鼬鼠の細筆
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このお店の『ご近所さん』である隣のビルのオーナーの富樫さんは、おそらく悪い人では無いのだろう。
ただ、悪魔の道具に依存してしまい、抜け出せられなくなったのも事実。どうしても完全な善人とは判断できない材料となっている気がする。
「おかえりなさい。お土産は渡せましたか?」
お店に戻ると店主さんが迎え入れてくれた。
「はい。それよりも店主さんはどこかで盗聴でもしていたのですか?」
富樫オーナーと話している途中で、社内の電話が鳴り、そこから店主さんの声が聞こえた。いかにも僕たちの会話を聞いていた感じで話してきたから、少し怖くも思えた。
「流石に盗聴なんて犯罪はしていません。ですが、富樫様なら貴方を引き抜こうとするだろうと思っただけです。どうですか? 心が揺れましたか?」
その質問に僕は即答した。
「お昼が美味しいこの職場を抜け出すほど僕は馬鹿ではありません」
「おおう、思った以上にしっかりと決意が固まっていて驚きました」
はっきり答えたら逆に驚かれてしまった。
「でも、悪魔である店主さんはそれほど人に興味が無いんですよね。僕を強く引き留める理由ってあるんですか?」
「柴崎様の言う通りです。もしも柴崎様から辞めると言った場合はワタチは『そうですか』と言ってすぐに手続きをします。ですが、第三者が柴崎様の意思を無視して引き抜こうとした場合は都合が悪くなるので引き留めます」
都合が悪い。それは一体。
と、ここでお店の扉が開いた。
「コホッ。悪魔店主さん、買い物に来たです」
……あー、そう言えば店主さんが触れない商品って結構あるんだよね。
☆
野良神社の疫病神さん。前回は『ガジュマルの手鏡』を買っていたけど、今回は何を買う予定なのかな?
「悪魔店主さん、今日はちょっと高価かもしれないです」
「それはワタチにとって朗報です。柴崎様、明日のお昼は牛タンにしましょう!」
売り上げでお昼が決まるなら、もっと宣伝して回るよ? そんなコミュニケーション能力は無いけど!
「実はこれを見てください」
そう言って疫病神さんは新聞を取り出した。そこには交通事故の写真と、被害者の状況が書かれてある。
「この被害者の骨折を『喰らう』としたのですが、何やら変なお守りがあって、食えませんでした」
「変なお守り?」
そう言うと、疫病神さんは僕に近づいてきた。そして、首元にある『邪神の刻印のネックレス』を取った。
「これとちょっと似てますです……いや、まんまこれですね」
「すっごい心当たりある人物ですね!」
前職の先輩かー。そう言えばいつも言われたことを淡々とやってて、常に先輩ってしか言ってなかったから、名前が分からない。横山さんはわかるけど、それ以外覚えていないってことは、僕は人に興味があまり無いのかな。
「野良神社の神主経由でこのお守りについて聞いたのですが、何も話さないそうです」
「そりゃ、僕を殴って盗んだものですからね」
そう言うと疫病神さんは少し固まって、ジト目で話した。
「でしたら自業自得ですね。ヤクは帰ります」
「ええ!?」
「そうですか。柴崎様、明日は牛タンでは無くサイコロステーキに変更です」
一大事だ!
これでは明日のお昼の牛タンが、いつもの美味しいご飯に変わってしまう。どっちでも良いけど、なんか牛タンの方が良い!
と、僕が焦っていると、店主さんはバックヤードから段ボールを持ってきた。
「陰ながら人に手を刺し伸ばす神が、そう簡単に見捨てては、信仰が無くなりますよ。柴崎様、すみませんがこの箱の中を出してください」
「はい」
そう返事をして箱の中にある物を取り出した。そこにはすごく小さな細筆が入っていた。
「『イタチ毛の細筆』という日本古来の逸品です。野良神社に保管してある墨とこの筆を使って刻印を黒く塗れば、邪神とのつながりは途切れます」
……それ、国宝級の物では?
僕が心の中で突っ込むと、疫病神さんは震えながら細筆を持った。いや、震えているのは体調が常に悪いからかな。
「よくこんな道具を悪魔の貴方が持ってるですね」
「間違えて買ったんです。ルーン文字を書くための筆が欲しかったのに、すっごい神聖なブツが届いてワタチも驚きました」
誤購入で国宝が届くのか。それにしても素人の僕でも立派な筆だと思う。
……え? ルーン文字って何?
え、店主さんってルーン文字で何か魔術を使ったりもできるの!?
「自業自得の人間さんに野良神社の貴重な墨を使うのはもったいないですが、支払い次第で判断しましょう。使うかわかりませんので、一旦借りて良いですか?」
「良いですよ。そのうち柴崎様をそちらの神社に向かわせます」
え、僕が?
まあ、お使いや配達だと思えば、特に断る理由は無いか。
「ああ、それも良いですね。今までお支払いはヤクが直接来たり、どこかで待ち合わせをしていましたですが、これからは来てもらうことも可能ですね」
そうか。店主さんは悪魔だから神社に入れないのか!
「もしかして今後は野良神社に直接柴崎さんが届けてくれるのでは?」
「配達料上乗せします」
「悩ましいですが……考えましょう」
絶対配達料はとんでもない金額を請求するんだろうなーさすが悪魔だ。
☆
支払い中、何故か疫病神さんは僕をじっと見ていた気がした。
「えっと、何か?」
「ちょっと気になったことがあったです。そうですね、大通りまでお見送りしてもらえますです?」
「え、構いませんが」
何度も来たことがあるであろう疫病神さん。しかし今日は何だろう。
「では店主さん、ちょっとお見送りしてきます」
「はい。気を付けて帰ってきてください」
疫病神さんの歩く速度は思った以上に遅かった。それに合わせて道を歩く。
店が見えなくなったところで疫病神さんは話しかけてきた。
「ふむ、貴方は人生を諦めてますです?」
突然な質問に驚いて声が出なかった。
「すみません。他意はありませんが、でも、心が疲弊している気がしました」
「あはは、それはきっと前職が原因だと思います」
「前職?」
「はい。その、疫病神さんが治療しようとしている男性の部下だった時、ロボットのように働かされていたんです。店主さんのお店で働くようになってこれでも元気になってきたんです」
「え、やっぱりあの患者さんは助けない方が良くないです?」
「いや、神様がそんなことを言わないでください」
確かに先輩の所為で僕は不当な解雇にあった。でも、そのおかげで今の職場にありつけた。
「ヤクは人間さんの病を喰らう神です。悪魔店主さんと違って人間さんは守るべき存在だと思ってますです。人間さんが数億といれば悪人も出てきますが、貴方のような人間さんはできるだけ手を刺し伸ばしてあげたいです」
そう言われても……。
……待って、これって富樫オーナーから引き抜かれたときと似ているのでは!?
「待ってください疫病神さん。僕は店主さんのお店で働くことに生きがいを感じています」
「はい。知っていますです」
「え?」
予想外の答えだった。
「なるほど、最近別の人間さんから引き抜きの話があって、それと似たシチュエーションだったので焦ったのですね」
「え、知ってるんですか?」
「知ってるのではなく『心を覗いたのです』」
心を覗いた?
「心を覗く術は微小ですが悪魔店主さんが苦手とする力が出ます。先ほど貴方はヤクのところへ配達をするという話になった時、何かをあきらめた雰囲気を出していたので、少し心配だったのです。杞憂でしたけどね」
「心配してくださってたのですね」
「神ですから。ケホッ」
どや顔した後にせき込む疫病神さん。額の冷却シートが剝がれそうになり、それを再度貼りなおした。
「悪魔との契約はハイリスクローリターンですが、貴方は生き方を間違わなければ、今頃大富豪になっていたかもですね。それではヤクはここで」
そう言って疫病神さんはフワッと消えていった。
大富豪……だったとは?
疫病神さんの口調は読みにくいかもですが、そういうキャラだと思っていただければ!
ということで今回は出番こそ少なかった「イタチの細筆」です。動物の毛を使った筆は多く、希少な動物や小さな動物の道具は何かしら力があるとも言われていますね。
お守りという区分で動物の部位が使われているもので有名なのは「ウサギの足」ですね。幸運のお守りとか繁栄のお守りとして有名ですが、いざお土産で渡されたら、人によってはちょっと驚くかもしれませんね。