第八話『意識しすぎな私たちと、空色の変化』
週明けの月曜日。窓から差し込む日差しはすっかり初夏のそれで、教室の空気もどこか浮ついている。けれど、私の心はと言えば、先週末の倉庫街での出来事と、ニャンゴロ先生の残した言葉が妙に引っかかって、いまいち晴れなかった。
隣の席のハルちゃんを、以前よりもずっと意識してしまっている自分にも気づいていた。共同作業(という名の、ほぼハルちゃんの勢い任せの調査活動)や、予期せぬスキンシップを経て、彼女の存在は私の中で、ただの「眩しいクラスメイト」から、もっと別の、特別なものに変わりつつあった。たぶん、ハルちゃんも、少しだけ私を意識している……ような気がする。時折、こちらを窺うような視線を感じるからだ。自意識過剰かもしれないけど。
古典の授業中、ふと隣を見ると、ハルちゃんが珍しく真剣な顔でノートを取っていた。いつもは元気いっぱいの彼女だけど、こういう真剣な横顔も綺麗だな、なんて思ってしまって。長いまつ毛、少しだけ開かれた唇。見とれていた自分にはっと気づき、慌てて黒板に視線を戻す。顔が熱い。いけない、いけない。
休み時間、ハルちゃんが早速私の席にやってきた。
「ねーねー、雫ちゃん! 今週はどこ調査する? やっぱり倉庫街のリベンジかな?」
キラキラした瞳で尋ねてくる彼女に、私は少しだけ躊躇した。
「うーん……どうしようかな。あの猫も『詮索するな』って言ってたし……最近、なんとなく街全体のナゴリの気配が、少しざわついてる気がするんだよね。だから、もうちょっと様子を見た方がいいかも」
私の言葉に、ハルちゃんは「えー、そうなの?」と少しだけ残念そうな顔をした。けれど、すぐに「そっか。雫ちゃんがそう言うなら、仕方ないね!」と、あっさり頷いてくれた。こういう、私の感覚や言葉を疑わずに、すっと受け入れてくれる素直さが、なんだか胸の奥を温かくする。
「じゃあ、今日は調査はお休みだね!」
「うん、まあ……」
昼休み。私はいつものように美術室で、描きかけのキャンバスに向かっていた。静かな場所は落ち着くけれど、一人でいると、どうしても街のナゴリのざわめきに意識が向いてしまう。集中しなきゃ、と思っていると、背後から声がかかった。
「あら、水野さん。こんにちは」
振り返ると、美術部部長の望月菫先輩が、いつもの穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。
「最近、なんだか顔つきが変わったわね。柔らかくなったというか……何か良いことでもあった?」
「えっ!? い、いえ、別に何も……」
意味深な先輩の言葉に、どぎまぎしてしまう。私の顔、そんなに変わっただろうか。ハルちゃんのこと、バレてる……?
そこへ、タイミングが良いのか悪いのか、美術室の扉が勢いよく開いた。
「雫ちゃーん! お昼一緒に食べよー!」
太陽みたいな笑顔で、ハルちゃんがお弁当箱を手に立っている。
菫先輩は、ハルちゃんを一瞥し、それから私を見て、合点がいったようににこやかに頷いた。
「ああ、なるほど。こんにちは、天野さん。……天野さんといる時の水野さん、確かに表情が柔らかいものね」
「「……!!」」
先輩の指摘に、私とハルちゃんは思わず顔を見合わせ、そして同時にぶわっと顔を赤くした。なんでこの先輩は、いつも核心を突いてくるんだ……!
結局、私たちは美術室の隅にある小さなテーブルで、三人でお弁当を広げることになった。なんだか気まずい。
「わあ、雫ちゃんのお弁当、いつも美味しそうだよね! 彩りも綺麗だし」
ハルちゃんが、私の弁当箱を覗き込んで言う。
「あ……これ、卵焼き、食べる?」
「え、いいの? やったー!」
私が、お弁当に入っていた少し甘めの卵焼きを箸でつまみ、ハルちゃんの方へ差し出す。すると、ハルちゃんは「ありがとう!」と言って、無意識に「あーん」と口を開けかけた。私も、つられるように、そのまま彼女の口元へ卵焼きを運びそうになって……はっと気づいて、二人同時に固まった。
「「…………っ!!」」
時が止まったかのような、妙な沈黙。顔が、熱い。熱すぎる。私は慌てて卵焼きをハルちゃんのお弁当箱の空きスペースに置き、「ど、どうぞ……」と小声で言った。ハルちゃんも「あ、あ、ありがと……」と目を逸らしながら受け取る。
その一部始終を、菫先輩は「ふふふ」と実に楽しそうに眺めていた。もう、本当に、この先輩は……!
気まずいような、でもどこか甘酸っぱいような昼休みが終わり、放課後。いつもなら「調査だ!」と意気込むハルちゃんも、今日は少しだけ大人しい気がする。
「今日は、調査しないんだね」
帰り道、ハルちゃんが少しだけ寂しそうに呟いた。
「うん、でも……」
私が何か言いかけた時、ふと空を見上げた。なんだろう、この感じ。いつも見慣れているはずの空の色が、今日は心なしかくすんで見える。灰色がかった、薄い膜がかかっているような……。そして、やっぱり感じる。街全体を覆っているナゴリの気配が、微かに、でも確実に、ざわめきを増している。まるで、嵐の前の静けさのような、不穏な予感。
「……気のせい、かな」
思わず、小さな声で呟いてしまった。
「ん? どうしたの、雫ちゃん?」
隣を歩くハルちゃんが、心配そうに私の顔を覗き込む。その真っ直ぐな瞳に、私は胸の内の小さな不安を隠すように、作り笑顔を向けた。
「ううん、なんでもない! それより、明日の小テストの勉強した?」
「げっ! 忘れてた!」
ハルちゃんが素っ頓狂な声を上げる。その反応に、私は少しだけ笑ってしまった。けれど、胸の中に生まれた小さな不安の染みは、簡単には消えてくれそうになかった。
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