江戸娘アイドルになろー!
12,000字ほどあります。
少し長いお話になり申し訳ありません。
ガチャリ、と鍵を開けて玄関に足を踏み入れた瞬間、甘くスパイシーな香りが鼻を突いた。
リビングの奥からは、聞き慣れた友人の鼻歌まじりの咀嚼音が聞こえてくる。
「ただいまー」
と声をかける間もなく、ソファに陣取ったシータンが、湯気を立てるカップ麺を掲げて振り返った。
「あーおかえりー、ハナヲ。いいタイミングね。このカレーヌードル、ラスイチだったわよ」
まったく、この子は。
合鍵なんて渡した覚えはないのに、我が物顔でリビングのソファに寝そべっている。
湯気を立てるカレーヌードルの香りが、空腹のわたしの鼻を刺激する。
また勝手に買い置きを……と思いつつも、その見慣れた光景に、ふと安堵感を覚える自分がいる。独りで帰る薄暗い部屋の寂しさを、彼女の存在がいつも打ち消してくれるのだ。
「もー、シータン聞いてよ! 学校の男子がさ!」
勢い込んでまくし立てるわたしに、シータンはすすっていたヌードルから顔を上げ、ニヤリと笑った。
「あらあら。帰ってくるなりいつものアレですか? まるでドラ〇モンに泣きつくノ〇太くんみたいじゃないですか?」
とある事情で、最近わたしは公立の中学校に転校した。
それまでの小中一貫、約八年間にわたる女子校生活がたたり、免疫のない男子どもに翻弄されていた。
「ほうほう。男子、ですか?」
「……ウン。なんかさ、落とした消しゴムを拾ってあげても、机に置きっぱにしてた携帯を教えてあげてもソッポ向いたり、『はぁ』とか。ゼンッゼン愛想がないんやで?」
「……はぁ」
「うんうん、そんなカンジ……。てかシータンまでそれ、ヤメテ? ――それとね、今日なんて最悪やってんで? 男子たちが本を囲んで盛り上がってたから、『何の本読んでるの?』 ってカルーイ気持ちで聞いてみてん。そしたらさぁ、『うわあ』って蜘蛛の子を散らすみたいに逃げていきよんねん。それって、 ひどくない?」
「あー……」
シータン、わたしの訴えを聞き流してんのか、冷蔵庫から三ツ矢〇イダーを取り出し飲みだした。
「――で? それに対して、ハナヲはいったいどーしたいと?」
ハナヲってのは、わたしの名。
「え? あ? えーと、その、他の女子みたいにもうちょっと男子たちと打ち解けたいってか……」
「要はモテたい、と?」
「えー、まぁそこまでは……ゆわんけど。……まぁ、出来たら……それも、ないコトはない……」
シータンは首をクキクキと左右の肩の方に曲げながら、考える素振りで窓の外に目を遣った。
そして。
「わたしの発明品の中に、おあつらえ向きのアイテムがあります。それを試してみますか?」
「それってさ、魔法科学アイテムってやつ?」
「そうです! わたしの天才的頭脳を発揮した科学技術に加えて魔法スキルを組み合わせた自慢の品ですが……」
「そんな便利そうなアイテムがあるん? 具体的にはどんなアイテム?」
確かにシータンはアタマが良く発明家。おまけに魔法使いの才能もある。それは認める。
時々新作を持ってきては自慢げに披露しテストする。
わたしはいつも、ちょっぴり警戒している。
経験上、それらの半分以上はろくでもない代物なので。
例えば三食キチンと決まった時間にゴハンを食べさせないと大音量の騒音を垂れ流す目覚ましロボットペットとか、どんな服でも「エッチ」の一言で水着に変えちゃうコスチューム変換機とか。
「モテモテのアイドルになれるアイテムですが? ……遠慮しますか?」
「あ、いや。このままやったら悔しいし、試すよ」
ゆっちゃった。
まさか使って死ぬコトは無いやろし、だいじょぶやろ。
「では寝る部屋に行きましょう。こっちです」
「寝る部屋? こっちですって? さっきから気になってんやが、ここ、わたしの家やで? なんでシータンがホスト役になってんの?」
「あなたの物もわたしの物も、全部わたしの物で、別にいいんですよ。――さ、わたしも実験台になりますので、さっさと行きましょう」
ナニゆってんだ、この娘。
「行くってどこに!」
寝る部屋ってのは……はリビングの奥にあるが?
わたしの手を引いたシータン、小さく微笑んで。
「行く先ですか? お江戸、です」
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――さて。
目を開けると、そこはナゼかお江戸。実に異世界感たっぷり。
異世界っても、中世西洋風じゃないところがわたしにピッタリ。
夢にしてはやたらと鮮明なんで、きっとホンモノのお江戸に違いない。
つーかわたし、立ったまま寝てたのか?
「ハナヲ。あなたは今日から三日間、【笠森お仙】という女の子になって、この江戸の世界で、モテ期を堪能するのです」
横にシータンが立っていた。わたしの方を見ずに説明する。
珍しく目をキラキラさせて、キョロついている。彼女も見知らぬ異世界に興味津々なのだ。
どうやらここはお店で、わたしは店員さんのようやった。
「お江戸のアイドルって設定自体が、よーワカランのやが?」
「フツーにアイドル体験するよりも、こう言った歴史上の世界で体験する方が勉強になるでしょう? それと繰り返しますが、あなたは今日、たった今から『笠森お仙』という女の子ですから、くれぐれもお間違えの無きように」
笠森、お仙さんねぇ。
聞いたコト無い名前やし。
「それって実在の人?」
「実在の人です。――そうですね、今は明和元年六月六日。西暦で言いますと1764年です。ここは福泉院の境内で笠森稲荷というところ。そこのお茶屋さんなのです」
「お茶屋さん……。いまでゆったら、カフェ的な?」
「まーそーですね。笠森稲荷に参詣する人たちの休憩場所ってとこです」
明和ってゆわれてもピンとこん。明治でも昭和でもなく、明和。江戸時代の中頃ってゆー話。
それと江戸ってコトはここは東京か?
わたしんちは東大阪やから、ずいぶん遠くに来たもんだ。
今のところ、大掛かりな魔法科学アイテムの発動やねぇ! などと、それなりに感心はしてる。
「シータンのカッコウ……それ、時代劇でよく見る看板娘やんね?」
「そーですよ。ちなみにお仙ちゃんも同じカッコウ、してますよ?」
「……えっじろじろ。――あ、ホントや」
薄青色の、木綿生地の黒襟小袖。
後でシータンに、木綿絣ってゆー、染め糸を織った着物ですよと教えてもらった。
ぶらぶら垂れ下がる袖は、動きやすいようにたすき掛けで絞ってる。とゆっても現代の服に比べたら不便極まりないけど。
「それにしても、このコスチューム。割と質素と言いますか……」
「ちょっとジミ目やんね。せめて可愛らしい前掛けもしたいよね」
「いいですね。さっそく導入しましょう」
シータンはこのお店――【鍵屋】って名前やそうやが、このお店の同僚って設定らしい。
この鍵屋は正確には【水茶屋】ってジャンルのお店で、つまりは参詣者にお茶とオダンゴを提供する、やっぱいまのカフェってものに相当するらしい。
ちなみにお酒は出さないそうで。健全だよね。
「ところで。画期的魔法科学アイテムの使い心地はいかがですか?」
「結局わたし、これがどんなアイテムなんか、聞いてなかったし、まだちょっとピンと来ん」
「思いのままに時間跳躍し、希望する歴史上のキャラになれる装置、です。――その名も、【モテ期到来マクラ】です」
「……うーん? もっかいゆって?」
「だから。【モテ期到来まくらぁ】です」
うーん。いまいちキョーミが湧かんけれども。
判ったのはシータンのネーミングセンスはゼロとゆーコトくらいか。
店先からカオを出すと、左右に江戸の街通りが続いてた。
赤い鳥居のある門前まで延びる参道は緩やかな坂道になってて、見通しがイイ。
わたしのいるお店と同じような茶屋がずらりと立ち並んでた。
昨晩見た必殺仕〇人の再放送とおんなじセット……でなくって、こっちはホンモノだ。
歴史は不得意。それでもお父さんの影響で時代劇はスキなんよ。わたしってヘンなヤツっしょ?
近くに目を転じると、カワイイ草花が道端にいーっぱい咲いている。
現代のようにアスファルト舗装や無いし、ゴミゴミもしてなくて、なんかイイ。
何の花かは知らんけど、メッチャいい匂いもする。
江戸の街、思ったよりか悪くないな。
ひとまずシータンのアイテムに乗っかろうと決めた。
「オセン。そろそろ店を開けたいんじゃが?」
オセン? ――あ、わたしか。
合わせるか。
はいはい、わたしはオセン。わたしはオセン。
「はぁい。呼んだ?」
呼ばれた方向に年配の男の人が立ってた。この人が多分、わたしのお父さんカナ?
よし。ノリノリで付き合ってあげよう。
「ねぇ、おとっつぁん。わたし、何て名前? ナニしてる人? もっかい教えて?」
「はーん? オメェはここのお茶屋、鍵屋の看板娘、お仙だ。寝ぼけてないで早く店支度しねぇか」
鍵屋、鍵屋。しっかりと憶えなきゃ。
参道を歩く着物の人たちを観察。男の人は少しずつ形は違えど揃いも揃ってチョンマゲだ。
そのとき突然、わたしのスグそばで歓声が上がってビクッ! ってなった。
「お仙ちゃーん。相変わらず器量よしだねえっ」
器量よしってそれ、どーゆー意味?
「は、はぁ……」
「オドオドする姿もまた、サマになってるねえ! ちきしょーめっ」
「うひょー、粋だねぇったくよぉ」
もしかしてホメられてるの? わたし?
「あ、ありがとぉ。(てれてれ)」
「ホントにめんこい娘だよ。そのうち評判になるよ、この子は」
女の人まで、そんなコトゆってくれてる。
う、う、うれしーかも。ものすごーく。
とりま、全力でお礼。
「おおう。お仙ちゃんがあっしらに手を振ってくれたぞ」
「きゃー、お仙ちゃーん!」
ど、ど、どえらい人気もんやん、わたし!
まるでこれってアイドルかなにか……。
……ん?
アイドル?
……こりゃいいね!
ったく、もー。
そうかこれか、わたしの望んだコトは!
「ひはひは……ナハハ。うふふ」
何か照れ隠しに呆れ顔しつつ、周りをもちっと観察する。
「ねーおとっつぁん。ここ、神社やんね?」
「はーん? 病除けの笠森稲荷さまじゃろが。ささ、これをあちらのお侍さまに茶をお届けせい」
「はーい」
ふたり連れの若侍は、わたしの運ぶ渋茶を受け取ると、わかりやすく赤面して照れ笑い。
ふいー。なるほど、なるほど。確かにモテ期到来かも。
「お仙どの。良ければ拙者らと浅草あたりにでも遊山に出掛けぬか? 何でも好きなものを買ってやろうぞ?」
「この子はまだ13です。さすがにこの時代でも具合が悪いですよ?」
シータンがお侍さんたちをたしなめた。彼ら、スゴスゴと去ってっちゃった。
「シータン。わたしもう14やし。ちょっと設定甘すぎへん? もっと刺激的な体験がしたいよー」
「……はぁ。仕方ない子ですねぇ。面倒見切れませんよ?」
サッと出されたのはマクラ。
記憶が曖昧ながら、先刻も同じ物を使ったぞ? また使うの?
「はい。そこの床間で横になってください。少し時間軸を調整しますので」
枕からはゴテゴテと、赤や黒や白とかのコードが延びている。
いかにもメカメカしい。
おとっつぁんも奇妙な面持ちで眉をしかめている。だってその間もお客さんの出入りは続いてるし。
「お願いします。シータンさん」
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「ふぁ。よく寝た」
眠たさ半分の状態でアタマを押さえたわたし。まずは自分の身体を撫でまわした。
ちょっぴりだけ成長してた。ホント、ちょっぴりだけだけど。
「お仙ちゃん。今日のあなたは17歳です。それで満足ですか?」
「あれから四年も経っちゃったんっ? だいじょぶなん? お店、イケてるん?」
「ええ。お店は繁盛してますよ。あなたのおかげで」
「わたしの、おかげ?」
店先に人だかりが出来ている。
全員、わたしに注目して「わーわー」と騒いでいる。
アタフタしてると、おとっつぁんがわたしの袖口を引っ張った。
「浮世絵絵師の鈴木さまがお仙、オマエに用向きがあるそうだ」
「浮世絵の絵師? 鈴木さま?」
シータンが止める様子もないので、何も考えずに渋茶とオダンゴをその人のところに運んだ。
ひょろりと痩せた背の高いイケメンで、わたしをチラリと見て、だしぬけに「オメエさんを描かせろヤ」と低く唸るような声を放った。
「描かせろって絵を?」
「そうよ。オメエを描きてーのよ」
「わたしを描くの? 似顔絵? 描いてどーすんの?」
「刷って刷って売る。売りまくるのさ。――大儲けさね」
わたしの似顔絵を描いて売る。
それって写真集的な?
「オメーさんをただの水茶屋の看板娘にしとくのは勿体ねぇのよ。――あ、申し遅れた。あしは穂積次郎兵衛ってもんだ。絵師としては鈴木春信で世間には名が通っている。オメーみてぃな器量良しはそう易々とはいやしねぇのさ。何だったら、今から別の、しっぽりできる茶屋に行って話をしねえかい?」
まず浮世絵ってのがよく分かんないな。
この人がホントに絵描きかどうかもアヤシイもんだし。
つか。しっぽりって。そんなのヤなこった。
「なぁ。わたしってそんなに美人なんですか?」
「美人……そりゃな。そう言っとるだろ」
「お江戸で一番?」
「お江戸で美人と申せば、浅草の方にお藤ってウワサの女人がおるが、あしはどちらかッて―とオメエ推しだな」
「フーン。でもそんな、いったいわたしのどこがいいの? 出任せゆわれてもハラ立つだけやもん」
鈴木なんとかさん、無遠慮にわたしを上から下までジロジロと値踏みするように眺めた。
口元のゆるみとニヤつく目つきがイヤだ。とってもとってもイヤだ。
「うん。オメエはお藤と違って化粧っけもなく、飾りっ気のない。そういうところがすこぶる良い」
「それ、褒めてるの?」
「大いにな。美形かと言やぁ、それはお藤が上手だが、めんこいのはオメエさんの方だよ。――ほらよ、これであしが絵描きだって信じるかい?」
紙にサラサラ……と描いて見せたのはわたしのカオ。
鏡かって思うくらい似てる。じょうず!
「ヒマを見つけて通うからよ、おやっさんにも話を通しといてくれ」
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笠森稲荷は現在の日暮里駅の西側へんにある。
四年前と比べて激変したのはお店の状況。
恥ずかしながらわたし目当ての行列が絶えず、参道はごった返してる。
他にもいっぱいある近所のお茶屋さんは、わたしらのお店のせいで逆に閑古鳥。
ごめんなさい。
けども、この状態がわたしの実力の結果かってゆったら違うし、結局はいいようにウワサが広がって、人が人を呼んだんじゃないのかな。
そう考えたら逆に世間さまの移り気がとっても不安。空恐ろしくさえ感じる。
わたしよりもカワイイ子や美人って、他にいっぱいいるやろーし。
次の日には、別のお店の子が人気を奪ってるかも知れないって思っちゃう。
でもそう心配になる一方でこうも思う。
世間さんや他人さんがイイ! ってゆったモノが本当に良いモノなのかは、ちゃんと自分の目で見て確かめて、自分の心に問い掛けて、しっかりと判断して欲しいなって。
他の人がイイってゆーからイイんだ! はゼッタイにオカシイって思うので。
そりゃ「キャーキャー」騒がれるのは悪い気分じゃないよ?
けどさ、自分独自の好きなモノとかあったらすごく素敵やない? 「わたしだけの特別」みたいな?
例えば世界中で、わたしだけが好きな人とか。そんな恋愛、してみたいよねぇ。
「いや~ん。何考えてんや、わたしっ」
……おっと。妄想声だしてしまった、恥ず。だ、誰も聞いてへんやんな?
日暮れになってやっとこさ人が散り始めた頃、参道の杉並木の向こうから一人のお侍さんが差し入れを持ってきた。
何でも平賀源内ってこの時代の有名人で発明家のセンセイが【土用の丑の日】セールを広めた事で、江戸でうな丼がちょっとしたブームになってるらしく、逆に丑の日以外は獲り過ぎたうなぎが品余りしてるそう。
使用人がそれを買い過ぎて食べきれず、捨てるよりはと差し入れたとゆう。
「この御方は幕府旗本家の倉地甚左衛門さま。笠森稲荷の勧請を継いだ地主さんです」
シータンに耳打ちされたので反射的にお辞儀した。
「大したものではないが皆で食べてくれ」
「あ、有難うございます。――って、アレッ?」
預かった鰻の包。
軽そうに持ってたのに、ズシリとした感触。一体何人分くれるの?
思わずカオを上げた。そこで、またもや驚き。
身長差がハンパない。わたしの背丈、たぶん、この人の胸くらいまでしかないよ?
「おっきい……! ――!」
何気に目が合ったわたしは突如、得も知れない異変を感じた。
生まれて初めての経験やった。
まず、胸の中でドキンと鐘が鳴った。
次に呼吸が乱れた。足元がふらつき、二、三歩引き下がってしまった。
「お仙どの。今日も大変だったな。ゆっくり休むと良い」
「は、はぁい……」
気の利いた返事、ムリ。
オカシイ。ドギドキが止まんないし。それどころか、カオが熱くなってきた。
彼が去った後、わたしは息せき切ってシータンに彼について説明を求めた。
「特にイケメンでも無いし。好みのタイプとも違うし! それなのに!」
背はすごく高くてスラリとしてて。頭が良さそうで優しそう。メガネをかけたら似合いそう。
けどもそれだけ。ホメ言葉を並べてみても、だいたいそんな程度の語彙しか浮かばない。
なのに、ナゼっ?
「? ナニが言いたいんですか? ひょっとして、あの人の事が気になるんですか? それなら追い掛けて、少しお話してみたらどうですか? 第一印象と変わるかも知れませんし、もしヘンなコトになってもここには短期間しかいませんので、気まずくなってもヘーキでしょう?」
「お客さんはどーすんの?」
「放っておいたらいいんじゃないですか?」
「そんな。無責任な」
眉間にしわが寄ったけど、シータンにフザけた様子はない。
真剣にアドバイスしてくれたんだ。
しばらく彼女の真顔を見詰めたわたしは、彼の背中を追いかけた。
「――何用だ?」
「あ、い、いえ。別に。ちょっと散歩がしたいと……えと、その……思いまして」
これも後日知ったコトやが、ここら一帯は谷根千ってゆって、東京都の文京区と台東区にかけて、谷中、根津、千駄木のあたりを指してて。
東京に、ましてや江戸の街に土地勘なんて無いわたしは、甚左衛門さんの後ろについて稲荷参道から離れた未知の通りまで歩いた。
考えてみれば、笠森稲荷のお店からほとんど出てなかったし!
散歩したかったはウソやないと断言できる。
わたしは黙ってついて行く。この人、腰に差す刀がサマになっててカッコいいな。
なんだか心強いし。
何か特別な武芸でも身につけてるのかな?
「いつまでついて来るのだ? そなたの住む長屋はこちらでは無かろう?」
「あ……えーと。その……」
べ、別にあなたさまに用があるわけでは無くってよ。
強いてゆえば、ただ少しだけ話がしたいってか。
やなくって、だから!
色んな所を見聞したいってか! もーいーじゃん、ジッとこっちを見んとって!
「えっとですね。ここいらに【夕やけだんだん】って石段があるって聞いて――」
「夕焼け、だんだん?」
しまった……。口からポロリと出任せを。
そのネーミングはシータンからの情報で、本当にそんな名前の場所があるんやが、現代と江戸時代がごっちゃになっちゃってる。
この時代には、そんな名前の場所なんて無かったはず。
「あ、あ。ち、違うくて。そこの近くにある古民家カフェが評判やとか、どーとか……あ! いや、違うくて!」
「――ここいらは七面坂と申す。日蓮宗の別当寺院はあるが、石段は無いの」
弱ったカオで甚左衛門さんが差した先に趣のある土塀はあった。
石段……は確かに無い。
だけどわたしはその風景そのものよりも、別のものに目を奪われた。
茫然とさえした。
「――わああぁ……。めっちゃ、キレイ……!」
それは夕焼けだ。
江戸の街外れ、大きなお寺の敷地の先に、オレンジの光がキラキラと木々に反射していた。
家路につく何処かの村の親子が数組、その背中を照らされている。
左右におとっつぁんとおかっつぁん、真ん中に子供。
そんな三人組の親子もいれば、数人の子供がまとわりついているおとっつぁん、おかっつぁんもいる。
体格のいいおとっつぁんが担いでいるのは、もしかして大工道具やろか。
「――いいな。家族って」
「何か申したか?」
「――あ、い、いえ。えーとあの、さっきね、何人かとすれ違ったんやけども、天秤棒? 担いだ人たちの掛け声が面白かったなぁって思いまして。ハハ」
「棒手振りの事か?」
「ぼてふい?」
「棒手振り、じゃ」
不思議そうにこっちを見つめる甚左衛門さん。
わたしとアタマ二つ分は背丈が違う。自然見つめ合うと、わたしが見上げるカタチになる。
何かそれがメチャ恥ずかしい。
「お仙」
「は、はいっ」
「……そなた、確かにお仙か?」
飛び上がりそうになった。
とっさに「違います」と白状しそうになって口を押さえた。
「そう怖がるな。いつもと様子が違うと思うただけじゃ、赦せ」
「は、はい」
「なるほど。夕焼け、段々か。良い響きじゃ。せっかくだから、見たいものだの」
独り言みたいに呟く甚左衛門さんの横顔を盗み見る。
ちょっとおっとりとした優しい笑顔。
怪しんでも、怒ってもないみたい。……良かった。
わたしはホッと安心して、「良い響きですよね」と頷いたんやった。
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「折角のチャンスでしたのに、食事にも誘わなかったんですか?」
宿泊場所の長屋に帰ったら、待ち構えていたシータンにアレコレと尋問された。
「そんなんするわけ無いやろっ! 甚左衛門さんとは初対面なんやで?!」
「なんて奥手な。――あぁ、くだり酒。諸白のまろみ深い美酒に酔い、揺らり揺られて出会い茶屋。異世界アバンチュールに身をゆだね……」
「アホチン!」
「フーム。それでは湯屋の蒸し湯でランデブー。二階の間でしっぽりと……」
「そんなん、しないっ」
ポカリと一撃。
イミは不明ながら、何やらイヤラシげな想像を膨らませてるのは容易に察しが付く。
シータンのからかいにいちいち反応しながら、わたしは世にゆうところの一目ボレなる言葉を意識せざるを得んかった。
そして意識すればするほど、アイドル体験をしているコトが怖くなり始めた。
ファンたちがわたしのキモチを覗き見しそうで。落胆しそうで。怖かった。
アイドルは恋愛禁止ってよくゆーけど、それって不特定多数の人たちにモテるのと、たった一人の人に好きになってもらうのは、まったく別だって知ってしまったら、アイドルをするのが辛くなってまう。
だから禁止したんかも。そんな風にオオマジメに考えた。
「なぁシータン。ホンモノのお仙さんって、別にいるの?」
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――次の日、絵師の次郎兵衛さん――鈴木春信センセイが企画書を持って茶屋を訪ねて来た。
簡単にゆっちゃえば、アイドルグッズを作って売りたいから許可しろって話やった。
シータンが、わたしのマネージャー兼プロデューサーを買って出て、鈴木センセイとの間に立ってくれた。わたしは別にイイも悪いも無いので、お任せってコトで話が進んだ。
今年の暮れにはわたしの写真集や関連グッズを販売し、勝負をかけるぞって意気込んでた。
「大極上上吉、笠森鍵屋お仙ちゃん。お仙を見れば目ぞ覚めにけり」
「何なん、それ?」
「トップアイドル・笠森お仙。お仙を見たら目も覚める。鍵屋お仙を評した一節ですよ。願いが叶って良かったですね。メチャクチャアイドルを堪能してますよ?」
シータンは基本、ポーカーフェイス。
イヤミなのか、心からのセリフか、とにかく望みは叶えてくれたのは素直に感謝しなきゃね。
「シータン。このあとわたしはどーなるん?」
「どーなるもこうなるも。アイドル体験を終えて現代に帰るんですよ。学校もありますしね」
「あー。そうや無くて。お仙ちゃんはその後、どーなるん?」
シータンは首を傾けて、わたしの発するセリフの意味を探りあぐね。
「気になるんですね? じゃあ、午後は一年後を体験しますか?」
「……ふへ?」
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うたた寝をする。
三度目のマクラ使用で、わたしは【鍵屋のお仙】の行く末をたどった。
お仙は鈴木春信センセイのおかげで空前の人気を博し、一年前よりもさらに認知度が上がっていた。
まさに爆上がり状態やった。
参道にはわたしらの店、鍵屋の行列専用通路が指定されていて、一人当たりの店の滞在時間は最大十五分までに制限されていた。
お仙はお客さんの着物や持参した【お仙グッズ】にサインしたり、握手したり、アカペラながらで人前で下手っびな歌を披露するようになってた。
そして、呼び込みとかお茶運びなどの本来業務は、シータン他、別の女の子が担当するように。何てコトや。
ちなみにお仙グッズと称するのは例えばお仙人形、手ぬぐい、双六ゲームなど。
他にも絵草子(=現代でゆう漫画みたいなの)まで販売されてた。
あと驚いたんは、わたしの関知せんところで架空の創作話が生み出され、当時の花形役者さんたちによる舞台が大人気になっていた。お仙とゆーキャラクターを使ったフィクションドラマってとこかな。
「読みますか? 今朝の瓦版です」
シータンから瓦版、つまり新聞を受け取ると、そこにはわたしがでかでかと載ってた。
【人気番付一位】って文字の横で、おいしそうなお団子を掲げてる絵。
絵師は当然センセイだ。
ところでこの絵、あんましわたしと似てない気がするぞ。
適当になってんのか、最近直接会わないからなのかは定かでないが。
「嬉しく無いんですか?」
「うーん。嬉しい……ってったらウレイシイよ」
「微妙な言い方ですね。今日でお江戸体験はお終いですから、大いに楽しんでください」
「ええっ、今日で終わりなん?!」
「そうですよ。マクラに使うバッテリー残量の関係で、都合三日分、七十二時間の滞在が限界なんです」
「……そう、なんや」
「大いに楽しんでください。そして大いに学んでください。どんな経験だって未来の糧になりますから。ついでに歴史が好きになれば一石二鳥ですし」
「うん。……そうやね」
鈴木センセイがニヘラニヘラ、目じりを下げながら、女の人を紹介した。
「おう、お仙。この娘がお藤だ。ふたりが楽しく談笑しているところが描きたい」
しなだれるようにお辞儀をした女の人に、わたしは腰を抜かしそうになった。
だって。この人、圧倒的に美人なんだもの。
江戸時代の美人画って、みんな知ってる?
イメージ的には長細い顔をしてて、目が細くて、口が小っちゃい。
そんなのだよね?
――でも違った。まぁーったく、違った。
令和の今でも十分、いや、十分以上に通用する、スーパーモデルばりの美人さんやった!
唯一の奇妙な点は、当然地毛を結い上げた島田髷の時代劇風の髪型。
着物自体はそうは珍しくは無いし、この髪型じゃなきゃ、生粋の江戸の人って判らない。
で、何とゆっても、この人の眼元。
自信に満ちあふれてる。「ほら、わたしを見て!」 って心の叫びがあふれ出してるとゆーか。
「お藤。そこの床几に腰を下ろせ。お仙が茶を運んで――そう。そうじゃ。向かい合って」
なすがまま、言われるまま。
ドッと見物客が寄って来た。「おおう」「なんだ、なんだ」騒ぐ声。
混乱する群がりを、シータンとおとっつぁんが慌てて整理しだした。
たくさんの人たちの目にさらされ、クラクラする。
鈴木センセイ、早く描いて。早く早く。
もう耐えられない。
そこに甚左衛門さんがあらわれた。
黒っぽい頭巾を被ってるけど、わたしには即バレだ。
わたしが「助けて光線」を放ったからか、彼は開口一番、こう言ってくれた。
「お仙が辛そうだ。解放してやってくれぬか?」
「おう、これはこれは。いや、面目ござらん」
速記であたりをつけた鈴木センセイは、挨拶もそこそこに店を退散した。
お藤さんは置いて行かれたままだ。
「しかるにお藤どのの方は。御用向きは?」
「倉地さま。わたくし、楊枝屋を辞めて来ました。どうかここで働かせてくださいまし」
唖然とした。
甚左衛門さんを見詰めるお藤さんの目が潤んでいる。
ど、どゆコト?!
為すすべなく動揺してると、シータンに腕を引っ張られて店の裏手へ連れてかれた。
「あの娘は、銀杏娘って呼ばれてるんですが、巷では結構な人気者です。あなたと同じ看板娘のひとりです」
「銀杏……?」
「浅草の境内に有名な銀杏の木がありまして、そこからつけられた愛称ですよ。それと楊枝屋ってのは、歯ブラシや歯磨き粉を売るお店の事です。彼女、今年の春ごろに働き始めてから、あっという間に人気者になって。……いつ甚左衛門さんと知り合ったのかは知りませんが、鈴木センセイに頼んで今日ここに来たのだと思います」
結局は甚左衛門さんに適当にあしらわれて店を出てったお藤さんやが、それでも落ち込んだ様子はゼンゼン無かった。「明日も参ります」と彼にではなく、わたしを見て言った。彼女は不敵に笑ってた。
――わたしは気を取り直して、その日一日を一生懸命に働いた。
橙色の木綿絣に濃紺の前掛けをハタハタさせて。甲斐甲斐しく参詣のお客さんを労った。
「米のかえぃ! 土のかえぃ!」
アイドル活動だけじゃなくって、呼び込みも全力でこなした。
一期一会を大切に思いつつ。
本来のお仙ちゃんに迷惑をかけないように。
そして。わたし自身のプライドのためにも。
普段のお仙ちゃんはもっともっと頑張ってるに違いないからっ。
――お江戸体験、最終日はこうして過ぎて行った。
「お仙。奥で甚左衛門さまがお待ちだ」
薄い戸襖をそっと滑らせると、甚左衛門さんが待っていた。
店じまいまで居たらしい。
「お仙」
「甚左衛門さん。わたし、明日にはいつものお仙になってますので、どうか安心してください」
「何を申しておる?」
説明の言葉に詰まっていると、おとっつぁんが渋茶を運んで来た。
「お仙。甚左衛門さまはの、お前を妻に迎えたいと申されておる」
「――は?」
甚左衛門さん、神妙な目つきをする。
床板が軋んだ。身体のおっきな彼が、居ずまいを正したためだ。
「そなたが承知なら、我が倉地家に――」
「――待ってください」
場が凍った。
ふたりはわたしが断ると思ったらしい。
明らかな狼狽を見せて口をつぐんだ。
「甚左衛門さん。一日待ってください。明日、返事します」
「なぜ、明日なのだ?」
「さっきもゆったでしょ、いつものお仙になってるって。なのでもう一度言ってあげてください。結婚しようって」
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「お仙ちゃんですが。甚左衛門さんのプロポーズをオーケーしましたよ?」
ニヤニヤ顔のシータンが、わたしの耳元で報告した。
「そんなん。わざわざゆわんでも分かってたよ」
「ですよね。何たってハナヲは明和のアイドル、笠森お仙そのものでしたものね」
「うっさいなぁ。わたしはわたし。お仙ちゃん本人や無いし」
「悲しいですか? 悔しいですか?」
「だぁまぁれぇぇ」
翌日、元のお仙に戻った彼女は、倉地甚左衛門さんを七面坂に呼び出し、逆告白したとゆう。
七面坂の辺は、後に【夕やけだんだん】が出来るであろう場所だ。
そしてわたしと、甚左衛門さんとの唯一の思い出の場所でもある。
「米の団子か、土の団子か。とうとう、とんびにさら~われぇたぁ~」
「唐突に歌い出して。何なん、それ?」
「当時作られた手まり歌ですよ。笠森お仙は、ある日突然お店から姿を消しました。おとっつぁん以外、誰にも内緒にして、倉地家に嫁入りしたんです」
その甚左衛門さんは、江戸幕府の御庭番やったそう。
御庭番ってのは、時代劇の知識からの引用やと、つまり【スパイ】であって、さしずめ彼は江戸時代のジェームスボンドやね。道理でカッコウイイ人やと思ったよ。むふう。
「人知れず結婚したんや?」
「お仙が行方不明になって、当時の人々はかなり仰天したらしいです。誘拐されてしまったとか、中川新十郎って男と駆け落ちして〇されたとか。色んな噂話が飛び交いましたが……。そう考えると、手まり歌の『とんびに攫われた』ってなかなか風刺が効いてますよね。世の男性陣はさぞやショックを受けたんでしょう。実際のお仙はその後、子宝にも恵まれたそうですから、とにかく幸せになって良かったですね」
「そうなんや」
また、鈴木センセイは大量拡散したお仙の錦絵で大儲けし、江戸中期を代表する有名浮世絵師の一人になったみたい。こっちも成功者になって嬉しいよ。ちょっとエッチなところあったものの、親切な人やったな。
「笠森稲荷では、土の団子で願掛けして、成就すると米の団子を供えたそうです。――どうですか、あなたも? ステキな男性との出会い祈願でも?」
「バカ」
「あれ? アホチンって言わないんですか? たったの三日間で、東京に染まっちまったですか?」
「アホチン」
笠森お仙ちゃんは実力で人生を切り開いた、真のアイドルやと思う。
それに比べて今のわたしは俄かアイドル経験しかしてない、ただの平凡な女子にすぎん。
神さまに頼る前に、もっとせなアカンコトがいっぱいある気がする。
「東京の日暮里にはいっかい行ってみたいとは思う。……そのうちに。ね」
「これから学校の男子とはうまく付き合えそうですか?」
それはどうかな。
自信はないな。
「あなたは、お仙を演じきった立派なアイドルスターなんですから。必ず上手く行きます」
「りょーかい。有難う、シータン」
「どういたしまして」
お江戸体験、シータンにはずいぶん手の込んだ激励をしてもらった。
クラスの人気者になるのはなかなか難しい。ただ、好きな人を見つける勇気は持てた気がする。
ついでに言うと、ちょっとだけ歴史にもキョーミが湧いたよ。
アリガトね。
シータン。お仙ちゃん。
それから……倉地甚左衛門さん。
わたし、あなたのコトが好きでした。
〈おしまい〉
やっぱり歴史って面白いです。
今回のお話を作るにあたり色々調べた結果、江戸時代にも「アイドルがいた!」と知って本当に驚きました。
また同様の企画をしてみたいです。お付き合い頂き有難うございました。