第七話『倉庫街の猫と、聞こえるはずのない声』
何度目かの「港町ゴースト(未満)バスターズ」活動日。私たちは迷うことなく、あの潮風が吹き抜ける倉庫街へと向かっていた。前回、空き家の物音が(一応)解決し、ハルちゃんが次のターゲットとして宣言した「倉庫街の猫の声」の調査のためだ。
「ニャンゴロ先生、いるかなー?」
隣を歩くハルちゃんは、まるで友達に会いに行くかのようにウキウキしている。あのふてぶてしいナゴリ猫に、そこまで好感を持つ理由は私には分からないけれど。
「さあ……あの猫、気まぐれだからどうだろうね。そもそも、あの声がニャンゴロ先生の声とも限らないし」
「えー、でも猫の声なんでしょ? きっと先生だよ!」
根拠のない自信と共に断言するハルちゃんに、私は小さくため息をつく。倉庫街の入り口に差し掛かると、前回訪れた時よりも、空気が少しだけざわついているような気がした。気のせいだろうか。古いナゴリたちが、何かを囁き合っているような……。
私たちは、古びたレンガ造りの倉庫が立ち並ぶ間を縫うように進んでいく。埃っぽい空気と、潮の匂い。時折、稼働しているらしい小さな町工場から金属音が響いたり、無造作に置かれた漁の網から魚の匂いがしたりもする。寂れた雰囲気の中に、確かに人々の生活の気配が息づいている、不思議な場所だ。
「猫の声が聞こえるって、どの辺りなんだろうね?」
私が辺りを見回しながら言うと、ハルちゃんも「うーん」と首を捻る。その時だった。
「ニャー……」
前方の、少し開けた場所から、聞き覚えのある、低くて少し嗄れた鳴き声が聞こえてきた。間違いなく、あの猫の声だ。
「あ! いた!」
ハルちゃんが、ぱっと顔を輝かせて指をさす。声のした方を見ると、案の定、前回と同じゴミ集積所の、一番高い場所にある木箱の上に、あの大きなトラ猫のナゴリ――ニャンゴロ先生が、ふてぶてしい態度でちょこんと座っていた。夕日に照らされて、その半透明の体が僅かにオレンジ色に染まっている。
「ニャンゴロせんせー! こんにちはーっ! また会いに来ちゃいましたー!」
ハルちゃんは、まるで旧知の友に再会したかのように、嬉々として駆け寄っていく。ニャンゴロ先生は、明らかに迷惑そうな顔をして(ナゴリなのに表情が豊かだ)、尻尾をぱたぱたと地面に打ち付けている。けれど、逃げ出す様子はない。
私の頭の中に、直接あの声が響いてくる。
『……チッ。騒々しいのがまたくっついてきおったな、小娘。暇なのか、お前たちは』
相変わらずの尊大な態度に、私は内心でため息をつきながら問いかけた。
(この辺りで、最近よく猫の声がするって噂があるんだけど……先生の声じゃないの?)
『ふん。我輩のこの気高く深みのある美声を、そこらの安っぽい怪奇現象の噂と一緒にするな』
あっさりと否定された。まあ、そうだろうとは思っていたけれど。
『だが』
と、ニャンゴロ先生は少しだけ真剣な(ように見える)顔つきになった。
『この辺りも、近頃はちと落ち着かんのでな。ワ輩以外の”声”が聞こえることもあるやもしれんな……。特に、潮が満ちる夜は、余計なものが目を覚ましやすい』
潮が満ちる夜……? どういう意味だろうか。私がさらに尋ねようとした、その時。
「ミャー……」
今度は、さっきのニャンゴロ先生の声とは違う、もっとか細くて、子猫のような鳴き声が、別の方向から聞こえてきた。
「あ、こっちからも聞こえる!」
ハルちゃんが、声のした方を指さす。それは、古い木箱がいくつも積み重ねられた、薄暗い一角だった。
「子猫かな?」
ハルちゃんが言いながら、声のした方へ近づいていく。私も後に続いた。しかし、木箱の周りを探してみても、子猫の姿は見当たらない。ただ、木箱の隙間の暗がりに、一瞬だけ、白い毛玉のような、頼りなく揺らめく小さなナゴリが見えたような気がした。弱々しくて、寂しそうで……。もしかしたら、昔ここで飼われていて、今はもういない子猫のナゴリなのかもしれない。
『……詮索するな、小娘』
ニャンゴロ先生の声が、警告するように響いた。
『眠っているものを、わざわざ揺り起こすこともあるまい。余計なものまで呼び覚ますぞ』
その言葉を最後に、ニャンゴロ先生はまた、ふっと姿を消してしまった。まるで、最初からそこに何もいなかったかのように。
「あれ? 先生、また行っちゃった……」
ハルちゃんは少し残念そうだ。
「結局、猫の声の正体、よく分からなかったね。子猫いたのかな?」
「……さあ。でも、あんまり深追いしない方がいいのかも」
ニャンゴロ先生の言葉が、妙に心に引っかかっていた。
「えー? でも、なんだか面白くなってきた!」
ハルちゃんは、謎が深まったことにむしろワクワクしているようだ。このポジティブさは、時々羨ましくなる。
私たちは、夕暮れの倉庫街を後にした。今日の調査では、はっきりとした成果はなかったけれど、ニャンゴロ先生の残した言葉が、まるでこれから起こる何かを予兆しているように、私の胸に小さな波紋を広げていた。
「次はどうする?」
と隣で明るく尋ねるハルちゃんに、「うーん」と答えながら、私はただ、この騒がしい日常が、まだしばらくは続きそうだという予感だけを強く感じていた。
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