隷属の紐
⭐︎
昨日の休日、ガウスと一緒に散歩をしていた時のことだ。野球をしていた少年が誤ってボールをこちらへ飛ばしてしまい、それをガウスが「攻撃」と誤認して飛びかかろうとしたのだ。僕はなんとか止めることができた。
「ウルトラナイスな判断でしたね。もしもその野球少年に噛みついていたら、ただでは済みませんでしたよ」
「……気をつけます」
「いえ、これは柴崎様がどれだけ頑張っても難しい部分ですから。そういった悪魔特有の暴走に対処できたこと自体が、大きな一歩なのです」
そのことを話したら、店主さんがすごく褒めてくれた。えっ、褒められるって……こんなに心が穏やかになるものなの?
「ガウスの噛む力って、そんなに強いんですか?」
「噛まれてみないと正確にはわかりませんが、あの子は悪魔です。力のリミッターがないだけでなく、噛みついた瞬間に呪いを付与する可能性もあります」
なるほど、言われてみれば当然か……。
横山さんとは、そのあと少しだけ会話して解散した。翌日も始発で出勤だというし、大変なんだろう。
「とはいえ、あのときの動きの早さは尋常じゃなかったですね。リードがスッと抜けたのが印象的でした。今後また散歩に行くなら、しっかりしたリードを使いたいところです」
「……でも、ガウスにしっかりしたリードをつけたら、僕の体のほうが引きずられるのでは?」
「ええ、そのとおりです。なので、物理的に引っ張るよりは、命令によって制御する方が安全です」
「じゃあ……次に何かあった時は、どうすれば……」
不安げにリードを見つめていると、店主さんがそのリードを手に取った。
「では、このリードに《隷属の呪い》を付与しましょう。ガウスとの制御が格段にしやすくなりますよ」
「隷属……?」
また悪魔っぽい言葉が出た。
「このリードは、『持つ者と繋がれた者の間に、悪魔的な仮契約を成立させる』アイテムです。本来は人と悪魔の間で行われるものを、人同士で行う試作道具ですね」
「お試し感覚で話されても怖いんですが……?」
どこかの試供品のようにさらっと説明する店主さんに、思わずツッコミを入れてしまった。
「そもそも、人と人のためのアイテムを、ガウスみたいな悪魔に使って大丈夫なんですか?」
「ええ。むしろ悪魔のほうが都合がいいんです。人に使った場合、感情が上書きされ、使用者の命令にしか従えなくなってしまいます」
……今までで一番ヤバい道具じゃん!
「ちなみに販売価格は、一つ百万です」
「高っ!」
どこに需要があるんだよ!?
「主に更生施設で使用されています。ただし、一定期間リードを握らないと対象者が廃人になるという副作用がありますので、改良が求められているのですが……」
「それ、不良品って言うのでは?」
なんというか、いろいろとツッコミが追いつかない。
「とはいえ、柴崎様。昨日のような事態を防ぐためにも、このリードは有効です。口に出さなくても、念じるだけで命令が届きますから」
いまいち納得はできないが、昨日のことを思い出すと、たしかに効果があるならありがたい……。
「わかりました。店主さんのご判断に従います」
☆
バックヤードにて、店主さんは『吸血薔薇の万年筆』を手に取り、リードに何やら呪文のような文字を書き始めた。
赤く光る文字は徐々に薄れていき、完全に消えたところで、店主さんはリードを僕に手渡した。
「これが《隷属の紐》です。……くれぐれも、自分に巻かないでくださいね?」
「そんな趣味はありません!」
自分にリードを巻く趣味なんて、あるわけない。とりあえず扱いやすいように手首に巻いて──
「こらああああああ!!」
突如、店主さんが大声を上げた。その声に驚いて、思わずリードを落としてしまう。
「巻こうとしないでください! それだけで契約が発動してしまいます!」
「そんな大事なこと、先に言ってくださいよ!?」
そうだった。これは『悪魔の道具』。装着に関しては最大限注意を払わなければならないのだ。
「まったく……。取り扱いにはもっと慎重になってください」
「ならば、もっと慎重に渡してください!」
☆
その後、問題が起きないうちに『隷属の紐』をガウスの首につけた。特に大きな変化はなく、ガウスはきょろきょろと辺りを見回していた。
「では、リードを持った状態で“吠えて”と念じてみてください」
言われるままに念じると──
『ガウ!』
おお……ちゃんと通じてる。まるで心が繋がっているみたいだ。
「剥製ですし、つけっぱなしで問題ありません。ただ、使わないときは首元にリードを巻いておくと良いでしょう」
「ええ……そんな収納、普通のペットでは絶対しませんよ」
「ちなみに、隷属の紐をつけた状態でも、窃盗犯を捕まえることは可能ですか?」
「……その質問は、どのような意図から?」
「隷属によって行動が上書きされているなら、本来の“警備”としての役割を果たせなくなるのではと思って……」
……あれ? 店主さんが無言に?
「か、賢い人間ならともかく……悪魔なら大丈夫だと、勝手に思っていましたね……。言われてみれば、行動は制限されるかも……。うん、これは少し様子を見ましょう」
☆
──翌日。
商品が一つ盗まれていた。
ガウスは、ピクリとも動かず、凛とした姿勢のまま静かに座っていた──。
手枷足枷と、何かを縛って行動を制限する道具は多いですね。
現代では手錠がありますが、古代の手枷とは形があまり変わっていないので、ある意味完成された形なのかなーと思ってます。