クラークの眼鏡
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疫病神さんが住んでいる神社の裏には大きな大学病院がある。むしろ神社が裏なのではと思うくらい大きな病院だ。
そして今日の僕はこの大学病院の院長と会うために来た。うん、すっごい緊張する。クリーニングに出したばかりのスーツだけど、埃とかついてないよね?
それと、今日は店主さんからの依頼で、商品の品質チェックも兼ねて悪魔の道具を装着しながらお客さんと対応することになった。
店主さんから渡された商品である『クラークの眼鏡』をつけたんだけど……特に何か見えるわけでは無い。
うっすら茶色かかってるし、ブルーライトカットの伊達メガネかな?
受付に到着し、名前を言うと、さっそく内線で院長につないでくれて、その後別室へどうぞと言われ案内された。
別室と言われたからてっきり応接室かなと思ったけど、まさかの院長室である。
「こんにちは」
部屋に入ると、厳格な、そして凄い眼力の六十代の男性が椅子に座っていた。
「『寒がり店主のオカルトショップ』の柴崎です。今日はご注文の品を持ってきました」
「そうか。早速見せてもらおうか」
昨日店主さんが作成した『ダンタリアンの手袋』を取り出し、それをテーブルに置いた。一見ただの毛糸の手袋だが、それを付けて相手の頭に触れると、相手の考えていることが分かる代物だ。
「ふむ、打ち合わせ通りなら、これで相手の心が読めるんだな」
「そうですが、病院の先生がどこでこれを使うか聞いても良いですか?」
「ああ。例えば様々な理由で声を出せない人。頭の中の単語の整理ができない人。意識がもうろうとしている人。そういう人が今感じている感情をこれで知ることができる。近いうちに難病を患った患者が来るから必要なんだ」
「そうなんですね。確かにこれなら相手が話せない場合、有効ですね」
そう言うと、院長はため息をついた。
「ショックかね?」
「え?」
いや、まったくそんな感想は思い浮かばなかった。
「人を治療する医者が悪魔の力を借りなければいけないなんて、とてもじゃないが情けないものだと私は思うのだよ」
「それは……」
言われなければ気が付かない。院長はかなり勉強をして、色々なことを知っているのだろう。それでも、悪魔の道具を頼らなければいけない事態になり、苦汁を飲む勢いで依頼したのかな。
「ああ、すまない。客に茶すら出さないところだった。私は大のコーヒー好きでね。一つ飲んで行くと良い」
院長はコーヒーサーバーに紙コップを置いて、コーヒーを入れた。大のコーヒー好きって言うから、てっきり豆を砕いてフィルターを通すものだと思ったけど、そういうわけではないのかな。
「いただきます」
そう言ってコーヒーに顔を近づけた。
次の瞬間だった。
僕の目の前に黒いマントを羽織って、白い面を付けた『何か』が、巨大な鎌を持って立っていた。
「なっ!?」
突然の出来事に驚き、僕はコーヒーを落としてしまった。
「おや、どうしたのかな?」
「いえ、その……」
院長の隣には巨大な黒いマントの『何か』が立っているが、院長には見えないのか?
というか、どう見てもあれは死神だよな?
「えっと、院長はコーヒーを飲まないのですか?」
「ははは、私は後で飲むよ。それよりも、もう一度コーヒーを淹れよう」
「いや、結構です」
「いやいや、遠慮はしなくても」
「結構です!」
僕は振り返り、ドアノブに手をかけた。しかし、押しても引いても扉は開かなかった。
「いやはや、君は凄いね。コーヒーに毒が入っていたことに気が付いたのかい?」
毒!?
そんなの知らないけど!?
「まあ理由はどうあれ君には消えてもらうしかありません」
「なぜ!?」
「なぜって、そりゃ知られたからだ」
「ウチの店主さんもこの商品については知ってますよ!?」
「そうだね。てっきりあの小娘が届けると思っていたが、まさか従業員がいるとはね。消す相手が一人から二人に増えたのは誤算だったよ」
もしかして、店主さんがこれを届けても、同じく毒入りコーヒーを飲ませていた!?
「貴方は一体……」
「私は悪魔崇拝者だ。『ダンタリアンの手袋』については製法だけ知りつつも私には作れなかった。あの小娘がどのようにこれを入手したのか気になるが、手に入れば用済みなのだよ」
ダンタリアンの手袋は店主さんオリジナルでは無く、何かの文献に載っているものだったのか。いや、今はそこは重要ではない。
院長は紙コップにコーヒーを入れ始めた。同時に黒いマントの『何か』は僕をもう一度見た。
「これは私が大学で研究した、苦しむことなくあの世に行ける薬なんだよ。安心してくれ。君にこれを飲ませた後は、あの小娘にも飲ませる。二人で仲良く幸せになってくれ」
そう言って院長はゆっくりと近くに寄ってくる。悪魔よりも悪魔だと感じた。いや、本来の悪魔とはこういう存在だと思った。
背中の扉を何度も叩くが、まったく動かない。何もできずにこのまま終わるのか。そして、次は店主さんが襲われるのか!?
「ずいぶんと面白い飲み物です。ヤクが飲んであげても良いです」
「誰だ!?」
院長の後ろに、小さな少女が立っていた。
額には冷却シート。頭上には水の入った袋。そして何度かせき込んでいる小さな少女だった。
「や……疫病神さん!」
「やく……何を言っている。というか、どこから入ってきた!」
思わず院長は右手に持っていた毒入りコーヒーを疫病神さんにかけた。
「疫病神さん、それ、毒入り!」
「見ればわかります。そこに死神もいますし、何より机の上に置いてある道具から怪しいオーラが見えるです。『死』の過程である『病』の毒はヤクに通用しませんです」
ドテラの端でふりかかったコーヒーを拭い始めた。どうやら本当に大丈夫らしい。
「馬鹿な。これは特殊な毒のはずだ。まさか、入れかえられていたか!?」
そう言って院長はコーヒーを舐めた。
次の瞬間、
黒いマントの『何か』は目に見えない速さで院長の後ろに移動し、大きな鎌を思いっきり振り、院長を切った。
「はがっ」
その場で院長は倒れ、動かなくなった。
「ちょ……だ、誰かー!」
「無駄です。そこの死神が命を狩りました。これは『絶対的な死』で、助かりません」
気が付けば黒いマントの『何か』は消えていた。やはりあれは死神だったのか。
「とにかく、ヤクの言う通りの行動を取ってください。幸い、ヤクは他の人には見えません。なぜあの院長さんが見えたのかはわかりませんが、あそこの防犯カメラがある程度柴崎さんを無罪にしてくれるでしょう」
☆
疫病神さんの言う通り、防犯カメラに写っていた一部始終により、僕は罪に問われることは無かった。むしろ、殺害されかけたとして、病院から長文の謝罪文が送られてきた。
こうなることも店主さんの予想通りだったのかと思い、深いため息をついてお店に戻ったら、予想とは裏腹に店主さんが泣いて謝罪をしてきた。
「ずみまぜーん! まざか、あのお客様が証人を消そうとしていたとまではおもっでいまぜんでじだー!」
「え!? でも、クラークの眼鏡を渡したのは、こういうことを予想したのでは?」
「あれはワタチや疫病神様以外の何かを可視化するもので、病院に漂う守護霊を見せて驚かせようと思っただけで、まざか死神を見せるなんておもっでながっだでずー!」
マジかよ。どっきりをさせようと思ったら、本当のトラブルだったの!?
今更腰が抜けそうなんだけど!
「まったくヤクに感謝して欲しいです。死神が出てきたので挨拶をしに行ったら、犯行現場に立ち寄るなんて思いませんでした」
「ワタチの従業員をまもっでいだだぎあじゅじゅあああ!」
もう何を言っているのかわからない。というか、店主さんってここまで感情を爆発させる人だったんだ。意外だ。
「ん? 挨拶ということは死神も神様側なんですか?」
疫病神も最初は悪魔側だと思っていたけど、実際は病を喰らうありがたい神様だった。つまり死神も同じなのかな?
「色々な解釈はありますが、今回の死神はヤクと同じ神側です。無差別に命を狩るのは死神という呼び名ではなく固有名詞がありますです。今回の神は魂を運ぶ者です」
「それにしては無機物というか、疫病神さんと違って会話ができない感じでしたよ?」
「ヤクはそれなりに地位はあります。序列で言うと係長くらいです」
……管理職では無いのか。
「あの死神は一般社員。まだ役割を貰ってから数十年と言ったところでしょうか」
神様の中でも役職はあるのかな。
「本来ゆっくりと死神は遠征しに来るのに、今回は凄い早さで現れたので、違和感はありましたです。ということで悪魔店主さん、貸しですね」
「ぐすん。仕方がありません。今回は完全なワタチの落ち度。柴崎様も特別に貸し一つとして、ワタチのできることなら何か言ってください」
と、言われましても。
確かに今回の出来事は驚いたけど、いつも悪魔の道具で驚かされているし、特別何かしてほしいとは思って……あ!
「でしたら、店主さんが作る晩御飯を食べたいです!」
神と悪魔は紙一重。今回の「死神」は「命を運ぶ使者」という立ち位置のモノですね。
現実でも鴉は不吉の象徴と言われたり、神の使いと言われたり、地域によって異なりますよね。今回はそんな要素を入れました。
そうなると店主さんは「悪魔」ではありますが、立ち位置は?となりますね。ブレブレな部分はもちろんありますが、変わらず店主さんは「悪」の方です。単に柴崎君が本当にマズイ部分をまだ見ていないだけかも?




