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第7章 エレノアの想い

 前回の戦いによるラブリオンの被害量は同程度。だが、赤の国は柱の一人であるルフィーニを失った。それを考慮すれば、赤の国の方が損害は大きいといえないこともない。しかし、そんな被害うんぬんよりも大きな問題が赤の国にはあった。

 青の国に比べ、新興国の赤の国は生産力が大きく劣っている。それはイコール回復力の差。

 完成したばかりの上に、中心となって戦った戦艦型ラブリオン・クィーンミリア。その被害は決して小さくはなく、キングジョーに数倍した。だが、それにもかかわらず、青の国は、赤の国がキングジョーを完全修復するより先に、クィーンミリアを修復したうえ、完璧でなかった兵装も艤装も終え、さらにラブリオンの補充をも行うことができた。

 それはミリアの指揮による効果もあったが、何より両国の地力の差の現れであった。

 ジョーには早急にその穴を埋める手だてを講じなければならないのである。


「偵察に送った者からの連絡によると、青の国はすでに軍の整備を終えたそうです。おそらく、二、三日中にはこちらに攻め込んでくるでしょう。下手をすれば、すでに軍を動かしているかもしれません。あなたの妹君ならば、それくらいやってきてもおかしくはありませんから」


 丈とエレノアは二人きりでエレノアの部屋にいた。大事な話があると、丈が出向いたのだ。


「……こちらの状況はどうなのです?」


「出撃できるラブリオンは、前回の戦いに出した数の七十パーセントといったところです」


「わずか七割ですか……」


「青の国とて、百パーセントにまで戻せたわけではないでしょう。ですが、九割は確実に整えているとみて間違いありません」


「勝算はあるのですか?」


「ミリアとシーナを相手にこの戦力差。普通に戦えば、まず勝ち目はありません」


「そんな……」


「ですが、手がないわけではありません」


 丈はエレノアの青い瞳を正面から見つめた。いつもは秋の空のようにどこまでも澄んでいるその瞳は、今は都市部と面する海のように透明度を失っている。


「エレノア女王、あなたが協力してくださるのならば、活路は開けます」


「私がですか? ジョー様のお役に立てるのならば、どんなことでもさせていただきますが……」


 その気持ちに嘘はない。語尾が消えゆく弱々しさは、偽りの心によるものではなく、自分などで果たして役に立てるのかという思いからである。


「ありがとうございます、女王陛下」


 丈はエレノアに自分の考えの説明をした。エレノアは多少の驚きもあったが、丈の考えを理解し、彼の言葉に頷いていく。だが、彼女には不満があった。それは、丈が自分に女王として接していること。

 自分は国を捨てて、赤の国にやってきたただの一人の人間にすぎない。赤の国においては、自分は女王でも何でもないのだ。にもかかわらず、丈は自分を女王として見ている。先の言葉も、今の説明も、すべて女王相手のもの。そこには礼節は存在するが、一個人と一個人との親しみといったものは感じられない。それが丈と自分との隔たりを実感させ、エレノアを不満にさせる。


「──ということです。よろしいですか、エレノア女王」


「……はい」


 エレノアの同意を得ると、丈は満足げにうなずき、静かに立ち上がった。そして、エレノアには未練がないとでもいうかのように、一礼するとあっさりとその場から退く。


 その背中を見送りながら、エレノアは音のない溜息を()く。だが、ドアを出ようという時、丈は足を止め、首だけを振り向かせ柔和な顔をエレノアに向けた。


「頼んだよ、エレノア」


「は、はい!」


 もうかけられることはないと思っていた言葉に、エレノアは裏返りかけた声で慌てて返事をする。その声の滑稽さを気恥ずかしく思いはしたが、それ以上に嬉しさがこみ上げてきた。今の瞬間、自分と丈とが対等の存在であったとはっきりと感じられたからだ。女王とか、異世界の人間とか、そういったしがらみの全く関係ない、一人の人間と人間。そんな空気が空間を支配したのがエレノアには見えた。

 丈が部屋から出て行っても、エレノアはそれにも気づかず、誰もいないドアをぽわぁっとしながら見つめ続けていた。


◇ ◇ ◇ ◇


 その二日後、青の国が赤の国に攻め入ってきた。赤の国も国境付近まで出て、それを迎え撃つ。ラブリオンの数では、割合にして四対三で青の国が有利。


「戦力はこっちの方が上だ! ここでケリを着けるぞ!」


 息巻く椎名を先頭に、青のラブリオンが怒濤のごとき勢いで攻め上がる。

 ミリアは、いつもは守り専門の女王親衛隊を今回は引き連れてきていた。というのも、前回の戦いにおいて最も統制がとれており、ミリアの指示を的確に遂行したのはこの部隊であったからだ。シーナが始終抑えられていたあの戦いで、勝利したとはいえないまでも負けはしなかったのは、彼らの活躍があったればこそである。


「クィーンミリアはキングジョーにだけ集中する。女王親衛隊はその援護を」


 敵の中心はキングジョーとドナー。ミリアはドナーを椎名に任せ、自身はキングジョーを何が何でも仕留める決意を持ってこの戦いに臨んでいた。


◇ ◇ ◇ ◇


「ミリアの奴、さすがにいい指揮を見せているな。エレノア女王、やはりあなたの力が必要なようです」


「はい。この状況を打破できるのならば、どんなことでもするつもりです」


 丈とエレノア、二人がいるのは、いつものブリッジではなかった。丈がいるのはドナーのコックピット。そして、エレノアがいるのは、ドナーの隣に立つ王族専用の儀礼用ラブリオンの中。エレノアが青の国を脱出する際に乗ってきたものである。

 儀礼用だけあって、そのラブリオンにはほかのラブリオンにはない装飾が施されており、その美しさは芸術品の域にまで達している。それは見る者をして、まさに女王が乗るに相応しい機体だと思わせずにおかないほどの神々しさである。

 だが、その代わりと言ってはなんだが、このマシンは戦闘力に関してはほとんど期待できなかった。装飾が邪魔で戦闘向きでなく、武器も見掛け優先で実用性は乏しいときている。戦闘のために作られたものではないのだから、当然といえば当然なのだが、丈はエレノアにそのラブリオンを実際の戦闘において使わせようというのだ。


「行きますよ、エレノア女王」


 いつも通り他人行儀な丈の言葉。だが、エレノアは知っている。自分を一人の人間として対等に見てくれるもう一人の丈を。それを知っているからこそ、今の丈の中にある温かさを感じることができる。


「はい!」


 エレノアは力強くうなずくと、ラブリオンを発進させた。丈のドナーがそれに付き従うように続く。


◇ ◇ ◇ ◇


 ラブリオンの大軍、大群、隊軍、帯軍、対軍、耐軍、待軍、退軍、逮軍、諦軍。

 至る所で、光が飛び交い、火花が散り、爆発の花が咲く。

 ミリアの乗るクィーンミリアを中心とした堅固かつ強靱な青の軍は、数の上でも有利なこともあり、赤の軍を押していた。


「行けるぞ! このまま押し切れ!」


 丈のドナーが出ていないことを気につししも、部隊の指揮を執りながらブラオヴィントが数機のラブリオンを葬り去る。ミリアが軍全体の指揮を執ってくれるので、丈と違い椎名はミリアの指示に従って自分の小隊を動かすだけで十分だった。


「深紅のラブリオン! 出たなジョー!」


 キングジョーから新たに発進したラブリオン群。その中に、椎名は目ざとくドナーを発見した。赤の国のラブリオンの中でも際だつそのマシンを見つけることはそう難しいことではない。だが、この時は、それ以上に目立つラブリオンがドナーと共にいた。椎名以外の者は、ドナーよりも先にそのラブリオンに気づき、動揺した。椎名も、ドナー発見のすぐ後にそのラブリオンの存在に気づき、絶句する。

 赤のマシン群の中で、どこまでも透き通っていく青い海のような清らかさを持ったラブリオン。王たる威厳を示す飾り付け。そしてそのラブリオンから発散される誰もを跪かせるほどに高貴なラブパワー。──それはエレノア専用のラブリオンだった。


「エ、エレノア女王!? 何故!?」


 鬼神のごとき攻めを見せていたブラオヴィントの足が止まる。いや、動きを止めたのはブラオヴィントだけではなかった。青の国のラブリオン、赤の国のラブリオン、双方ともにほとんどのマシンが一時争いをやめ、エレノアのラブリオンに注目する。


「赤の国の勇敢なる兵達よ。元我が祖国、青の国のことで皆には迷惑をかけます。しかし、大義は我らにこそあるのです。今こそ、我らの力を集中して、青の国の悪しき心を挫き、その目を覚まさせ、正しき方向に導こうではありませんか。皆だけを危険な目にあわせはしません、このエレノアも皆と共に戦います。ですから、皆の命、この私に預けてください」


「聞けっ、青の国の者たちよ! お前達にはどちらに大義があるのか見えぬのか! エレノア女王の高き志しがわからぬのか! ミリア王女を立て、傀儡の国事を行っている真の悪に気づかぬのか! お前達はそれらすべてを見て見ぬふりをして、お前達の目を覚まさそうとしているエレノア女王に剣を向けるというのか!!」


 エレノアの言葉の後に続くジョーの叫び。

 皆の心を衝撃が貫く。だが、赤の軍と青の軍とではその衝撃の種類が違った。

 赤の軍はその衝撃により戦意をかき立てられ、女王のためならば死んでも構わないとさえ考える。それとは逆に、青の軍は戦意を一刀両断された。そして真っ二つにされた後、更にミキサーにかけられて粉々にされた。

 元とはいえ、今でも自分達の中では女王として位置づけられているエレノア。彼女が敵として自らラブリオンを駆って出てきて、更に自分達を賊軍と言い切ったのだ。これで動揺しない者がいたら、それはどこかの国の間者である。

 青の国の兵達のラブパワーが霧散するのが椎名やミリアにははっきりとわかった。


「まずいぞ、これは!」


 エレノアの出撃により動揺する青の軍は、今まで以上の力の顕現を見せる赤の軍に圧倒され始める。その一方的な戦いを目の当たりにし、椎名はすぐに撤退を考え始めた。だが、その椎名のブラオヴィントに斬りかかるラブリオンが一機──


「シーナ、落ちてもらいます!」


 キレのない動きから放たれた一撃。それは、丈やルフィーニと熾烈な戦いを繰り広げてきた椎名には、かわすのに造作もない攻撃だった。回避しながら、相手のスキをついて十分に撃破できる程度の動き。

 だが、椎名にそれはできなかった。


「エ、エレノア!?」


 そのラブリオンは、エレノアの乗るものだったのだから。

 青の国の人間にエレノアを落とすことはできない。いくら元とはいえ、女王は女王。彼らに王族殺しをしろというのは無理な話だった。もし、それができる人間がいるとすれば、その妹であり現青の国の女王であるミリアと、もう一人、この世界の人間ではない椎名だけであろう。

 だが、椎名にそれをしろというのは酷な話である。なにしろ、椎名はエレノアに対して少なくない好意を以前から抱いているのだ。それは、彼女が丈の元へ下った今でも。


「やめろ、エレノアさん! 俺はあなたとは戦いたくない!」


「ならば、黙って死んでください!」


 絶句。この人からかけられるとは夢にも思わなかった言葉が、椎名の心に突き刺さる。


「……人を、人を勝手に呼び込んでおいて、その上勝手に寝返って……それで今度は死んでくださいかよ!!」


 腹立たしいというよりも、哀しかった。


(俺は何でここでこうして戦っているんだろう。そんなに俺が邪魔なら、俺を元の世界に戻してくれ。方法がないなら、探してくれ。それよりも、そもそも俺なんか呼ばなければ良かったんじゃないか)


 椎名のラブパワーが、風船の口を開いたように急速にしぼんでいく。

 いくら椎名が技術を身につけていようと、ラブパワーがなくては、ラブリオンの動きは極端に鈍る。ラブパワーだけなら、今やエレノアの方が遙かに上回っていた。


「シーナのラブパワーが……今なら私でも!」


 ブラオヴィントに斬りかからんとするエレノア。しかし、そこに無数のラブ光が降り注ぎ、それを邪魔した。側にいるブラオヴィントをも、そのビームは巻き込んでいるが、威力は落としてあるらしく、被害はほとんど見当たらない。それは、エレノアの動きを阻害する、牽制が目的の攻撃だった。


「シーナ!!」


 呆然自失の椎名を元の世界に戻すミリアの鋭い声。ビームの嵐は、クィーンミリアから放たれたものだった。


「あなたは私のために戦いなさい! あなたがそこにいる理由は、私を守るため。私の望みをかなえるため!」


「……ミリア」


「お願い……、今は私のために戦って!」


 しぼんでいた風船が急激に膨れ上がる──風船という殻を破裂させる程に。椎名の瞳に戦意の炎が再燃した。


「すまない、ミリア! 俺としたことが動揺した」


「今回はいい。でも、次からは心配かけさせないで」


 年下のミリアに年上のように振る舞われ、椎名は少々恥ずかしさを感じる。だが、この戦いの中でよく自分の精神状態に気づいてくれたと、ミリアに感謝しもする。

 一方、ビームの牽制を受けるエレノアの前には深紅のラブリオンが立ち、その盾となっていた。


「ジョー様……」


「大丈夫ですか、エレノア女王」


 父親が愛娘をいたわるような大きさと温かさがそこにはあった。


「はい。ジョー様のおかげです」


「ここはもう十分です。あとは後方で待機していただいて構いません」


 もうすでに戦いの大勢が決していることはエレノアにも理解できていた。


「ジョー様のおっしゃる通りにいたします」


 ドナーに付き添われながら、エレノアのラブリオンは後方に引いていく。


◇ ◇ ◇ ◇


 椎名はミリアのおかげで動揺を取り去ることができた。だが、それ以外の青の軍は立ち直ることができずに、赤の軍に押され続けていた。その中でも、特に動きの悪さが目立っているのが、前回の戦いでは中心となって活躍した女王親衛隊だった。彼らの中には今でもエレノア女王を崇拝する想いが、ほかの者以上に強く残っており、それが今は大きな足枷となっていた。

「女王親衛隊長、指揮系統が乱れているわよ! しっかりしなさい!」

 女王親衛隊長のラブパワーの乱れは、隊の中でも特にひどかった。親衛隊を中心にクィーンミリアの防衛体制を整えていたミリアにとって、親衛隊のこの乱れと、それをまとめ上げるべき女王親衛隊長の目に見える動揺は計算外だった。


「まさか、姉を引っぱり出してくるとは……考えたわね」


 丈のこの思い切った策に、ミリアは悔しさを抑えきれず、噛み千切らんばかりに唇を噛みしめる。

 ここで、自分もラブリオンに乗って出撃すれば多少は味方の士気も回復するだろう。だが、赤の国の軍──その中でも元茶の国の人間は躊躇なく自分を討つことができる。いや、それ以前にあの丈が自らの手で自分を葬り去る──確実に。

 ミリアさえいなくなれば青の国は崩壊する──そのことを丈はよくわかっている。

 向こうにはできるが、こちらには行えない作戦。今、それをやられているのだ。


「……今回は完全にしてやられたわ」


 これ以上の戦闘は無意味。そう悟るや否や、ミリアは全軍に撤退命令を出した。


◇ ◇ ◇ ◇


「ジョー様、敵が退いていきますわ」


「ええ。ですが、このチャンスを逃しはしません。今なら、致命的なダメージを与えることも可能です。──全軍、追撃戦を仕掛ける! 一機たりとも、無事に返すな!」


 今まで、無駄な攻撃や深追いを避けてきていた丈だが、それは消極的だからというわけではない。丈は確実にやれるとわかった時には、徹底的なまでにやる男なのだ。

 いまだ高い士気と戦意を保持し続けている赤の軍。その猛者が逃げを打つ青の軍に遅いかかる。それはまるで、肉食獣が逃げ惑う獲物を追いかけるよう。だが、逃げる動物達の中には、一頭だけ、追う肉食獣以上に獰猛な牙を持った獣がいた。しんがりを務める椎名のブラオヴィントだ。

 椎名はミリア達が無事逃げられることを最優先に考えて剣を振るった。敵を倒すことよりも、敵の目を味方からそらしたり、退路を確保することを優先した。

 それらの様子をドナーの丈は、軍の後方からエレノアと共に見ている。丈自らは追撃に加わらず、ラブリオンの中から指揮をとることに専念していた。


「お見事です、ジョー様。あの戦力差にもかかわらず、この戦果。ジョー様こそ、この世界を統べるに相応しい方だという想いをますます強くいたしました」


「いえ……そんなことはありませんよ」


 自分が役に立てたこともあり、嬉しさで少々興奮気味のエレノア。だがそれに対して丈はどこか上の空。心ここにあらずといった風。


「ジョー様?」


 エレノアは丈が神経を前線に集中させているのだろうと思った。いくら優勢とはいえ、丈が油断するような人間ではないことはエレノアもわかっていたから。

 だが、エレノアはここでまた丈から流れ出る熱いラブパワーを感じてしまった。

 ルフィーニがいない今、自分にすべて注がれると思っていた丈の最も強い愛の力。それが以前と変わらず、自分を無視して別方向へ流れて行っているのだ。


(そ、そんな……。ルフィーニはもういないというのに……。まさか! ルフィーニではなかったというの!? では、誰!? ジョー様が想いを向けているのは誰なの!?)


 狂おしい想いにエレノアは、胸に鉤詰めで掻きむしられるような痛みを感じる。


「あの中……あの中にいるというの!?」


 丈が見つめるその先、いまだ戦いが繰り広げられているその空域に憎むべき存在がいる。そう考えると、エレノアはいてもたってもいられなくなった。そして、その想いの果て、耐えられなくなったエレノアはラブリオンをそこへ進めようとする。

 だが、それは丈のドナーによって制止された。


「エレノア女王、この上あなたが戦いに加わる必要はありません! 流れ弾に当たることだってあるのですよ!」


「しかし……」


「それに、もうそろそろ潮時です」


 赤の軍の方がラブパワーは上。だが、それも消耗はする。今は青の軍の動揺で圧倒的に押せているが、数の上ではいまだ青の国の方に分がある。こちらの疲労が出て戦闘力が下がれば、負けないまでもこちらも少なくない被害を受けることになる。今ならば、圧勝の状態で戦いを終わらすことができるのだ。


「……わかりました」


 エレノアはしぶしぶ退いたが、その心中が穏やかであるはずがなかった。


◇ ◇ ◇ ◇


 その夜、大勝し青の軍を退けた赤の国では晩餐会が開かれていた。堅苦しいものではなく、無礼講で自由に酒が飲めてたらふく飯が食えるパーティーだ。

 丈がこの国に来てからというもの、兵達は戦いの連続で、本当に休む間さえなかった。丈もそのことはわかっており、完勝に気をよくしている今、できるだけの疲労と不満とを取り去ってやろうと考えたのだ。

 美しく着飾らせたエレノアも会場に呼ぶ。彼女のその姿は見た者に次も戦う気力を与え、もしも声をかけられようならば、命を賭してでも戦う決意を固めさせる。それだけの魅力がエレノアにはあった。

 また、丈自身もできるだけ多く兵と接し、労をねぎらってやった。

 昼間の激しい戦いにもかかわらず、兵達は疲れも見せずに、北欧の白夜のごとく夜を夜とせずに飲んで食って騒ぎまくった。

 盛り上がりが最高潮に達した頃、丈は静かに席を外し、自室へと戻った。

 自分で置いたのではないが、部屋の棚に並んでいるボトルとグラスとを手に取る。未成年なのだから当然だが、丈は元の世界でほとんど酒を飲んだことがなかった。せいぜい正月に御神酒をおちょこに一杯飲む程度。完璧主義者たる丈は、酒に酔って自分の能力が十分に発揮できないというのが許せないのだ。

 だが、今は何故か酒に手が伸びた。

 ここにある酒は、ワインと同じ様な製法で作られたもの。晩餐会でも、付き合いでいくらかは口にしている。その時もまずいと思いながら飲んでいたのに、何故か今またそれを手にしている。


「酒を飲むことで、嫌なことを忘れられればと期待しているのか……。弱いな、オレは」


 右手で掴んだボトルを見つめながら丈は自虐的な笑みを浮かべる。


「ん?」


 そうしながら、丈は部屋のドアが音もなく開かれるのに気づいた。


「……エレノア女王。いかがなされました?」


 少し開かれた扉から静かに姿を現したのはエレノアだった。後ろ手に扉を閉め、両手を後ろで組んだまま、丈の前に進み出る。


「やはりエレノア女王にもあの空気は馴染めませんでしたか。私もですよ」


 少し明るめの丈の口調。だが、その言葉を向けられたエレノアは何故かひどく悲壮感の漂った顔つきをして、丈の瞳を見つめていた。今まで見たこともないエレノアの様子に、丈も訝しげな顔つきになる。


「どうされたのですか?」


「少し……お聞きしてよろしいでしょうか?」


「……ええ。私に答えられることでしたら」


 エレノアの真意がわからぬまま頷く。


「ジョー様の心の中にいるのは誰なのですか?」


 エレノアの質問は端的だった。


「なんのことです? 私には意味がよく……」


「今日の戦いでも、前の戦いでも感じました。ジョー様から流れていく強くて、大きくて、深くて、熱いラブパワーを。それは、私を包んでくださるジョー様のラブパワーよりもずっと……」


 そこまで言ってエレノアは眉を伏せ、そして再び続ける。


「最初はルフィーニに向けられたものかと思いました。ですが、ルフィーニが戦死した後でも、それは変わらずに流れて行く……。一体誰なのですか!? ジョー様がそんなにも強く想っていらっしゃる方は! ジョー様が私よりも深く想っていらっしゃるその方は!?」


「そんな者はいませんよ。エレノア様の気のせいです」


 あまりにも自然な丈の物言い。普通の者ならばそれを信じたことだろう。だが――


「ジョー様、これでも私は王族です。ジョー様ほどではないにしろ、私にもラブパワーはあるのです。私のラブパワーはごまかされません!」


 エレノアのラブパワーが膨れ上がり、まるで突風となって丈に吹き付けるかのよう。その真摯さ、想いの強さには、丈も観念せねばならなかった。


「……エレノア女王の気持ちはわかっていました。その片想いの辛さも……。なにしろ、私も女王と同じく片想いなのですから……」


「……あ、相手は?」


 予想していたとはいえ、本人の口から直接聞くと並でない衝撃を受ける言葉。エレノアは震える口でなんとかそれだけの言葉を紡ぎ出した。


「……それは言えません」


 何故ですか、とは言わなかった。気にならないといえば嘘になるが、その相手の誰何(すいか)よりも重要なことがいくらもあるからだ。


「その人は私よりも魅力的なのですか!?」


 丈はゆっくりだが、大きく確実に頷いた。


「か、代わりでも、その人の代わりでもいいです! ……だから、だから私にもその人と同じようにラブパワーを注いでください!!」


 だが、丈はゆっくりと首を横に振る。


「私の愛はたった一人にのみ向けられている。エレノア、客観的に見て、君は非常に美しくその上聡明で、とても魅力的だ。私も君のことは好きだ。……だが、君を愛することはできない。君の愛を受け入れることはできないんだ」


「愛? これが愛だというのですか……。愛とはこうも辛く苦しいものなのですか……」


 血を吐くかのごとく狂おしく呻くエレノア。絶望に沈むその瞳の中、丈はそこに狂気の光を見た気がした。


「エレノア……」


「どうあっても私だけを見てはくださらないというのですか」


「逆に聞くが、君は私の代わりに誰かほかの人間を愛することができるのか?」


 肯定の返事のできないエレノアはただ押し黙る。


「……それと同じで、私も私が本当に愛する者以外は瞳に入らないんだ」


「……わかります。それは、わかります。……ですが、納得はできません!」


 後ろ手にしていたエレノアの手が前に持ってこられる。その手に握られているのは、薄明かりを受けて輝く鋭利な刃物!


「せめて私と一緒に死んでください!!」


 思いあまった末に、エレノアが選んだ結論だった。この部屋に来る時から、半ば予想できていた丈の反応。それ故に、持ち込まざるを得なかった最後の手段。

 丈にこの展開は予想できていなかった。元の世界でも、何人もの女性の告白を断ってきた彼だが、その中にここまでの過剰な反応をした者などいはしなかったし、ミリアや椎名との話からこの世界の人間は温厚なのだという考えが頭にあったから。

 かん高い乾いた音が部屋に響く。

 丈は身動きが取れなかった。ただ、動けぬまま、短剣と共に来るエレノアの衝撃を受けるのみ。

 手に重い衝撃を感じたエレノアは、荒い息をつきながら丈から体を離す。

 丈の上着に広がる赤い染み。それはエレノア自身の体にも飛び散ってきている。

 エレノアは自分の犯した行為の恐ろしさに、呆然とした顔で短剣を持つ手を激しく振るわせる。


「……ジョー様」


 変わり果てた丈の姿に再び目を戻す──だが、丈の瞳は以前と変わらず生気に溢れていた。

 その丈の腕が素早く動き、短剣を持つエレノアの腕を掴む!


「ジョー様!?」


 丈の胸に広がる赤い染みは尋常な大きさではない。そんな傷を負った人間が、ひどく強い力で自分の腕を掴んでいる。その信じられない事態に、エレノアは何も考えられず呆然とする。

 だが、丈から発散されるアルコールの匂いが鼻につくにつれ、冷静さを取り戻し、彼女にも事態が飲み込めてきた。


(この匂いは……)


 そして、自分の手にもついている液体が、粘着性のあるどろりとしたものではなく、さらっとしたものであることにもようやく気づいた。


(これは血じゃない!)


 床に散らばった酒のボトルの破片をも見るにつけ、エレノアは自分が大きな勘違いを犯していたことを認識した。


「エレノア様、どうか冷静になってください!」


「離して! 一緒に死んで!!」


 筋力は男の丈の方が遙か上。だが、人を殺そうとするほどに必死になった人間の生み出す力は並ではなかった。それは、元々の力の差があろうとも、そう簡単にどうにかできるものではない。しかも、相手に突き刺せばいいだけのエレノアに比べて、丈は彼女の手の動きを止めつつ、そこにきつく握られている短剣を引き剥がさねばならなかった。その難易度は、力の差を埋めてあまりある。

 互いに揉み合う二人。相手が女王でなければ、膝蹴りを入れてでも、頭突きを食らわしてでも叩き伏して、その手から刃物を取り上げただろう。だが、エレノアの高貴さが、丈にそれを躊躇させた。

 そのうち、こぼれて床の上にたまっていた酒に、エレノアか足を取られた。ふいに態勢を崩したエレノアにつられるように丈もバランスを崩し、エレノアを下にして二人はもつれるように床に倒れ込む。

 その際に、丈の手に嫌な手応えが伝わる。倒れた丈は、それにハッとし、すぐに体を起こした。


「……ジョー様」


 いまだ倒れたままのエレノアから発せられた消えてしまいそうなほどに弱々しい声。そのエレノアを見る丈の瞳は一点に手中していた。──彼女の腹部に深々と突き刺さっている短剣に。


(どうする!?)


 いつも冷静で、慌てた記憶のほとんどない丈。だが、さすがの丈もこの時ばかりは、理知的なままではいられなかった。事故とはいえ、自分のしでかしたことの重大さに、頭が混乱しまくる。


(冷静になれ、冷静に! まずは冷静に!)


「……ジョー様」


 血の気がなくなっていくエレノアの顔。紫になっている唇から漏れる声は、集中していてなんとか聞き取れる程に弱々しい。


(まだ息はある! 意識もある! ……今ならば、今ならばまだ助かるかもしれない!)


 わずかながらの希望の光が丈の中に灯る。もし、これが椎名ならば、全力で動いただろう。だが、幸か不幸か、丈はこんな時でもその先を考えてしまう男だった。


(だがこの事態をどう説明する? 助かったとして、皆のオレへの不信感は募るだけ。もしそのまま死んでしまおうものならば……)


 ──王族殺し。この世界の人間ならば、一族郎党処刑されることになる重罪。この世界の人間でなく、赤の国の王たる自分、そしてエレノアは赤の国の正式な女王ではない……これらの条件があれば、そこまで行ってしまうことはあるまい。だが、元青の国の人間の心は確実に自分から離れる。そして青の国はエレノアの仇討ちのために心を一つにし、攻め込んでくるだろう。


(このまま誰にも知られなければ……)


 細かいことにまで、先の先のことにまで頭が回ってしまう。そのことが、今回ばかりは丈にとっては不幸だったかもしれない。


「エレノア、苦しいだろう……。今楽にしてあげるよ。せめて、このオレの手で」


 冷めた目をした丈の手がエレノアの首に伸びた。


「ジョー様!?」


 生気がなくなって生きているのか死んでいるのかわからないほどだったエレノア。だが、丈の手が締まり出すと、それが擬態であったかのように激しい抵抗を示した。だが、それで丈の力が緩むことはない。


 ──やがて、エレノアの体はぴくりとも動かなくなった。


「別にこれが初めて人を殺したってわけじゃない」


 事を行ってしまった張本人たる自分の両掌を虚ろな目で見つめながら、独白する丈。


「ラブリオンでならすでに何十人と殺してきてるんだ……」


 そう自分に言い聞かせはするが、道具を使って人の命を奪うのと、自ら直接手を下すのとでは、受けるショックに天と地ほどの差があった。

 いつまでも震えの止まらない自分の手。それに憤りを感じ、床に手を叩きつけるが、やはり震えは止まらない。


「このオレが、このオレが……」


 自分の手のくせに、自分の言うことを聞かない。そのことが丈には許せなかった。そして悔して情けなかった。


「ジョー様、皆が顔を見せていただきたいと申して……」


 ふいにノックもなく開かれる扉。そこから姿を現す、顔は知っているが名前までは覚えていないような兵士。

 その兵士の視線が、血をまき散らしつつ床に倒れ伏すエレノアに移動し、しばし停止する。そして、驚きに大きく開かれたその瞳はゆっくりと丈の方へ動き、憤怒と悲哀と後悔とが入り交じった丈の瞳と、音も動きもなく見つめ合う。それはまるで凍り付いたかのような時間。


「ジョー様!?」


 その静けさを破ったのは兵士の奇声にも似た叫びだった。だが、それがかえって丈を冷静にさせた。


「騒ぐな! これは事故だ! 不幸な事故だ!」


「し、しかし?」


「貴公はこんな不慮の事故で、赤の国を滅ぼしたいのか! 貴公にも妻や子がいるだろうに! その者達を不幸にして嬉しいのか!」


 苦し紛れの言葉とは思えない威厳と冷静さと重さとを持った言葉。その言葉の前に、兵士は言葉をなくす。


「……ですが、こんなことはすぐにばれます。女王が姿を見せなくなれば、誰もが不審に思います」


 それは丈にとっても非常に大きな問題だった。エレノアを殺してしまった今、兵達にそのことを気づかせない方法を見つけねばならない。そうでなければ、助けるための処置を取らずに自らの手で殺害した意味がない。


「……手はある」


「えっ?」


「貴公が協力してくれれば手はある!」


 丈の頭脳は、この短時間でその方法を探り当てた。


「わ、私に何をしろというのです!?」


「貴公とて、この国を滅ぼしたくはあるまい。今、この国を救えるのは、私と貴公だけなのだぞ!」


「で、ですが……」


「待遇も給与も弾む! 貴公の家族には一生の贅沢を約束するぞ!」


 あの丈がここまで必死になる。それは断ればただですまないということ。

 ──口封じ。男にもそのくらいのことは理解できる。彼に選択の余地はなかった。


「……なにをすればよいのですか」


「私の言う通りにさえすればよいのだ」


 そう言う丈の瞳はすでにいつもの輝きが戻っていた。

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