天地の双璧
ノルバノが聞いたことは、生涯でもっとも大きな衝撃だった。
香乃は、イズやシルゼーロマのような、争いを好まない考え方を持っているのが天竜族だと思っていた。だから、陸猩族の一人が天竜族に殺されたというノルバノの話を信じ込めなかった。
しかし、スラスタハルによって認めたくない事実が証言された。
天竜族は昔、陸猩族の一人を殺めたことがある。それも、焼死という惨い方法で。
その場にいる誰もが動きを止めていた。皆、明かされた事実を前に動けないでいた。
たった一人を除いて。
自分の推理が正しかったノルバノは、感情が高まっていた。
父親を手にかけたのが天竜族の仕業だということが証明された。相手はそれを認めている。
「そうか……父を殺したのは、貴様なのだな……」
握り拳がわなわなと震える。
考えるよりも先に、怒りが、憎しみが湧き上がる。
「認めるということは、我が輩に殺される覚悟があるのだろうな!」
ノルバノの手に握られていた重火器が向けられ、
「父の無念、思い知れっ!!」
引き金が引かれる。耳を割くような爆発音と共に、鋼鉄製の弾が撃ち出された。
空気を切り裂き、スラスタハルへ迫る。
スラスタハルは片手を前へ突き出した。
それで受け止めるようとしているなら無茶だ、と香乃が叫ぼうとしたが、もう間に合わない。
バズーカ砲の弾は、スラスタハルの寸前で透明の壁に衝突し、爆発した。
何もない空間に淡い光が波紋を広げ、衝撃のエネルギーを分散させていく。ドーム状に伝う波紋は、よく見れば香乃とイズ、シルゼーロマのいる場所まで展開されていた。そこまで透明の壁が覆っていることになる。
香乃はSF映画などで時折描写されるのを見たことがある。
「シールド……?」
スラスタハルの手には何かの塊が握られていた。外枠は銀色だが、中央に宝石のような半透明の何かが埋め込まれている。
「悪いな。ズルできるのはお前らだけじゃねえんだよ」
掌にあるのはシールドの発生装置のようだった。おそらく、地球ではない別の異世界で作られた化学兵器だろう。
しかし、バズーカ砲や拡声器に比べれば技術レベルは遥かに進んでいる。
攻撃を止められたノルバノは悔しそうに表情を歪める。
「往生際の悪い奴め!」
ノルバノが吠える。
「だが忘れるな!守ることはできても、貴様がここを出ることは叶わないのだ!」
周囲を囲んでいる陸猩族が手に持つ武器を構え直した。
スラスタハルが降りたのは陸猩族の包囲のちょうど中央だ。イズは飛べないし、シルゼーロマは網にかかって動くこともできない。救出するそぶりを見せたらすぐにでも飛びかかってくるだろう。
天竜族二名を抱えて香乃も乗せた上で、陸猩族に捕まることなく脱出するなんて不可能に近い。
どうして降りて来ちゃったんだと香乃が責め立てようとしたが、スラスタハルは困ったように頭の後ろを掻き始める。
「あちゃー、それは困ったな。これじゃあすぐに捕まっちまうよな」
わははっ、と緊張感のない苦笑を見せる。
「ようやく分かったか。貴様もすぐに拘束し、天竜族への脅迫の材料にしてくれる」
「同胞が捕まってちゃ、天竜族は言うことを聞かざるを得なくなるよねー。頭いいなあ、お前」
すでにシルゼーロマは捕まっているし、イズも逃げられないという理由で捕まっているのと同じになる。香乃という来客も手中に収め、一族の長を押さえられている。
状況は全くもって陸猩族が有利に傾いている。
勝負はもう決まっているといっても過言ではないだろう。
危機的状況を見せられているスラスタハルは、ふとニヤリと口元を曲げる。
「確かに俺たちを捕まえたら、勝負はお前の価値だよ、ノルバノ。……だけどな」
気障な笑みは、不気味に歪んだ。
「一体、どんだけ捕まえるつもりなんだ?」
頭上を覆う巨木の枝葉がざわめく音が聞こえた。その場にいる全員が上空を見上げる。
ばさばさと枝葉を分け入りながら、羽ばたく音が聞こえてくる。それも、真上だけでなく、その周りからも同じような音が聞こえてくる。
「ま、まさか……」
「そう。生涯には三つの坂があるんだってな。『上り坂』、『下り坂』、そして『まさか』」
上空の枝葉から、天竜族の増援が現れた。それも二名や三名ではない。今見える範囲の天井全体を天竜族が覆っていた。
「俺たち天竜族にとっちゃ上り坂なんだけど、お前にとってはどんな坂なんだろうな?ノルバノ」
増援の天竜族は高い空を滞空し、陸猩族を見下ろしている。
天を覆うほどの同胞を統べる器。これが一族の長の実力なのだとノルバノは思った。
そこに、別の声が降ってきた。
「やめんか」
スラスタハルのように、巨木の枝を避けながら誰かが降りてくる。天竜族のようだが、言ったのは彼ではない。彼に誰かが乗っているようだ。
「まったく、そのような言い方をしては、余計に誤解を受けるではないか」
「分かりやすいのが一番だろ。これからあんたと説明するつもりだったんだし。つーか、もっと早く降りてくれりゃ良かったんじゃね?」
発言の主を乗せた天竜族が、ゆっくりと地に到着した。
「無茶言うでない。これ以上早く降りたら、気圧に順応できなくて鼓膜が潰れてしまうわい」
天竜族の背中から一名、降りた。
それは、陸猩族だった。
今まで見た陸猩族よりも、体毛に白髪が交じっている。人間と同じように思っていいのか迷ったが、香乃の目には年齢の高い人物のように見える。
「なっ!?」
一番驚いたのは、ノルバノだった。陸猩族だったからではない。その人物がどういう立場の者か知っているからだ。
「ヤーバック、族長……!?」
陸猩族をまとめる長が、天竜族と同じ所から登場したことに、ノルバノは目を疑った。
彼だけではない。他の陸猩族も、イズや香乃も驚いた。辺りからどよめきが聞こえる。
シルゼーロマは動じていない。様子からして、彼女は一度ヤーバックに会っているのだろう。
いや、族長の補佐を務めている彼女は、天竜族と陸猩族の長同士が接触していることを知っていたのかもしれない。
周囲からたくさんの疑問の視線を受けながら、ヤーバックは口を開く。
「ノルバノよ、儂が天竜の者と一緒にいることに驚いているようだな。その説明をしようと思うのだが、聞く耳はあるか?」
「はっ、も、勿論であります!」
ノルバノが平粛している。今までの高圧的な態度が嘘のようだ。
他の陸猩族も、すでに戦意をなくしているようで、動く気配はない。
辺りに静寂が巡る。
ヤーバックはこれから話そうとして、一つ気がついた。
「異世界の民よ。せっかくだ、貴女も聞いておいてもらいたい。こちらの事情に巻き込んでしまった、せめてもの見返りだ。言葉はこれで合っているかな?」
確認を取られた香乃は状況にまだついていけていなかったため、
「は、はい、合ってます」
しどろもどろに答えるのがやっとだった。
ヤーバックは皆の様子を窺い、そして改めて話し始めた。
「ノルバノ。お主の父親は、確かにこのスラスタハル・ベルバーセンによって殺された。しかし、それには理由があったのだ」
「殺した理由……ですか」
殺さなければならなかった理由とは何なのか。今、知られざる過去の封印が解かれようとしている。
「お主の父親、クセイロ・ハチキは当時、儂の補佐を務めていたのは知っているな?その時期から、儂とスラスタハルは極秘に会合を行っていた。天竜族と陸猩族、双方が共存できる協定を締結するための、な」
「陸猩族と、共存……?族長、気でも狂ったのですか?」
ヤーバックの口から出た言葉は、ノルバノの理解しがたいものを含んでいた。
我が父を殺した。
故に、天竜族は敵だ。
天と地が触れ合うことのないように、敵と共に生きることなど考えられなかった。
ヤーバックはノルバノの疑問を汲み取り、答える。
「疑問に思うのは無理もない。双方の種族が天空と大地に別れたのは、太古のいざこざが原因だ。それ以前は何も疑うことなく富を分け合っていたのだから」
それから、ノルバノはこの世界の歴史について語り始めた。
遥か昔、この世界には天竜族と陸猩族が手を取り合って暮らしていた。互いの個性を認め合い、届かぬ所は助け合い、自然の豊穣を祝い合っていた。
ところが、一時期に気候の厳しい時期が訪れたことがあった。例年のように作物は育たず、食糧は貴重なものになった。
その時期から、種族の優劣を明確化するべきだと主張する者が現れた。自分たちの種族のほうが優れている。劣等な種族に富を与える必要ない、と。
この思想は両方の種族に現れ始め、始めは少数だったが確実に支持を伸ばしていった。いつしかその思想は同じ内容であるが故に種族間での衝突を招いた。
当時の族長らは同胞に冷静な対応を呼びかけていたが、焼け石に水だった。声の届かぬ同胞を前に、族長らは頭を抱えることになった。
騒動を抑えるため、族長らは話し合った。対抗の理由は偶発的なものであり一時的なもののはずである。しかし、食糧の不作は一時の時期であっても食糧事情は長期間継続する。毎日欠かすことのできないものであり、食糧が安定するまでの間を全員が自制しなければならない。それまでが富に恵まれていた分、突然強いられた我慢はたとえ十日間であっても苦痛となる。解決は容易ではなかった。
結果、天竜族は冷風の止まない山頂へ、陸猩族は闇の絶えない密林へ、それぞれ住む場所を分けた。
事実上、異種族間の社会の終焉である。
そして、現在。
天竜族の長スラスタハル・ベルバーセン、陸猩族の長ヤーバック・ココリは互いに意気投合し、異種族混合の社会の再現を目指すことを決めた。
困難は覚悟の上で、少しずつ同胞に理解をもらえるよう努力していた。
だが、それに反対する者がいた。改革を行う時には批判や反発は付き物だ。柔軟な対応をするつもりで変わらず理解を求めた。
話をしても、反対派の者たちは納得しなかった。むしろ、反対側の意志を伝えているのに族長の意見が変わらないことに、反対派としては憤りを感じた。
そして、反対派の中からどんな手段を用いても異種族混合社会の実現を阻止しようとする過激派が生まれた。
その一人が、ノルバノの父親クセイロ・ハチキだった。
クセイロはヤーバックの補佐でありながら、正反対の意見を持っていた。どんなに理解を求めても、ヤーバックの態度は変わらなかった。
ある日、ヤーバックとスラスタハルが定期の会合を終え、帰路につこうとした時のことだ。
ヤーバックは何者かに襲われた。あとで聞いた話では、襲ったのはクセイロだった。
いつまで経っても意見を変えないヤーバックに、クセイロは我慢の限界だったのだろう。暗殺することでこれ以上話が進むのを阻止しようとしていたらしい。
会合の時に渡しそびれた物を届けようと、スラスタハルが追いかけ、追いついた時にはすでにクセイロがヤーバックにとどめを刺そうとしていた。
スラスタハルは無我夢中でそれを妨害した。
スラスタハルの妨害が入っても、クセイロは暗殺をやめようとはしなかった。失敗は許されない、失敗したら陸猩族の社会へ戻れないと知っていたのだろう。
攻撃のやめないクセイロを、スラスタハルはヤーバックを助けるために仕方なく火炎を放ち、殺害した。
「俺だって殺したくはなかった。だが、そうでもしなきゃヤーバックはやられていた。そんぐらいの剣幕だったのさ」
スラスタハルが悲しそうに話す。先ほどの軽い雰囲気はない。
「クセイロに家族がいることを知ったのは、そのあとだ。ヤーバックにいろいろと協力してもらってな……」
クセイロの遺体は内密に埋葬することになった。また、クセイロの家族には不慮の事故があったと報告した。特に、当時まだ幼かったノルバノには絶対に真実が伝わらないように細心の注意を払った。父親が無惨な死に様を見せただけでなく、殺される理由がクセイロ自身にあったなどと言えるはずなかった。当時の父親を慕う幼い心には、真実はあまりにも残酷すぎた。
それから幾年。知識が身についてきたノルバノは、偶然にも父親が不自然な死を遂げていたことを耳にした。偶然にしては原因が不明すぎる、変死である可能性が高い、と。
ノルバノは独自の情報収集で父親の死について追い始めた。地道な作業をしていくうちに、父親が天竜族に殺された可能性が浮上した。
この時ノルバノは陸猩族の他にも種族がいることを初めて知ったのだが、内心は感動でも興味でもなく、憎悪だった。
天竜族という自分でもよく分からない者に、自分の父親が殺された。
動機はそれで充分だった。
「あとは、お主の思う通りだ。天竜族を憎み、彼らの住処である山の頂上へ奇襲しに行き、無差別に攻撃しに行くつもりだったのだろうな」
「そ、そのようなことは……」
「弁解してくれるな。天竜の者に焼かれた駐屯基地を発見した。それに、『久厳峰』の麓にも同様の基地を発見した。大方、中継地点として機能させるつもりだったのだろう。無駄な隠し事はよせ」
「くっ!」
ノルバノは悔しそうに顔を歪める。
ヤーバックの話が終わると、スラスタハルが続けた。
「こんなことを言うのは卑怯かもしれないけどな、俺はお前に会えるのをずっと待っていたんだ。会った時は、必ず父親の話をしようと心に決めていた。どんなに憎まれても構わない、真実を教えよう……ってな」
自分たちを襲おうと企てていた相手に、スラスタハルは穏やかな口調で話す。
「今まで隠していてすまなかったな」
ノルバノの天竜族を憎む気持ち。イズやシルゼーロマに手を出した事実。それらは全て、ノルバノが父親クセイロを慕っている証だった。
慕っているからこそ、ヤーバックとスラスタハルはそれを理解し、その時その時に適切な対処を取ろうとした。全てはノルバノを思ってのことだった。
「なんだ、それは……」
ノルバノの手からバズーカ砲が力なく落ちる。
「それでは、我が輩が間違っていたようではないか……」
膝をついたノルバノには、もう天竜族を憎む感情はなくなっていた。
「知らなかったのだから仕方のないことだ。儂らの老婆心が過ぎただけなのだからのう」
ヤーバックはスラスタハルに振り返る。
『スラスタハル、儂らはこれで引き上げるぞ』
香乃の知らない、この世界で使われている言語で話しかけた。客人には悪いが、やはりこちらのほうが感覚に馴染んでいる。別れの挨拶くらいは母語で伝えたいのだ。
『なんだ、もうかよ。これから来れば飯も出すぞ?』
『肖りたいのも山々だが、今日はよしたほうがいいだろう。陸猩族の側は意気消沈だし、天竜族にも儂らに対する不信感が拭えんかもしれん。今日のところは引き上げて、事が落ち着いた頃にまた会うことにしようぞ』
今回の事件は天竜族に怪我人が出た。正直なところ、スラスタハルも内心は穏やかではないだろう。気にしていないような様子を見せているが、外面と差があるのが奴らしいところなのだ。
『……そうだな。また来いよ』
スラスタハルはヤーバックの思慮深さを知っているが故に、今回は受け入れた。考え方が広すぎて、心でも読んでいるのではないかと疑いたくなるほどなのだから。
『うむ』
短い返事とともに、ヤーバックは陸猩族を一挙に指示し、引き上げていった。




