悪魔の葉巻
☆
数日間、仕事中の僕は上の空だった。
というのも、先日僕の大切な友人であり、働いているこのお店のご近所さんである富樫オーナーが亡くなったからだ。
年齢は僕の数倍年上なんだけど、あの豪快な声が聞こえなくなると思うととても寂しいものがある。
「おいご主人。いつまでも元気がないと、そこの悪魔店主の心が持たぬぞ?」
「え、店主さんが?」
レジ打ちをしている店主さんを見ると、接客をしていた。
「こちらのおつりは温めますか?」
「え?」
「消費税は確か八千パーセントでしたね」
「ちょっと待ってください!」
店主さんが壊れていた。
☆
「すみません。柴崎様の元気を取り戻すにはどのような料理を出せば良いのかと考えていたら、うっかり消費税を間違えました」
「それだけではなかったですよ!?」
それほど僕は上の空だったか。
僕は思いっきり両頬を叩いて、何度か頷いた。
「すみません。友達が亡くなるのは久しぶりだったので、とてもショックでした。まだ時間はかかりますが、頑張って元気になるよう努力します」
「こちらもサポートしますよ。それに、人の死を軽んじないことは良いことです。どうしてもこのお店で働くと、そのあたりが雑になります。命の尊さを理解していれば、こちらとしても問題ありません」
「のじゃ」
普段、悪魔とか命とか、色々と死につながる道具を扱っているからこそ、僕は気を付けるようにしていた。その上で今回は友人が亡くなったことに、ちょっと心が持たなかったのだろう。
前職では同僚が亡くなっても何も思わなかったが、深い関りが無かった。その上で、人をコマだと思っていたから、何とも思わなかった。
今ではその考え方も変わった。そう言う意味でもやはりこの店で働くことができて良かったと感じた。
「こんにちは」
と、ここでお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ……えっと、ん?」
黒いスーツを着た男性。僕より少し年上だが、なんとなく誰かに似ている。
そして周囲にも数名スーツを着た人がいて、この人たちは見覚えがあった。
「おや、もしかして富樫様の息子さんですか?」
「え!?」
富樫オーナーって悪魔道具の効果の所為で家族を失ったんじゃなかったっけ?
「私は富樫隼人と言います。昨日、隣の富樫グループの会長に就任しました」
「これはこれは。ワタチはこの店の店主です」
「僕は柴崎です」
「イナリじゃ」
それぞれ軽く自己紹介をして、とりあえずいつも昼食を食べている場所へ案内をした。
立派な客室は無いから、誰かが来た時は自然とそこが客室になってしまう。
「粗茶ですが」
「すみません。お気遣いありがとうございます」
「いえ、それよりも隼人様は富樫様とはどのようなご関係で?」
「お恥ずかしいことに、私は父とはここ最近で数回しか会っていないんです。母から父のことを教えてもらったのもつい最近でして、いわゆる愛人の子となります」
富樫オーナーのオーナー部屋には写真があったが、そこには家族らしき人もいた。けど、それとは違うのか。
「DNA鑑定もして実子だという証明もして、つい最近まで研修で外国に行ってました。父が亡くなって遺言書を見つけた時、最初の挨拶としてここに行けと書かれてあったんです」
「おやおや、せっかく一族がワタチと縁を切るチャンスを逃したということですね」
「そうです」
そう言って隼人さんは一呼吸を置いて、店主さんに質問をした。
「単刀直入に言います。貴女は悪魔ですね?」
「どうしてそんな質問を?」
場の空気が凍った。店主さんもいつになく冷静な返答だが、同時にとても冷たい反応だ。
「私の前職は宗教に少し関係しています。貴女を見たら悪魔だとわかりました」
「そうですか。それで、その質問の意図は一体?」
「事実確認ですよ。父が悪魔のささやきに乗って亡くなったとなれば、私としては敵を討つ必要がある。例えばこれを使ってね」
そう言って隼人さんは一枚の紙を取り出した。文字のような物がかかれてあるが、お札の類だろうか?
「封魔の札。これで貴女を倒すことくらい簡単ーー」
「はあ、こんな弱いお札でワタチが倒せたら、その辺の十字架でも倒れていますよ」
店主さんは躊躇せずお札に触れた。すると爆竹がはじけるようにお札が破裂し、燃え尽きた。
「なっ……馬鹿な、これは偽物だったのか?」
「本物ですよ。ただ、貴方は相手を過小評価していただけです」
「くっ!」
隼人さん懐から何かを取り出した。あれは……拳銃!?
「イナリ!」
「うむ、流石にそれはまずいじゃろうて!」
「柴崎様は隼人様よりもガウスを落ち着かせてください」
ガウス?
店を見てみると、ガウスがプルプルと震えながら口からはよだれを垂れ流していた。
もしかして隼人さんはかなり怯えてる?
「わかりました……イナリ、頼む」
「大丈夫じゃ。というか、ワシが何かすることはない」
僕はガウスを外に運んだ。そしてほんの少し指先を切って、血を一滴ガウスの口に入れると、流れているよだれは止まった。
同時に店の中から銃声が聞こえた。外で待っていた付き添いの男たちがそれを聞いて店に駆け込んだ。僕も急いで中に入ると、店の中は冷気に包まれていた。
「ば……化け物!」
「人に向けて銃を撃つ人に化け物と言われても、説得力がありませんね」
そう言って店主さんは棚から一本の棒状の物を取り出した。その先端を魔術で燃やし、隼人さんに近づいた。
「く、来るな!」
「動かないでくださいね」
店主さんが指パッチンをすると、隼人さんの両手と両足が一瞬で凍り、身動きが取れない状態になっていた。付き添いのスーツの男たちは想定外の状況にその場で動けない状態になっていた
「これは『悪魔の葉巻』です。富樫様が使っていた『悪魔のキセル』と違って使い捨てですが、効果は同じです。それと、味にこだわった逸品なので、癖になるかもしれません」
「あぐっうぐっ」
「これで貴方も悪魔崇拝者です。少々強引ですが、ワタチは貴方とは良いご近所の関係でありたいんです」
「うぐっ……ふう……」
しばらくすると隼人さんは徐々に落ち着き始めた。同時に周囲の氷が解け始め、隼人さんの拘束が解かれた。
隼人さんは葉巻を自分で味わい始めた。すると突然スマートフォンが鳴り始めた。隼人さんはポケットからスマートフォンを取り出し、耳に当てた。
「何? あの商談に進展? わかった。今行く」
そして再度葉巻を咥えて、店主さんに話し始めた。
「今日は……これで帰ります。良いご近所関係を築けるよう、こちらも努力します」
「はい。次はきちんと購入してくださいね」
☆
店の閉店時間になり、隼人さんについて店主さんと少し話すことになった。
「拳銃まで取り出してくるとは思いませんでした」
「そう言えば銃声が鳴ってましたが、大丈夫ですか?」
「あれくらい魔術を使って防げますよ。ほら、弾いた球が天井を……あ、あれでは雨が降った時に雨漏り確定ですね。後で補修しないとですね」
苦笑する店主さん。
それにしても今日の店主さんは少し強引だった気がした。
「もう少し平和的に解決できたら良かったですね」
「こちらとしてもご近所様なので、話し合いでなんとかしたかったです。まさか前職が宗教絡みだとは思いませんでした。まあ、蜜を与えて落ち着かせたので大丈夫ですよ」
悪魔の葉巻。亡くなった富樫オーナーが使っていた周囲の幸運を吸いとる悪魔のキセルの使い捨てバージョンだっけ。
「『悪魔のキセル』は無限に使えるので、依存性が高く、そしてこちらとしても継続的な販売につながりません。消耗品を考えた結果、葉巻との親和性が高かったですね」
「その、どうしても代替品を作る必要があったんですか?」
「富樫様の息子さんのために作ったわけではありません。ただ、今回はお店も荒らされかけたので、強引な手を使っただけです。ということでイナリ様は柴崎様の護衛としてより一層気を付けてください」
「うむ……さすがにちょっと気を付けるのじゃ」
また来るのだろうか。そう思いながら周囲を警戒しつつ帰宅する日が数日続いた。
特に誰かに襲われることはなく、だんだんそのことを忘れて、いつもの日常に戻った。杞憂ということだろうか?
★
「おい悪魔店主。お主、あの葉巻には『二つの悪魔』を入れておるじゃろ?」
狐の耳が生えた少女が水色髪の少女に問い詰めると、大きなため息をついた。
「そうですよ。そもそも幸運を吸い出す葉巻一つでワタチの魔術について説明が付くわけがありません。それもごまかすために、緊急で契約をして付与しました。いてて」
水色髪の少女は腕を出して、包帯を巻いた。そこには銃弾が当たった跡が残っていた。
「その場の状況を受け入れる力を持つ悪魔。代償はその日の記憶。緊急とは言え、次に富樫様の息子さんがこの店に来る時は『はじめまして』と言うかもしれません」
「それをご主人にどう説明する?」
「言う必要はありませんよ。あの息子さんも今は各地を回っています。おそらく二度目ましてだったとしても、相手は合わせてくれます。それよりも、この粉を今日の晩御飯のスープや飲み物に入れてください」
「うむ……これは?」
そう言って黒い粉を水色髪の少女は狐耳の少女に渡した。
「煙除薬です。吸った煙を食べる悪魔が付与されています。副流煙で今日の記憶があいまいになると思うので、これを飲ませてください」
「直接渡せばよかろうに」
「そうなんですけど……ワタチも最近はちょっと恐怖を覚え始めました。従業員からの信頼が無くなるという恐怖が今一番怖いですね」
「ワシは悪魔店主を最初から信じておらぬが?」
「貴女はそれで良いのです。悪魔になるにしかり、神側になるにしかり、どちらにせよ悪魔を信じてはいけません」
「じゃが、その悪魔から貰った薬を主人に飲ませるとなると矛盾しているぞ?」
「はい。なのでこれはお願いになります。ワタチの名前を報酬にしても良いので、これを飲ませてください」
そう言うと、キツネ耳の少女は大きくため息をついた。
「今更名前なんぞに興味は無い。じゃが、明日の昼は極上の稲荷寿司が食べたいのう」
「……ふふ、貴女は悪魔に向いているかもしれませんね」
そう言ってキツネ耳の少女は懐に薬を入れて、夕食にこっそり主人に飲ませたのだった。