第十七話『繋がる想い、夜明け前の光』
壁に叩きつけられた衝撃で、一瞬、意識がブラックアウトした。全身が軋むように痛み、呼吸すらままならない。遠のいていく意識の底で、私はただ、隣にいるはずのハルちゃんの無事を祈っていた。
ゴゴゴゴ……! ギシッ……!
灯台全体が、まるで断末魔の悲鳴を上げるかのように激しく揺れている。ナゴリの怒りは頂点に達し、その黒い影はもはや実体を持っているかのように濃く、踊り場の空間を支配していた。もうダメかもしれない。このまま、私たちもこの灯台の闇に飲み込まれてしまうのだろうか……。
「雫ちゃんっ!!」
その時、耳元で必死な声が聞こえた。ハルちゃんの声だ。
「起きて! 目を覚ましてよ、雫ちゃん!」
温かい手が、私の肩を強く揺さぶる。頬に、熱い雫が落ちた気がした。ハルちゃんの涙……?
「お願いだから……私を置いていかないで……っ!
雫ちゃんがいなくなっちゃったら……わたし、わたしぃっ!」
その悲痛な声と、手の温もりが、暗闇に沈みかけていた私の意識を、強く現実に引き戻した。そうだ、私はまだ、ここにいる。ハルちゃんの隣に。この子を、一人にしちゃいけない。
(……守らなきゃ……ハルちゃんを……)
胸の奥で、か細く、でも確かな灯がともる。それは、恐怖や絶望とは違う、温かくて強い想い。ハルちゃんを守りたい。この街を、私たちの日常を守りたい。その想いが、冷え切っていた体に、心の奥底から、新しい力を注ぎ込んでくれるような感覚があった。
ゆっくりと目を開ける。視界はまだ少し霞んでいるけれど、目の前には、涙を浮かべながらも必死に私を見つめるハルちゃんの顔があった。
「……ハル、ちゃん……」
「雫ちゃん! よかった……!」
ハルちゃんが、安堵の表情を浮かべる。私は、彼女の手に支えられながら、ゆっくりと体を起こした。まだ全身が痛む。けれど、さっきまでの絶望感は薄れていた。そして、自分の内側に、これまでとは違う力の感覚が芽生えているのを感じていた。それは、ただナゴリの感情を受け止めるだけの受動的な力じゃない。もっと能動的で、温かくて、まるで夜明け前の空のような、淡い光を放つ力。
「……もう、大丈夫だよ」
私は、ハルちゃんに向かって、力の限り微笑んでみせた。そして、再び、踊り場の中央に立つ黒いナゴリと向き合う。
ナゴリは何故か止まって、ハルちゃんを見ていた。
憎悪の黒い波動が揺らいでいる。
どうしたのだろう。今なのかもしれない。私は、自分の内側から湧き上がる、この温かい光――ハルちゃんを想う気持ち、この場所を浄化したいと願う気持ち――を盾にするように、強く意識した。
「もうやめて!」
私は、ナゴリに向かって叫んだ。声に出して、はっきりと。
「あなたたちの悲しみは、痛いほど分かる。でも、その怒りに囚われて、他の誰かを傷つけるのは間違ってる!」
私の言葉と、内から放たれる光に呼応するように、ナゴリの動きが一瞬、明らかに怯んだように見えた。激しい怒りのオーラが、僅かに揺らぐ。まるで、凍てついた氷に、温かい光が差し込んだかのように。
その、ほんの一瞬の隙を、ハルちゃんは見逃さなかった。 彼女は、踊り場の隅に転がっている、あるものに気づいたのだ。それは、埃にまみれた、古びた木製の小さな人形だった。女の子が、大切に抱きしめていたであろう、素朴な人形。おそらく、あの嵐の夜に、灯台守の娘が持っていたもの……。
「雫ちゃん、あれ!」
ハルちゃんが、鋭く叫びながら人形を指差す。私も、それに気づいた。あの人形からは、他の場所とは比べ物にならないほど強い、娘のナゴリの気配が感じられる。そして、灯台守のナゴリもまた、その人形に強く執着しているように見えた。あれが、この場所に彼らを縛り付けている、依り代なのかもしれない……!
私とハルちゃんの視線が交錯する。言葉はいらない。やるべきことは分かっていた。
「ハルちゃん、お願い!」
「任せて!」
私は、再びナゴリと対峙し、内なる光をさらに強く放った。ナゴリの注意を、自分に引きつけるために。 「あなたたちが本当に望んでいたのは、こんなことじゃないはずだ!」
ナゴリは、私の光に抵抗するように、再び激しい波動を放ってくる。けれど、さっきまでとは違う。私の光は、その怒りを真っ向から受け止め、少しずつ、でも確実に中和していく。
その間に、ハルちゃんが動いた。持ち前の、人間離れした俊敏さで、ナゴリの攻撃――飛んでくる瓦礫や、見えない力の壁――をかいくぐり、人形に向かって一直線に駆ける!
ナゴリも、ハルちゃんの意図に気づいたのだろう。阻止しようと、黒い影の手のようなものを伸ばすが、私の放つ光がそれを阻む。
「させない……!」
そして、ついにハルちゃんの手が、古い木製の人形に触れた。
その瞬間。
『―――――――ッ!!!!』
ナゴリから、耳をつんざくような、悲痛な叫びにも似た波動が放たれた。灯台全体が、これまでで一番激しく揺れる。けれど、それは単なる怒りの波動ではなかった。その奥底に、長い間抑え込まれてきた、深い深い悲しみと、そして、ほんの僅かな、解放への願いのようなものが、込められているように感じられたのだ。
黒い影の輪郭が、激しく揺らめき、乱れる。状況が、大きく変わろうとしていた。決着への道筋が、ようやく、見え始めたのかもしれない。
赤い月が、窓の隙間から、最後の抵抗を試みるかのように、私たちを照らしていた。
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