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バスならぬドラゴンガイド

 体を襲った浮遊感が少しずつ薄らいでいく。

 上下への揺れは続いているが、地面に引き寄せられるような重力感や足下が心なしか安心できない状態から脱したようだ。


「カノ、大丈夫?」


 イズに気にかけられた香乃は、自分がいつの間にか目を瞑ってしまっていたことに気づいた。

 だってそうだろう。あれだけの強風に晒された経験をしたのに、目を開けているなんて無謀なことできるわけがない。それに、一気に急上昇されたから振り落とされないように掴まろうとして、腕に力を込めたのだ。香乃にとってはすでに腕が少し痺れている。


 香乃は恐る恐る目を開けた。


「わあ…」


 はじめに視界に入ってきたのは、遙か彼方に霞む地平線だった。

 夜の時刻のために薄ぼんやりとしているが、空と地上との境目をなくすほどではない。それどころか、夜は夜として、地上は地上として、それぞれ固有する暗い色がはっきりしており、見回せばどこまでも続く天地の境が世界の大きさを感じさせた。


 イズの住むこの世界がどういう世界なのかは知らない。どんな見たことのないものがあるのかや、地球と同じものはあるのかなど、香乃には知らないことが多すぎる。

 しかし、香乃は目の前に広がる広大な世界の景色を眺めて、素直に綺麗だと思った。夜の暗さによって曖昧化されているが、細かく見れば夜こその明かりによって生み出される暗闇のコントラストが美しさを引き出している。昼間であればまた違う景色に変わるのだろうが、それはまたどれだけ異なる美しさなのだろうか。


「きれい…」


 香乃はあまりの壮大な風景を前に嘆息を漏らした。


 イズに空へ連れて行くと言われた時、最初に思ったのは『空を飛べることへの感動とはどういうものか』というものだった。

 人はよく、空を自由に飛び回れる鳥を羨ましく思うことがある。飛べる鳥に憧れて、人間は科学を発展させ、空を飛べる術を発明した。

 香乃が生まれた時にはすでにジャンボジェット機などの巨大な鉄の塊が飛べる時代になっており、香乃自身もすでに飛行機の搭乗経験がある。生まれて初めて飛行機に乗った時は未知への期待から来るドキドキ感や離陸時に感じた重力感にびっくりしたりして、恥ずかしながらも興奮したものだ。

 その時に感じたのは、あくまで『飛行機に乗った感動』であり、『初めて空を飛んだ感動』ではなかった。


 今、香乃は生まれて初めて空を飛んだ。

 もちろん自力ではない。イズに背中を貸してもらっている。

 しかし、香乃は現に空を飛んでいる。飛行機という安全な箱に入った状態ではなく、自分の体全体で風を受けながら空の中を翔ている。その事実を受け止めていくほど、香乃は感動が募っていった。

 そして、目の前に広がっている大きすぎる景色。あまりの大きさに、この世界全体を眺めることができているのではないかと錯覚しそうなくらい、雄大な景色。

 生身の状態で空へ赴かなければ見ることができない絶景に、香乃は言葉を失っていた。


「カノ、鳥目だから暗いと見えないって言ってなかったっけ?」


 イズの問いに香乃は我に返り、少々慌てた様子で返事をした。こんなタイミングで痛いところをキラーパスなんてひどい。

 あれを嘘だというのは処世術としてどうかと思い、香乃は嘘を突き通すことにした。


「あーあれね!こんなにきれいな景色を見たら治っちゃったよ!ほんともう困っちゃうよね!あっはっはっは!」


 我ながら苦しいと思いながらも香乃は必死で嘘を続けた。


「…それならいいんだけど。ところで、風は少なくするようにしているけど、寒くない?」


 なんとか納得してくれたイズの鋭いんだか鈍いんだかよく分からない勘に感謝した。


「う、うん!だいじょうぶだよ。ありがとう」


 イズが風向きを考えて飛んでくれているせいか、イズの言う通り建物の近くだけが本当に強風で荒れていたのか、今はそよかぜ程度しか感じない。

 返事を返すが、香乃はまだ景色に見取れていた。

 世界は違えど、これだけ心を打った。空を飛べる者はこんな偉大なものに身近に寄り添うことができると思うと、香乃はイズたち天竜族が羨ましくなった。


「いいね、イズは。こんなにきれいな景色をいつでも見られるんだね」


 香乃の正直な感想を聞いて、イズは表情を曇らせた。

 本当は、空を飛んだのは久し振りだった。羽ばたく感覚を忘れてしまっていたほど前に見たきりだが、イズはそれほど美しいとは思わなかった。

 イズにとって空を飛ぶことは苦痛以外の何物でもなかった。イズが飛べるようになったことで大切な友達を傷つけ、結果としてイズも傷ついた。そこにいい思い出などない。

 香乃を連れてきて良かったとは思う。悲しい顔をしていた香乃は、今は楽しんでくれているようだからイズにとっては嬉しかった。しかし、同時に嫌な思い出と隣り合わせでいることが頭から離れなかった。


「…そんなことない。天竜族は飛べるのが当たり前だから」


 嫌な気持ちが思考まで及び、イズは後ろ向きな返事をしてしまった。

 イズは空を飛ぶことに対して言い、香乃は空からの景色に触れる頻度に対して捉えた。

 あまりに多くを喋ると余計なことまで言ってしまいそうで、香乃にいらぬ心配をかけないようにしたかった。今はただ景色を楽しんでほしい。そのためには自分のことなど置いておけるようにと気を遣ったが、かえってとてもいい加減なことを言ったとイズは思った。


 香乃はそんなイズの心境などいざ知らず、再び正直に言った。


「イズたちには当たり前のようなものかもしれないけど、やっぱりいいと思うよ。だって、私からすればこんなにもすごいって思えるんだもん」


「そう、なの…かな…」


 香乃の真っ直ぐな気持ちに、イズは戸惑った。香乃は景色について言っているのだろうが、イズには空を飛ぶことについて言われたように聞こえた。


 香乃にはイズが何を考えているのか分からないだろう。

 イズも、香乃が何を考えているのか分からないだろう。

 両者とも互いに充分な理解を示すまでには至っていない。互いに知らないことが多い。

 だが、イズが香乃にしてあげたことが今の香乃を喜ばせている。

 イズにだけ嬉しそうな笑顔を見せてくれている。

 それを見ていると、香乃の温かい気持ちがイズにも伝わってくるような気がして、どこか慣れないむずかゆさを感じた。


「星空、きれいだねー…」


 香乃が独り言のような感想を漏らす。

 香乃は風ではためく髪を片手で押さえながら、頭上を覆い尽くす夜空を見上げていた。

 一面黒に染まる夜空だが、控えめに光る星々が至る所に見える。


「星の場所は、ちょっと違うのかな?知ってる星座は見当たらないけど、なんだか見やすい星空だね」


「…よく分からないけど、そうなんだ?」


「そうだよ。…あ、星座っていうのはね、私の世界じゃ星の並び方を動物や物に例えた覚え方なの。琴座とか白鳥座っていうのがあってね、それを使って占いをしたりするんだ。昔はそれを見て方角を確認するのに役立てたりしたみたいよ」


「…僕の世界には、そういうのはないかな」


「あははっ、文化が違うからかな。それともイズたちはみんな方向音痴じゃないのかも。あ、そういえば月はないんだね。何か物足りないなーって思ってたんだ」


「…ツキ?何それ?」


「うん、私もきちんとは知らないから詳しい説明はできないけど、この惑星の周りを回ってるちっちゃい惑星みたいなもの…かな?」


「…なんでそんな物が周りを回ってるの?」


「うーん…やっぱりよく知らないから答えられないなー」


「じゃあ、そんな物がどうしてずっと回り続けられるの?ぶつかったり、どこかへ行ったりしないの?」


「なんだっけなー、テレビで…あ、情報を伝えてくれる物ね。それで聞いただけだからよく分かってないんだけど、月が離れようとする力と地球が引っ張る力が合ってるから…とかなんとか言ってたような気もしないでもなきにしもあらず…」


「…航行速度と引力が均衡しているってこと?」


「えーっと…たぶん合ってるかなー?…たぶん」


「それだと、カノの星が恒星を公転してるのならツキの公転軌道は正確な円を描かないよね?それでも離脱や衝突がないの?」


「…えっ、何?今の日本語?」


 取り留めのないつもりの会話がいつの間にか専門用語で質問される展開になっていて香乃は焦った。なんていうか、無意識だとかなんとか言っていたけど理解が早すぎる。


 香乃は適当に誤魔化し、イズに煮え切らない思いをさせながら視線を下に移した。

 イズの背中から少しだけ身を乗り出し、下の景色が見えるようにする。イズから転落してしまっては命の保障がしかねないので、両手はしっかりとイズを掴んでいる。力を込めながら下を覗くこの絶妙な力加減が難しい。


 地平線より視線をやや下げると、大地がどこにも覗かないほど厚い雲が一面を覆っていた。夜でも白く見えるほど濃密なそれは、一体どうして大地を覆っているのか香乃には理由が思いつかなかった。


 他に何かないかと視線をさまよわせると、雲から突き出るほどに高く聳える山々の上に、建物のようなものと明かりがたくさん見えた。


「あれがイズの国?」


「…うん、そうみたい」


「みたい…って、上からあんまり見たことないの?」


「…それは……新しい建物が建ったりするし、少しずつ変わっていくから…」


「あ、それもそっか」


 空を飛ばなくなってあまりにも時間が過ぎていたため、自分の国がどんな形をしているのか忘れていた、とはイズは言えなかった。

 歯切れの悪い答えだったが、香乃は大して気にしなかった。


「でも、けっこう大きな国だったのね。山の上なのにけっこう明かりがあるし」


「この辺りは標高の高い山脈が長く続いているから、先祖はこの辺りに腰を据えたらしい。いつからなのか正確には知らないけど、かなり以前から、国として成り立っているんだって、小さい時に聞いたことがある」


「へぇ、そうなんだー…。けっこう長いのね」


 イズの説明を聞いて、香乃は改まった気持ちでもう一度町並みを眺めた。


「…今さらだけどさ、ここってすんごく高いんだね…」


「ちょっと、飛びすぎたかな…。怖い?」


「う、ううん。平気だよ。駄目だったらとっくに気絶してるだろうから」


 香乃は片手だけぶんぶんと振って否定した。

 とはいうものの、高さ的に落ちたら本当に一巻の終わりだ。香乃は自分が高所恐怖症でなくて本当に良かったと思いつつ、イズを掴む手に力を込め直した。


「ところで気になったんだけど、あの曇ってどうしてあんなに濃い…」


 眼下の光景について質問しようとした時、体がかくんと下がった。不意に体の高さが下がったような感覚だ。

 びっくりした香乃は眩暈か何かが起きたのかと思ったが、どうやら自分は健康体のようだった。

 それならば一体なんだろうと原因を探っていると、イズからやや乱れた呼吸音が聞こえてくるのに気づいた。


「………ふぅ……はぁ…はぁ……ん…」


 聞けば聞くほどイズの呼吸は荒れていた。肩で息をしているようだし、口の中に溜まった唾を飲み込むのもつらそうだった。そういえば、羽ばたき方も始めの頃よりずっと力が入っていないようにも見えてくる。


「イズ、どうしたの?大丈夫?」


「だ、大丈夫…ちょっと、疲れて、きた、だけだ、から…」


 香乃は心配になって声をかけてみたが、イズからの返事は絶え絶えの息と共に返された。

 そういえば、と香乃はテレビで聞いただけの知識を思い出す。

 鳥などの空を飛ぶ動物は飛行すると予想以上に体力を消耗する。渡り鳥などの長距離飛行をする鳥に至っては、長い飛行を遂げると体が痩せ細ってしまうという。飛ぶ際に体に負荷がかからないよう、飛びながらフンをして体を少しでも軽くしているのだとも言っていた。庭のマイカー汚しにはそんな事情があったのだと印象を改めたものだ。


 飛びたての時はすんなり離陸できていたので安心しきっていたが、その安心感が一気に不安感に変わった。イズの体は大きいから、香乃には想像できないくらい体力を使うのではないか。そこに自分まで乗ることは余計に負担なのではないかと香乃は思った。


「い、いや!思いっきり大丈夫に見えないから!私そんなに重かった?」


 香乃は自分が原因のように思っているようだが、イズとしては違う理由があった。

 イズにとっては、飛び方を忘れてしまうほど飛行自体が久し振りだった。それまではずっと外出などしなかったため、すっかり身体が運動不足になっていた。運動をしなくなったせいで、気づかぬうちに体力が激減してしてしまったようだ。

 また、久し振りだから、決して落下するまいと肩に力が入っていたのもある。香乃に負担にならないよう気を回したというのも。

 確かに、誰かを背中に乗せて飛行することが初体験でもあるためというのも否定できないのであるが。


 理由はあるものの、それを素直に言うことはイズには阻まれた。事実とはいえ、自分の内情や心情をさらけ出すことはまだ拒否感があった。


「そうじゃ、ない…。僕は、飛ぶのが、下手だし、あんまり、誰かを乗せたり、したこと、なくて…」


 …それは暗に香乃が重いと言っているのではないだろうか。

 気を遣ってくれているのはさすがに分かるが、それだけ飛ぶのに重かったと解釈できそうだ。

 時々挫折したダイエットの結果がこんなところで影響するとは香乃は思いもよらなかった。

 相互に気遣いから生じる誤解に気づかないまま、香乃は口元がひくひくと引きつるのを必死で堪えながら、提案した。


「ねぇ、休憩がてら、雲の下に行ってみない?」


 香乃はついでに自分の欲望を織り交ぜた。

 その提案を聞いて、イズはかなり迷う。


「…だ、駄目だよ。雲の下には、行ってはいけないって、小さい頃、言われたことが、あるんだ」


「どうして?」


「…知らない。そう、言われただけ、だから…」


「んー…じゃあ、なんでダメなのか確かめに行こうよ。イズだってこのまま飛べるわけじゃないんだし、ちょうどいいんじゃない?」


「…部屋に、戻るっていうのは、ないの?」


「いやー、それだとつまんないかなーって…」


「なにそれ…」


 香乃が苦笑する様子を見て、イズは呆れた。

 だが、このまま引くほど香乃は甘くはない。


「大丈夫。山があるならきっと陸地があるはずだよ。何もないならそれでいいし、ひとまず休める場所へ行かなきゃ」


 香乃の説得を受けたイズは、やはり承諾できなかった。

 幼少の頃に言われた忠告には何か理由があるのだと思っているからだ。大して理由がなければ、飛べない頃から言いつけられることなんてない。そこには足を踏み入れてはいけない何かがあるのだと考えられる。

 イズ個人としては、気になるところではある。何があるのか自分の目で確かめたいというのはある。

 同族の中には理由を知るものもいるのだろう。しかし交流を絶っているイズに関係する話が耳に入ることはなかった。


 どうして近寄ってはいけないのか。

 飛行が可能な今の自分なら、雲の下へ行くだけなら容易だろう。久し振りに空を飛ぶことができ、せっかくだから見に行ってみたい、という考えも煩悩を過ぎる。


 だが、今は香乃がいる。

 雲の下には、行ってはいけない未知が存在している。その“未知”に危険が含まれているのなら、香乃を連れて行くわけにはいけない。万が一命の危険に晒される可能性だって完全に否定しきれないのだ。


 イズは、やはり反対の意志を持つことにした。


「やっぱり、駄目、だよ。何があるか、分からないんだ」


 イズの意志を聞いた香乃は、やれやれといった感じで肩を竦めた。


「…もう、サービス精神が分かってないなぁ」


「…さーびす、せいしんって、何?」


「お客さんに対して献身的になろうとする心構えよ。もう少し広く捉えれば、身近な人への気遣いみたいなものかな」


「それが、カノの世界の、常識?」


「国や文化によって違うけど、私がいたところだと当然のことかな」


香乃が多少誇張して説明すると、イズが溜め息をついた。


「…カノの、世界の常識を、こっちでも通じると、思われても、困るよ。それに、今の…さーびすせいしん、っていうやつ?それは、献身する側が、心掛けることであって、してもらう側が、押しつけるものじゃ、ないと思う」


ちょっと冗談のつもりで戯けてみただけなのに、香乃は呼吸が乱れっぱなしのイズにモラルっぽいものを説教されたような気分になった。


 そう来るならばと、香乃は負けじとイズの考えに反対しに向かった。


「じゃあ私も言わせてもらうけどさ。さっきのイズの理由、まるで“誰かに言われたからダメ”ってふうに聞こえたよ?」


「…だったら、何?」


「あのね、それじゃイズはただの言いなりってことじゃん。誰かに言われただけなんでしょ?理由とか何にも教えてもらってないんでしょ?だったら、そんなの無いみたいなもんじゃん。それにね、自分が取る行動くらい自分で決めなきゃ。誰かに言われたからって理由を並べてたら、これから生きてくのにたぶん損するよ?」


 なんだか熱血野郎みたいなことを言っているなあ、と香乃は思った。

 だが、さっきのイズの決め方は、なんとなく気に入らなかった。自分の気持ちの入っていない決定なんて、自分のためになんかならない。仕事とかならやむを得ないこともあるが、私生活の時はきちんとしておかないといけないと香乃は思っている。


「…」


 強い口調で説得されたイズは、口を噤んでしまった。

 何の返事も言わず、ますます荒れている呼吸音だけが聞こえてくる。香乃の視界の両端で忙しなく羽ばたく翼が淡々と往復を繰り返している。


 少し強く言いすぎたかな、と香乃は心配になった。

 言葉は選んだつもりだった。なるべく責める意味合いを持つ表現は避けたつもりなのだが、イズにとっては傷ついたのかもしれない。


 今までの会話の中で、香乃が何気ない一言を言ったあとにイズのテンションが下がることに気づいてはいた。

 ただ、イズがどんな事情を抱えているのか知らないし、どの部分にイズが反応したのかも分からない。イズが話してくれることを実は期待しているのだが、一向に話す気配がない。

 まだ信用してくれていないのかと寂しくなるが、香乃はそれについて自分から訊くことはないと決めていた。そういうものは他者の意志によって掘り下げるものではない。

 イズが話してくれるまで、そう香乃は決めている。


 香乃が心配の面持ちでイズの様子を窺っていると、イズが大きな深呼吸をした。


「…分かったよ。雲の下に、降りてみよう」


 イズは香乃の提案を受け入れる意思を表した。

 一時はイズを二度も傷つけたことを気にしていた香乃だったが、イズの賛同の意思表明を聞くとロケット花火の勢いで上機嫌になった。


「ほんとにっ?ほんとに行ってくれるの?」


「降りる場所は、山脈の付近、だからね。探険なんて、もってのほか。あと、僕がまた、飛べるようになったら、すぐに帰るよ」


「う…。ま、まあいいでしょ。それで飲むよ」


 イズの交換条件を香乃は受け入れた。


 行き先を決めた香乃とイズは、天竜の国からあまり離れない位置から降下することにした。

 高度を少しずつ下げていく。あくまでもゆっくりと、ゆっくりと。

 天竜の国にある一番高い建物と同じ高さまで降りてきた。イズは親の目を盗んで忍び込む子供のように挙動不審になりながらも、確実に高度を下げていった。


 やがて天竜の国よりも低い位置まで到着した。

 すぐ下には分厚い雲が下界への眺めを阻んでいる。近くまで来れば少しは見えるかなと考えていた香乃だが、それが甘かったことを知った。本当に何一つ見えない。


 手を伸ばせば届きそうな位置で、イズは今一度確認した。


「準備はいい?」


「うん、いつでもどうぞ」


 香乃ははっきりとした態度で返事をした。

 それを確かめたイズは、さっきのよりも落ち着いた深呼吸で息を整えた。


 雲の下。

 到達を禁じられた世界。

 その先に何があるのか二人とも知らない。

 未開への出発に、不安と期待を胸に抱いて。


「行くよ」


 香乃とイズは雲の中へと沈んでいった。




●補足

月は惑星ではなく衛星ですので悪しからず。

月をはじめとした天文学分野について、私は半解です。一応調べた上で描写していますが、間違っていたらごめんなさい。遠慮なく指摘していただきたいです。

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