畏怖の番犬
☆
バックヤードでタオルを受け取り、唾液でべたべたになった顔を拭いていた。
僕は先ほどまで、“剥製”に顔中を舐めまわされていたのだ。
「今さら怯えるとは思いませんでしたよ?」
「だって! 剥製が! 動いたんですよ!?」
『ガウ!』
「ひいっ!」
真っ赤な目に、所々ボロボロの皮膚。そして尻尾は固まっていて、まさしく剥製らしい姿――だが、口からは大量の唾液を垂らしている。
どう見ても剥製ではなく、“ゾンビ犬”と呼んだほうがしっくりくる。
「こちらは非売品の『畏怖の番犬』です。恐怖を餌にする悪魔犬でして、万引き対策に役立っているんですよ」
「ま、万引き対策!?」
「ええ。人間は物を盗むとき、周囲に見られていないかを警戒します。その“警戒心”をこの子が察知するのです。一応、公にはできないので、最初は吠えるだけにとどめていますが、逃げた場合は追いかけてもらっています」
店主さんとゾンビ犬が、どや顔で僕を見てきた。
「いや、でも……けっこう盗まれてません?」
『ガウッ!?』
店主さんは特に驚く様子もなかったが、ゾンビ犬は露骨に驚いた表情を浮かべていた。
「そもそも“罪の意識”が無い――つまり、息をするように物を盗むような人間には、さすがのこの子でも気づけないんですよ。そういう人間は、悪魔以上に悪魔ですね」
「は、はあ……」
とりあえず顔を拭き終え、タオルを店主さんに返す。
その瞬間、ゾンビ犬がまたこちらに近づいてきた。
「いやいやいやいや、みんなスルーしてますけど、こいつ“剥製”なんですよね!?」
「はい。剥製です。ただし、“悪魔化”した剥製ですので、少し特殊ではあります」
『ガウ!』
あ、悪魔化!? どういうことですか!?
「すっごく今さらですけど、柴崎様はこのお店を“ただのオカルトグッズ店”だと思っていらっしゃいますか?」
「え、そりゃまあ……」
見た目は怪しい形をした物ばかりだし、変なお守りも多い。
どう見ても“オカルトグッズ専門店”でしかない。
「こちらで販売している商品の半数は、“本物の呪物”です。“空腹の小悪魔ちゃんキーホルダー”も、『そういう都市伝説がある』のではなく、“ガチな呪物”なんですよ」
「えっ!?」
じゅ、呪物!?
いや、目の前で剥製が動いているし、そう言われたら信じるしかないけど……半数って、どういうこと!?
「信じていただくために、動く系の悪魔をお見せしましょう。たとえば、これなど」
そう言って店主さんは『空腹の小悪魔ちゃんキーホルダー』を取り出した。
――次の瞬間。
『ギャギャ? ニンゲン、ナニミテル?』
「喋った!?!?」
しかも、コウモリみたいに飛んでるし!
目玉がぎょろっとしてて、めっちゃ気持ち悪い!
「他にもいろいろ販売しておりますが、召喚してしまうと商品価値が無くなってしまいますので……その時が来たら、またお見せしますね」
「あの……店主さん、この仕事、辞めてもいいですか……?」
「ええ、ワタチは別に構いませんが……その場合、別の悪魔にさらわれて、どこかへ売り飛ばされることになりますよ?」
……えええ!?
「貴方が“レプリカグリモ”を使って“就活無しで就職したい”と願われましたよね? あの願いには“一生”という条件がついております。つまり、この店を辞められても、就活無しでどこかへ就職させられるのです」
「いやいやいや、一回だけの効果じゃなかったの!?」
「これはゲームではありませんからね。現実の悪魔に、貴方の常識は通じません。雑に念じた自分自身を恨んでください」
そんな……じゃあ僕は、ずっとこの店で、悪魔犬と一緒に暮らさないといけないの?
……ん?
「店主さん。もし僕が“定年”を迎えて退職した場合は、どうなるんですか?」
「先週、貴方の“定年退職”という概念は消えました。もし定年を迎えられたとしても、自動的に再雇用され、どこかに引き抜かれて働くことになります。死ぬまで現役ですね」
「嫌なんですけど!?」
「じゃ、じゃあ……この店が無くなったら?」
「ワタチは適当にバイトを探します。貴方はどこかに就活無しで雇われます。良い職場だといいですね?」
「万が一、僕が事故に遭って働けなくなったら!?」
「さすがにそこまで面倒は見切れませんので、自主退職となります。でも、どこかで勝手に雇用されるので、ご安心を」
怖い怖い怖い!!
最初の説明では「働いていればいい」って感じだったけど、それって“職場が良いかどうか”は別問題ってことだよね!?
「……そもそも、店主さんが定年退職したらどうなるんですか!?」
ここは店主さんのお店だ。
店主さんがいなくなったら、僕はどうなってしまうのか。
「あ、ワタチも悪魔ですので、貴方より先に死ぬことはありません。こう見えて、もう百歳は超えてますよ」
今日いちばんの衝撃情報だ。店主さんが……悪魔!?
「物的証拠はありませんが、ワタチは悪魔です。名前を隠しているのは、余計な契約を避けるためですよ」
「契約って……?」
「悪魔にとって、名前は命とも言われます。例えば、名前が書かれた紙に聖なる力を込めて念じれば、遠く離れた場所からでも操ることが可能です。だから、ワタチのことは“店主さん”と呼んでいただいているのです」
今まで普通に「店主さん」って呼んでたけど、そんな理由があったとは……
上下関係をはっきりさせたいのかと思ってた。
「でも、ご安心ください。さすがにワタチも非道な悪魔ではありません。定年までこのお店をきちんと切り盛りできた暁には、呪いの解呪を“社割”でご提供いたしますよ」
……せこっ!
「今、“せこい”って思いました?」
「心読まれた!?」
さすが悪魔……いや、まだ証拠は無いけど、呪物とか変な生き物を見せられたら、信じるしかない。
「“レプリカグリモ”の解呪は、ワタチの本業ではありませんので、近所の野良神社に依頼することになります。なので、費用がかかるのです。マジな呪いですから、結構高額ですよ」
なるほど……でも、定年まで働けば解呪してもらえるし、怪しい生き物と一緒に暮らすのを除けば、それなりに――
……いや、ほんとに“それなり”で済む職場なのかな?
剥製の犬改めゾンビ犬の話でしたが、それ以上に主人公の定年後の話がメインになってしまいました汗