散る
シリルが帰る際に、私とリチャードに”あの通信機”を残してくれた。
イシュタニア国にいるカイゼル殿下に直接、通話できるあの魔導具だ。
「僕の分は帰ったら別に作るから、とりあえずこれ持ってて。何かあったら、これで直接カイゼル殿下に連絡するか、ユーリかランドールに使い魔を飛ばしてもらえば、僕にも連絡できるから。」
そう言ってシリルは、いつもの様にスルリと異世界門の向こうへ消えていった。
◇
カイゼル殿下にも『身代わりの魔導具』の完成は伝えているので、後は、王宮行きの日程が決まるのを待つのみだ。
年明けはまだ王宮も落ち着かないので、おそらくカイゼル殿下の戴冠式の前後に合わせて王宮へ行くことになるのだろう。
今は、その前にぽっかりと空いた空白の時期だ。
「リチャードは何したい?何処か一緒に出掛けようか?」
「そうだなぁ、日本は目新しい物が沢山で面白いからね。ワクワクするけど、やっぱり魔導具いじっている時間が無いと、落ち着かないんだよね。」
そうだった、リチャードはそういうタイプだった。
1日の大半を作業部屋で過ごしているような人なのだ。
「そう、それじゃ一緒に魔導具の修理する?『がらんどう』にまだ、手付かずの魔導具が結構残ってて‥。」
「ミツリ‥。久しぶりに会えて嬉しかったし、こっちの暮らしはとても有意義だったよ。久しぶりにランドールとも話が出来たしね。だけど僕がここに居着くのも違うと思うから、そろそろ、戻るね。」
リチャードが少し言いづらそうに私に告げる。
私がリチャードに懐いているのは、彼自身がよく知っているから。
「ミツリ、思ってもみない展開になって驚いたけど、やっぱり諦めなくて良かったね。僕もミツリが魔導具師として1人前になれた事が、とっても嬉しいんだ。」
リチャードがそう言って、優しくハグをしてくれる。
小さい頃から何度も嗅いだリチャードの匂いが鼻腔をくすぐる。
リチャードの作業部屋の匂い。
古い紙と、機械油とインクの匂い。
「リチャードの家に、また行きたいな。」
「もちろんさミツリ、あの家はミツリの家でもあるからね。小さい頃のおもちゃもまだ置いてある。」
「もしかしてあの、古い工具とか?」
「そうそう、工具も踊る人形も残ってる。」
「踊る人形ってリチャードが作ってくれたあれ、でしょ?壊滅的に踊りにセンスが無かったやつ。」
「そうそう、あの踊りは本当に酷かったね。まぁ、ミツリが気に入ってくれたから、僕にとっては大成功さ。」
懐かしい記憶が蘇る。
こうして別れを前にすると、リチャードが私の心を支えていてくれた事が良く分かる。
リチャードは数日後、カイゼル殿下から届いた通行証を持ち、大量の家電と共にイシュタニアへと帰って行った。
◇◇◇
カイゼル殿下もシリルも居なくなり、リチャードまで‥。
魔王とも言われた魔術師、父ランドールと、王族一の魔術師であるユーリ。
2人の最強に守られている私は、今、誰よりも安全なはずだろう。
だが何故か、誰よりも危ない場所にいるように思えるのは、気のせいだろうか?
◆
「だから私は普通にガスコンロの火で調理をしてもらいたい、と言っているだけだ。換気扇を回しても、探知機が鳴ってうるさいだろう。」
父ランドールが、「こっちの方が楽だろう?」と言って、買ってきた食材を、自らの魔術の炎で調理してしまうのだ。
旅先で野宿も多いだろう父だから、手際良く直火で焼いて調理をしてしまう。
「うるせー。人のやり方に口を出すなっ。」
日本の家電暮らしに慣れていない父にとって、ここの暮らしは逆に不便らしい。
「ここにはここの暮らしがある。少しは慣れて取り入れるという事をしてみろ。脳筋が。」
相手が魔王な所為か、ユーリも結構強く出る。
こんな喧嘩っ早いユーリは、カイゼル殿下に対してだけだったのに。
「ダァッ、うるせーなっ!」
小さく控えめな光球が父の手から放たれる。
投げられた先にいるのはもちろんユーリだ。
ユーリは光球を易々と手の平で受け止め、揉み消した。
「ワンパターンだな。余り、術の変化は出来ないタイプか?」
「ダァーッ、脳筋じゃねぇっつうの!」
父が両手を前に突き出すと、ユーリの体が光の縄に巻かれて縛られる。
「くっ!」
「その縄はなぁっ、そう簡単には解けないぜっ!しばらくそこで黙って、お綺麗な顔でも歪めているんだなぁっ!」
ユーリは特に焦った様子も無いが、振り払う事もせずに静かにしている。
絶対、何か逆転の為に考えている顔だ。
ーー新宿御苑、再び‥。
嫌なワードが頭に浮かぶ。
どうして、こんな事になってしまうのだろう?
力の強いもの同士が一緒にいると、力比べになってしまうのだろうか?
やっぱり、世界で1番危ない場所に、私はいる。
◆
思い起こせばリチャードは、嫌に足早に立ち去って行った気がする。
父のファローはいつもリチャードがしていたから、こうなる事が簡単に予測出来ていたのかもしれない。
「逃げられた、か‥。」
「ミツリ、何か言ったか?」
「ううん、何でもないよ、お父さん。」
光の縄で縛られたユーリは、転移をする事であっさりと縄から抜けてしまった。
父が「つまらん。」と口にしたのを聞いて、やっぱり父は遊んでいるだけだったのだと知る。
ユーリは単に絡まれているだけ。
正直ユーリにとっては、番人という仕事さえなければ、直ぐにでもイシュタニアに戻りたい状況だろう。
カイゼル殿下から連絡が来たのは、そんな日々を送りながら数日過ぎた頃だった。