憤怒の貯金箱
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時々この店には疲れ切ったサラリーマンがふらふらっと寄ってくる。
大半は迷い込んで来たとか、酔っぱらって気が付いたらたどり着いたとかなんだけど、稀に現実逃避がしたくて巷で噂になっている『寒がり店主のオカルトショップ』を探しているとか。
「うわ……思った以上にグロい物が多いですね」
「あはは、一応オカルト雑貨店なので」
と言っても、商品こそなかなか尖ったセンスの物ばかりだが、店の制服であるエプロンを着用している店主さんとイナリがいるお陰で少しだけ華やかでもある。特にイナリが来てからは女子高生が以前よりもさらに来るようになった。
「あの店員さんの尻尾と耳も、売ってるのかい?」
「いえ、あれは……あの子の趣味です」
「んな!?」
女子高生の主な目的はイナリの頭に生えた狐の耳と、腰から出ているモフモフの尻尾。頑張れば隠すことができるらしいけど、隠す術が店主さんの苦手な魔力らしく、ここでは素の状態で働くしかないとか。
「そうか……あの尻尾の抱き枕とかあれば、部長の説教の疲れも吹っ飛ぶのにな」
僕は説教を避けるために前職は頑張って与えられた仕事だけを完璧にこなしていた。この人はそのあたりをうまく回せないのか。それとも、部長とやらの理不尽な説教が原因なのか。
「では、そんなお客様にはこの『憤怒の貯金箱』をお勧めします」
店主さんが小さな豚の貯金箱を持ってきた。四足歩行の豚で、背中にはコインを入れる入口がある。中身を取り出すには割る必要がありそうだ。
「貯金か……そういえばしばらく通帳も見てないな。妻に通帳を握られて、月々一万円のお小遣い。はあ、俺はなんで生きてるんだ」
「そんな悩みも小銭と一緒にここに入れましょう。小銭が入りきらなくなったら割っちゃってください。悩みは蓄積されますが、一方でどれくらい悩んでいたかというのはわからなくなります。それに、悩みを可視化しつつお金が貯まるなんて、お得ではありませんか?」
「まあ、特にやることは無いし、一円でもコツコツ入れてみるか」
そう言ってお客さんは『憤怒の貯金箱』を買って、お店を出ていった。
「流石店主さんですね。商売上手です」
「それほどでもありません。ですが、あの方は見た感じ、限界が近い印象もありました。そういう方というのは、ちょっとしたことで非行に走るので、ちょっとした手助けです」
「でも、売ったのは悪魔道具ですよね。どういう効果があるんですか?」
「それは……ふふ、見た感じ二日後くらいにあのお客様が来ると思うので、お楽しみにしていてください」
☆
二日後。僕はガウスにブラッシングをしていると、スーツをビシッと着こなしているサラリーマンが入ってきた。
「こんにちは!」
「いらっしゃいませー……ん?」
肌艶がすごく良くて、綺麗なスーツ。でも、前に見たことあるようなお客さんだ。
「えっと、もしかして貯金箱を購入された方ですか?」
「はい! 普段やらないことをやったおかげで、色々と頭の中がすっきりしたんです! そしたらすべてが上手くいって、たった二日で色々と環境が変わりました!」
たった二日でスーツが新しくなるモノなの!?
「ちょうど貯金場後を割った時に色々と発覚したんです。中の小銭を見ていたら、これほどうっぷんが貯まっていたんだと。そこからは全てが良くなる一方でした!」
「発覚と言うと?」
「妻は長い間私の給料の大半を使ってホストに通っていました。憎い部長は昨日喉に異常が見つかって入院です。きっと叫びすぎたんですね。そして今まで払われなかった残業代が一気に出たんです。いやー、感謝ですね」
「それは良かったです。それで、今日はそのご報告ですか?」
良いことがあったから人に言いたくなる気持ちは分かる。
「いえ、あの貯金箱を再度買おうと思ったんです」
それもそうか。
と、僕がバックヤードから貯金箱を取りに行こうとしたら、店主さんが『憤怒の貯金箱』を持ってきた。
「別にここの貯金箱で無くても良いのですよ。要するに、頭の中を整理するきっかけというだけです」
「いえいえ、何故かこの貯金箱には不思議な力がある気がするんです」
「ふふふ、まあワタチとしては商品が売れるのは売り上げに繋がるので、大変嬉しいことです」
そう言って『憤怒の貯金箱』の代金を貰う。
「そうそう、一応忠告だけします」
「忠告?」
「その貯金箱にお金を入れる際には『本当に怒った時』にお金を入れてください。例え、些細なことで入れるようなことがあれば、その貯金箱の中に入れたお金は戻らず、問題も解決しません」
「もちろん。いやー、生きるのって楽しいですね!」
そう言ってスキップしてサラリーマンは帰っていった。
それを見た店主さんはニコニコとほほ笑んでいて、イナリはジト目で店主さんを見ていた。
「のう悪魔店主。詳細な説明と、あの貯金箱の欠点を言うのじゃ」
「構いませんよ」
苦笑しつつ説明を始める店主さん。
「あの貯金箱にお金を入れる際に、できるだけ直近で発生した憎い思い出を込めながら入れることで、あの中にいる悪魔が力をため込みます。先日出会ったときはすでに限界状態だったので、仮にちょっとした出来事でも中の悪魔が満足するくらいの思い出はあったでしょう」
豚の形の貯金箱。でも実際は中に悪魔が住んでいるのか。他の道具にも悪魔を付与しているって良く言うけど、よくよく考えると結構怖いよね。
「媒体はなんでも良いのですが、お金は色々な感情を乗せやすい形をしていますし、貯金箱は都合が良いのです。怒りや悲しみの感情をある程度まで詰め込むことで、中の悪魔は満腹状態になります。そして貯金箱を壊すと、その原因となった人たちに何かしらの罰が下されます」
「先ほどお客さんが言っていた、奥さんがホストに通っていたり、部長の喉に異常が見つかったりってやつですよね」
「はい。冗談で二日なんて言いましたが、よほど色々と溜まっていたのでしょう。多くの思いをお金に乗せて貯金箱に入れ、すぐにいっぱいになり割った。本人からすればそこまで思い詰めていたのかと思い、同時に頭の中がすっきりします。まあ、実際はその感情を悪魔が食べているだけですね」
「でも、欠点と言うのは?」
「一度その感覚を味わうと、もう一度味わいたくなります。しかも憎い人が不幸になるため、その感覚というのは蜜の味と言えますね。ですが、二回目を実践する人はよほど悩みが多い人でない限り失敗します。悩みの大きさが小さいと、中の悪魔は満足しません」
一度目は上司からのパワハラや家族関係で得た憎しみ。それが解決した今では、直近で大きな悩みは来ないだろう。
「政治不信や他人の色恋に対する嫉妬は今回付与した悪魔にとってそれほど好みではありません。もし、そんな自分に関係の無い憎しみで貯金箱をいっぱいにした場合、中に付与された悪魔は空腹のあまり近くにいる使用者に襲い掛かるでしょう」
襲うって、それはまずいのでは!?
「ちゃんと言わないとダメでは!?」
「あの手のお客様は何人にも言いましたが、ちゃんと聞いた人は十人に一人くらいです。むしろ罪悪感で二度目は購入しなかった人もいたくらいなので、ちゃんと使える人が使うと良い環境になります。この道具は『本当に困った人が使う分には最後の手段』になりうるものなので、売り続けているんですよね」
店主さんがそう言うと、少しだけ天井を見た。
店主さんの中にも色々と葛藤があるのかな。
「ワシは今、神にも悪魔にもついておらぬが、故にどちらに就くべきか悩むのう」
「ワタチはどちらに就いても文句は言いません。まあ、神側につくなら力を制御する術を身につけてもらいます。さすがにワタチの身が持ちませんからね」
僕には全く理解ができない話。だからこそ悔しいし、悲しい。
結局僕は人間で、悪魔について理解できていないんだろうな。貯金箱に付与された悪魔も、欠点ばかり目が行って、利点があまりにも怪しくすら感じてしまう。
と、そんなことを思っていたらガウスが僕の手を舐めてきた。
『ガウ!』
「おー、僕を気遣ってくれてるのか。可愛いなー」
『ガウガウ!』
「ふふ、間違ってはいませんね。ガウスは本来『畏怖の番犬』という悪魔です。柴崎様が何かしら恐れていたり、不安に感じている部分を食べたのでしょう。それが本能か、それとも柴崎様を想ってなのかはお任せします」
実際悪魔にはそういう感情は無いと言うけど、一方で店主さんは悪魔にも関わらず相手の気を使っている。
悪魔と呼ばれるモノでも、扱い方や接し方によっては良いのかもしれないと、改めて思った。
怒りの感情が爆発すると人間何をするかわかりませんよね。例えばおとなしかった人が感情の限界を超えた時、想像もつかない行動に出ることもありますね。
憤怒の貯金箱は「怒り」を込めてお金を入れますが、お金に願いなどを込める行為は万国共通のようで、日本では神社やお寺。海外の観光名所では噴水や像などに投げ入れますね。