ー幕間ー 天使な悪魔
☆
店主さんは天使である。異論は認めない。
「おいご主人。それを直接あの悪魔店主に言ったら、おそらく来月の給料に影響するぞ?」
「僕の心を読むイナリが人に注意するのもどうかと思うよ?」
僕のプライバシーはイナリと契約してから存在しない。
そもそもイナリは僕の実母の守護霊的な存在だったのを、切り離して、特殊な粘土で作った仮の体に憑依させ、僕が名前を付けてしまったから一緒にいる状態である。
「でも考えてみてよ。店主さんって悪魔って言ってるけど、お昼ご飯は美味しいし、たまに晩御飯も作ってくれるんだよ?」
「しっかり胃袋を掴まれておるな。美味しいご飯は否定せぬが、悪魔店主はちゃんとした悪魔じゃ。実際、売っている物はどれも呪われている物ばかりじゃぞ」
悪魔道具は少ない利点を得る代わりに大きな欠点を得る。ハイリスクローリターンな商品というのは頭ではわかっているけど、僕の中では少ない利点と言いつつもそれなりの効果だと思っている。
例えばこの『空腹の小悪魔ちゃんキーホルダー』は、意中の相手の夢に登場し続けて忘れられない存在にするとか、かなり凄いと思うけどな。
「人間の短い一生の中で同じ人物が登場し続けるなんて、なかなか重たいと思うがのう」
「使う側は血の一滴をキーホルダーに着けるだけだよ?」
「あーうむ、そう……じゃな」
なんだか歯切れの悪い返事。何か隠してる?
「僕はイナリのように心が読めないんだから、何かあるなら言ってよ」
「う、むう、ワシの口からは言えないんじゃよ。というか、言いたくないのじゃ。事実を知ればこの先お主はここで働くのをためらうかもしれぬのじゃよ」
ためらうって……一体何をだろう。
『そろそろ言っても構いませんよー』
バックヤードから店主さんの声が聞こえた。
そしていくつかの商品を持って店内に入ってきた。
「じゃが……」
「ではワタチから言いますね。悪魔道具全てに共通する最大のデメリット、つまり欠点は、少なからず悪魔と契約したことにあります」
えっと、それは欠点なの?
「百聞は一見に如かずと言いますし、悪魔や霊体、それに神と関わった以上は無関係とも言えませんし、今日は社外見学としましょう」
そう言って店主さんは真っ白の糸が何本も巻かれているミサンガのようなものを取り出した。それを僕の手首に着けると、白い糸は僕の腕にしっかりと絡み始めた。
続けて店主さんは一枚の紙に何かを書いて、それを封筒に入れて僕に渡した。
「これを持って『行った先の相手』に渡してください。あと深く深呼吸をしてください」
「深呼吸ですか。えっと……すー
★
首が痛い。突然店主さんの手刀が飛んできた気がしたけど、そこからの記憶が全くない。
「あ、気が付きましたね」
水色髪の少女。それに赤い目……ん?
「え……店主さん?」
ぼんやりする目がはっきりし始めた頃、ようやく周囲がわかるようになった。そして、今僕は現実とは思えないところにいた。
ボロボロの木でできたベッド。そして壊れた窓ガラスに所々穴が開いた木造の壁。
何より驚いたのは、僕に声をかけてきたのは店主さんだった。
「『お久しぶり』と言っておきましょう。貴方の魂はなんとなく見たことがある気がします」
「お久しぶりって……」
ぼんやりと思い出した。以前何かで気を失ったときに、僕は店主さんによく似た人に助けられて、出口まで案内された気がする。
「貴女は店主さんでは無いんですか?」
「貴方の知る店主とは『別人』であり『同一人物』かもしれませんね。まあ、よく似た人くらいの認識で結構ですよ。それよりも今回はお話できる状態で来たそうですけど、貴方のような人が来るには少し早すぎませんか?」
早いというのはどういう意味だろう。別人と同一人物ってイコールで結ばれるの?
「よくわかりませんが、貴女によく似た僕の上司に突然叩かれて……そう言えば行った先の相手にこれを渡せと言われました」
僕は店主さんから貰った手紙を、店主さんによく似た人に渡した。
そして封筒を開けて中を読み、なるほどーっと呟いた後、ため息をついた。
「おおよそ理解しました。ここへは『見学』に来たんですね。ワタチの事は店主さんって呼んでもらって構いません。ここでもワタチは色々なモノに店主と呼ばれていますしね」
「わかりました。その、今日はよろしくお願いします」
「はい。行儀が良くて良かったです。ここに来る人は全員、何かしら背負っていますからね。とりあえず時間もそこまであるわけでは無いので、さっそく案内します」
首の横が少し痛むけど、歩けないわけでは無い。ボロボロのベッドから立ち上がって、店主さんの言われた通り外を見て回ることになった。
……なったのだが、木造の扉の外は巨大な洞窟で、所々青く光る炎が辺りを照らしていた。
「その炎には触れないでくださいね」
「炎に触れることはしませんよ。熱いじゃないですか」
「いえ、それらは熱くはありません。ただ、それは『人の魂』であり、これからある場所へ向かうため、ここで最後の休憩をしているんです」
最後の休憩?
店主さんが「こっちです」と言って僕を案内する。店主さんの右手から赤い炎が出て、それが照明の役割を担っているけど、あまりにも大きな洞窟なせいか、天井が見えない。
丸いトンネルのようで、所々小部屋もある。所々ぼこぼこしていて歩きにくいが、走れないわけではない。
「ここ一帯はワタチが工事して、ようやくここまでしたんです。最初は大変でした」
「ここの店主さんは心が読めるんですか?」
「いえ、ワタチ『も』悪魔なので、人の心は読めません。人の心を読む悪魔もいますが、ワタチは貴方の知っている店主と同じ種族なので、そんなことはできませんよ」
「そうだったんですね。ちなみにどこへ進んでいるんですか?」
「悪魔と関わった者が行くべき場所です」
そして、歩くこと数分。木製の扉が道の真ん中に突き刺さっていた。というのも、まだ道は続いているのに、不自然な扉がそこに置いてあるのだ。
「地球とは異なる世界ではこれが普通です。扉の先に見るべき場所があります。ちょっと熱いので、ワタチから離れないでくださいね」
そして扉を開くと、突然大量の火花があふれ出てきた。反射的に熱いと言おうと思ったが、何も感じなかった。
「あちらのワタチは貴方に色々な試練を与えたのでしょうか。今ので驚かないのでしたら、問題ありませんね」
「いえ、十分驚いていますよ」
「ふふふ。では、あれを見て、その驚きを表に出してみてください」
あれ。と言われて見た光景は、呼吸を忘れるものだった。
鬼。
しかも武器のようなものを持って、倒れている人間らしきものを叩いていた。
別の場所には赤い液体の中に人を沈めていた。人は叫び、それを見て鬼は笑っていた。
炎がまるで池のような、別の表現を使うなら炎の温泉がそこにあり、そこで苦しむ人もいた。
しかし、時々訪れる涼しい風が癒しを与えた。傷は消え、悲鳴も止んだ。
が、再度鬼たちは同じ仕打ちを仕掛けた。傷が治ればまた傷をつけられる。そのような状態だった。
「これって、もしかして地獄ですか?」
「正解です。ワタチはあらゆる手段を用いてここの上層部と交渉し、あの鬼たちに食事を提供する仕事をしています」
「は、はは。まさか鬼が実在するとは思いませんでした」
「難しい表現ですね。実在というのは現実にいるかどうかの表現になりますね」
まるで僕の尊敬するクアン先生のような考え方だ。
そして扉は閉じた。先ほどまでの熱風が止まり、少しだけ寒く感じた。
「その体でも風邪を引いたらあちらのワタチにそっくりな悪魔に怒られてしまいます。これを飲んでください」
「これは……生姜湯?」
「はい。この冥界では娯楽がありません。ご飯を提供しようにも材料は限られています。その中でもかなり好評なモノです」
「ありがとうございます」
生姜湯を一口飲むと、お腹の中から暖かくなってきて、先ほど寒く感じた感覚が消えた気がする。
「さて、先ほど鬼たちにいじめられていた人は、人を殺めたり、多くの人間を騙したりした人たちです。そして『悪魔と関わりを持った人』もいます」
「悪魔と関わりを持った?」
「はい。人は人を殺めたら何があってもここへ来るのが『この世界の理』として定まっています。同様に悪魔と何かしらの契約をした時点でここに来ることも定まっています」
「え……じゃあ僕もいずれここに来るってことですか!?」
そう思うと将来に希望が持てなくなった。そもそも死後の世界ってそれほど考えたことが無かったけど、本当にあると知った今では不安が一気に襲い掛かった。
「本来であれば、貴方もここへ来る予定でしたが、これには抜け道も存在します」
「抜け道?」
「貴方は『疫病神』という神と知り合いですね」
疫病神さんは僕たちの店の常連さんで、神様である。
病をふりまく悪神……と思ったら、まさかの病を食べて治療するというかなり良い神様だった。そして食べた病は自身が請け負うという神の中の神とも思える存在である。
「この世界は神と悪魔が時に対立しつつ、協力もしてバランスを保っています。貴方はその中継を担っているとなると、これはかなり重要な役割となります」
「ですが、悪魔の道具を色々な人に売りつけているのは、間接的に悪魔と関わりを持っているのでは?」
「それを解呪するのは神です。場合によっては神によって与え過ぎた幸福を悪魔が喰らうことでバランスを保つこともあります。神や悪魔だけではその人たちを対処できないため、それを導く人間が必要になります。つまり、今貴方はその立ち位置なんです」
橋渡しというか、架け橋というか。
以前店主さんは疫病神さんのところへ荷物を届ける際に、鳥居の前までしか持って行けないところ、僕が来たことで疫病神さんに直接渡せるようになったと言っていた。
実はその役割って、僕がこの地獄で苦しまないようにするためだったのかな。
「いや、ちょっと待ってください。一つ気になったのですが、僕が商品を売った人はどうなるんですか?」
僕の質問に、この世界の店主さんが即答した。
「当然、ここに落ちてきます。例えあの小さな目玉のキーホルダーを使ったとしても、ここへ落ちます。悪魔の契約とは、その場限りで終わるものではありません。死後も足かせは繋がれたままなんですよ」
言葉を失ったまま僕は見覚えのある細い洞窟へと向かっていた。
確かここは以前気を失ったときに、連れてきてくれた場所だ。
「さて、これで社会科見学は終了です。貴方がこれからどうするかは貴方次第です。ですが、一つだけ助言をすると、今のままあっちのワタチの手伝いを定年まで続けることをお勧めします」
「ですが、それでここへ来る人が増えてしまうのでは?」
「まずここへ来る人というのは自業自得です。そして、貴方がやらなくてもあっちの世界のワタチが商品を売るので、来る人やその数に変わりはありません。貴方がお店を辞めたところで感謝する人はいません。逆に、貴方がお店で働くことで感謝されることは多いですし、神様も助かります」
店主さんの話を聞いていると、徐々に意識が遠のいてきた。
「感謝されずにここへ来るか、感謝されて極楽へ行くか。ワタチなら後者を選びます。まあ、強いて言えば、極楽にワタチは存在しませんけどね」
★
目覚めると我が家だった。
「ぬお! ご主人。目覚めたか!」
「おはようイナリ。え、どうやって僕は帰ってきたの?」
「うぬ、ご近所の富樫殿が持ち運んできてくれたのじゃ」
それは悪いことをしたな。
「ここまでお姫様だっこじゃったぞ」
「待って。それってすごく恥ずかしいんだけど。車とかじゃないの!?」
知りたくなかった。
「それで、『あの世』はどうじゃった?」
「イナリは知ってたの?」
「うむ、こう見えて少々知識はある。じゃが、それを人が知るのは『禁忌』とされておる」
あの世が本当にあるのかどうかなんてわからないというのが、一般的な話。でも、きっとあるだろうと信じているからこそ宗教があって、お墓や寺などがある。
実際に存在するとなれば、諸々の話が崩れてしまう。隠されているからこそ意味があるのかな。
「ワシがご主人に知って欲しくなかったのは、あの店を辞めてしまうかもと思ったからじゃ」
「うん、一瞬だけどそれも考えたよ。でも、あっちの……えっと、別の世界の案内人の人のアドバイスを聞いて、一気に辞める気が失せたかな」
「それはとても良い案内人じゃったな」
「うん」
悪魔のささやきとはこのことか。いや、本当に悪魔だから、言葉通りである。
僕がお店を辞めても、結局はどこかで死ぬまで働かされて、挙句地獄で苦しむことになる。それに関して誰からも感謝されない。
一方でお店で働けば、多少のうしろめたさはあっても感謝はされて、死後に苦しむことは無い。
「僕は僕が幸せになるように生きることにするよ」
「うむ。今までがそうでなかったそうじゃからな。どれ、今日はあの悪魔店主がカレーを持たせてくれたからのう。温めて食べるぞ!」
「店主さんのご飯!」
そう言って僕の日常はおかしな方向へ進みつつも、楽しいと思える日々へ進んでいく。
★
「おや、閉店間際に何用ですか。富樫様」
「いやなに。シバが気を失って、こちらとしては事情を聴きたくて今にも拳が出そうなんでね」
富樫が腕まくりをして、今にも店主を殴りかかろうとしていた。
が、そこへガウスが店主の前に座り込み、かすかにうなり始める。
「むしろこの店で今後働くべきかどうかを考えさせるためです。ワタチとしても巻き込んでしまった以上は『最期まで』責任を持つつもりです。あ、富樫様は残念ながら死後は地獄行確定ですからね」
不気味に笑う店主に富樫はため息をついた。
「それくらい覚悟はしてる。だが、そういうお前さんも地獄行きだろ?」
反撃をするも、店主は全く動じなかった。むしろ、すでに何度も言われた言葉のように受け止めた。
「死後の世界はその言葉通り『死後』なんです。ワタチがなぜ貴方よりも年上なのか考えたことがありますか?」
「さあな。悪魔だからか?」
「そうです。悪魔だからです」
軽い気持ちで答えた富樫だが、店主は即答だった。
「悪魔は地獄の業火で焼かれます。それはそれはとても恐ろしいものでしょう。そこでワタチは唯一そこから逃れる手段を編み出しました」
「逃れる?」
「はい」
それは、人にとっては難しく、悪魔にとっては単純で、さほど難しくないものだと言わんばかりの口調で答えた。
「死ななければ良いだけです」
今回は店主さんのお話を含めつつ、この物語の世界観のお話になります。
悪魔崇拝者や悪魔と関わった人は地獄に落ちるというのはよく聞く?話で、柴崎君が無事に生涯を終えるには神様とも関わりを持つという抜け道を生涯保つことになりますね。
とはいえ、悪魔と神様の二つの架け橋が極楽に行けるというプラマイゼロの考えを最後の審判をするモノが判決するかはわかりませんね。あくまでもこの物語の中のお話となります。




