分岐カメラ
☆
いつも通り、決まった時間に出勤して、店に到着したらすぐに掃除を始める。
路地裏ということもあり、湿気が多い。だから、最初に窓を開けて換気を行う。
「ガウスー、今日もよろしくなー」
『ガウ!』
そして、剥製の犬ことゾンビ犬に軽く挨拶。撫でてあげると喜ぶ。うん、最初は怖かったけど、可愛く思えてきた。
「ガウスって何ですか。名前つけちゃったんですか!?」
「あ、店主さん、おはようございます」
若干引きつった表情をする店主さん。そういえば、悪魔にとって“名は命”って言ってたけど、それって僕が名前を付けた場合も、何かしら適用されちゃうのかな?
「そもそもその犬は、恐怖や警戒心を餌にする悪魔で、懐くことはないと思うのですが……すごい、お腹を見せていますね」
「ブラッシングしたらこうなりました。ゾンビ犬とか剥製って呼ぶのは可哀想なので、偉大な学者の名前を取ってガウスにしました」
ボロボロだった毛先が、少し綺麗になった気がする。ただ、隠れた場所には傷もあるから、あまり人前には見せられない。本当は散歩とか、一緒に行ってみたいけどね。
「まあ、その犬が納得しているなら良いです。柴崎様はガウスのお世話係をお願いします」
「はい!」
☆
日中のガウスは本当に動かない。お客さんがいるときは絶対に動かないし、僕が手を振っても振り向かない。でも、お客さんが帰ったら『あそんでー』と言ってる感じに近づくこともある。
ペットがいる生活って、こんな感じなんだろうな。
「あのー、ちょっと良いですかー?」
「ひゃいっ!」
ガウスを眺めていたら、お客さんがいたことを忘れていた。
よく見たら、髪は金色に染めていて、肌は日焼けサロンで真っ黒にしたギャルだった。制服を着ているけど、まだ昼だし……サボりかな?
「いらっしゃいませ……何かご入用で?」
「エモいカメラとか無い?」
「エモい……というと?」
まだ僕は二十代。社会人になって二年目だから、一応若者の流行りは把握しているものの、その感性は分からない。例えば『空腹の小悪魔ちゃんキーホルダー』が巷で流行っているのは知っていても、これが可愛いという感情は出てこない。
「トイカメラ的なやつで、古いスマホとか、インスタントカメラってやつとか」
「あー、無いわけではないのですが、ちょっと特殊なカメラがあります」
「おっ、見せてよ」
今日は店主さんが出かけているから僕が店番。偶然、昨日商品の整理をしていて店主さんに聞いたばかりの物が、それに当てはまるけど……これも悪魔的なものなんだよね。
「『分岐カメラ』です。その……中に高性能チップがあって、撮った写真を中で加工して、この細い穴から出てきます。トイカメラと使い方は一緒です」
「へー、なんか木箱っぽいけど、本当にカメラなの?」
「試しに撮ってみますか?」
「だね。可愛く撮ってよ」
そう言ってギャルは逆さのピースをこちらに向けた。あ、僕がお客さんを撮るんだ。まあ、今の流れだとそうだよね。
この道具も残念なことに呪物である。ただ、空腹の小悪魔ちゃんキーホルダーや畏怖の番犬と比べれば、全然優しい道具である。
くるくると回す部分を親指で何度か押し込み、カチッと音がしたところでカメラを構えた。そして、ボタンを押すと小さく『パシャ』と鳴り響く。
「え、フラッシュとか無いの?」
「その辺も補正してくれます。あ、出てきましたね」
カメラの下から紙が出てきて、空気に触れると徐々に絵が浮かび上がってくる。
「……待って、なにこれ」
お客さんは、写真を見ると震え始めた。
このカメラは他と比べてリスクは少ないが、一方で『事後報告』を突き付けてくる恐ろしいカメラである。
写真に映し出されていたのは、黒髪の女性。そして隣に、制服を着た黒い男の人。
黒髪の美少女がピースをしているので、このお客さんだということは分かる。けど、この男の人はこの場にいない誰かである。
「その人は、知ってる人ですね?」
「……最初に付き合った元カレ」
「そうだと思いました。実はこのカメラ、被写体が写った写真が出てきた場合、『人生で一番重要な分岐点』で間違った選択をして歩んでいる人に出てくるんです。写っている写真は、その一番大事な分岐点で、間違った直前ですね」
「なっ!」
僕を写そうとは思わなかった。それで、もしも写真が出力された場合、今の人生は間違っているということだからだ。
そして、出力されなかった場合は「この先重要な分岐点が来る」という予言でもある。それなりに高価な品物だ。
「確かにこの元カレは優しかったけど、デートは普通だったし、何かと注意してくるし、スマホにブロッカーって変なアプリとか入れるし、なんか嫌だったの!」
「では、今は幸せですか?」
「……ちょっと乱暴な男と遊んでいたら、最初は楽しかったけど、今は軽く叩かれるし、よく分からない」
「では、その元カレさんは、さりげなくあなたを守っていて、それに気づかなかったんですね」
おっと、店主さんの淡々とした口調が僕にも移ってしまったらしい。気を付けなければ。
「まあ、あくまでもこれは“一番重要な分岐点”を写す写真です。これからは“二番目に重要な分岐点”や“三番目”が来ます。そこで間違わなければ良いのです」
「どうでもいいわ。なんか冷めたし、帰る」
「あ、ちょっと待ってください」
ちょっと意地悪を言い過ぎた気もするが、これは必要なことだ。
「先ほどは貴女で試しました。次は別の人に試しませんか? 例えば、周囲の友人や今の彼氏さんとか」
「……へぇ、良い趣味してるわね」
自分が不幸に遭遇したら、今度は周囲も同じ不幸をふりまければ良い。――このカメラを販売する場合は、そのようにしてみてくださいって店主さんに言われていた。
「まあ、あくまでもこのカメラで撮影した写真は、高性能人工知能システムで画像を生成しただけです。今の僕の話も“そういう設定”って思ってください。じゃなければ、普通にすごいカメラですからね」
「いやいや、写ってる元カレ、すごく似てるけど?」
「そう見えるだけで、よく見ると違いますよ。思い出の補正のせいで、そう見えただけです」
って言わないと、注文が殺到してしまう。ほどほどにしなければ、この店は無くなりかねないため、加減も必要と店主さんに教えられた。
「それもそうよねー。となると、元カレと別れたことは正解だったかもしれないよね!」
……まあ、それに関しては大失敗だったと思うけどね。悪魔が関係しているから、言えないけど。
「それに写真も何かエモいし、買うわ。ハイ、お金」
「ありがとうございます。またお越しくださいませ」
そう言って袋に詰めて、ギャルの客は帰っていった。
同時に、店主さんも帰ってきた。両手には大きな袋。中には色々な小道具が入っていた。
「店員らしく立派に接客できているみたいですね」
「カメラが売れました!」
「はい。実は外でずっと見てました。ふふふ、ワタチに少し似ていて、不気味でしたね」
見てたの!?
ちょっと恥ずかしい!
「それよりも、大きな袋ですね。バックヤードに運ぶのを手伝いますよ」
「あ、それもそうですが、最初にこちらを渡さなければいけません。これはとても重要な物なので、忘れる前にお渡しします」
悪魔の店主から渡されるものって、一体なんだろう。もしかして怪しい契約書とか、呪われたネックレスとかかな。
「健康保険証です」
「すっごい普通!」
写真は真実を写すと言いますが、今の時代は加工技術やAIの発展でいくらでも偽物が作れる時代になりましたね。
将来的には『20xx年以前のカメラ以外の写真は証拠にならない』など、古いものだからこそコレクション以外での需要が出てきたら、面白いかもですね。古の勇者の剣ー的な感じ?