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第二話『美術室の幽霊部員?と陸上部の星』

 翌日からも、私の平穏とは言い難い高校生活は続いた。何が変わったかと言えば、隣の席に太陽が常駐するようになったことだ。天野 晴――ハルちゃん(いつの間にかそう呼ばせる方向に持っていかれていた)は、授業中だというのに、時々きらきらした瞳で私の方をちらちら見てくる。そのたびに、私はビクッと肩を揺らしてしまう。別にやましいことはないはずなのに、まるで隠し事を見透かされているような気分になるのだ。



(いや、隠し事しかないんだけど……)




 内心でため息をつきながら、私は黒板の文字を目で追うふりをする。先生の退屈な古典の解説は、残念ながら頭に入ってこない。意識は、窓の外をふわりと飛んでいく、綿毛のような白いナゴリや、教室の隅に落ちている、誰かの落とし物らしい消しゴムから立ち上る、小さな悔しさの色のナゴリに向かいそうになる。いけない、集中しないと。ハルちゃんにまた「面白い顔してたよ!」なんて言われたらたまらない。




 休み時間になるたびに、ハルちゃんは私の席にやってきた。「ねーねー、昨日のテレビ見た?」「このお菓子、新発売なんだって!」他愛のない話題を、マシンガンのように浴びせてくる。私は「うん」「へえ」「そうなんだ」と、省エネモードで相槌を打つのが精一杯だ。それでも彼女は気にする様子もなく、楽しそうに笑っている。その屈託のなさが、少しだけ羨ましく、そしてやっぱり眩しかった。




 放課後のチャイムが鳴ると、私は逃げるように鞄を掴んだ。早く、私の聖域へ。


 向かう先は、特別棟の三階にある美術室だ。古い校舎の一番端にあるその部屋は、いつも静かで、油絵の具とテレピン油の匂いが混ざり合った、独特の空気が漂っている。ここなら、ハルちゃんも来ないだろう。陸上部の彼女は、今頃グラウンドで汗を流しているはずだ。




「こんにちはー」


 扉を開けると、イーゼルの前に立つ先客がいた。長い黒髪を緩く結び、白いブラウスにスモックを羽織った、人形のように整った顔立ちの先輩。美術部部長の、望月もちづき すみれ先輩だ。




「あら、水野さん。いらっしゃい」


 菫先輩は、筆を持ったまま、ふわりと微笑んだ。ミステリアスで、どこか浮世離れした雰囲気の先輩。部員は私と先輩を含めても数人しかいない弱小美術部だが、この先輩がいるから、私はここを自分の居場所だと思えているのかもしれない。




「……こんにちは」


 私も挨拶を返し、自分のイーゼルに向かう。描きかけのキャンバスには、港が見える風景が描かれている途中だ。静かな美術室。筆がキャンバスを擦る音だけが響く。ああ、落ち着く……と思ったのも束の間。




「水野さん、今日も何か『連れて』きた?」


「……え?」


 菫先輩が、筆を置いてこちらを見ている。その目は、全てを見透かすような、それでいて悪戯っぽくもある不思議な色をしていた。




「いえ、何も……連れてませんけど」


「あら、そう? あなたの周り、いつも賑やかだから」


 賑やか、とはどういう意味だろうか。ナゴリのこと……? いや、まさか。菫先輩は時々、こういう思わせぶりなことを言う。きっと、私の人見知りをからかっているだけだ。そう思うことにした。




 私が描きかけの絵に集中しようとした、その時。


 ガラガラッ!と、古い木製の扉が壊れそうな勢いで開いた。




「雫ちゃーん! 部活終わったよー! お迎えに来ましたー!」




 息を切らせながら、汗で額に髪を張り付かせたハルちゃんが、太陽そのものみたいな笑顔で立っていた。後ろには、クラスメイトの佐々木健太くんが「天野、お前マジで速すぎ……って、水野さんもいたのか」とぜえぜえ言いながらついてきている。どうやら、ハルちゃんは練習後、健太くんを引き離してここまで走ってきたらしい。




「ハ、ハルちゃん……なんでここに?」


「え? だって雫ちゃん、美術部でしょ? ここかなーって!」


 悪びれもせず、彼女は美術室の中を興味津々で見回し始めた。壁にかけられた過去の作品、棚に並んだ石膏像、床に置かれた大きなキャンバス。




「うわー! なんかすごいね、美術室って! この石膏像、誰?」


 ハルちゃんが指さしたのは、部屋の隅に置かれた、少し欠けた鼻を持つ古代ギリシャ風の男性の石膏像だ。歴代の美術部員たちが、デッサンの練習で散々描いてきたであろうその像には、幾重にも重なった集中力や、苦悩、達成感といった「ナゴリ」が、埃と共にうっすらとまとわりついている。私はつい、その複雑なナゴリに見入ってしまっていた。




「……アグリッパ、かな」


「あぐりっぱ?」


「うん。古代ローマの軍人」


 私が答えるのと、ハルちゃんが叫ぶのはほぼ同時だった。


「あ! その石膏像、なんか面白い顔してるね! さっきの雫ちゃんと同じ顔してたよ!」




 デジャヴュ。私は昨日もこんなことを言われた気がする。


「し、してない! 全然違うし!」


 慌てて否定するが、ハルちゃんはけらけら笑っている。隣では、菫先輩が「あらあら」と微笑ましそうにこちらを見ていた。健太くんは「お前ら、何やってんだ?」と呆れ顔だ。




「あー! 面白かった! ね、雫ちゃん、もう部活終わり? 一緒に帰ろ!」


「え、あ、うん……まあ、そろそろ……」


 私の返事を聞くや否や、ハルちゃんは「じゃあ私、着替えてくるから、ここで待ってて!」と、嵐のように美術室を飛び出していった。健太くんも「じゃ、俺も」と後を追う。




 再び静寂が戻った美術室で、私はどっと疲れて椅子に座り込んだ。太陽と嵐が同時にやってきたような気分だ。


 ふと、菫先輩と目が合った。




「ふふ、天野さん、面白い子だね」


 先輩はくすくすと笑いながら、筆を洗い始めた。


「水野さんの『見える世界』が、少し賑やかになったんじゃない?」




 その言葉に、ドキリとする。やっぱり、先輩は何か気づいているのだろうか。それとも、これもいつもの冗談?




 先輩の言葉の意味を問い返せないまま、私はハルちゃんが触れたアグリッパ像に目をやった。気のせいかもしれないけれど、さっきまで灰色に見えていた像の周りのナゴリに、一瞬だけ、ハルちゃんの汗みたいにキラキラした、暖かいオレンジ色の光が灯ったような気がした。




(賑やかに、なったのかな……)




 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、確実に言えるのは、私の平穏な(?)日常は、もう戻ってこないだろうということだけだった。


 窓の外では、夕焼けが空をオレンジ色に染め始めていた。

この小説はカクヨム様でも展開しています。

そちらの方が先行していますので、もしも先が気になる方は下記へどうぞ。


https://kakuyomu.jp/users/blackcatkuroneko


よろしくお願いします。

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