第12話『不死身の戦士』
傷一つない身体で、ランドルフがゲラゲラと愉快そうに笑う。
「なかなかの名演だったろ? 『ふざけるなああああ! この俺がてめえらなんぞに負けるはずがあるかああああ!』ってなあ! 勝ったと思ったか? 親父の仇を討ったと思ったか? 残念だったなあミーナ! この俺ランドルフは決して死なねえのさ! ギャハハハハハ!」
「バ――バカな! ありえん! なぜ蘇ったのだ!? 確かに体力ゲージは底をついたはず……!」
「さあて、なんでだろうな? 知りてえよなあ? 誰もが求めてやまない不死の秘密ってやつをよ! 土下座で頼むなら教えてやってもいいぜ」
調子に乗っているランドルフに、俺は水を差すように言い放った。
「『蘇生のタリスマン』だろ。三年前、王都グリトニルで手に入れたはずだ」
「……てめえ、何もんだ? なんで知ってる?」
「さあて、なんでだろうな」
「薄気味悪い小僧が」
つまらなそうにランドルフが吐き捨てる。
「フミオ、どういうことだ!」
「グリトニルの近くで話してた『不死身の騎士』の話、覚えてるよね?」
「ああ。それがどうした」
「王都決戦のとき、『不死身の騎士』もグリトニルにいたんだ。そしてランドルフに敗れ、不死の秘密をやつに奪われた。それが『蘇生のタリスマン』だ」
「『蘇生のタリスマン』だと……? だが、死から蘇るようなアイテムはないと言っていたではないか」
「普通はね。でも『不死身の騎士』は持っていても不思議じゃない。俺と同じ、この世界の隠された法則の恩恵に預かれる人間だったんだから」
「まさか……」
ミーナが信じられないと言わんばかりに首を振る。
武技やメニュー画面を操る人間が二人もいたどころか、そいつが不死身だったとなれば無理はない。
「そしてランドルフは攻撃を当てた相手から、低確率で装備を盗める。その能力で、やつは『不死身の騎士』から『蘇生のタリスマン』を盗んだんだ」
本来、外すことすらできないはずのフレーバーアイテムである『蘇生のタリスマン』も、現実の世界では物体として、装備として存在している。
ならば、『窃盗判定』を持つランドルフなら盗めてもおかしくはない。
ランドルフがポリポリと頭をかいた。
「いや、なんつうか、アレだな。てめえはマジで今ここで殺しておかねえといけねえな。いや、元から殺す気だったんだけどよ。てめえを生かしておくとロクなことにならねえって予感がビンビンするぜ」
「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ、ランドルフ」
毒の爪。分身。窃盗。面倒な要素がてんこもりのクソボスに、無限蘇生なんてふざけたスキルまでついてきやがるとは。
ここで必ず倒さなければ、冗談抜きに人類はこいつ一人に滅ぼされる。
だが、どうやって?
理屈としては簡単だ。『蘇生のタリスマン』を奪えばいい。それをどうやるかという話だ。
ランドルフは自慢げにほくそ笑むと、がばっと顎を開いて口の中を指差した。
暗い喉の奥に、十字架を象ったタリスマンが埋め込まれているのが見える。
それは『アスガルド』の設定資料集で目にした『蘇生のタリスマン』だった。
「ほら、こいつだよ。俺はこいつのおかげで、死をも克服した無敵の戦士になったのさ!」
「自分から弱点を晒すなんて余裕だな。場所がわかれば簡単だ。そいつをえぐり取るか破壊すれば、お前は再生できない。そうだろ?」
「やれるもんならやってみりゃあいいじゃねえか」
あくまでランドルフは見下したような態度を崩さない。
どうも怪しい。もし、本当に俺が言った方法で対策できるなら、わざわざ自分から『蘇生のタリスマン』の位置を明かす意味などない。
それに、さっきミーナが頭を木っ端微塵にしたのに、ランドルフは問題なく蘇生した。『蘇生のタリスマン』には当たり判定がないのか? それとも、壊されても自動的に修復されるのか?
どちらにせよ、物理的な方法でやつの不死身を突破するのは不可能だろう。少なくとも、ランドルフはそう考えているはずだ。
発想の飛躍が必要だ。この世界の住人には思いつけない、俺だけが知っているやり方が――。
「お喋りは終わりだぜ小僧!」
だが、悠長に考え事をする時間は与えられなかった。
猛スピードで繰り出される爪の嵐。
速度が早い分、ある程度判定に猶予があるのか、芯で捉えていなくてもパリィはできるが、そうでなかったらとっくに蜂の巣にされているだろう。
しかし、どの道死が近づいていることに変わりはない。
パリィするごとに俺のスタミナは減少し、肉体は疲弊していく。
ランドルフのスタミナも減ってはいるが、俺が限界を迎えるのが先だ。
「フミオ――!」
ミーナが『小妖精の帳』からの『闇討ち《バックスタブ》』でランドルフの腕を切断する。
だが、瞬時に腕は再生し、ラッシュが再開される。
「悪いなミーナ! お前の相手はこいつを片付けてからだ!」
「やめろ、やめろ、やめろ! こっちを向け! 私と戦え! 殺すなら私を殺せ! また私から奪うつもりか、ランドルフ!」
「ハハハハハ! どうよ彼氏くん? お前の彼女、俺に首ったけだぜえ!」
「く、そ……!」
「別れを惜しむこたあねえ! どうせすぐ会える! 俺の胃袋がてめえらの棺桶だ!」
ついにそのときは訪れた。
キイン、と双剣が弾かれ、体勢を崩される。
次の瞬間、大木をもなぎ倒すような爪撃が放たれた。
「この!」
半ば強引に、左手の剣を爪と身体の間に割り込ませ、即席の盾にする。
だが、爪先は俺の腹部を浅くえぐり、途方もないパワーで俺は吹っ飛ばされた。
視界が回り、激しい衝撃が何度も俺を打ち据える。
二、三回転したあと、石像の台座に背中から衝突し、俺は息が止まった。
なんとか頭だけはかばったが、激痛で身動きがとれない。
「チッ、なんなんだその剣は? チャチな見た目のくせになんでそんなに硬えんだよ」
どうやら、『星割りレヴァンテイン』を合成していたおかげで、武器の強度が上がっていたらしい。
一命はとりとめたと言いたいところだが、事態はさほど好転していない。
今の俺のHPは半分を切っている。あと一撃、どんな攻撃でも食らえば即死だ。
さらに、身体の芯から悪寒が這い上がってくる。
ぞわぞわぞわ、と肌が粟立つような感触とともに、皮膚に黒い紋様が浮かび上がった。
死への秒読みが始まった。『呪毒状態』だ。
ただでさえ少なかった残り体力が、ゴリゴリと減っていく。
「ヤバい……!」
俺は震える手で回復薬を取り出そうと、腰をまさぐる。
ない。
「おっと、いいもん手に入れちまった。こいつがねえと回復できねえんだったな、人間は?」
見れば、ランドルフの手の中に俺の回復薬のビンが収まっていた。
盗まれたのだ。
俺はとっさに手を伸ばす。
「返せ――!」
「誰が返すかよ、バカが!」
あざ笑い、ランドルフはビンごと回復薬を口の中に放り込むと、バリバリと噛み砕いた。
「かあ~。やっぱ盗んだ食い物が一番美味えな!」
復活してからこっち、わずかに削れていたランドルフのHPがマックスになる。
俺がやつの攻撃を命がけで受け続けている間、ミーナとホルガーが与えた貴重なダメージが、すべて無に帰した。
俺の回復薬は、もうない。俺はタンクになれない。
次に狙われたら、死ぬ。
厳然たる事実に直面し、俺は呆然となった。
……嘘だろ? 本当に死ぬのか? 俺。
手足が先端から冷えていく。膝がガクガクと笑い出す。
嫌だ。怖い。死にたくない。
俺の戦意喪失を見てとってか、ランドルフはフフンとせせら笑った。
「怖えか? 怖えよな? 死ぬのは誰だって怖え! そこがてめえら下等生物と俺の違いよ! 死すらも超越した俺に、恐れるものなんざ何もねえ! この世の全てが俺の思うがまま! 俺はてめえらにとっての神だ! てめえらはただ俺を畏怖し、ひれ伏し、食われるのを待つだけの家畜なんだよ――!」
ドン、と床が爆ぜ、ランドルフが突進してくる。
迫りくる死の爪。ガードしたところで、確実に俺を終わらせる死神の鎌。
それを俺は、ただぼうっと突っ立ったまま受け入れようとしていた。
そこに、金髪の少女騎士が割り込んだ。
ガキン!
ランドルフの爪とミーナの剣が激突し、衝撃波で頬が痺れる。
「なにが神だ。棚ぼたで手に入れた力で粋がるな、獣! この大地に神などいない。人間の生き様を決める権利を持つ者など居はしない!」
恐怖に支配されていた俺を救ってくれたのはミーナだった。
髪を振り乱し、『呪毒状態』の紋様が顔まで侵食しながら、構えた剣は小揺るぎもしない。
「ミーナ……」
「言っただろう、お前も守ると! クルトもエーリカも守れなかった! 私が至らぬが故に! だからせめて、お前だけでも!」
守ってみせる、と叫び、ミーナは決死の表情でランドルフと打ち合いを始めた。
飛び散る火花と鮮血。嘲笑を隠さないランドルフ。目を血走らせ、奥歯を噛みしめるミーナ。
どちらが優勢かは火を見るより明らか。だが、ミーナは一歩も引かなかった。
「フミオ殿、こちらを!」
「あ、ありがとうございます……」
ミーナが時間を稼いでくれているうちに、ホルガーが俺に回復薬を渡してくれた。
急いでそれを飲み干し、体力を全快する。
やつに屈しかけた自分に腹が立つ。しかし、今は悔いている場合じゃない。
ミーナのスタミナが尽きる前に、対策を打たなければ。
今のままでは、タンク役はひたすらジリ貧になるだけだ。『燕返し』で反撃しなければ話にならない。
技の回転率を上げなければ。そのためには、物理方面にさらなるバフをかける必要がある。
しかし、もう『戦神の咆哮』は使用している。これ以上かけても意味がない。
なにかないのか。もっと爆発的にステータスを強化できる方法は。
……いや、一つある。
使いたくはない。使いたくはないが、使うしかない。
ドクンドクンと心臓がうるさい。くそ、もっと静かにしろ。怯えるな。
ミーナはもっと怖くて痛い思いをしながら、俺の助けを待っている。
「う――うおおおおお!」
俺は右手の剣を逆手に構え、気合を叫びながら腹に切っ先を突き刺した。
熱した鉄筋をねじ込まれたような激痛に、視界が明滅する。
「フミオ殿!? なにを……」
「いえ、いいんです、これで……やつと戦える」
『戦神への供物』
体力の七十五パーセントを消費し、回復不可になるという重いデメリットを背負うことと引き換えに、ほかとは一線を画す倍率の全ステータスバフと、一定時間限定で無限のスタミナを得ることができる。
身体が燃えるように熱い。力がみなぎってくる。
傷の具合を確認。相変わらず死ぬほど痛いが、動作に支障はない。
どこに負ったどんな傷も、俺にとっては単なる痛みとHPの減少でしかないようだ。
「ぐあっ……!」
「あばよ、ミーナ!」
ミーナがパリィを食らい、スタミナがゼロになった。
右腕を振りかざすランドルフ。
だが、間一髪で俺はミーナの助けに入ることに成功する。
「交代だ、ミーナ! 下がって休んでくれ!」
「フミオ!? その傷は……」
「問題ない! 自分でつけた!」
「自分で……?」
困惑しているミーナを尻目に、俺はランドルフと対峙する。
「まだやるってのか小僧? 抗っても無駄だとなぜわからねえ?」
「勝手に勝ち誇ってろ。そういうやつの足元は簡単にすくえる。どんなゲームだってそうだ。勝った気でいるやつが一番弱い」
「チッ……そういうしぶてえとこがムカつくんだよ、人間はよ!」
ランドルフの連撃。手数を重視した攻撃は、しかし威力に欠ける。
最初の二、三発をパリィし、『燕返し』
ランドルフの毛皮が斬り裂かれ、真っ赤な血が舞う。
『戦神への供物』で敏捷ステータスが上昇したおかげで、攻撃と攻撃の間に武技を挟めるようになった。
「なにぃ……!」
驚愕と怒りにランドルフは歯を軋ませる。
「バカの一つ覚えだな。そんなワンパターン戦法で勝てると思うなよ」
「クソが!」
ランドルフが血の混じったツバを吐きかけてくる。
ピッと左手の剣が払い除けると、その隙を突いて右のフックが飛んできた。
遅い。
上体を反らして空振りさせ、『蜂針』でみぞおちを突く。
「がああああ! うぜえんだよ!」
イラつき始めたランドルフは咆哮を上げ、どんどん攻めが乱雑になっていく。
ぶんぶんと大雑把に振り回される腕を弾きながら、都度『燕返し』を叩き込んだ。
その間にも、ミーナとホルガーがザクザクと『闇討ち《バックスタブ》』コンボで体力とスタミナを削っている。
『呪毒状態』のせいで、俺の体力も減っていってはいるが、やつにダメージを与えれば、その分こちらもわずかに回復できる。おかげで、ギリギリのところで拮抗が保てていた。
だが、『戦神への供物』の効果が切れれば、それも終わりだ。
それまでに、なんとかやつの無限蘇生の攻略法を見つけなければ。
やつの『蘇生のタリスマン』を無効化する方法。タリスマン自体の破壊は不可能。完全にやつと一体化してしまっている。だが、タリスマンである以上、一度に装備できるのは1つだけのはず。なら別のタリスマンをやつに装備させるよう仕向ける。
敵に無理やりアイテムを装備させる。そんなバグはなかったか――。
その瞬間、俺の脳裏に電流が走った。
『キクラーゲンさんおつありでーす。次のレギュ? 何やろっかな。『初期レギュ』興味あるけどね。確かヴァンデラ瞬殺できるんでしょ、あれ? 『強制装備バグ』だかっての使って。ロマンあるよね。ま、デバイスもう一個買うのめんどいからやんないけど』
『強制装備バグ』それだ。
俺の『聖銀のタリスマン』のやつに強制装備させれば、『蘇生のタリスマン』は装備解除される。
蘇生する敵にしか使えないバグ。だが、今のランドルフはプレイヤーと同じ蘇生ギミックを持っている。つまり、使えるはず。
しかし、『強制装備バグ』が生きていたのは、本当に初期の初期だけだ。本当にできるのか?
この世界では、同じ初期のバグである『ゴブリンホイホイ』が有効だったが、『強制装備バグ』までは確証が持てない。
もし失敗すれば、『聖銀のタリスマン』すら失い、いよいよ勝ち目がなくなる。
単なる稼ぎとはわけが違うのだ。絶対に成功するという保証がないと実行には移せない。
いや――待てよ。大丈夫だ、いける!
一度目、ランドルフが復活したとき、辺りが不自然に静かになった。
あれはきっと『蘇生時音声消失バグ』だ。『強制装備バグ』と一緒に修正されたはずの『初期レギュ』限定バグ。
この世界でも、『強制装備バグ』は使用可能だ。
ようやく希望の光が見え、がぜん剣を振る手にも力が入る。
「ミーナ! ホルガーさん! 勝てる! こいつを倒せる! いい案を思いついた!」
「なんだそれは!」
「詳しくは説明できない! とにかく今は攻撃し続けてくれ!」
俺の自信に満ちた口調からなにかを感じ取ったのか。
ミーナはそれ以上は聞かず、黙ってうなずいてくれた。
彼女たちへの精神的な支柱になってくれれば、と思って口に出したセリフだったが、ランドルフにも火がついてしまった。
「畜生! こうなりゃ一か八かだ!」
『千疋狼』
ランドルフの肢体が膨張し、黒い影が溢れ出す。
追い込まれて焦ったのか? その技は効かないとわかっているはずだが。
疑問に思いつつ、俺は『挑発』で分身の動きを封じようとした。
だが、現れた分身は一体きりだった。
「さっきは出しすぎた! これで精度が上がる! もう操られることもねえ!」
「っ……! マジかよ!」
『挑発』は不発に終わった。
分身の動きは止まらず、それどころか本体のランドルフと連携して攻撃を開始したのだ。
超高速のラッシュ攻撃。『戦神への供物』のバフをもってしても、『燕返し』をしている暇などない。
「くううっ……!」
分身が一体なら『アスガルド』での経験が活かせるはずだった。行動パターンが一致しているからだ。
だが、やつは学習している。このバカの一つ覚えの小学生戦法が、俺に一番有効だと理解してしまった。
元々、この戦いにおけるランドルフの勝利条件は、俺のHPを削り切ることではない。ただ時間を稼げばそれでいい。
そうすれば、俺は『呪毒状態』で自動的に死に至る。
「ホルガー! 分身からだ!」
「はっ!」
ミーナたちが分身の方に攻撃を集中させているが、恐らく五秒足りない。
『燕返し』でダメージを稼がなければ、俺のHPは尽きる。
『戦神への供物』の効果時間も終わる。
「くっそおおおお……!」
諦めたくない。もう折れたくない。ミーナの前で無様は晒せない。
だが、じわりじわりと『呪毒状態』のスリップダメージが俺を蝕んでいく。
焦りでパリィをミスした。浅く胸元を裂かれる。
「今度こそ終わりだ、小僧!」
ランドルフが吠え猛り、爪を薙ぐ。
体力ゲージは残り一ミリ。ドット一つ分。残った時間は一秒。
だが、俺の目は服からこぼれ落ちたものに吸い寄せられていた。
お守り。
小さな麻の袋に紐をつけ、首から下げて持っていたもの。
袋が破れ、中身がひらりと宙を舞う。
それは、チラシの裏紙。現実世界から意図せず持ち込んだ、母親からの手紙だった。
『――ふみくんはやれば出来る子だって、お母さん信じてるから、もう一回だけ頑張ってみよう?』
……母さん。
瞬間、在りし日の光景が脳裏をよぎった。
『すごいねふみくん! よく頑張ったね! お母さんバカなのに、ふみくん頭いいね!』
小学校のテストで百点を取ったことを自慢したら、俺よりも喜んでいた母さん。
高校中退という経歴を気にして、いつも自虐していたっけ。
俺にとっては、そんなことどうでもよかったのに。
『ふみくん強い子だから、すぐによくなるよ。お母さん、今日はお仕事お休みするからね』
毎年インフルエンザにかかっていた俺を、母さんは嫌な顔ひとつせずに看病してくれた。
スーパーのパートという立場で、休むのは心苦しかっただろうに。いつだって母さんは俺を最優先にしてくれていた。自分のことなんてちっとも顧みずに。
『わかった。じゃあ、お家でゆっくりしててね。そういう日もあるよね』
高校に入って、初めて仮病で学校をサボった日。俺が引きこもり始めた日。
腹が痛いという見え透いた嘘を、母さんは疑わなかった。
いつか、俺が立ち直ると願っていたのだろう。
嘘つきでクズだった俺のことを、母さんは生まれたときから、ずっと信じてくれていた――。
「……母さん。ミーナ」
『私には貴殿の行動を規定する権限はない。命を捨てろなどとは口が裂けても言えない。
しかし、私はフミオが、困っている者を見捨てることができない男だと信じている。――卑怯な女と笑ってくれ。私にはこういう言い方しかできないのだ』
……ああ、そうだ。ミーナもそうだった。
怪しさ満点だった俺を、ミーナは善人だと信じてくれた。
それが、どれほどの救いだっただろう。
母さんの愛を、優しさを無視し続けていた俺の目を覚まさせてくれた。
母さんにはもう、会えないのかもしれない。恩返しも罪滅ぼしも敵わないのかもしれない。
なら、ミーナだけは。ミーナだけは裏切れない。悲しませたくない。
決めたんだろう。戦うと。もうクズには戻らないと。絶対に、一生をかけて守ると誓ったのだろう。
ならば果たせ。やり遂げろ。死力を尽くして戦い抜け――!
「う――うおおおおおおお――!」
武技発動。『火事場の馬鹿力』
体力が残り三十パーセント以下のときに発動でき、体力の残量に反比例して筋力と持久と敏捷にバフをかけることができる。
ただし、デメリットとして、効果時間中はHPがじょじょに減少していく。
『呪毒状態』のスリップダメージと合わせると、もはや自殺行為に等しい武技だ。
だが、構わない。あと五秒を稼げればそれでいい。
これは賭けだ。やつも『千疋狼』の成功に賭けた。なら、俺も勝負に出なければ勝ち目はない。
低リスクなガードパリィではなく、リターンの大きい『真パリィ』を使う。どうせパリィに失敗した時点で同じことだ。
降り注ぐランドルフの爪撃を力いっぱい弾き飛ばす。続いて分身の攻撃をパリィ。
ランドルフの次撃が来る前に、分身に『燕返し』さらにミーナの『闇討ち《バックスタブ》』が決まった。
分身が消滅し、本体にフィードバックが及ぶ。
がは、と血を吐いて、ランドルフがよろめいた。
「なんなんだ……なんだってんだよてめえは! なぜ諦めねえ! なぜ膝を折らねえ! どこにそんな余力が残っていやがった!」
「怖いからだ! 死んだらなにも守れない。約束も、大切な人も、何もかも! 失うのが怖いから強くなれるんだ! 強くなろうと思えるんだ! お前は空っぽだ! 自分の命すら惜しまないお前に、逆境で支えてくれるものなんて何もない! だからお前は弱いんだ! だからお前は負けるんだ! 俺に! 俺たちに! 人間に!」
「くっそがあああああ――!」
ランドルフが再び分身を出し、最後の猛攻撃を仕掛けてくる。
俺もやつも体力は残りわずか。二秒にも満たない刹那の間に、百を超える剣戟が繰り広げられる。
舞い散る鉄火の華。巻き起こる剣風が壁や柱に深い傷を残す。
勝敗を分けたのは、単なる運だったのかもしれない。
だが、なんにせよ、俺のHPが尽きるより先に、ランドルフのスタミナが底をついた。
すかさず『瓢風・六連星』でHPも削り切る。
「ミーナ! 薬頼む!」
俺はミーナが投げてきた回復薬の瓶を逆さにし、大急ぎで『火事場の馬鹿力』を解除した。
そして、『聖銀のタリスマン』の装備解除すると、ランドルフのリスポーン地点にダッシュした。
「決まれええええ――!」
ランドルフが復活する間際、俺は『聖銀のタリスマン』を握り込んだ拳を、ランドルフの胸あたりにねじ込んだ。
「ぎ――ぎいやあああああ!」
完全に再出現したランドルフが、血も凍るような雄叫びを上げながら転げ回る。
『聖銀のタリスマン』は、獣人系の種族に対する特効を持つ。
装備しているだけで、やつにとっては猛毒に等しい代物だ。
ぶっつけ本番だったが『強制装備バグ』は成功した。
「なんだこりゃあ! 取れねえ! ぐおおああ痛え! 痛え! 痛え!」
必死に胸を掻きむしり、『聖銀のタリスマン』を取り出そうとするランドルフ。
だが、肉体の奥深くに埋め込まれたそれは、爪を突き刺しても掘り起こすことはできなかった。
「な、なんでだ! 俺のタリスマンはどこに……!」
あちこちを見渡すランドルフの目線が、床のある一点で止まった。
『蘇生のタリスマン』だ。
俺とランドルフが、ほぼ同時に飛びつく。
しかし、『聖銀のタリスマン』で弱っていた分、僅差で俺が競り勝った。
剣先で『蘇生のタリスマン』をはたくと、タリスマンはパキッと真っ二つにへし折れた。
少し、いやかなりもったいないが、やつに渡すよりマシだと思うことにしよう。
そこで動く力がなくなったのか、ランドルフはその場に崩れ落ちた。
「た、助けてくれ! わ、悪かった! 小僧! お前を認める! 俺の部下にしてやる! 仲間もだ! 特別に助けてやってもいい! だから、こいつを外してくれ……!」
哀れに命乞いをするランドルフに、俺は冷たく言い放った。
「なに言ってるんだ、お前は。逆だろ普通に考えて。お前が手下にしてくれって頼むもんだろ。なんでこの期に及んで上から目線なんだよ。そういうところだぞお前。人をバカにするのもいい加減にしろよ」
「わ、わかった! 手下になる! 手下になるから助けてくれ!」
「断る。お前は悪趣味だから人として嫌いだ」
「がああああ! クソおおおお! ミーナあああ! 父親のことは謝る! 食って悪かった! 反省してる! だから助け――」
「悪いと思っているなら死んで詫びろ外道。貴様が食らった者たちと、その縁者の苦しみを万分の一でも味わってから逝け」
「な、なら、せめてとどめを……こんな死に方は嫌だ。せめて戦士として殺してくれえええ……」
哀れっぽく懇願するランドルフに、俺はほんの少しだけ同情してしまった。
敵とはいえ、命を賭して渡り合った相手だ。これ以上情けない有様を見たくないという気持ちがある。
俺はミーナと顔を見合わせ――ミーナが肩をすくめて同意を示したので――剣を携えてランドルフに近寄った。
「一撃で首を落としてやる。動くなよ」
「た、頼む……………………なんてなあ! てめえも道連れだ!」
突如、バッタのように飛び跳ねたランドルフが、首元に食らいついてくる。
しかし、さすがに俺も警戒していたので、軽く片手でパリィした。
「そういうところだっつってんだろ!」
とどめの『臓物潰し《ストマック・ブレイク》』で腹をかっさばく。
身体を半分に断ち割られたランドルフは、べしゃりと床に落ちると、もがき苦しみながら消えていった。
その清々しいほどの首尾一貫としたクズっぷりには、潔さすら覚えないでもない。
念のため、リスポーン地点周辺で出待ちしていたが、ランドルフが復活する気配はなかった。
「やっと、終わった……」
俺は武器を取り落とし、その場にへたりこんだ。
もう、一秒たりとも立っていられなかった。
死を鼻先に見つめながら戦うことの緊張感の凄まじさたるや、この数十分で十年分は老けたような気がするくらいだ。
「フミオ……!?」
「いや、平気。ちょっと疲れただけ……」
走り寄ってきたミーナに、精一杯の笑顔を見せたが、たぶん頬が引きつっているようにしか見えないだろう。
無理をしすぎたせいか、全身が余すところなく痛みの信号を発している。明日以降は筋肉痛で地獄を見るに違いない。
「あまり無茶をするな、馬鹿者。死んでしまうかと思ったぞ」
「それはごめん」
「まったく……」
小言を述べたあと、ミーナはそっと俺の頭を抱きしめてくれた。
「……ありがとう、フミオ。お前のおかげで、仇を討てた。感謝してもし足りない」
「いや、皆のおかげだよ。俺一人の力じゃ絶対に無理だった」
「だが、鍵となったのはお前だ。お前は私たちに、この世界に抗う術を教えてくれた。お前こそが、きっと人類の救世主なのだ」
「大げさだって……俺なんてただの引きこもりのクソニートだよ。たまたまゲーム知識が噛み合っただけで」
すると、ミーナが俺の肩を掴み、じっとにらみつけてきた。
「素直に誇れ。私の男を悪く言うな」
「……はい。俺は凄いです」
「そうだ。お前は凄いぞ。よく頑張った。偉いな」
「だから、子ども扱いは……」
無理やりよしよししてこようとするミーナの手から逃れようとしていると、ホルガーに回復してもらっていたクルトとエーリカが申し訳なさそうにやって来た。
「すいません、俺たち、ぜんぜん役に立てなくて……」
「不甲斐ないです……」
「そんなことはない。お前たちは立派に戦った。役割を果たした」
「でも……」
「自分を許せないと思うなら、もっと鍛錬しろ。そして、次の戦いに活かすのだ」
「「……はい!」」
決意を秘めた目で返事をする二人。
あまり活躍できなかったのは不本意かもしれないが、俺としては生き残ってくれただけでもよかったと思う。
特にクルトだ。手加減をされていたエーリカよりも深手を負っていたのに無事だったとは。
こいつはきっと強くなる。いずれは、俺よりもずっと。
と、俺は彼らが戦いの前にしていた約束のことを思い出した。
「そういえば、キスするんじゃなかったのか? クルト」
「いや……そんな気分じゃないッスよ。肝心なときに白目剥いて伸びてただけとか、男としてダサすぎるっていうか……もっと武勲を立てたときにってことで」
「……だそうだけど、エーリカ。どう思う?」
「ヘタレ」
「んだとぉ!?」
いつもの痴話喧嘩が始まったので、ミーナが苦笑しながら二人を制した。
「続きは私の家でたっぷりやれ。……さあ、帰るか」
「うん、帰ろう」
俺はミーナと頷き合った。
全員無事に生還できたことの喜びを噛み締めながら。
まだ日は高い。夜になる前には、ミーナの屋敷に戻れるだろう。
暖かな太陽の下、俺たちは元きた道を歩いていった。
◆