レプリカグリモ
真夏の炎天下、僕は大きな段ボールを両手に抱えながら、オフィスビルが立ち並ぶ街道をとぼとぼ歩いていた。
足取りは重く、日差しは肌を刺すように痛い。つい先ほど、理不尽にも解雇を言い渡され、即日の退去を命じられたばかりで、頭の中は真っ白だった。
法律の通じないブラック企業だとは思っていた。
毎日15時間労働、月に一度の休日。有給休暇の残数は、気づかぬうちに減らされていた。
それでも、自分のやりたい仕事だったから一年間頑張れた。
心がすり減っていくのを感じながらも、苦手な先輩に仕事を押し付けられ、成果を横取りされても、ひたすらアプリケーションを作ることに満足していた。
「僕が生きた証」が残るなら、安月給でも良かった。
それなのに「何もしていない」という評価で解雇され、先輩の作ったことになって終わり。
世の中は、なんて理不尽なんだろう。
ゆっくりと自宅に向かう途中、頭がぼんやりしてきた。
足取りがふらつき、左右に揺れているのが自分でもわかる。
いっそ、このまま倒れて眠ってしまいたい。
そんな衝動すら湧いてきた。
仮に倒れても、この世の中じゃ誰も助けてはくれない。……いや、別に助けなんて求めていない。
むしろ、誰にも関わらずに放っておいてほしい。
――何かに声をかけられたような気がした。
けれど返事をする気力もない。
肩を叩かれた。無反応だったからだろうか。
今度は、少し強く叩かれた。
痛みは感じなかった。けれど、徐々に視界が低くなっていく――。
☆
「起きましたね。お元気ですか?」
目を開けると、目に飛び込んできたのは、古びた木造の天井。
小さい頃に何度か訪れた田舎の祖母の家のような、どこか懐かしい雰囲気があった。
後頭部が冷たい。……これは、水枕?
「ここは……?」
そう呟きながら起き上がる。敷布団に寝かされていたようだ。
横を見ると、さっき声をかけてきたらしい少女が立っていた。
水色の短髪。まるでカラーコンタクトのように鮮やかな真紅の瞳。
白く透き通った肌。小学生から中学生くらいに見える背格好。
「ワタチの目の前で倒れたので、とりあえずお店まで運びました。近くに知り合いもいたので、貴方の荷物もここにありますよ」
部屋の隅には、僕が持っていた段ボールが置かれていた。
「ありがとうございます。えっと……」
「ワタチのことは『店主さん』とお呼びください。柴崎幸太様」
「えっ、僕の名前……どうして?」
「転倒時に名刺が落ちていました。会社に連絡したのですが、『そんな社員はいない』と言われました。……古い名刺ですか?」
「……さっき、解雇されました。呆然として歩いていたんです」
「それは災難でしたね。でも、あの会社は悪い噂しか聞かないので、むしろ抜けられて良かったんじゃないですか?」
良かったのだろうか――。
自分のやりたいことを、ただ黙々とやらせてもらえる職場だった。
最低限のお金がもらえて、会議も客先対応もなかった。
就職活動に戻るくらいなら、またあの会社に戻りたいとさえ思っていた。
「まあ、貴方はまだ若いのですし、前向きに次の仕事を探しましょう。それと、ここはカウンセリングルームではなく雑貨店なので、歩けるようになったのならお帰りくださいね」
雑貨店……?
「そういえば“店主”って言ってたけど、ここはお店だったんですか?」
そう尋ねると、店主さんは背後のカーテンをサッと開けた。
「ひっ!」
思わず声が漏れた。
目の前には大きな口を開けた犬の模型。そしてその上に、紐で縛られ逆さ吊りにされた鳥の模型。
「ちょっと見てもいいですか?」
「ええ、どうぞ。もし気に入った物があれば、ぜひご購入くださいね」
店内には犬の模型や鳥の他に、植物や金属のアクセサリー、どこかおどろおどろしい品々が並んでいた。
特にアクセサリーは、ドクロの模様が多く見受けられる。
「この大きな箱は?」
「ああ、それはそこそこ高いですが、半年に一つは売れる人気商品です。時には数個まとめて売れることも」
「……何が入ってるんですか?」
「人間の骨一式です。いわゆる人体模型ですね」
「うわあああああ!」
思わず投げ出しそうになったが、ぐっと堪えて元の場所に戻した。
「人間の……骨?」
「はい」
箱を開けた店主さんの手の中には、頭蓋骨から足の骨まで、見事にそろった模型が収まっていた。
「これって、本当に大丈夫なやつですか……?」
「教育機関や医療機関での説明用に、結構需要があるんですよ」
「……思ったより健全な用途で売られてた……」
てっきり怪しい組織が買っていくのかと……。
「驚かさないでください。本物かと思ったり、危ない団体が使っていると思ったり」
「ふふふ」
ふ、ふふふ……?
「それはそうと――」
それはそうと、で流して良いのかわからないが、逆らわない方が良さそうだ。
「何か気に入った商品は見つかりましたか?」
「そ、そうですね……」
この場を早く離れたい。何か適当な物を買って帰ろう。
ふと本棚に並んだ数冊の本が目に入った。
「これ……外国の本?」
文字も絵も見たことがない。中学生だったらこういうのが欲しくなったかもしれない。
「それは『レプリカグリモ』ですね」
「レプリカグリモ?」
「悪魔の書『グリモワール』のレプリカです。検証はしていませんが、その本を開いて願いを唱えると……なんやかんやで叶うと言われてます」
なんやかんやで……?
「じゃあ、『就活不要でどこかで働けますようにー』なんて」
そう言った瞬間だった。
突然『レプリカグリモ』が破裂し、紙片が店内を舞った。
「ちょっと!? 何してるんですか!」
「え!? な、なんで!?」
紙はくるくると舞い、僕の顔に当たってきた。痛くはないけれど、息がしにくい!
しかも風もないのに押し返されていくような力まで感じる。
「ああもう! 雑な願いは悪魔の餌なんですよ! 仕方ありません、柴崎様はワタチが雇います!『そこで隠れている本に宿っていた悪魔は帰ってください!』」
店主さんが叫ぶと、紙はピタリと静止し、ドサッと音を立てて床に落ちた。
「な、なにが……?」
「なにが、じゃありません! まったく……でも、ワタチも商品を確認していなかったのは悪かったですね」
そう言いながら店主さんは紙を拾い始めた。僕も一緒に拾って、すべて渡すと彼女はため息をついた。
「拒否権はありません。貴方は本日からこのお店で働いてもらいます」
「ええっ!?」
「だって願ったでしょう?『就活不要でどこかで働ければ』って」
た、確かに言ったけど!?
「あの本に冗談は通じません。もし放っておいたら、悪魔は刑務所や他国など、どんな手を使ってでも貴方を“働かせる”場所に送り込んだでしょう」
意味がわからない!!
「もっと慎重に、そして明確な願いにしていれば、ワタチも干渉しませんでした。でも、あのままだと周囲に悪魔の存在が知られてしまう可能性が高かったので……。というわけで、先ほど契約を交わしました。今日から貴方は、この店で働いていただきます」
――こうして、僕は謎のオカルト雑貨店で働くことになった。
就職活動はしなくて済んだ。でも……本当にこの店、大丈夫なのか?
レプリカグリモの元ネタはグリモワールですね。悪魔の本ともいわれていますし、そのものが悪魔って言われていたり、伝承によって異なる形はありますね。
今回はその偽物をうっかり使った主人公のお話です。偽物と言っても効果はちょっとある物は現実にも存在しますね。例で挙げるならカニ風味カマボコとか?
では!




