってしまった。お笑い仲間だったら盛り上がるところなんだけどな。
ざわめく騎士たちの中に、ひときわ厳つい人がいるのを見て、私は前に出る。
「そう、あなたです! そこの強面のお兄さん! あなたが踊ったら、そのギャップでバカウケ間違いなし!」
びくりと肩が揺れる。
「ちんまりと可愛い千佳ちゃんが踊っても、可愛いだけ。
貴方たちの立派な体格! 鍛え上げた筋肉! そこに可愛いダンスを加えることで、生まれるギャップ! 起きる笑い声!
今、それを活かさないでどうするんですか?!」
え、今、さりげなくディスられた? ちゃんと笑いは取れてたもん!
「ちんまり言うな!」
と、お約束のツッコミをしておいた。
「今日は鍛え抜かれた騎士団の皆さんに『ギャップ萌え』という武器を授けに来たのです。
見た目との落差で、手洗いダンスは五割増しで記憶に残る。
健康も笑いも、ここから広げていきましょう!」
今日のしずくは飛ばしすぎだ。
楽しそうだから、まぁ、いいか。
千佳は背が低いのがコンプレックスだった。
お笑いの道に進み体型を利用したネタができて、ようやく、まあ悪くないかなと思えるようになったのだ。
背の高いしずくと組んだきっかけは、この凸凹感だったからね。
そんな千佳の足は外反母趾だった。
少しでも背を高く見せたくて、高いヒールの靴を履き続けてきた。
千佳には、理想的だと思える身長―――百六十センチの友達がいた。
ある日、足が痛くてバレーシューズを履いていたときのこと。
「今日はヒールが低くて、コーディネートがキマらない」と軽く愚痴をこぼした。
その子は「え、ヒールが低いとか高いとか、気がつかなかった」と言った。
その一言に、千佳はショックを受けた。
思わず、十センチヒールの日や七センチヒールでキメた日のコーディネート写真を見せながら力説した。
「全然仕上がりが違でしょ」と。
でも、帰ってきたのは困ったような表情と、「私から見た目線の高さが変わらないから、たぶん、これからも気付かないと思う」という言葉だった。
気が利かない男子ならともかく―――。
ファッションが趣味というほどではないにせよ、話題にすれば一緒に楽しく盛り上がれるし、いつも小綺麗にしているような子が?
ゼロも十も変わらない、だなんて。
そのとき千佳は思い知らされた。
コンプレックスがあって敏感な人間と、ない人間の感覚の差を。
あの、我慢の日々は一体・・・。
ヒールの高い靴が好きなら、まわりがどう思おうと履き続ければいい。
それなのに「気がつかれなければ意味がない」と、人の目を意識している自分に気づいた。
そんな私に、しずくが言った。
「足が痛いままじゃ、夢だった単独ライブができないよ。ショートコントだけでいいの?」その一言で、私はようやく治療を受ける決心をした。
今も足の形は完全に元には戻っていないけれど、痛みなく日常生活を送れるようになった。
その「ちんまい」千佳は、そびえる巨体を見上げるようにしてダンスを指導していく。
手洗いダンスの講習会には、各地の騎士団から数名ずつの代表が集まってくれたそうだ。
彼らにそれぞれの騎士団へ持ち帰って広めてもらい、最終的には村や町のお祭りでパフォーマンスして披露してもらう。
・・・ちゃんと騎士団員にまで、段取りは伝わっていた。「お祭り」とか具体的に考えてくれている。
なのに、なんで騎士団の幹部たちは「あんたたち、何がしたいのか分からん」なんて態度だったの?
まさか―――そんなに「お笑い」が嫌なの?
見るのはまだしも、自分が笑われるなんてプライドが許さん、と?!
だったら・・・
そのプライド、へし折って差し上げましょう!!!
騎士団の仕事って、皆を守ることだよね?
だったら、かっこ良く見られたいとか、人にどう思われるかなんて気にする前に、ウィルスや細菌からだって、皆を守らなきゃダメじゃないの?
しずくに続いて、千佳の闘志にも火がついた。
■手洗いダンサーズ爆誕 ■
「『んー』のところ、もっと溜めて。
『気になる』、『何が来るの?』って期待を集めるの。引きつけて!」
しかし、騎士団の面々はぽかんとしたまま、いまいちピンと来ていない様子。
「えーと・・・女性の気を引きたいときとか、サプライズでプレゼントするときとか。
あの、ストリップの『ちょっとだけよぉ』みたいな・・・
あれ?こっちの世界にストリップってあるのかな?」
誰からも返事は返ってこなかった。
「あっちの世界なら『ストリップ』って概念があるから説明しやすいのに・・・いや、今どきの若者には通じないか?」
「しーたん、『芸術的ストリップ』ってフライヤー(チラシ)を見たことあるよ。アーティストのパフォーマンスとして別の形で発展しているのかも」
「ああ、そういえば現役の老舗の劇場があったはず。
コアなファンがいるって聞いて、オーナーに頼み込んで前座をやらせてもらうとしてた研修生がいたよ」
「昭和の大スターの講義で、下積み時代の逸話に感化されてた子たち?」
講義の後、教室の真ん中で大興奮でしゃべってたなぁ。
「前座が終わった後に見たいだけじゃねーの」と、からかわれながら。
「そうそう! あの講義の直後! もう、単純で素直なんだから」
「でも、素直さと行動力って、売れるための大事な鍵かもよ」
「まさに! 営業力、磨かないとだわー」
当たって砕けろって精神は大事よね。
「しーたん、地方の神殿でも営業力を磨いてるの?」
「あー・・・してないわー」
ふふふ、こんな会話が楽しいね。
「じらしてじらしてぇ・・・パッと魅せる! このタイミングってすごく大事。ネタの参考にもなりそう」
しずくはネタを思いつきそうなのかな。
「残念でしたー。その『じらして魅せる』は、昭和の大先輩がとっくにトレードマークのギャグにしてまーす」
「あ、さっきのあれ、そうか。・・・やられた。遅かったかぁー」
「五十年遅かったね」
そう、お笑いの第一次黄金期。
「ぷぷっ、半世紀かよ。」
しまった、また脱線してしまった。
つい、『帰れたらストリップを一緒に観に行こうか』と口に出しそうになって、言葉を飲み込んだ。
今はそれよりも、手洗いダンスの方が先だ。
笑って、進もう。
今、できることを全力で。
こちらの世界にストリップがあるのかは答えてくれなかったけど、騎士たちはもじもじテレながら踊ろうとし始めた。
・・・なんか、似た存在はありそうだな。
「演じる方がテレないの!」と指導しながら、ふっと笑ってしまう。
これ、昔、養成所の講師に言われたセリフだ。自分が同じことを言うようになるなんてね。
「ピンと来てないみたいだねぇ。うーん、じゃあ、ご理解いただけそうな分野で例えようかな」
千佳は少し思案してから口を開いた。
「 騎士なんだから、敵の注意を引いて引いて・・・パッと攻撃!って動きするよね?
例えば弓とか槍とか。タイミング命、じゃない?」
どこからか「おお!」と納得の声があがった。
感触あり。よし、ここで畳みかける。
千佳は空手の経験を思い出しながら、あえて命令口調に変えた。
(習ったのはカルチャーセンターの護身術クラスで、厳しくなかったんだけど。まあ雰囲気で押し切ろう)
「体幹を鍛えるのは当然だ! だが、硬さだけで柔軟性がなければ、攻撃を避けられん!
動かない、訓練の的のようになるつもりか?! 一瞬でやられるぞ!」
「はっ!!」
一斉に声が返ってきた。ノリが良くなった。いいぞ、いいぞ。
「ならば、やれっ!
脇腹を狙われる、くねっとしならせろ!
手元に剣が振り下ろされた、手首をひらっと返せ!
膝に攻撃が来たぞ、最小限の回避行動だっ!」
「それって、フェイントやトラップの応用ってことか」
と誰かがつぶやいた瞬間、空気がガラリと変わった。
騎士たちの顔つきが引き締まり、「訓練の先」を見据え始めている。
うん、これはいける。練習を重ねれば、きっと形になる―――そんな手応えがあった。
だが、今度は新たな問題が発生していた。
みんな、真剣すぎる。
顔が・・・恐い。
強面の、筋肉だるまが、眉間にしわを寄せ、鬼気迫る表情で手をくねらせているのだ。
もし子どもたちが見たら、泣く。逃げる。手洗いどころじゃなくなる。
「これ、ナマハゲ・・・」しずくがつぶやいた。
東北の「悪い子はいねぇが」で有名な・・・。
せっかく動きには慣れてきたのに、これでは・・・
次は―――そう、笑顔の練習だ。
『苦しいときほど、笑わなきゃ』
頭をよぎったのは、バレリーナを目指す少女漫画の主人公。
『白鳥は水面下で足を動かしているもの。それを笑い飛ばして輝くのです!』
と、その師匠が頭の中で叫ぶ。
そうか、目指すべきはアレだ。
例の、男性だけで構成された、あの伝説のバレエ団!
筋肉×優雅×笑顔=理想の手洗いダンサーズ!
「皆さん、次なる訓練項目は『ほほえみ』です!」しずくが高らかに宣言する。
「苦しくても笑えなければ、本物の騎士とは言えません!」千佳が拳をつき上げた。
さあ、目指せ! 疫病退散の白鳥騎士団!!
その様子を遠くから見ていた王太子は「なんか嫌な予感がしたんだよなぁ」と独りごちるのだった。
騎士団長「・・・私たち幹部も踊るべき、でしょうか?」
国王「・・・各自の判断でよい。ああ、手洗いはやるように」
(国王は自分も踊らされる運命にあるとは、想像していない)
トロカデ○・モンテカル○・バレエ団はドリフ○ーズみたいで面白かったです。
ポピ太郎さんは、ある芸人さんを参考にさせていただきつつも、厳つさと筋肉を増量させたうえで、あくまでご本人とは無関係の架空キャラクターとして描いています。
「モテるナースのなにぬねの」は生成AIの協力の下に考案しました。