第3話『初陣』
それから、俺は夜になるまで、みっちりとハメで経験値を稼ぎまくった。
やり方はこうだ。まず、今まで貯めた経験値で『炎身』という魔法と『治癒神の波動』という武技を習得する。
『炎身』は自身に『炎上状態』というスリップダメージが継続する状態異常を付与する代わり、一定時間周囲に炎属性の攻撃判定を出し続ける魔法。
『治癒神の波動』は効果範囲内の味方と自身に状態異常無効と筋力アップのバフを付与する武技だ。
次に、近くにある『小鬼のねぐら』という低レベルのダンジョンに突入し、すぐ『炎身』と『治癒神の波動』を発動する。
その後、入り口にある『安息の泉』――セーブポイントの前で座り込めば、準備完了だ。
腰を下ろして一分も経たないうちに、ダンジョンの奥から小鬼が近づいてくる。
無防備に座ったままの俺を見て、小鬼はしめたと思ったのだろう。足早に駆け寄ってきた小鬼だったが、次の瞬間全身が燃え上がった。
「ゲギャギャッ!?」
地面を転げ回ってもがき苦しむ小鬼だったが、すぐにHPが尽きて消滅した。
その間、俺は何のアクションも起こしていなかったにも関わらずだ。
どういうことかというと、『炎身』と『治癒神の波動』を同時発動すると、奇妙なバグが発生するのである。
具体的には、『炎身』の炎属性攻撃の威力が激増する。
本来、俺の知力ステータスで『炎身』を使っても、小鬼を倒す前にスリップダメージでこちらが死んでしまうという情けない火力しか出ないのだが、結果は見ての通りだ。
『炎上状態』のスリップダメージが消失するのは『治癒神の波動』の状態異常無効バフのおかげであり、つまりデザイナーズコンボ――公式が想定している『炎身』の使い方なのだが、どうも付随している筋力アップバフが悪さをして、炎属性攻撃のダメージを増加させているらしい。通称『炎上バグ』だ。『焼身他殺バグ』なんて不謹慎な呼ばれ方もしている。
さらに、『泉』の前で座ると『休息状態』になり、敵の攻撃を受け付けなくなるのだが、このときなぜか『炎上バグ』が永続的に発動し続け、近寄ってきた敵を自動的に抹殺してくれる。
本当なら『休息状態』中は敵に発見されなくなるはずなので、これも『炎上バグ』によって引き起こされた通称『泉バグ』だ。
そして、この二つのバグを利用して、延々と経験値を稼ぐこの方法は『ゴブリンホイホイ』という名で呼ばれ、リリース初期の戦人たちにこよなく愛された。
なぜ初期限定なのかというと、こんなバグは即座に公式に修正されたからなのだが、どうやらこの世界ではまだパッチが当てられていないらしい。世界のパッチとはなんぞやという話だが。
この世界でも、『アスガルド』にあったバグを利用できると判明したのは、非常に大きな収穫だ。
『アスガルド』の世界観は過酷で、とにかく人間に厳しいものなのだが、『アスガルド』の有用なバグや稼ぎをほぼ網羅している俺なら、楽々生き抜いていけそうである。
だが、使えるバグはある程度限られてくるだろう。今回の『炎上バグ』は『炎上状態』のスリップダメージ無効のおかげか、火傷の痛みを感じずに済んでいるが、そうでなければとても使えたものではないはずだ。
こうして、まったりとくつろぎながら、百匹以上のゴブリンを虐殺した俺は、大量に得た経験値を消費し、目当ての武技である『達人の体配』を習得した。
これはパリィ使用時に少しだけスタミナが回復するようになるというもので、上手くやれば無限にパリィをし続けられる。おまけに、パリィ受付時間も若干ながら延長する至れり尽くせりの武技なのだ。
ちなみに武技にはスタミナを消費して発動するアクティブ型と、常に効果が発揮され続けるパッシブ型があり、『達人の体配』は後者である。
また、そのほかにもいくつか使えそうな武技と魔法を習得しておいた。
ついでに『小鬼のねぐら』のボス『小鬼隊長を倒し、ドロップした装備を身に着けた。
防具はただ防御力が上がっただけだが、武器を『檜の棍棒』から『粗鋼の直剣』に変更したのは大きい。
『粗鋼の直剣』の方が攻撃力が高いのは言うまでもなく、斬撃武器専用武技の『閃輝・雷霆』が使えるのだ。
『閃輝・雷霆』は、高くジャンプしてから、一気に急降下して敵を斬りつける武技で、『臓物潰し《ストマック・ブレイク》』より断然威力が高い。
敵によっては『臓物潰し《ストマック・ブレイク》』の方が有効なこともあるのだが、基本は『閃輝・雷霆』でいい。
入り口から差し込んでいた陽光が陰り出した頃合いから、腹も減ってきたので、俺は稼ぎを中断することにした。
いろいろとゲームチックなこの世界だが、飯は食わないといけないようだ。
『アスガルド』に空腹というシステムはないが、食材を料理して『摂取』すると、体力回復やバフ効果などが得られる仕様になっている。
幸い、今日は道中でシカやイノシシを狩っていたので『獣肉』がいくらかあるが、今後はこのへんも稼いでおかなければならないだろう。
大量に手に入った小鬼の素材は、ここから少し離れたところにある街グリトニルで換金すれば、そこそこの収入になるはずだ。その金で装備も整えよう。
俺は立ち上がって『休息状態』を解除すると、今後もお世話になるであろう『ゴブリンのねぐら』を出て、はぐれ村へと向かった。
◆
「おお、こんな夜更けにご苦労じゃったな、坊や。何もないとこじゃが、ゆっくりしていきなさいよ」
はぐれ村へ着くと、年老いた男性が、数本しか残っていない歯でにっこりと笑いかけてくれた。
はぐれ村とは、故郷を失った人たちが身を寄せ合って作り上げた、村というにはあまりに小規模な集落のことである。
ここのはぐれ村には、老人しかおらず、皆木の枝やボロ布を組み合わせて築いたテントのようなものの下で雨風をしのぎ、日々を暮らしている。
特に役に立つアイテムが手に入る場所ではないが、エネミーが入ってこられない安全地帯のはずなので、寝場所には向いているだろう。
少なくとも『ゴブリンのねぐら』の中よりかは。
そして、残念ながら、ゆっくりしていく気など毛頭ない。明日にはここを出立するつもりだ。
「どっから来たんだい?」
設置されていた焚き火を借りて肉を焼いていると、ヤコブと名乗った老人が話しかけてくる。
テントの一つをあてがってもらった手前、さすがに無視するわけにはいかない。
俺は曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「えーと、東の方から」
「ほう。するとギムレーあたりから?」
『アスガルド』の村の名前だ。俺は流人という設定だが、適当に話を合わせておこう。
「ええ、そのあたりです」
「やはりそうか! わしも元々はあのへんに住んでおって、ほれ、司祭のマルコス様は知っとるかい? あの人にはわしゃずいぶん世話になっての」
「そうなんですか」
マルコスって誰だよ。知らねーっつの。
いい加減な生返事ばかりしていたのだが、その後も、ヤコブはやたらと話しかけてきた。
途中で、他の老人まで会話に入ってきて、
「歳はいくつだい?」
「変わった服着とるけど、どこで仕立ててもらったんだい? もしかしてお貴族様なのかい?」
「あんたの顔、うちの息子の小さい頃によう似とるわい」
などと、益体もないことを次々に言ってくるものだから、全く気が休まらなかった。
なんとか肉を食い終えるまで老人たちのお喋りをやり過ごすと「疲れているので」と断ってその場を離れ、俺はテントで寝転がった。
まったく、どうして年寄りというものは無闇に話し好きなのか。鬱陶しいったらありゃしない。
なんだかんだで、本当に疲れていたのだろう。目をつぶると、あっという間に意識が落ちた。
◆
翌日。目を覚ますと、枝葉の間から漏れる朝日がまぶしかった。
ござのような敷物を敷いただけのベッドは寝心地が悪く、身体の節々が痛む。
今日からは寝床についても、もう少し検討した方がいいだろう。
身体を起こすと、焚き火に当たっていたヤコブが手を振った。
「おお、おはよう。よく眠れたかい?」
「ええ、まあ」
「子供はしっかり食わんといかんでな。ほれ、ちょうど焼けたのがあるぞ」
ヤコブが差し出してきたのは、火で炙って焦げ目をつけたパンだった。
俺はそれを受け取り、昨日の肉の残りと一緒に食べようとしたが、ヤコブに止められた。
「昨日の肉なんて食ったらいかん! 腹壊して死ぬぞ!」
「え? 大丈夫だと思いますけど……」
「いかんいかん! この時期はすぐ腐る! 捨てんさい!」
匂いを嗅ぐ限り、さほど問題はなさそうだったが、ヤコブの剣幕に押されて俺は肉を諦める。
クソ、モブのくせに指図するとは生意気な奴だ。
ゲーム内なら火炎の魔法でも浴びせているところなのに。
内心イライラしながら、俺はもそもそとパンをかじった。
不味い。砂を噛んでいるようにジャリジャリとした不純物が混ざっている。
食事を終えると、ヤコブは申し訳なさそうに頼んできた。
「すまんが、今日は街道まで出るから付き合ってくれんかの? 蓄えもなくなってきたで、何かと交換してもらわにゃならんが、ここは見ての通り爺さんと婆さんしかおらんでな。
若い子に付き添ってもらわんと不安なんじゃ。あんた、一人で旅しとるくらいじゃけ、腕は立つんじゃろ?」
「街道ですか? 昨日見ましたけど、誰もいませんでしたよ」
「そうかい? だが今日はおるかもしれんじゃろ」
遠回しに断ったつもりだったのだが、ヤコブはしつこく言い募ってくる。
うるさいな。お前みたいな小汚いモブジジイに関わってる暇なんてないんだよ。
こっちはさっさと経験値を集めて、安全な拠点を探しに行きたいんだ。
「すいません、行かなくちゃいけないところがあるんで、もう出ます。お世話になりました」
「お、おお、そうか……そんならしょうがないな。達者でやりなさいよ」
立ち上がり、一方的に別れを告げると、俺はさっさとはぐれ村を出た。
少し歩いたところで、ちらっと振り返ると、ヤコブはまだ俺の方を見ていた。軽く一礼すると「頑張れよ!」としゃがれた声が飛んでくる。
……買い出しくらいなら、行ってやってもよかったかもしれない。
若干の心残りを抱えながら、俺は『小鬼のねぐら』へ向かった。
はぐれ村から『小鬼のねぐら』へは、回り道をしていく必要がある。
一直線に進むと『ホッドミーミルの黒い森』の主であり、中ボスの『血に飢えた獣』の索敵範囲にぶつかってしまうからだ。
目印をつけておいた木から、大きく右手に迂回する。
この付近で、拠点にふさわしい場所はどこかないだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、左から獣の吠える声が聞こえてきた。
よく耳を澄ませると、人間の声も混じっている。木々が邪魔でよく見えないが、どうやら誰かが『血に飢えた獣』と戦っているようだ。
これなら、うっかり索敵範囲に入っても、彼らがヘイトを集めているので、万が一にも俺が襲われることはないだろう。
そう思って、足早に通り過ぎようとしたのだが、
「大丈夫か!」
凛とした少女の声が、朝もやにけぶる森の中に響き渡る。
声色こそ大人びていたが、俺と年が近いことはすぐに分かった。
あの中に、女の子がいるってことだ。
興味を惹かれた俺は、彼女の顔を見るため、忍び足で戦闘に近づいていった。
「ゴアアアア!」
「はああっ!」
軽トラックくらいある巨大なトラが、たくましい右足を目の前の少女へ叩きつける。
それを見事にいなし、少女は手にした剣でトラの胸元を切りつけた。
だが、分厚い毛皮に阻まれ、刃は肉まで届かない。
彼女とトラは距離をとり、にらみ合う。
「――――」
俺は思わず息を呑んだ。
美しい少女だった。錦糸のような長い金髪に、整った顔立ち。
革の鎧に身を包み、巨獣と対峙するその姿は、どう切り取っても大作RPGのパッケージイラストに採用できそうなほど様になっていた。
「ミーナだ……」
俺はつぶやいた。
彼女の名はヴィルヘルミナ。愛称ミーナ。
『アスガルド』屈指の美少女NPCとして知られ、お気に入りのNPCをパートナーとして同行させられる『相棒』システムにおいて、一番人気のキャラだ。
これはぜひとも助けに入らなくてはならない。
『血に飢えた獣』ぐらいなら、一対一でもノーダメでいけるはずだし、ましてや今回はこちらが数で勝っている。間違っても被弾することはないだろう。
俺は『小妖精の帳』を発動。
さらに、敵未発見時限定で筋力と知力を大幅にアップさせる武技『暗殺者の極意』を発動すると、トラの背後から接近した。
「やつは私が引き受ける! お前たちは逃げろ!」
「しかし、団長!」
見れば、ミーナは、傷ついた部下たちをかばって戦っていた。
彼女のほかに戦えそうな者はおらず、まさに孤軍奮闘の有様である。
ますます助けがいがあるというものだ。
俺はトラの真後ろに位置づけ、敵未発見時限定の武技『闇討ち《バックスタブ》』を発動――『粗鋼の直剣』で思い切りケツを突き刺すと、面白いように怯んだ。
『闇討ち《バックスタブ》』には確定で怯み効果があり、さらにヒットさせた敵のスタミナを大幅に削ることができる。
また『暗殺者の極意』の効果も乗るため、火力が非常に高い。
『血に飢えた獣』の頭上のHPとスタミナゲージを確認すると、ともに残り三分の一ほど減少していた。ある程度は、少女が削りを入れていたのだろう。
「グオオオ!」
怒りに燃えるトラが振り返り、爪の攻撃を放ってくるが、俺はそれを難なくパリィする。
二撃。三撃。四、五、六、ここで連撃が止まり、最後に溜めからの両足攻撃。よし、パターンは同じだ。
それら全て、完璧にパリィすると、トラのスタミナゲージがゼロになり『ブレイク状態』に陥った。
とどめとして『血に飢えた獣』の腹に『臓物潰し《ストマック・ブレイク》』を叩き込むと、唸り声を上げながら塵に返っていった。
あ、しまった。新技を使おうと思っていたのに忘れてた。試し斬りにちょうどいい相手だったのに。
「助かった……感謝する。私はスクルド騎士団の団長ヴィルヘルミナだ。名前を聞いてもいいか?」
突然の闖入者に目を白黒させていたミーナが、剣を鞘に収めてこちらに歩み寄ってくる。
改めて正面から見ると、圧倒されるような美しさだ。
俺は配信するとき用の、少し低めの声で返事をした。
「お、俺は文雄。たまたま通りかかったから助けただけだよ。ところで、どうしてこんなところに?」
はぐれ村の住人には見えないし、昨日戦っていた騎士たちの生き残りだろうか。
「『安息の泉』を探していたのだが、あの獣と出くわしてしまってな」
「『泉』の場所なら知ってるけど、案内しようか?」
「それはありがたい! すぐに頼む!」
『泉』に用があるということは、回復薬が欲しいということに違いない。
俺はミーナを連れ立って『小鬼のねぐら』へ急行した。
『泉』でミーナが回復薬をビンに詰めている間、俺は周囲の見張りを担当する。
「――よし、これで十分だ。すぐに戻ろう。……ところで、よくこんな場所を知っていたな? 小鬼どもの巣穴など、好き好んで入るものでもないだろうに」
「あー……」
俺はどう説明したものか悩んだ。
『小鬼のねぐら』の入り口は、森の奥まった場所、それも木と岩の陰に隠されており、知らなければまず気づかない。
それに、小鬼の巣穴ということは、中に大量の小鬼がいるわけで、単身で突入するのは、普通なら危険だ。
また、『アスガルド』プレイヤー……いや、ゲーマーの俺にとっては、ダンジョンは見つけたら入るもので、そこに敵がいるからといって尻込みしたりしないのだが、この世界の人間は違うようだ。
答えに困っている俺に、ミーナはにわかに剣を向けてきた。
「貴様、何者だ。何を企んでいる」
「ちょ、ちょっと待って! 違うから! ぜんぜん怪しい者じゃないから俺!」
「ならば、なぜこの場所を知っていたのか答えろ。答えなければ斬る」
ヤバい、完全に敵だと思われている。
俺は目まぐるしく頭を回転させ、とっさに閃いたセリフを口にした。
「ヴィルヘルミナ・パークス! 筋力37、持久105、知力52、魔力89! 加護は『櫟の加護!』」
「っ!?」
機関銃のように吐き出された文字の羅列に、しかしミーナは驚いたように目を丸くした。
「私の『診断書』……どうして知っている!?」
「俺には分かるんだ! そういう加護がある! 『泉』の場所とか他人のステータスとかを見ることができる加護だ!」
加護があるというのは嘘だが、半分は本当だ。
同行させられるNPCのステータスは一通り把握している。どうやら、俺以外の人間にもステータスの概念はあるようだ。
加護とは、常時発動型のスキルのことで、武技や魔法のように後天的に習得することはできない。
ミーナの『櫟の加護』は、状態異常全般に耐性を持つという効果だったはず。
しばらくの間、俺を見つめたまま思案していた様子のミーナだったが、やがてすっと剣を下ろした。
「あらぬ疑いをかけたこと、ここに謝罪する。そもそも、貴殿の実力なら、罠にかけずとも正面から容易く私を殺せるだろう」
「いや、そんなこと……」
たぶんある。
口ごもる俺の態度を勘違いしたのか、ミーナは軽く微笑んだ。
「謙遜するな。先ほどの大立ち回り、並の使い手ではあるまい。どこの御仁に教えを乞うたか、詳しく聞きたいところだが、まずは皆のもとへ戻ろう」
なんとか窮地を脱することに成功したようだ。
せっかく仲良くなった女の子と、いきなり殺し合いになってはたまらない。
俺はミーナと『小鬼のねぐら』を出て、残してきた彼女の部下たちの元へ戻った。
「さあ、これを飲むんだ」
「うう……ありがとうございます、団長……」
「礼なら、私ではなくフミオに言うんだ」
ミーナが口元に運んだビンから回復薬を飲むと、地面に横たわっていた騎士はため息をついた。
ミーナ以外の騎士は、合計で三人。全員、身体のどこかしらに血のにじんだ包帯を巻いており、自力では歩けない者もいるようだった。恐らく、昨日の戦いで負傷したのだろう。
戦いの結果がどうだったのかは知らないし、興味もない。
俺はただ、ステータスを上げて身を守りたいだけだ。できれば快適な住居もほしい。
「すいません、団長。自分、マジ不甲斐ないッス……エーリカ、大丈夫か? まだ痛むところはないか?」
「ううん、平気だよクルト。心配してくれて、ありがとっ」
「ばっ……べ、別に心配なんかしてねーし! 俺はただ、お前が皆の足手まといになってないかをだな……」
「それを心配してくれてるって言うんだよ。まったく、素直じゃないなあ」
「だーかーらーっ!」
俺と歳の近い少年と少女の騎士が、公衆の面前でイチャついている。
なんだか無性にイラつくので、男の方はトラに食わせてもよかったかもしれない。
さて、これからどうしたものか。
なんとかして騎士たちを追い払い、ミーナと冒険の旅にでも出たいところなのだが……。
のんきにそんなことを考えていると、ミーナがすくっと立ち上がった。
「フミオ。近場に集落はあるか? あるのなら、住人を避難させなければならない」
「あるけど、どうかした?」
「業魔どもが迫っている」
ということは、戦争は人間たちの敗北に終わったようだ。
まあ、ランドルフが居たのなら仕方ない。
むしろ、生きて戦場から離脱できただけでも大したものだ。
待てよ、つまりランドルフも来てるかもしれないってことか?
それはまずいな。一刻も早く逃げなくては。
しかし、この流れだとミーナに『私と一緒に戦ってくれないか?』なんて言われかねない。
俺は遠慮がちに言った。
「でも、もう手遅れかもしれないし、敵に出くわしたら危ないんじゃない?」
「騎士の叙勲を受けたその日から、私の命は民草のために使うと決めている」
いや、君はそうでも俺は違うんですよ。
渋る俺の表情から何かを察したのか、ミーナは納得がいったようにうなずいた。
「ああ、フミオはついてこなくてもいい。なんなら、部下を連れて逃げてくれ」
「え? いいの?」
「そもそも、フミオは騎士ではないのだろう? なら、私に付き合う義理もない」
「まあ、そうだけど……」
願ったり叶ったりな提案だが、なぜか俺の胸にはしこりが残った。
女の子が命を張っているのに、自分一人だけ助かろうとしていることに、罪悪感があるのだろうか。
……おいおい、何考えてるんだよ俺。それの何が悪い?
俺はミーナみたいに、金をもらっているわけじゃない。この国の人間のために戦う理由なんて一つもないんだぞ。
必死に自分に言い聞かせるが、情けない気持ちはどんどん大きくなっていった。
時間がない、とつぶやき、ミーナは俺に背を向ける。
だが、最後に彼女はこう言い残した。
「私には貴殿の行動を規定する権限はない。命を捨てろなどとは口が裂けても言えない。
しかし、私はフミオが、困っている者を見捨てることができない男だと信じている。――卑怯な女と笑ってくれ。私にはこういう言い方しかできないのだ」
「っ――――」
胃袋を鷲掴みにされたように、息が詰まった。
違うんだ。俺は、ミーナの思っているような人間じゃない。
現に、昨日は負けそうな彼女たちを見捨てた。我が身可愛さに。
さっきだって、ミーナが可愛い女の子だから助けたようなものだ。
男しかいなかったら、たぶん助けていなかった。俺はその程度の人間なんだ。
なのに――信じていると言ってくれた。
こんな自分勝手な俺を、目が潰れそうなほど真っ直ぐな瞳で見つめてくれた。
……ああ、本当に卑怯だ。
そんな言い方をされたら、断れるわけがない。
俺は一瞬だけためらった後、木立の合間に消えようとしているミーナの影を追いかけた。
俺が追いつくと、ミーナは満足げに笑みを浮かべた。
「来てくれて感謝する。貴殿を信じた私は正しかった。やはり私はいつでも正しい」
「結果的にはそうなったね」
本当は、逃げる気満々だったことは伏せておく。
「集落までの道を聞いていなかったことを思い出してな。引き返そうと思っていたところだ」
「…………」
もしかしてこの子、何も考えずに走り出したんじゃ……。
ミーナのアホの子疑惑が浮上したところで、不意に彼女の表情が変わった。
「まずい。悲鳴が聞こえた。急ぐぞ」
「う、うん!」
ミーナが飛ぶような速度で駆けていくのに、俺は必死についていった。
彼女の筋力ステータスは、俺より低かったはずだが、あまり関係ないようだ。
ステータスが身体能力に及ぼす影響については、時間があるときにじっくり検証してみたいところである。
「おい! ガキはいねえのかガキは! ジジイとババアばっかりじゃねえか!」
金属音のような、不快な響きの混じった大声がこちらまで届いてくる。
足を止め、俺はミーナと木陰から様子を伺った。
はぐれ村の周囲は小鬼たちに包囲され、ヤコブを始めとする村の住人たちは、その輪の中で縮み上がっていた。
そして、そんな彼らを鬼の首を取ったように見下し、がなり立てているのは、一頭の豚面鬼だった。
文字通り、豚の化け物のような顔面に、丸太のような頑強な四肢。身長は四メートルを超えている。
両手の拳には、泥を固めて作ったような、ゴツゴツしたメリケンサックのようなものがはまっている。
――『泥濘の剛拳グルニズゥ』
固有名称のない『血に飢えた獣』よりも格上で、拳による一撃は鈍重だが強力だ。
パリィを失敗すれば、ガードの上からでもとんでもない痛手を負わされるだろう。
それでも、一対一ならグルニズゥごときに苦戦することはない。
だが、問題は周りの小鬼たちだ。
グルニズゥとタイマンしているときに茶々を入れられると鬱陶しい。
俺は『小妖精の帳』で気配を消し、手近な小鬼に忍び寄った。
「ふんっ!」
「ゲッ」
武器を使うと目立つので、武技の『首刈り』で背後から頸椎をひねり折る。
パキュッという骨が折れる音とともに、小鬼は首を百八十度回転させて崩れ落ちた。
『首刈り』は、決まれば体力が一定以下の雑魚は確定かつ無音で殺すことができる。
ボス戦では役に立たないが、雑魚狩りでなら十分使える性能だ。
続けざまに三匹ほど仕留めたあたりで、グルニズゥが再び口を開いた。
「おい、そこのジジイ。ガキはどこだ?
匂いがするぜ。昨日……いや、今朝までここに居たな? そうだろう?
居場所を吐きやがれ。そうすりゃ命だけは助けてやる」
グルニズゥに凄まれたヤコブが、震えながら首を横に振る。
「し、知らん。子供なんぞここには来ておらん!」
「そうか。じゃあ別の奴に聞くぜ」
そう言って、グルニズゥは無造作に右手を振りかぶった。
「させるか!」
俺はとっさに飛び出すと、グルニズゥとヤコブの間に割って入る。
そして、巨大な鉄槌のようなグルニズゥの拳に、直剣をぶち当てた。
パリィ。
衝撃音とともに、グルニズゥのパンチは横合いに逸れ、辺りに地響きをもたらす。
さらに武技発動。
『燕返し』
素早く薙ぎ払った剣は、グルニズゥの顔面を斬りつけた。
これはパリィ成功時限定の武技で、予備動作なし、後隙ほぼなしという手軽さで放つことができる攻撃だ。
「何だ、いるじゃねえかやっぱりよお!」
顎をしたたかに捉えたはずだったが、グルニズゥはダメージを受けた様子もなく、ギロリとこちらを睨んでくる。
『燕返し』は、その速攻性と引き換えに威力が低めなので、当然といえば当然だ。
だが、その隙に、ミーナがヤコブを抱えて後方に下がってくれていた。
「坊や!」
「フミオ! そのデカブツを頼む。私は小鬼どもを引き受ける!」
「分かった!」
俺は直剣を片手に構え、油断なくグルニズゥと向かい合った。
対するグルニズゥは、ポリポリと顎のあたりを汚い指で掻いている。
完全に俺たちのことを舐めているようだ。
「グハハ、勇ましく飛び出してきたと思えば、羽虫が二匹かよ! 叩き潰されて終わりだってわからねえもんか?」
「なら、俺とタイマン張る度胸はあんのか? 危なくなったら小鬼たちに助けてもらうってのはなしだぜ」
「タイマンだと? 俺と貴様が対等な関係だとでも言いてえのか。馬鹿にしやがる!
だが俺は誇り高きグルニズゥ。挑戦は拒まないのが流儀だ。
いいだろう! 小鬼ども、控えていろ。手出しは無用だ。この虫けらを五秒でミンチに変えてやる」
ギイギイと取り巻きの小鬼たちが騒ぎ始める。
まるで闘技場かなにかのようだ。
「くたばりやがれ!」
グルニズゥが大きく弧を描く左のアッパーを放ってくる。
難なくパリィし、膝裏に『燕返し』
今度は打ち下ろすような右の拳。これもパリィして『燕返し』
攻撃の間隔はほぼ一定で、フェイントや出の早い技で揺さぶりをかけてくることもない。
実に戦いやすい相手だ。
しかし、一つだけ要警戒な技がある。
「ぬう! 小賢しい!」
散々『燕返し』を入れられてイライラしてきたのか、グルニズゥは両手を左右に広げて掴みかかってきた。
これだ。ガード・パリィ不能の投げ攻撃。食らったら、まず即死だ。
「っぶねえ!」
無敵時間のあるローリングで、ギリギリ股下を抜けてそれを回避。
敵の視界から外れたので、すかさず『小妖精の帳』をかけてから『闇討ち《バックスタブ》』
背中を駆け上がり、無防備な後頭部に直剣を叩きつけると、グルニズゥはよろめいた。
ようやく痛打を与えられたようだ。
グルニズゥの体力は半分ほどに。スタミナは残り四分の一程度にまで減少している。
あと少しで仕留められそうだ。
「なんという身のこなしだ……!」
ミーナが息を呑む気配を感じる。
まあ、これくらいはそれなりに、ざっと千時間くらい『アスガルド』をやりこんでいれば誰でもできる動きだ。
頭を抑えたグルニズゥが、血走った目で俺の方を振り返る。
「てめえ、虫けらの分際で……!」
「さっきなんか言ってたよな? 五秒で俺をミンチにするとかなんとか。そろそろ三秒くらいは経った頃かな?」
「もう手加減はやめだ! 小鬼ども、やっちまえ!」
恥も外聞もなくなったのか、グルニズゥは手下の小鬼たちをけしかけてくる。
まったく、朝三暮四とはプライドのない奴だ。
所詮は小汚い小鬼どもの親玉といったところか。
殺到する小鬼たち。
だが、俺は落ち着いてミーナやヤコブたちから距離をとると、武技を発動した。
「『治癒神の波動』」
緑色の神聖なオーラが俺を包みこむ。状態異常無効バフがかかったのを確認してから、今度は魔法を唱えた。
「『炎身』」
ゴオ! と燃え盛る炎が俺を中心として、周囲に撒き散らされる。
『炎上バグ』によって強化された炎属性の魔法攻撃が、迫り来る小鬼たちを揃って火だるまに変えた。
もちろん、効果範囲にミーナたちが巻き込まれていないことは確認済みだ。
グルニズゥとの戦いでは、頻繁に立ち位置が変わるため、同士討ちを懸念して使えなかったが、場所を移せば問題ない。
「ぬうう! てめえ、魔術師だったのか……!」
手下たちを焼き尽くされ、グルニズゥが歯噛みする。
俺は『泉バグ』なしだと魔力の消耗が激しい『炎上バグ』を解除した。
「どうした、かかってこいよデカいの。叩いて丸めてポークハンバーグのタネにしてやる」
「てめえなんぞに、この俺が負けるかああああ!」
発狂したグルニズゥが、がっちりと組んだ両手の拳を、振り下ろしてくる。
岩をも砕くであろう強烈な一撃。
しかし、俺はグルニズゥのスタミナゲージだけを見ていた。
……あー、これ『真パリ』なら一発でブレイクとれるな。
本当は『ガーパリ』を使いたいところだが、そろそろこちらも息が上がってきた。
早めに決着をつけよう。
俺はグルニズゥの両拳に、完璧なタイミングで直剣を合わせた。
『真パリ』成功。
ガラスの砕け散るような音がして、グルニズゥが片膝をついた。
ブレイクだ。
俺は身長の三倍近い高さまで跳び上がると、手近な木の幹を蹴って急降下。
その勢いのまま、グルニズゥを袈裟斬りにした。
ブレイク時限定の武技『閃輝・雷霆』だ。
「がっ、あああ……申し訳ございません、ランドルフ様……」
グルニズゥのHPゲージがゼロになる。
息絶えた豚面鬼の肉体は、ボロボロと崩れて消えていった。
ふう、何とかなったな。
俺は額の汗をぬぐい、直剣を腰に差し直した。
「坊や! 大丈夫かい? 怪我はないかい!?」
すると、ヤコブが駆け寄ってきて、俺の身体をペタペタと触ってくる。
くすぐったかったが、不思議と不快ではなかった。
ヤコブが俺を気遣ってくれているのが伝わってきたからだ。
「ああ、ありがとうよ……! わしらみたいな老いぼれのために……!」
「いえ。いいんです。ヤコブさんだって、俺のことかばってくれたじゃないですか。おあいこですよ」
『アスガルド』にいたかどうかも怪しいレベルのモブなのに、ずいぶんと義理堅いものだ。
ちょっと邪険にし過ぎたかもしれない。これからはもうちょっといたわってやろう。
「フミオ! 素晴らしい戦いぶりだった。騎士団を代表して礼を言おう」
続いて歩いてきたミーナが、俺に感謝を述べる。
また、他のはぐれ村の住人たちも、口々に俺を褒め称えてくれた。
「助かったぜ坊主!」
「アンタはわたしらの救世主様だよ!」
わはは、モブとはいえ持ち上げられて悪い気分はしないな。
リスクをとって助けてやった甲斐があるというものだ。
この調子で、何かアイテムでもくれればいいんだが……そんなイベントはなかったし、無理か。