幕間ー柴崎家ー
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両親はどこかで生きている。
父は酒に溺れ、母は毎日暴力を受けていた。
僕が社会人になり、一人暮らしを始めた瞬間、母は祖母の実家へ帰ったと言う連絡だけ来て、それ以降連絡は取っていない。
おそらく父は今も同じ家に住んでいるのだろうけど、どうでも良い。
きっかけはちょっとした出来事からだった。父が気まぐれで買った宝くじで二百万円が当たり、そこから生活が一変した。
母は最初こそ喜んだが、二百万円なんてすぐになくなるから、贅沢はしないでと言い続けていた。
そんな母の忠告を無視して毎日飲み歩きをした父は、いつしか無断欠勤をしまくって会社から解雇された。
しかし、それでも家で酒を飲み続け、母がスーパーで働いたお金のほとんどは父の酒代に変わった。そして足りなければ暴力が飛ぶ日々だった。
僕が大学に入学、そして卒業できたのは、父方の祖父母のお陰だった。孫だけは大学を卒業させて、社会人になってもらうと言ってお金を渡してきた。
今思えばそれは、僕が社会人になって父を養えと言っているような感じだったのだろう。一人暮らしをすると言ったときは両親よりも父方の祖父母から猛反対された。
一人暮らしをして一週間後に母は北海道にある母方の祖母の実家へ帰ったらしい。その連絡だけ来て、それ以降は連絡をしていない。
今更連絡をしても、何を話せばよいのかわからないからだ。
★
暗い大学時代の話をすると、店主さんと富樫オーナーは黙り込んだ。そして店主さんは少し悩んだ後に話し始めた。
「柴崎様に暴力は振るわれなかったのですか?」
「え、まあ」
「そうですか。ではお母様に会いに行きましょう。ハワイ旅行は次の機会にして、北海道にしましょう」
「え!?」
突然何を言い出すの!?
「最終的な答えはわかりません。ですが、お父様が柴崎様に暴力を振るわなかったのは、何かしら取引があったと思われます。もしかしたら柴崎様からの反撃を恐れた可能性もありますが、それにしても五体満足で大学を卒業されたのは、少し気になります」
「そうですけど、今更会って何を話せば良いか」
と、ここで富樫オーナーが僕の頭を叩いた。結構痛い。
「親が生きてるなら、会える時に会っておけ。そして、もし拒絶されたら帰ってこい。少なくともシバは帰る場所がある。良いな?」
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まさかの突然の社員旅行。
さすがに翌日からというわけにはいかないから、翌週にとなったけど、翌週でもびっくりである。
北海道の祖母の家は、中学生のころまで何度か遊びに行ったことがあるから分かる。うろ覚えでも今ならスマートフォンで調べることができるから、迷うことは無い。
「機内の軽食は旅の醍醐味ですね。特製コンソメスープは暖まります」
……店主さんが完全にオフモードである。
いつもそこそこしっかりしているのに、今日は『ほへー』って感じで、気が抜けている感じがする。
「おや、ワタチの顔に何かついていますか?」
「いえ、店主さんのオフモードが新鮮だったので、おもしろいなーと」
「ワタチだって休みの日や仕事以外の時はだらけますよ。最近は料理の新規開拓をしています」
「今でもすごく美味しいのに、どんな料理を開拓してるんですか?」
是非味見役として及ばれしたいものだ。
「古代メソポタミア文明に作られたとされる料理を忠実に再現とかですね。味見役に呼んだクアン様には大不評でした」
うん、食べてみたい気もするけど一回だけで良いかな。あと、お昼休みのご飯では絶対出てきてほしくない。
「店主さんって自分で美味しい料理が作れるから、外食とかはあまりしないイメージです。このコンソメスープよりも美味しいスープを作れるのでは?」
「味覚は人それぞれです。ワタチが作る本気のコンソメスープは時間とお金がかかります。こういう場所で食べる場合、ワタチは『どうやったら同じ味のスープが作れるのか』と思いながら味わいますね」
クアン先生と同じく店主さんは料理に関してこだわりはありつつも他も取り入れるタイプなのか。特化している人ってこだわりが強いイメージだけど、二人は違うのかな。それとも悪魔だからかな?
「やっぱり店主さんは悪魔っぽく無いですね」
「おや、それはどういう意味ですか?」
「いえ、悪魔って聞くと悪いイメージの塊ですが、店主さんは良い人って感じしかありません」
「善悪を決めるのも人それぞれです。それと、ワタチの場合はそういう種の中のワタチという存在です。今から行く北海道や、南の沖縄には貴方が想像する悪魔がきちんと存在しますよ」
人体模型とかガウスが僕を驚かすことはあっても直接的な被害は無いから、ちょっと興味はあるけど、そんなことを言ったらきっと怒られるのだろう。
☆
札幌空港に到着し、ロビーを出ると、そこには祖母が手を振って待っていた。
「あらあら幸太君! 大きくなったねえ!」
「おばさん、お久しぶりです」
「そんな久しぶりだからって敬語なんて使わなくて良いのに。あらあら、立派になってー」
中学生以来だから約十年くらい会ってなかったっけ。確かにあの頃から一気に身長が伸びたから驚くか。
「わかった。えっと、紹介するよ。こちらは僕の上司の……」
……名前わからない!
悪魔は名前が命って言われて、今も教えてもらってない!
と、僕が困っていると店主さんが一歩前に出た。
「初めまして。ワタチは『テン・シュ』です。日本のお友達には語呂が一緒と言うことで店主さんとか店主ちゃんと呼ばれています」
「あらあらあらあら! 可愛い女の子! もしかして……」
「おば様のご期待に添えられずすみませんが、幸太さんのただの上司兼雑貨店の店長です」
「あらーそうだったの。残念ではあるけど、孫の恩人に違いは無いから、会えて嬉しいです。幸太の祖母の幸代です。よろしくお願いしますテンシュちゃん」
握手を交わす祖母と店主さん。
車のトランクに荷物を詰めていると、祖母が耳打ちをしてきた。
「本当に幸太君の『良い人』じゃないの?」
残念ながら店主さんはおばさんよりも相当年上です。
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久しぶりの母の実家。社会人になって気が付いたけど、祖母の家ってすごく大きいんだよね。走り回って遊んだ記憶があるけど、そもそも家を走り回れるってすごいことだよね。
「さあさあ、我が家だと思ってくつろいでちょうだい。テンシュちゃんは外国の方? 靴については知ってるかしら?」
「日本暮らしは長いので、色々と知っています。お気遣い感謝です」
「あ、おばさん、最初におじさんに挨拶しても良い?」
「ええ、喜ぶと思うわ」
荷物を置いて玄関から少し歩いた別室に仏間がある。僕が小学生の頃に亡くなったおじさんの遺影が飾ってあって、立派な仏壇があった。
「お世話になるのでワタチも手を合わせます」
「え!?」
店主さんって悪魔だから、こういうことって苦手なのでは?
「種が悪魔でも、義理は大事です。多少の頭痛と引き換えに挨拶ができるなら、ワタチは進んで挨拶をしますし、頭痛が相手にメッセージを送れた証拠だと思えば案外良いものですよ?」
「あ、ありがとうございます」
やっぱりこの人って僕が思う悪魔とは違う気がする。
しっかり店主さんの事もおじさんに紹介して、居間に行くと、おばさんが麦茶を用意して待っていた。
「えっと、おばさん。その、母さんは部屋?」
「そうよね。沙知に会いに来たのよね。幸太君が来ることは伝えているけど、部屋から出てこないの。去年からずっと部屋に閉じこもって、ご飯だけは食べているわ」
「部屋に行っても良いかな?」
「どうすれば良いのか私にもわからないの。会ってあげてって言いたいけど、それは孫へお願いになるし、良いのかしらって思うのよ」
「十年もおばさんに何もしてあげられなかったんだから、なんでも聞くよ。その間店主さんとお話でもしててよ」
と、僕が言うと、店主さんは『こほん』と咳払いをして話した。
「いえ、ワタチもご挨拶をします。上司として保護者様にご挨拶するのは最近では良くあることです。それに……いえ、なんでもありません」
「いや、でも店主さんに悪いですよ」
「構いません。あまりご家庭の事情には踏み入らないつもりですが、ちょっとだけ事情が変わりました」
☆
母の部屋の前につくと、扉の前にはお盆と皿が置いてあった。おそらくおばさんが置いていた昼食なのだろう。
ご飯だけは食べているみたいで、一応生きてはいる。しかし部屋から出ないということは、よほど心に深い傷を負っているのだろう。原因はやはり父なのだろうけど、それを今更掘り返すつもりは無いし、そもそも会って何を話して良いか決めていない。
「しつれいしますよー」
「店主さん!?」
ノックもせずに店主さんが扉を開けたんだけど!
店主さんを追いかけるように中に入ると、散らかった部屋と奥にベッド。布団は膨れていて、おそらく母がそこに寝ているのだろう。
でも、それ以上に驚いたのは、ベッドに見知らぬ何かが座っていた。
頭部に長い耳が生えていて、白と赤の袴……神社の巫女さんが来ている服を着ていて、腰には金色の太い尻尾が生えていた。
見た目年齢は中学生くらいの少女。僕たちを見て強く睨んで来た。
「なんじゃお前らは。沙知は今寝ているから騒ぎ立てたら怒るぞ!」
「それはこちらのセリフです」
店主さんは少女に近づいた。
「店主さんの知り合いですか?」
「いえ、初対面です。ですが、種は知っています。妖精の区分にいて、どっちつかずの無名の何か。見たところこのままいけば狐の妖怪にでもなりそうですね」
「なんじゃお前は。狐が見えるのか!? というか悪魔!? 狐は喰われるのか!?」
「黙ってください。人の形をしていたらさすがに食べませんよ」
……狐の形をしてたら食べてたの?
「む、そっちはわかるぞ。沙知の子じゃ。まさか見えるのか? 狐は成長してとうとう人間に見えるようになったのか!?」
「もしかして僕が君が見えていることはわからなかったの?」
「当り前じゃ。狐はここ一年ずっとここにいた。幸代が飯を運びに来るとき、何度も声をかけたが返事が無い。沙知も夢では狐と会話ができる。こうして現実で話せるのは初めてじゃ!」
「狐の夢魔になりつつありましたか。はてさて、どうしたものか」
店主さんは腕を組んで悩んだ。
「えっと、そもそも結構大声で話しているけど、母さんはなんで起きないの?」
「それは狐が寝かせたからじゃ。次は夕刻まで目覚めない」
「なぜ!?」
「沙知の傷は深い。夢の中で治療をしている最中じゃ。なぜ治療が必要かどうかは、お主が一番知っているじゃろ?」
母さんは父からずっと暴力を受けていた。僕が社会人になるまでの四年間という長い年月はとても辛かったと思う。
「違うぞ馬鹿たれが」
「え!?」
今、母さんがなんで傷ついたか、頭の中で考えていたつもりだけど、もしかして口に出ていた?
「どっちつかずの幼体は厄介ですね。柴崎様、あの子狐は人の心を読みます。ワタチは柴咲様が何を考えていたかわかりませんが、きっと先ほど思ったことに対して言ったのでしょう」
「そうじゃ。沙知はこの一年、ずっとお主を考えていた。何もできず、とにかく子を守り、そして旅立つ際には声をかけられなかった不甲斐無さに今も苦しんでいる」
「守るって……僕は特に何も」
「『幸太は殴らないで。私には何をしても良いから。お金も渡すから!』」
「!?」
一年ぶりに母さんの声を聴いた気がする。でも、母さんは今もベッドで横になっている。
「『お主が五体満足な理由は、沙知が夫に契約をしたからじゃ』」
母さんの声で少女は話していた。先ほどの声は少女から発せられたものだったのか!
「沙知の傷は一生癒えぬ。唯一の小さな願いである息子が自立できるようになったことだけを支えに息だけをしている状態じゃ。もし、お主が狐の言うことを信じず、沙知に危害をもたらすなら、容赦はせぬ」
その瞬間、周囲に散らかっていた衣服や手鏡が浮き始めた。これってもしかしてポルターガイスト!?
「落ち着いてください子狐」
「当然悪魔のお前も例外では無いぞ!」
「生まれたての妖精は考えなしに突っ込むから苦手です。それは悪魔も同じです。相手を知らずに突っ込み、それが取返しのつかない相手だった場合、そこで全てが終わります」
「何を突然……」
「まだ、取返しはつきますが……ドウシマスカ?」
店主さんがそう言った瞬間、意識しなければ聞こえない心臓の鼓動が一度だけ大きく跳ねた気がした。
そして、衣服などが浮いている状況で絶対に気にも留めない外の風の音や、木から鳴る葉の音が、異様に大きく聞こえた。
数秒ほどの無音を感じた。すると、宙に浮いていた衣服や手鏡などが一気に落ちた。
「まだ聞き分けは良さそうで良かったです。ワタチと柴崎様の話をきちんと聞きますね?」
「……わかった……」
突然少女は怯えた表情に変わり、先ほどまで鋭い視線を送っていたのに、今では目も合わせてくれなくなった。
「て、店主さん。何かしたの?」
「強いて言えば格の違いを見せました。柴崎様も今後色々な人間や悪魔と出会うと思いますが、相手を間違えないよう気を付けてくださいね」
「はあ」
今の一瞬で格の違いを見せるって、何をしたんだろう。僕には見えない何かをしたのかな?
「えっと、僕は母さんと話をしに来たんだ」
「嘘じゃ。何を話そうか考えておらぬじゃろう」
その通りだ。仮にここで母さんが目覚めたとき、僕は何を話せば良いのだろう。
「でも」
僕の……柴崎家の壊れた生活は約五年前から。その前まではとても平和で、楽しかった。
「親子の会話に最初から話題を考えるって方が、変じゃないかな?」
☆
二人だけの社員旅行もとうとう終盤を迎えていた。
空港まではおばさんまで車で送ってもらい、その間ずっと感謝された。というか、泣きながら運転するものだから、ちょっと怖かった。
空港の停車場に到着すると、再度感謝された。
「来てくれてありがとうね。それと、沙知を連れてこれなくてごめんねえ」
「ずっと部屋にいたから、外に出れないのは仕方が無いよ。居間で食事ができただけでも良かったよ」
「本当にそうね。それと、テンシュちゃんの料理はびっくりしたわー」
店主さんは『泊まらせていただくなら、せめて料理は任せてください』と言って、気合の入った料理を作ってくれた。メソポタミア文明の料理じゃなくて良かった……。
「ねえねえ幸太君」
「ん?」
「本当にテンシュちゃんは彼女さんじゃないの? あんな料理が作れる人、絶対いないわよ?」
「ハハハ。残念ながら本当に会社の上司です」
あとね、非常に悲しいことに、店主さんって見た目が幼いから『可愛い』と思っても『好み』って感じにならないんです。
もし気になる相手はいないのかと聞かれたら横山さんって答えるよ。
「残念ねー。またテンシュちゃんの料理を食べたいわね」
「ワタチの料理が気に入ったのでしたら、次はこちらへ遊びに来てください。幸太さんの働く姿も見れますよ?」
……あのオカルトショップで働いているところをおばさんに見られたくは無い!
「と、とにかく、今度はできるだけ早いうちに遊びに来るよ。今の職場はお給料がとても良いからね!」
「そう。楽しそうで良かったわ。テンシュちゃん……いえ、テンシュさん。幸太君をよろしくお願いいたします」
なんか目の前でそういう挨拶をされるとちょっと照れるな。
「はい。こちらこそ頼りになる人材です。今後ともよろしくお願いいたします」
そう言って、おばさんは車に乗って自宅へ帰った。
ガウスへのお土産を買って飛行機に乗ると、店主さんはまたコンソメスープを飲んでいた。
「またコンソメスープなんですね」
「そうです。手作りでは不可能に近い同じ味のコンソメスープです。行きと同じ鍋で作られたのか、それとも全く同じ分量の材料を入れたのか、それをこのカップだけで判断します。ふむ、実に難しい」
やはりオフの店主さんはちょっと変だ。
『おい悪魔店主。いまこいつが悪魔店主を『ちょっと変』って思ったぞ』
「げっふげっふ!」
え!?
今どこから声が聞こえた!?
「まったくひどいですね。上司に向かって変って、査定に響く発言ですよ」
「言ってないし! というか、え、何!?」
僕が周囲を見渡しても、飛行機の乗客しかいない。どこかで聞き覚えのある声が聞こえたような?
『狐じゃ』
……僕のスマホに見知らぬ狐のストラップが付いてるんだけど!?
「ああ、言い忘れていました。妖怪になると厄介ですし、北海道でワタチの噂とか広められたら困るので、こちらで保護することになった……あー……えーっと……『柴崎様のお母様の近くにいた夢魔っぽい狐の妖精』です」
『名前長いのじゃ! それを名とは認めぬぞ!』
すごいストラップが左右に揺れてる。無表情だけど、多分怒ってるよね?
「えっと、保護ってことはウチで飼うんですか?」
「どちらかと言うと雇います。まだ神でも悪魔でもない幼体って珍しいのですが、騒ぎを起こしたり誰かに捕まって利用されると厄介なので、ワタチの目の届く範囲に留めておくんです」
「そうなんですね。じゃあこれから同僚ということか。よろしくね。えっと……」
『ほれみろ悪魔店主! 名前が長いから覚えられておらぬ。きちんとつけよ!』
「ワタチが付けると悪魔的契約が成立しますし、そこにはワタチの名前も必要になりますから、柴崎様にそこはお願いします」
「わ……わかりました」
社員旅行でまさかのお土産が社員になるとは思わなかった。
そして初めての後輩は人間では無く、名前も無い狐の妖精。
僕の職場はちょっと不思議だけど、それでもやはり前の職場よりは楽しいと思った。
今回は道具のお話では無く、柴崎君の家庭のお話です。
悪魔のような父親を持つ柴崎君ですが、本物の悪魔を見た今は父親はどのように見えてるのでしょう。もしかしたら、悪魔とは別で怪物にでも見えてるかもですね。
過去のトラウマや心の傷は治らないと言うのが私の考えです。そこを悪魔道具や何かのきっかけで塗り替えたり添えることはあっても、やはり内々の傷は治りませんよね。
そこを一生何も使わずに向き合う人は、店主さんも恐れるくらいの強い人なのかと思います。




