ガジュマルの手鏡
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店の扉を開けた瞬間、そこにはドテラを羽織り、明らかに体調が悪そうな少女が立っていた。髪は黒みがかった紫色で、額には冷却シート。時おり咳き込みながら、じっとこちらを見つめている。
「おや……貴方、ヤクが見えるのですね?」
「え?」
いきなりの問いに意味が分からず、思わず小さくうなずくと、少女は微笑みながら店の中へと入っていった。
僕は言われた通りに店の看板を下ろし、「本日閉店」の札を掛けてから店内に戻る。
「いらっしゃいませ」
店主さんは普段と変わらぬ声で挨拶するけれど、どこか雰囲気が違って見えた。もしかして偉い人……? でも、どう見ても部屋着だし、体調も悪そうだ。
「あ、柴崎様にご紹介します。この方は『疫病神』です」
「お客さんに、なんてあだ名をつけてるんですか!?」
あまりにも失礼で驚いた。急にそんな暴言、普通言う?
しかし、冷却シートを貼った少女は微笑みを崩さず、穏やかに言葉を続けた。
「こほっ。この悪魔店主さんの言うことは本当です。ヤクは疫病神です。普通は他の人に見えないのですが、貴方は特殊な能力を持っているのですね」
にわかには信じがたい。というか、疫病神って病気をまき散らす悪魔じゃなかったっけ?
「ちなみに近所の野良神社に住んでます。『空腹の小悪魔ちゃんキーホルダー』の解呪は、この疫病神様がやっています」
「談合相手ですか!」
なんという悪質な取引先。呪いを仕掛けて五百円、解呪に千円というマッチポンプな構図がここに成立している。警察を呼びたくなってきた。
「あ、その目はワタチたちを軽蔑してますね? でも、本物の呪いを千円で解いてくれる野良神社なんて、むしろ良心的ですよ?」
「悪魔店主の呪いは弱いです。五百円でも高いくらいですが、両替手数料を考えて千円にしているのです」
……ん? 空気が変わった?
「これから『空腹の小悪魔キーホルダー』を作ります。手加減されていたことを後悔させます」
「望むところです。所詮、小悪魔の呪いなど、デコピン程度で吹き飛びます」
「ちょっと待ってください! お二人、もしかしてすごく仲が悪いんですか?」
急な険悪ムードに、思わず止めに入った。さっきまで協力関係っぽかったのに?
「仲が良いかと聞かれれば、悪くはない……が答えですね。そもそもワタチやガウスのような悪魔は、神であるヤク様が近くにいるだけで調子が悪くなるのです」
「悪魔にとってヤクは天敵です。本来は力が反発し合う関係ですが、ヤクは常に体調不良なので、本人は影響を感じないのです。相性で言えば、ヤクの方が一枚上手ですね」
デバフを食らってる相手にデバフを重ねても意味がないってことか。納得は……しづらい。
でも、確かに店主さんは少し調子が悪そうだ。
「ですが、常連様です。利益を考えれば、これくらいの体調不良は我慢できます」
「ヤクとしてもこのお店でしか買い物できませんので。お互いウィンウィンです。それに人間の店員さんがいるなら、悪魔店主さんが対応しなくてもいいですよね?」
疫病神さんの言葉に、店主さんは一瞬固まり、ゆっくりと僕を見つめた。
「……貴方を雇って良かったと、今、心から感じました」
「泣いていいですか?」
一応、慣れない仕事を頑張っていたつもりなんだけど!?
「実際、疫病神様がご所望の商品は、ワタチが生成するものではなく、外部から取り寄せたものです。厄介なのは、ワタチがそれに直接触れないという点です」
「触れないんですか?」
それって、僕が触っても大丈夫なのかな?
それに、さっきから気になってたけど、店主さんはヤクのことを悪魔として扱っていないような……?
「『疫病神って悪魔じゃないの?』と思ってるかもしれませんが、それは誤解です」
「違うんですか?」
「疫病神と呼ばれる存在の中には悪魔もいますが、ヤクは『病を喰う神』です。語感的にもそれっぽいので、そう呼ばれて崇められているんですよ」
つまり、良い神様……ってこと?
「悪魔と神は似て非なるもの。この町では一部、共存しています。完全な悪がいなければ、完全な正義も意味を失いますからね」
突然、店主さんが深いことを言い始めた。
「戦隊モノのヒーローも悪役がいてこそ成立しますが、悪が滅べば、ただの危険な武器を持った無職になります」
「きっとその世界では、何かしらの機関に所属してますよ!? 無職じゃないですってば!」
戦隊ヒーローを侮辱する神様って、なんだかシュールだな……。
「ともあれ、神が望む商品にはワタチが触れません。今までは百円ショップで買ったトングで渡していました」
「まるで汚い物を扱われているようで、不愉快でしたです」
あのレジ横のトング、そういう用途だったんだ……。
「さて、本題に戻ります。柴崎様、一昨日アマンゾから届いた荷物を持ってきてください」
ああ、奥の保管棚に置いたあの段ボールだ。
「え、ヤクの欲しい商品ってアマンゾで買えたんですか?」
「普通に売ってました。しかもウルトラセールで安く仕入れられて、利益率は抜群です」
「それなら、価格も安くしてもいいのでは……?」
「悪魔との契約を破るおつもりですか?」
疫病神さん、涙目になってる!?
すがりつくヤクを見て、店主さんは最初はニヤニヤしていたけれど、徐々に顔色が悪くなってきた。……本当に体調悪くなるんだな。
「ていうか、それって転売じゃ……?」
「『代理購入』と言ってください。普通なら誰とも会話できず、パソコンも操作できない神に代わって、事前に値段交渉して購入しているのです。たまにワタチが損することもありますよ?」
「……悔しいですが、今回は従いますです」
そう言って、おとなしくお金を渡すヤク。神様でも現金払いなのか。
段ボールを開けると、中から現れたのは、しめ縄のような持ち手がついた手鏡だった。縁には葉っぱのような装飾が施されている。
「これは『ガジュマルの手鏡』です。人間には見えない存在を映し出す道具で、神様に重宝されます」
ガジュマルって、たしか沖縄に生息してる植物で、妖精が住むって言われてたような?
「普通の鏡には映らないんですか?」
僕がそう尋ねて鏡を渡すと、ヤクは受け取って、自分が映っているのを確認した。
「ものによります。青銅の鏡などには映りますが、ぼやけます。悪魔系の鏡は吸収効果が多くて不便。妖精由来のこれは、くっきり映って、お手軽なんです」
吸収って、魂的なやつ……? 神様に魂って、あるのかな?
「ともかく、天敵でありながら、この町では協力関係にある疫病神様です。今後も、今日のように対応してください」
「よろしくです。悪魔店主さんは冷たいですが、柴崎さんは優しい人間さんであると信じていますです」
悪魔の呪いグッズを売ってる身としては、自分が優しい人間なのかどうか、なんとも言えない気持ちになった。
常連さんとして『疫病神さん』登場です。そして、本作の疫病神は『悪魔』の対になる立ち位置で、どちらかというとありがたい方の存在となります。
一応補足ですが、本作は『神』と呼ばれる存在が『悪』という認識では書いておらず、店主さんはちゃんとした『悪魔』です。作中ではほんわかな物語ですが、売っている物や考え方は『利益がある』とか『都合が良い』という感じです。
疫病神さんに関しては、よく知られている悪魔ではなく、あまり知られていない方をモチーフにしていることになります。
オカルトグッズを売る以上、十字架なども今後出したいと思い、その際に店主さんは苦手だけど柴崎君なら問題無いもので、取り寄せた商品という区分を作りたくて盛り込みましたー