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帰り道の気持ち

 大きな風を纏わせて、その巨体を浮かばせる。一対の大翼は空気を掴み、空へと導く。

 香乃はシルゼーロマの背中に乗って、深く暗い密林から脱出した。


 頬を風が撫でた。香りのしない、爽やかな風だった。森の中では感じられなかった自然の風が肌に触れて、慌ただしいままだった気持ちが落ち着いていく。

 眼下に視界いっぱいの森が広がっている。久し振りに森を見下ろした香乃は、自分でも不思議なくらいの安堵が生まれていた。


 危険を伴う騒動だったが、それぞれの種族を統括する長が制止してくれたおかげでなんとか収めることができた。陸猩族がどんな収集の仕方をしているのか心配だが、ヤーバックの統率力を信じるしかないだろう。

 今はたくさんの天竜族と一緒に国へ戻ろうとしている。


 あとから聞いた話では、ここにいる天竜族は全員治国組織の者だという。

 種族を守る使命を背負っているだけあって、いずれも立派な風体を成している。

 ざっと見回してもかなり大勢いるので、一斉に襲いかかられそうになったノルバノの気持ちはよく分かった。


「無事で何よりでしたね、カノさん」


 香乃に背中を貸している人物が話しかけてきた。

 かなり疲れているはずで帰路くらいは他の天竜に乗せてもらうことで遠慮したかったのだが、本人の要望でまたお世話になることになった。


 シルゼーロマの言う通り、香乃は大きな怪我もなく難を逃れることができた。

 怪我といえば、火に当てられたための軽度の火傷と転んだ際にできた擦り傷程度だ。怪我と呼ぶには可愛すぎる。


 香乃は無事だったが、それの代償にイズとシルゼーロマはどちらも大怪我を負わせてしまった。


 イズは両方の翼に穴を開けられ、痛々しい出血の跡が残っている。今はすでに止血しており、失血の虞はないと説明されている。

 シルゼーロマは軽い酸欠と全身打撲を負った。骨折してもおかしくないくらいの衝撃だったはずだが、幸運にも大事には至らなかったようだ。

 どちらの状態を見ても幸運というべきか、天竜族がいかに頑丈な体を持っているのか感動できそうだった。


 シルゼーロマは休憩したら回復し、自力で帰還できそうだと言って力強く飛んでいる。

 その代わりに飛ぶ速度はかなり抑えてくれており、香乃はどこにも掴まらずに背中に乗ることができている。シルゼーロマもこれぐらいの速度なら香乃を乗せて飛行することは苦ではないようだ。急ぐ道ではないので、一事を無事に乗り切ったあとの遊覧飛行となっている。

 一方、イズは翼を潰されて飛べないので、今は他の天竜族に抱えられて帰っている。


「これもシルゼーロマが助けに来てくれたおかげです。私とイズだけじゃどうしようもなくて、もうダメだって思ってましたから」


 香乃はつい数時間前の恐怖を思い返す。しばらくはトラウマになるかもしれない。


「カノさんも、長い時間よく持ち堪えてくれました。私たちが無事だったのも、カノさんの尽力のおかげです」


 シルゼーロマが労いの言葉をかける。


「そ、そんなことありません。シルゼーロマにしがみついているのが精一杯で……役立たずなせいであなたとイズが大怪我しちゃっているじゃないですか!」


 自分自身のことだから、何も及ばなかったことを一番よく知っている。嘘でもお世辞でもなく、本当に申し訳ない気持ちだった。

 香乃の自責の込もった返事を、シルゼーロマは微笑みで否定する。


「充分協力してくださいましたよ。カノさんの世界で良案を考えてくれましたし、腕もさぞ疲れたでしょう」


 そんな大したことじゃない、と返そうとしたが、腕の件に関してはだいたい正解だった。

 長時間腕に力を入れ続けていたせいで両腕の感覚が若干麻痺していた。力を上手く入れることができず、手を握るのも儘ならない。

 そんな自分の体を振り返ると、本当に頑張ったんだという気持ちにはなる。


 香乃とシルゼーロマはお互いの頑張りを褒める。無事に乗り切った喜びを共感する。

 この気持ちを、もう一人の人物を交えてもっと共感したかった。

 自分たちだけで喜ぶのはまだ早い。欠かさずに交えたかった。


 周りを見渡し、イズの居場所を確認する。


「シルゼーロマ、イズのほうに行ってもらえませんか?」


 香乃の依頼にシルゼーロマは承諾し、イズに近づいていく。

 他の天竜族に抱えられているイズは頭を垂らしたままずっと同じ体勢でいる。くたびれたのか、元気な様子もない。


 運搬役の天竜族に軽く会釈をして、イズに話しかける。


「無事で良かったね、イズ。大丈夫?」


 香乃の声かけに、イズは返事をしなかった。ずっと下を向いている。


 落ち込んだ様子に、香乃は首をかしげた。森にいた時は普通に話していたのに、調子が悪いのだろうか。

 もしかして、翼の怪我が痛むのだろうか。それも当然だ。穴が開いてしまっているのだから痛まないほうがおかしい。


「ねえイズ、翼痛い?」


 またもや返事がない。いくら待ってもだんまりだった。

 もう一度話しかけようとした時、


「……ほっといて」


「っ!?」


 イズから冷たい言葉が発せられた。

 予想もしない、あまりにも冷たい返事を聞いて、香乃は何も言えなくなってしまった。


 二人の様子を読み取ったシルゼーロマは静かにイズとの距離を取った。

 このままの間を過ごしても言葉の投げかけを続けてもやりとりが荒れるだけだと予想する。一度距離を取って落ち着く必要があるだろう。


 少し離れた場所に移ったシルゼーロマは、香乃の様子を窺う。

 かなりショックを受けているようで、どこか呆然としている。


「カノさん」


「……なんで……」


「カノさん」


「……は、はいっ!はい?呼びました?」


 よほど放心していたのか、一度の呼びかけに反応できなかった上、我を取り戻した瞬間にきょろきょろと辺りを見回している。


「カノさん、イズトリカムが失礼を申し上げました。私では足りないとは存じますが、代わりに非礼をお詫びします。どうかお気を悪くしないでください」


 シルゼーロマは謝罪してくれたが、怒ったわけではない。彼女には「大丈夫です。気にしないでください」としか言えなかった。


 あえて感情を沈黙の理由にするなら、悲しさだった。どうしてイズがあんな言葉を言ったのか分からない。

 さっきまで普通に話せていたはずなのに、この差は何なのだろうか。


 やはり、翼が使えなくなった事実を受け止められないでいるのだろうか。

 人間でも同じだ。突然の変化が起きると気持ちが追いつかず、一定期間は混乱するものだ。家が火事になったり、事故で一生足が動かなくなったり、信じたくない事実を突きつけられたりしたら、誰だって穏やかではいられなくなる。

 イズは今そういう状態なのかもしれない。


 同じ天竜族であるシルゼーロマに、そのことについて訊く。


「あの、その……イズは、大丈夫なんですか?もう二度と飛べないんですか?」


 イズは帰る間、ずっと俯いたままだ。さっき香乃が話しかけたことを気にした様子もなく、伏し目で何かを考えている。何を考えているのか分からない。何を思い返しているのか分からない。

 心配しかできない自分がもどかしく思う。


 カノの心配に、シルゼーロマは答える。


「ご心配には及びません。傷ついたのは翼膜と健だけで、骨格もどこも切断されていません。時間はかかるでしょうが、また元のように飛べるまで治るはずです」


 筋だけでなく骨まで狙われていたら治癒は困難だっただろう。今回は不幸中の幸いだった。

 あるいは、陸猩族が大怪我のないように翼膜と健だけを狙ったのかもしれない。考えすぎだろうか。


 シルゼーロマの答えを聞いて、「よかった」と香乃はほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、安堵の表情を見せたのは束の間で、すぐにイズのほうを見やっては憂いの帯びた目で窺い始める。


 イズを思いやる香乃の気遣いを聞いて、シルゼーロマは改めて思う。


 人間という種族は、こんなにも温かい種族なのだと。まだ出会って間もないというのに、自分以外の者のために時間を割く仲間思いの存在だと思った。


 イズを心から心配してくれ、自分の危険を省みずに惜しみ無く協力してくれた。

 その誠意に、シルゼーロマはどのような形であれ答えなければならないと思った。


 問題は、具体的にどのような形で気持ちを返事すればいいのか、だ。

 持っている物ならいくらでも差し出したい。だが、それは感謝の気持ちは込められていても、何か違う気がする。香乃がしてくれたことに対するお礼にはならない気がする。


 イズを心配してくれるかのに対して渡すことができる物。

 そんな都合のいい寄贈品があるのだろうか。


 イズのようにシルゼーロマも一瞬黙考し、一つの“差し出せる物”が思いついた。


 だが、しかし。

 それはシルゼーロマにとって差し出したくない物だった。


 仕方なく別案を考えるが、一度思いついた物が頭から離れず、むしろそれがもっとも適した寄贈品のような気がしてならない。


 シルゼーロマは考えるというより悩み込んだ。


「あ、あのー、もしもーし?なんでシルゼーロマまで黙っちゃうのよー?」


 話し声のなくなった空で、香乃の疑問の独り言だけが虚しく響いた。




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