第9章 最終決戦前
明らかになったエレノアの死。それは青の国、赤の国、どちらにとっても衝撃的なことだった。しかし、その影響の現れ方に関しては両国で大きな違いがあった。デメリットしか見つけられない赤の国と違って、青の国はそれを利用することができるのだ。
「ジョーは我が姉エレノアを誑かし人質同然の扱いをしただけでなく、こともあろうに王族である姉を殺害しました。これは許せることでしょうか?
いいえ、許せるわけがありません! 残された我々青の国の民はエレノア元女王の仇を討たねばならないのです。それが人としてあるべき道でありましょう。それなくして青の国に未来はありません。
今こそ、我々はすべての力を結集して、国賊ジョー及びその国賊に従う愚かな赤の国の兵達を打ち倒すのです。我々には命賭けて悔いのない大義があります。この戦いはエレノア姉様の弔いなのです!」
青の国に戻ったはいいが、エレノアの死とヘイトリオンの狂悪・狂烈さに混乱しまくる青の国の兵士達。その精神的に不安定な者達を前にして、ミリアの演説が迅速に行われた。ミリア自身、方便と感じる部分がその言葉の中には多分にあったが、彼女はそれをおくびにも出さずに、始終使命感を漂わせてそれをやり遂げた。
そんな彼女の言葉は真実として兵達の心に響き、彼らの魂を震わせた。ミリアは兵達の心にあったヘイトリオンへの恐怖を忘却させ、エレノアの死に対する悲しみを丈に立ち向かうための闘志へと変換させたのだ。
かつてないほどに士気を高める青の国の兵達。その勇ましい鬨の声を背にしてミリアは中庭に面したバルコニーから離れ、颯爽と城の中へと戻って行く。
一仕事終え、外に溢れる兵達から見えなくなったところで、ほっと一息吐くミリア。その少し前方、狭い通路の中に、腕組みをして壁にもたれかかっている椎名の姿があった。
しかし、その顔はミリアの方を向いているでなく、俯きぎみにただ壁と地面との狭間辺りに向けられている。
椎名の姿に気づき、ミリアの歩き方が女王のそれから少女のそれに変わる。
すれ違い様、「たいした役者ぶりだな」そんな軽口を期待する。「まあね。これでも女王だから」そんな応えを用意しつつ。
だが、椎名の前を通っても椎名からは何の声もかけられなかった。それどころか、顔はもちろん視線さえミリアの方に向くことなく、ただ意志の光の見えない瞳が意味もなく下を向いているのみ。
ミリアは通りすぎてから慌てて振り向く。
「何よ! なんの感想もなし!?」
腰に手をあて前に身を乗り出した姿勢で、少し怒ったようにそんな言葉を吐こうとする──が、それはぎりぎり口元で抑えられた。
「……シーナ?」
ここにきて初めてミリアは椎名の様子がおかしいことに気づいた。その態度や雰囲気だけでなく、ラブパワーにもいつもの力強さがない。ミリアは自分の注意力のなさと器の小ささに情けなくなってきた。
(──どうして今までこのシーナの変化に気づいてあげられなかったのか。兵士達が動揺しているならシーナだって同じ様に動揺するに決まっている。なのに私は兵士達のフォローのことだけに気を取られ、シーナのことを放ったらかしにしてしまっていた。シーナを私と同じ種類の人間だと勝手に思い込んでしまっていたのか。私はシーナといることで、緊張の緩和を行ってきていた。でも、シーナは私といてもそれができていなかった。……いや、それよりも、エレノアの死、そしてそれを行ったのがシーナのよく知るジョーだったという事実が与える影響が大きすぎたというべきか。私はエレノアがこの国を捨てた時点で姉と思うことをやめた。けど、シーナはその後もエレノアに想いを持ち続けていた。それは私にもわかっていたこと……。それがわかっていながら、私はそのことの重要さを考えずにいてしまった。……もしかして、私自身がエレノアに対するシーナの想いを認めたくなかったということなの!?)
「……ミリア、ちょっと話がある」
ミリアにとってはとても長い沈黙の時間に思えた。だが実際にはミリアが呼びかけてから椎名が口を開くまで三秒と経っていない。
椎名の背が壁から離れる。ミリアを追い越し先に進む椎名。ミリアはその背中を見つめながら黙って椎名の後に続いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「で、話ってなに?」
椎名の部屋へと連れられてきたミリアは、椅子に腰を下ろし、努めて明るくそう切り出した。椎名の方は窓の横に立ったまま、ミリアに背を向け、外に視線を落としている。
「……あの女王親衛隊長のヘイトリオンだが――」
エレノアのことだと思っていたがまずそちらから来たか、とミリアは表情を変えずに心で思う。
「ミリアも見ただろ、あの禍々(まがまが)しい黒い輝きを」
「ええ。はっきりとこの眼でね」
「……あれと同じものを俺も使ったことがある」
「えっ!?」
それは予想もしなかった告白だった。椎名が思い悩んでいること──それに関してはいくつか思い当たる節があったが、このような展開は頭の片隅にもなかった。
「一度目は、あれはジョーが裏切った後、俺達が最初に攻め込んだ時。……あの時はまだミリアはいなかったっけ。……その戦いで俺の剣は、ヘイトリオンと同じ黒く輝く剣に変化した。あの不気味で凶悪な剣に……。その力で俺はルフィーニのラブリオンの右腕をラブブレードごと斬り落とした。……二度目はクィーンミリアでキングジョーを迎え撃った時。あの時も黒い剣に突然変化して……、その時、俺はルフィーニを殺してしまった」
「…………」
ミリアは言葉もない。
「ヘイトリオンは憎しみの心を糧にするんだろ?」
「……ええ」
「俺もあの時憎しみに捕らわれてたんだな。……俺はルフィーニに好意を持っていた。愛してたとまでは言えないかもしれないけど、好きだったのは確かだった……と思う」
ほかの女の子を目の前にして自分は一体何を喋っているんだろう──混乱している椎名の思考の中でもまだ冷静な部分がそんな感慨を持つ。恥ずかしい椎名は、ミリアの方を向けるはずもなく、なおも背を向けたままで、照れ隠しに意味もなく指を窓に触れさせた。
「……でも、ルフィーニが見ていたのは俺じゃなかった。彼女の瞳に映っていたのは、いつもジョーだった。そのせいで俺はルフィーニさんと戦うはめになって……、戦ってる最中もルフィーニはジョーのことばかり考えていて……。だから俺の憎しみが爆発したんだろうな。いつも俺の好きな人に愛されるジョー、そして俺の気持ちに少しも応えてくれないルフィーニに対する憎しみが……」
「……シーナ」
思慮深く聡明なミリア。適応力、分析能力、判断力も優れている。そんな彼女に圧倒的に不足しているもの──それは経験だった。その中でも特に実践できずにいるのが恋愛に関する経験。そのため、今のミリアにはシーナにかける言葉がいくら頭をひねっても浮かび上がってこない。
「剣だけで済んだのは幸運だった。俺も女王親衛隊長みたいになってもおかしくなかった……。いや、次に戦えば絶対にああなる気がする。なにしろジョーの奴はエレノアを……」
爪が食い込んで血が出てきそうなほどにきつく握りしめられる椎名の拳。
(怖いのね……)
椎名が苦しんでいたのは、想い人をなくした悲しみでもなく、女王親衛隊長のヘイトリオンに対する恐怖でもなかった。……いや、それらも確かにあったが、それ以上に自分がヘイトリオン化することへと恐怖と、自分自身を破滅させるほどに友達を憎んでしまっている今の自分の心に苦しんでいたのだ。
(仇討ちということで今、兵達の士気は上がっている。その中、ここでシーナが抜けるのは痛い。シーナ自身の戦力はもちろん、シーナが抜けることによる士気の低下がもっと辛い。でも、今のシーナに戦えというのは酷というもの。それに、シーナがヘイトリオン化して味方に被害が出るようなことになれば、勝てるはずの戦いも勝てなくなる……)
そこまで考えてミリアは自分が嫌になった。何故こんな時に冷静に戦闘の有利不利を考えてしまうんだ、と。
(可愛くないな、私って)
自嘲気味に肩をすくめる。
(たまには頭でなく、心で行動させてよね)
「シーナ、今度の戦いはあなたはブラオヴィントに乗らなくていいわ。姉さんの死が明らかになって赤の国は動揺しているはず。姉さんを殺した張本人であるジョーがそれをまとめられるとは思えない。今の私達の力ならシーナの力を借りなくても十分に勝てるわ」
「……だけど」
「もうこれ以上知り合い同士で殺し合いはさせられない。それに、シーナをヘイトリオン化させるわけにはいかないもの……。あなたはクィーンミリアの中にいて……、私の隣にいて……」
気がついた時には、ミリアは椎名の背中に顔を埋めていた。その手は腰に回され椎名を後ろから抱きしめている。
「ミリア!?」
いきなりのことに椎名はひどく驚き慌てた。なにしろ、女の子にこんなことされた経験などいまだかつてなかったのだから。
しかし、その驚きは椎名一人のものではなかった。それを行ったミリア自身、自分で自分の行動に驚愕していた。いつも頭が先に立つのに、この時ばかりは体が勝手に動いていたのだ。
気恥ずかしさでいっぱいのミリアは我に帰るや否や椎名から離れようとした──が、やっぱりやめた。
(もうちょっとこのままでいたい……)
もはや失われたと思っていた女王でない瞬間。それが再び自分の前に突然現れた。いや、再びという表現は少しおかしいか。道化を演じていた時には、こんなにも頭がぽーっとして動悸が激しくなるようなことはなかった。女王をやっている時の緊張感からくるドキドキともまた種類が違う。
(ジョーならこんな時の対応はお手のものだろうに……)
椎名は椎名で、真っ白になりそうな頭でそんな勝手なことを思いつつ、どうしたものか考える。
「……ミリア。俺、やっぱ戦うわ」
そして出てきたのはロマンティックの欠片もない言葉。
「ミリアが気遣ってくれるのは嬉しいけど……いや、そのおかげで決心できたんだが、ジョーとの決着はやっぱり俺自身の手でつける。そうしないと、俺自身が前に進めない気がする。それに、……今の俺なら憎しみだけに捕らわれたりしないように思えるし」
負けん気が強いくせに、うぶで自分の気持ちを表に出すのが苦手な不器用な男。でも、不器用なりに言葉と言葉の間に伝えたい気持ちを忍ばせておく。相手に知ってもらいたいけど、知られるのは恥ずかしい。だから、相手にわからないような表現をしてしまう──時には相手だけでなく自分にもわからないような表現を。
けれど、ミリアは椎名の不器用な純情さを知っている。付き合いはそれほど長くなかったけど、その内容は深かったと思える。だから、ムードのでるような飾った言葉を使ってもらわなくても十分だった。むしろ、そんな言葉でなかったから良かった。
「……わかった。頼りにしてるからね」
意外に広かった背中からそっと顔を離す。
それで年頃と男の子と女の子の時間は終わりを告げた。二人の表情が戦士と王のそれに戻る。
◇ ◇ ◇ ◇
着々と弔い合戦の準備を進める青の国。
一方の赤の国は、エレノアの死により混乱に陥り内部分裂寸前──かと思いきや、実際にはそうなってはいなかった。
「エレノアは青の国のスパイだった」
とても信じられそうに噂だったが、丈は兵士や国民の間にその噂を流させた。もちろん巧みに情報操作を行って。そして皆が疑心暗鬼になったところで、丈自らが、噂が事実であることを認める会見を開いた。だが、そうやったとしても普通ならとても信じられるものではないだろう。しかし、それでも人心を掴むことができたのは、やはりひとえに丈の強大なラブパワーがあったればこそである。
また、噂に尾ひれはつきも。丈が何もせずともいつの間にか、エレノアは赤の国の軍事秘密を、内通した兵士と共に持ち出そうとしたところを撃たれただとか、実はエレノアはすでに青の国に戻っていてミリアを影で操っているだとかいう話が巷で囁かれ出してもいる。丈はそれを否定するようなことはしなかった。そういう噂が流れるということは、それだけ嘘が真実味を持って捉えられてきたということであり、何よりその噂によりエレノアの死という厳然たる事実がいくらかうやむやにされるのだから。
「これでなんとか青の国と戦えるようになった。……しかしこれ以上の戦力の浪費は、ほかの国に対抗する力をを失うことになる」
その言葉に応えてくれるものは誰もいない。エレノアもルフィーニも、もうすでにいないのだ。
「いい加減、次でケリをつけねばならんな」
たった一人だが、孤独は感じない。丈の孤独は今に始まったことではないのだから。
それに、丈には大いなる目的があった。その目的に向かって突き進んでいる間は、この孤独とてただのプロローグにすぎない。輝くエピローグを迎えるためなら、孤独などなんでもない。
月の光だけが差し込む暗く静かな自室で、丈は決意の色を秘めた瞳を輝かせて椅子から立ち上がった。
◇ ◇ ◇ ◇
青の国と赤の国の国境近くにある平原。主となる水源がないがために、開発はされてこず、住む者もほとんどいない。だが、今、その地には、かつてないほどの人間が集まって来ていた。──空を埋め尽くすほどの機械の群と共に。
青と赤の国、双方共にここで雌雄を決すべく最大限の戦力を投入してきた。このマシン群を見れば両国の王の意志の固さが容易に見て取れる。このことからも、今回の戦いの勝者は一方だけ。敗者の国が歴史から姿を消すことになるだろうということが伺い知れる。
『皆の者、よく聞きなさい。この戦いはエレノア姉さんの弔い合戦です。ここで姉上の仇を討たずして、どうして国に帰ることができましょう。いいですか、この戦いは我々の意地とプライドを懸けた戦いでもあるのです。我々が勝利するまで、この戦いが終わりはしないことを肝に銘じておきなさい』
戦いをもう目の前にして、最後のミリアの声が通信機を通してすべての兵士に届けられた。もはや彼らの心には一欠片の恐れも不安もない。ただ、ミリアの指揮の元、エレノアの無念をはらすべく戦うという一つの意志にまとまっていた。
『シーナ、これで終わりにするわよ』
部隊長であるシーナの元へ、専用回線でブリッジのミリアの声が届けられる。
「わかってる。ハナからそのつもりだ」
応える声は、気合い十分。
『でも、憎しみに心を奪われては駄目よ』
「大丈夫だ。ミリアの愛で守られている俺にヘイトリオン化はない」
誰が誰を愛してるっていうのよ、そんな返しを期待というか予想してのいつもの軽口。少なくとも椎名はそのつもりだった──が、
『そうね。シーナが私のこの燃えるような愛を感じていてくれる限り、大丈夫よね』
「…………」
予想だにしなかった、慈しみと照れとが入り交じったようなリアルな返答に、こういう場合の対処マニュアルが頭の中にない椎名は言葉を失ってしまった。
『……冗談よ。もう! ノリが悪いわねぇ。俺もキミを愛しているぜ、くらい言ってよ』
「す、すまん。あまりにも役者だったんで、マジかと思っちまった」
二人がそんなやりとりをしているうちに、進む先に真っ赤な空が見えてきた。黄昏──ではない。現に太陽はまだ南の空高くに輝いている。その赤い空の正体は──空を埋め尽くすほどの赤いラブリオン!
「……ジョーの奴、本気だな」
だが青の国の軍勢とて負けてはいない。ミリアはエレノアの弔い合戦であるこの戦い以上に味方の士気を高揚させられる機会はほかにないと判断し、ここを最終決戦場にすべく出せるだけの数を揃えてきているのだから。
『皆の者、ここまで来てはもう作戦も何もありません! いらぬことは何も考えず、とにかく目に映る敵をすべて叩き伏すことだけに集中しなさい!』
全兵に伝えられるミリアの声。それはもちろん椎名にも届いた。
だが、椎名はミリアが全く何の考えもなしに戦うほど楽観主義者でないことを知っている。ミリアの言葉が、兵士達をただ戦いだけに集中させるためのものであることくらいは見抜ける。そしてその裏に、戦況はすべて自分が見極め、戦略も戦術もすべて自分が決めるというミリアの強い意志をしかと感じた。
「いよいよだな、ミリア」
『ええ』
さすがの二人の声にも緊張が感じられる。
『キングジョーは私が絶対に沈めるわ。たとえ、この艦で特攻してでも。……だから、ジョーのドナーは任せたわよ』
「おおよ! ジョーとの因縁はここですべて終わりにする」
『でも、くれぐれもヘイトリオン化だけは……』
「わかってる! そっちこそ無理はするなよ」
ウインク一つ残して、ブラオヴィントが先陣を切ってクィーンミリアから発進した。
◇ ◇ ◇ ◇
「……出たか」
キングジョーのブリッジで椎名の出撃を確認した丈がシートから立ち上がった。
(できるなら、出てきて欲しくはなかったが……)
「キングジョーは常にクィーンミリアと距離をとれ。攻撃はラブリオンに任せて、その援護に集中すればいい。クィーンミリアはオレが沈める。……後は任せたぞ」
クルー達の方を向くことなくドアの方へ歩を進める。
丈はブリッジで指揮だけを執っているわけにはいかなかった。赤の国の兵は、いわば丈のラブパワーに魅せられて付き従っている者達。その者達の戦意をかき立てるためには、丈自身がラブリオンを駆って先頭に立って戦う必要性がある。特に、今回のようにエレノアの死、ヘイトリオンという不安の要素が兵達の中にある時は余計に。
(クィーンミリアさえ潰せば戦いにケリは着く……だが、その前にはシーナが立ちふさがるな、確実に……。)
「ちっ! シーナのバカが」
ブリッジを出る際に、誰にも聞こえないような小さな声で吐き捨てられた丈の呟き。クルーの中には聞き取った者もいたが、それを気にするものはいなかった。
そして、この世界の歴史においても最大のラブリオンによる会戦の火蓋が切られた。
次回が最終話になります。




