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第2章 出会いは嵐のごとく

前回までのあらすじ

片桐椎名と霧島丈は異世界に召喚された。この世界では、愛の力――ラブパワー――で動くロボット、ラブリオンを用いて戦争が行われていた。二人の前に現れた青の国の女王エレノアの頼みにより、二人は、ブラオヴィントとドナーと名付けられた2機のラブリオンに搭乗し、青の国のために戦うことを決意するのだった。

 椎名と丈は初陣を見事な勝利で飾った。その夜、城では二人の歓迎と勝利の祝いを兼ねた晩餐会が開かれていた。


「しっかし、俺はいまだに信じられないぜ」


「何がだ?」


 晩餐会の雰囲気に馴染めない──というより、この世界の雰囲気自体にまだ馴染めていない二人は、人々の楽しそうな声が溢れる広間を離れ、バルコニーで佇んでいた。


「全部だ、全部。いきなりこんな世界に呼ばれたこと、ロボットに乗って戦ったこと、そして俺が今ここにいることも含めて全部」


「夢だと言いたいのか?」


「そうだといいけど……そうじゃないことは実感としてわかる。悔しいけどよ」


「物わかりがよくなったな」


「……お前、えらく冷静だな」


「慌てることで解決するならオレもそうするさ。……だが、もしこの世界に来たのがオレ一人だけだったら、こんなに落ち着いてはいられなかっただろうな。正直言って、お前といることで、俺は平静でいられる部分はあるな」


「……ジョー」


 なんとなしに城の庭に降りている夜を見ていた椎名だったが、その意外な言葉に思わず丈の方に顔を向ける。


「なにせ、お前が動転してる分、オレが頑張らないといけないからな」


「……俺を頼ってくれてるのかと思ったら、そういうオチかよ」


 椎名はだらしなくバルコニーのフェンスに腕を置き、それを枕代わりに頭を乗せて、再び外の景色に目をやった。


「いや、頼りにしてるのも事実だぞ。お前の勇気と無謀さは折り紙付きだからな」


「ちっともフォローになってねーのはわかってるよな」


「ま、それはともかくとして、オレ達はもっとこの世界のことを理解していく必要性があるな。敵を知り己を知れば百戦危うからず。現代においても情報戦は実際の戦闘以上に重要だ」


「……優等生野郎め。また小難しいことを言い出しやがって」


「難しくはない。今までに得られた情報を整理しておく必要があると言ってるだけだ」


「最初からそう言えっての」


 丈の顔に苦笑いが浮かぶ。


「まずは科学力──文明レベルと言い換えてもいいな。それから考えるか」


「あのラブリオンを初めて見た時はびっくりしたけど、じっくり見渡してみると、それ以外はたいしたことないんだよな。日本でいえば、大正時代ぐらいのレベルだろうか?」


「たしかに、科学力にはオレ達の世界の方が進んでいるように見えるな。だが、単純にそうとは言い切れないぞ。むしろ、この世界はオレ達の世界とは違った文明を発展させてきたというべきかもしれない。つまり、ラブリオンを巨大化させたような、ああいった呪術的な文明を」


「まるで魔法だぜ」


 椎名の口調はどこか投げ遣りだった。


「オレ達にはそう見えるが、魔法で片づけては先へ進めないぞ。それらは論理的な法則を持っていて、彼らはそれを解き明かして利用しているはずだからな」


「どうしてそう言える」


「そうでなければ、このように色々と応用を利かせられるはずがない」


「基本がわかっていなければ、応用はできないということか」


「ああ。つまり、さっきも言ったように、彼らにとっては、オレ達には魔法に見える、それらこそが科学なのだろう。つまり、彼らはオレ達の世界の科学とは違う科学をここまで発展させてきたということだ」


「科学の発展か……。そうすると、それの最先端の科学があのラブリオンということだな。あんなもの、俺達の世界にも存在しない」


「そうだな。そしてオレ達の当面の問題はあのラブリオンに関してということになる。オレ達はあれに乗って、この世界の人間以上にうまく扱い、自分達の存在価値を示さなければならないのだから」


 そう言う丈からは悲壮感さえ感じられた。理由のわからない椎名はおどけるように言ってやる。


「おいおい。なに使命感に燃えてるんだよ。俺達はこの世界に呼ばれた、言ってみればお客様みたいなものだろ。向こうにしてみれば、ラブリオンに乗っていただいているってことになるんじゃないのか」


「形式上はな。だが、オレ達を呼べたということは、ほかの者を呼ぶこともできるということだ。そうだとしたら、オレ達は使い捨ての駒。死ねば新しいのを用意すればいいし、役に立たなくなっても別のを使えばいい──そんなあやふやな存在でしかない」


「……そうか。だから俺達は自分達の力を示さないといけないのか」


 丈の真剣さの理由がようやく理解できた。脳天気気味だった椎名が一気に陰鬱になる。


「そう暗くなるな。今日は初めて乗ったにもかかわらず、オレ達はあれだけの戦果を挙げることができた。オレ達のポテンシャルは、皆が言うようにこの世界の人間以上だ」


「ラブパワーとかいうやつが、ほかの奴らより大きいらしいな」


「何故英語なのかは皆目見当がつかんが、直訳すれば『愛の力』というところか。……お前好みだな」


「バカ言ってんじゃねぇ。それならお前が最強じゃねぇか。このモテモテマンが!」


「……お前のネーミングセンスには呆れるばかりだな」


 丈の呆れ顔の半眼が椎名の方を向く。


「ほっとけ!」


「それより、そのラブパワーについてオレ達はもっと知る必要があるな。それがラブリオンを動かす力になっているらしいし、オレ達がこの世界で生きていくためには、その力を使いこなさなければならないのだから」


「それにはまずラブパワーが一体何なのかという根本的なことがわからないと……」


「ラブパワー・イコール・愛の力。その考えは基本的に正しいわよ」


 突如後ろから割り込んできた声に、二人は慌てて振り返る。その視線の先に立っていたのは、椎名達よりも二つ三つは年下に見える女の子。肩につくかつかないかというところまで伸ばした黒髪に、同じく黒く大きな瞳と長いまつげが印象的で、その瞳は好奇心の光に溢れ二人を見定めるためにせわしなく動き回っている。


「初めまして。ご活躍のほどは聞き及んでおりますわ、救世主殿」


 その女の子は大人びた品性を感じさせる口ぶりで挨拶をした。しかし、彼女の格好はその言葉遣いとは似つかわしくない、質素でカジュアルなもの。今宵この晩餐会に参加している者は皆正装してきている。会が開かれている広間とは離れたバルコニーにいるとはいえ、場違いな格好であることは確かだ。


「君は?」


「ミリアと申します。以後お見知り置きを──」


 と慇懃におじぎしてみせたと思ったら、


「なーんてのは、私にはあわないわね」


 一気に型を崩し、はにかんだ笑みを浮かべながら肩をすくめてみせる。


「ごめんね、話に割り込んじゃって。あなた達が楽しそうな話をしていたから、つい」


「……君はラブパワーについて詳しいのか?」


 怪しい人物ではあったが、ここではまだ追求しなかった。


「どこまでを詳しいと言い、どこまでを詳しくないって言うのかその境がわからないけど、普通の人以上には深く考えているつもりよ。なにしろ、この世界の人はみんな結果だけにこだわって、その過程に関しては深く探求しようとはしないから」


「どういうこっちゃ?」


「さっきあなた達は、私たちが不可思議な力の法則を解き明かしてそれを応用しているはずだって言ってたでしょ。でも、それはハズレ。私達はむしろその論理的な法則性を忘れてしまったのよ。

 今使っている技術を開発した遠い祖先は、おそらく法則を知っていたはず。そうでなければ、今こんな技術が存在しているはずないもの。でも、その後の人々は効果だけを優先した。どういう仕組みでそうなるのかということを無視し、ある技術を使うことである効果が得られる、そのことだけで満足した。そして、より有益な技術だけを使用していき、効果が落ちる術は次第に使われることが少なくなり、やがて消えて行った。

 つまり、今残っているのは、祖先の遺産の、より役に立つものだけ。しかも、どういう理由でそうなるのか仕組みもわからず、ただやり方だけがわかっているようなものだけ」


「ジョー、お前の予想、大ハズレだな」


 椎名は鬼の首でもとったかのような顔で丈を見るが、丈は耳に入らない様子で眉をしかめている。


「……愚かなことだな。しかし、何故そんなことに?」


「ホント愚かね。私もそう思うわ。みんなは、現在の自分以外のことに無関心なのよ。他人に深くかかわろうとしないのはもちろん、未来の自分のためにも動こうとはしない。だから、より人の役に立つ術に発展させようという気にならないのはもちろん、自分のためでさえ術の開発を行おうとはしない。明日のよりよい幸福よりも、今そこにある幸せで満足してしまうような人種なのよ」


「明日の百より、今日の五十ってか」


「しかし、オレが見た限り、人々の様子はそんなふうには見えなかったが? そもそも、そんな考えではまともな社会自体成り立たないはずなのに、ここではちゃんとした王政が敷かれている。それはどう説明してくれる?」


 鋭いところを突く丈。だが、ミリアの表情には困惑した様子はない。むしろ嬉しそうに口元を緩めている。


「私が言ったのは、あくまでこの世界の人間の心の奥底にある気質みたいなものよ。みんながみんな、そんな刹那的な生き方を強調して過ごしているわけじゃないわ。働かなければ生きていけない、そんなことはみんな百も承知。でも、無意識下の根本的な部分にはさっき話したような想いがあるから、時代が進むごとに少しずつ少しずつ文明が退化していってしまうのよ」


「わからん話ではないが……。しかし、納得できないのは君がそういった理解ができるということだ。君のその考えは、別の人種──つまり、そういう潜在意識を持つこの世界の人間とは違う世界の人間──との比較によってしか生まれないはず。この世界という閉じられた一つ空間の中では、そこに住む者の標準的な性質こそが唯一絶対の基準となるのだから、君のような考えが出てくるはずがない」


「さすがね。鋭い指摘だわ」


「……俺にはわけわからん」


 椎名は丈の言うことを腕組みしながら一生懸命聞いていたが、結局は首を横に振りながら両手をWの字にして肩をすくめてしまった。


「私が比較したのは、伝説として伝わる愛に溢れた世界──つまり、あなた達がいた世界よ」


「ルフィーニさんも同じようなことを言っていたな。……しかし、愛に溢れた世界って……なんちゅう恥ずかしいセリフだ」


「この世界の人間はそう認識しているのよ。だから、ラブリオンを動かす力でもある、その愛の力を有しているあなた達は、みんなに畏敬の念で見られているわ」


「おいおい。なんかえらく愛を物珍しげに語ってくれるけど、この世界の人間だって人を好きになったりはするだろ? だいたい、そうでなきゃ結婚もできないし、子供も生まれないし、種族自体が存続できないじゃないか」


「結婚の相手はたいてい家柄なんかを考慮して親が決めるわ。伝説の愛の世界じゃ、愛し合った者同士が自由に結婚するのが普通だそうだけど、この世界じゃそういうのは(まれ)ね」


「うわぁ、めっちゃイヤな世界。俺には我慢できんな」


「でも、私達だって人を好きになることくらいはあるのよ。けど、愛っていうのは私達が感じる、相手に対して好意を持つってこと以上の力だそうじゃない。そう、たとえばその相手のために死ぬことさえできるくらいの」


「うーん、愛のために命を懸けるか……。君のためなら死ねる、とか言う台詞は聞くが、実際に行動できる奴なんて、俺らの世界にだっていないけどなぁ」


「……話から考えるに、我々との違いは感情の起伏の差かもしれないな」


 考え事をしながら二人のやりとりを聞いていた丈が、小難しい顔を解いて口を開いた。


「なんだそりゃ?」


「この世界の人間は、平均すると、何事に対してもオレ達よりも心が動かない性質じゃないかってことだ。人を好きになるにしても、たとえばオレ達の半分くらいしか心が動かないから、人に決められた相手と結婚できるし、好奇心にしてもずっと小さいものだから、技術を発展させたり新しく開発したりしようという考えも起きにくい。だが、その分、憎しみや悲しみという感情も小さく、全体的に温厚なのではないかと考えられるな」


「戦争をしてるのにか?」


「それだって、憎しみあったが故に戦争しているわけではないんだろう」


 丈が答えを求めてミリアの方に視線を向けた。それを受けてミリアは軽く一つ頷く。


「ええ。戦争の目的はたいてい経済力、発言力を強めるための領土拡大よ」


「オレ達とこの世界の人間の感情面の差はそうだとして……わからないのは、愛の力──ラブパワー──がなぜラブリオンの動力となっているかということだな」


「私が考えるに、愛の力で動くと言ってもそれは一種の概念的なことで、正確には人の感情に関係した精神的なエネルギーが動かす力となっているんだと思うわ。つまり、あなた達のラブパワーが高いのも、あなたがさっき言ったようにあなた達の感情の起伏が激しいぶん、精神エネルギーが大きいから。そして、愛って言葉が象徴として使われているのは、その精神エネルギーの中でも愛が最も強い力だから──じゃないかな」


「……精神現象なんて脳内物質の反応ですべて物理的に説明しようというこのご時世に、精神エネルギーときたかよ。えらく、アナクロな考えだと思わないか?」


 今まで難しいことを言ってきたいたミリアのその子供じみた発言に、椎名は笑いは(こら)えながら丈に同意を求める。

 大脳生理学に関する研究においては、この世界よりも自分達の世界の方が圧倒的に優れているな──と自分が研究していたわけでもないのに、勝手な優越感に浸る椎名だったが、丈は簡単に頷いてくれるほど単純な男ではなかった。


「そうとは言い切れないぞ、シーナ。確かにオレ達の世界では、様々な現象が物理的な説明で解明されてきてはいるが、残念ながら物理学のような科学は絶対ではない。

 たとえば──、ある刺激を受けることにより電気信号が神経を通って脳に伝わる。そしてその信号に従い、脳で人を興奮させる物質が分泌され、それにより人が興奮を感じる──と物理学では説明されているだろ?」


「ああ」


 決して物理の成績がいいとは言えない椎名だが、それくらいのことはテレビ等で見聞きし、知識として持っている。


「その中の『脳において興奮をもたらす物質が分泌される』というところまではいい。何の問題もない。物理学的に証明できるのだからな。だが逆に言えば、物理学において証明できるのはそこまででしかない。つまり、その物質が分泌されることにより、なぜ人間が興奮を感じるのかという、物理的現象から精神的現象へ移るその部分においては何の証明も説明もされていない──というよりも、そもそも物理学ではそのことは問題にさえされない。そしてそれが物理学の限界でもある。物理学的な証明は論理的で説得力があるため、傍目には物理学は絶対的なものとして映りがちだが、それは物理学が物理現象という自分の得意な範囲でのみ戦っているからにすぎない。そのことを忘れてはいけないぞ」


「…………」


「いくつかのテクニカルタームは理解できなかったけど、言いたいことはなんとなくわかったかな。それにしても、あなたの洞察の鋭さ、深さには心底感心するわ。……ところで、あなたは理解できた?」


「うっ……」


 ミリアに視線を向けら、半ばパニック状態に陥っていた椎名は思わず口ごもる。


「大丈夫さ。シーナは一時の感情に押し流されるという欠点はあるが、愚者ではない」


「……だって。よかったね」


「うるさい。何がいいんだ、何が! だいたい、お前はホントにわかったのか? 電気信号うんぬんとか物理現象うんぬんとか言われても、この世界の科学レベルじゃ理解できないだろうが!」


「だから、完全にわかったとは言ってないわよ。言いたいことはわかるって言っただけで」


 ミリアは椎名の指摘をひらりと受け流す。


「それだけで十分だ。今までの会話からも、君が聡明で、探求心も持ち合わせていることがよくわかる。しかし、わからないのは、なぜ君がそこまでの能力(ちから)を持ち得ているかということだ。この世界の人間の気質が他人に対して無関心だというのならば、君がほかの者やこの世界に対して、こうも深い洞察ができるのは君の言っていることに矛盾している」


「そういう変な奴だからだろ?」


 椎名はその冗談めかした皮肉にミリアがどんな顔をするのか期待して、彼女の方に目を向けた。だがミリアは笑顔で平然としている。


「この世界の普通の人間の考えとは異質だという点では変なのは確かだが、問題はなぜ変なのかということだ。彼女の言うことが正しければ、彼女のような人間が現れることはないはずだからな」


「理由は……彼の言う通り『変』だからじゃないの」


 ミリアは妙に嬉しそうな顔で、椎名の方に目を向けた。椎名のからかい程度では、彼女に腹を立てさせることはできそうもないようだ。


「何事にも例外はつきもの。こんな世界でも、私のような異端者が生まれてくる可能性はゼロとはいえないでしょ。でも、その理由を考えても答えはでないでしょうね。……偶然ってこと以外には」


「……そうかもしれないな」


 今まで論理的な言葉ばかり紡いできたミリアの口から発せられた偶然という意外な言葉に、思わず丈の口元がほころぶ。


「世の中の出来事すべてを説明できるなんていうのは人間のおごりだ。理由もなくそうなってしまうことなんていくらでもある。特に、人間の心に関してはな」


「たとえば、人を好きになるのに理由がないっていうのとかか」


 椎名にしては珍しく的を射た発言だった。


「……今晩はあなた達のおかげで非常に有意義な時間を過ごせたわ。ありがとう」


 話が一つの結論を迎えたところで、ミリアが閉幕を告げた。


「いや。オレ達こそ、君のおかげでこの世界についての認識を深めることができた。感謝するよ。しかし、君は一体何者なんだ? 王宮にいるくらいだから、ただの人間ではないのだろうが」


 格式ばったこの王宮ではいまだ見たことがないような、機能優先のミリアのラフな格好はさすがにおかしい。外見で判断するわけではないが、普段ならまだしも、今日のような祝いの席でこのような格好で動き回っても咎められないのは謎以外の何ものでもない。

 初めは気にしなかった丈も、実際に話してみて、彼女の人間性を少しでも知ってしまうと、聞きたくなってくる。


「どさくさに紛れて王宮に忍び込んだ変なコソドロなんじゃねーのか」


 椎名のからかいの言葉も、あながち冗談とは言い切れないかもしれない。


「ま、もしかしたら似たようなものかもね」


「おいおい、マジかよ?」


 自分で言ったことなのに、自分が一番驚く椎名。


「あはは。あなたって根が素直なのね」


 ミリアが口元を手で隠して含むところのない笑い声を上げる。


「……首絞めるぞ」


「おおコワっ」


 ミリアは両手で首を覆いつつ、おどけて数歩後ずさる。


「機会があればまた会うこともあるわよ、きっと。その時はまた楽しい話をしましょ」


 それだけ言うと、後ろでで扉を開け、ミリアはすっとこの場から姿を消した。


「……なかなか食えない子だな、彼女は」


 扉がゆっくり閉まっていくのを見送りながら、丈がつぶやく。


「ほう。色男のお前でも、ものにするのはムズイのか」


「…………」


「……すまん、こういうギャグは嫌いだったな。なかったことにしてくれ」


 肉食獣の牙のように鋭く突き刺す丈の視線にさらされた椎名は、その身に物理的な痛みさえ感じて、自分の方から折れた。


「こんなところにおられましたか!」


 謝ってもまだ刺してきそうな丈の瞳に、身を縮まらせていた椎名だったが、後ろから飛び込んできたその女性の声を天の助けとばかりに、踊るように振り返った。

 椎名達の後ろにいたのはルフィーニ。今までずっと探していたのだろう、二人を見つけたその表情には安堵感が溢れている。


「おっ、ルフィーニさん! 俺を探してくれてたの? なになに、何の用?」


「別にシーナ殿だけをお探ししていたわけではありませんが……」


 ルフィーニは椎名のあまりのはしゃぎように少々戸惑う。


「お二人はこの晩餐会の主役なのです。そのお二人が揃っていなくなられては、晩餐会が意味のないものになってしまいます。お二人にご挨拶をしたいとおっしゃる方々は大勢おられますので、すぐにお戻りください」


「たははは。そりゃそうだよな。ゴメン、ゴメン。すぐに戻るよ、すぐに。いやぁ、ルフィーニさんに迷惑かけちゃったみたいだな」


 椎名は照れと緊張とで多少顔を赤らめながら、急いで中に戻ろうとする。


「ジョー様もお願いします」


「ああ」


 椎名と違って丈はいつも通り、あるいはそれ以上にクール(無愛想なだけ?)に答えて、ゆっくりと動き出す。


「…………」


 そのやりとりに無性に腑に落ちないものを感じたのは椎名だった。


「……なぁ、一つ聞くけどさ」


 丈とルフィーニ、どちらに言うとでもなく、またはどちらにも言うかのように、陰気な口調で問うてみる。


「なんで俺が『シーナ殿』で、丈の奴が『ジョー様』なんだ?」


 言ってる自分でも気づいていない無意識のことだったのか、ルフィーニは驚いた顔をして開いた口を手で覆う。顔色も一瞬白くなったかと思ったら、すぐに紅潮しだす。


「い、いえ! 別に何か深い意味があるわけではなく、ただ、そのなんて言いますか……」


 ルフィーニにしては珍しくしどろもどろになっている。女性ながらに騎士であり、ラブリオン隊の隊長もやっているため、男に馬鹿にされないようにと常に凛とした態度をとっている彼女のこんな姿を見るのは、椎名も丈も初めてのことだった。彼女の部下達にしても、恐らく見たことはないだろう。


「まぁ、別にいいけどさ。様と殿のどっちが偉いかなんて考える気はないし。……それにジョー様ってなんか『女王様』に聞こえるし」


「…………」

「…………」


 あまりのバカな発言に、丈は歩み止めて固まった。ルフィーニも、失言に紅潮していた顔色も元に戻って呆れている。

 そして、当の椎名も自分で言っておいて、思わず、仮面をつけてハイヒールで誰かを踏みつけながらムチを振るっている丈の姿を思い描いてしまい、現実の丈とのそのあまりのギャップに気持ち悪くなっていた。


 気を取り直して祝勝会の会場に戻った三人を待っていたのは、これからこの国を代表する有名人になるであろう二人の戦士に今のうちに少しでも顔を売っておこうとする各界の著名人達の洪水だった。

 次々に人が現れてきて、とても顔と名前が一致しない──というより、顔も名前も何も記憶に残らないといった感じである。それでも、椎名は何人かの顔と名前だけは必死に記憶に留めようと無駄な努力をしていた。


「さっきの赤いドレスの娘がエニルで、髪の長かった娘がティファ……。ああっ、その前の金色の髪の娘は何て名前だっけ!?」


 それらがすべて父親らについてきて挨拶していく娘達、その中でも特に可愛い娘であるあたりはいかにも椎名らしい。


「なぁなぁジョー、さっきの金髪の娘は何て名前だっけ?」


「……覚えてるわけないだろ」


「なんだよ、お前なら会った女の子の顔と名前はすべて覚えていると思ったのに」


「お前は俺を何だと思ってるんだ?」


 呆れた顔を浮かべた丈だったが、周りを取り囲んでいる人々の間に緊張が走るのを敏感に感じ取り、顔を真顔に戻す。周囲の者達は心なし丈達から一歩引いたようにさえ思える。丈にはその理由がわかっていた。後ろから高貴な雰囲気(ラブパワー)をまとった存在が近づいてきているのだ。正視するのがためらわれ、近づくだけでひれ伏してしまいそうなこんな雰囲気(ラブパワー)を持っている人物など、丈の知る限り一人しかいない。


 振り向けば、案の定、そこには足音さえ立てずに優雅に近づいて来るエレノア女王の姿があった。


「楽しんでいただいおりますか?」


 パーティーの最初にエレノアからは、形式的なねぎらいの言葉をもらっているので、今の彼女の言葉は堅さのない、気さくなものだった。


「はい。このような盛大なパーティーを開いていただき、感謝の言葉もありません。この身が朽ち果てるまで女王の御為(おんため)に戦う決意がより一層固まりました」


 女王の口調に反して、丈の言葉は堅いものだった。だが、その言葉には心からの真実味が含まれていた。周りの者が一瞬にして丈を真の騎士と認めてしまうほどの真実味が。だが、それは真実味であって真実ではない。それが(まこと)の心であるかどうかは丈のみぞ知る。


「お、俺……じゃなく私も誠に光栄に思っております! あまりに光栄すぎて、少しこうえい(怖い)くらいです」


 椎名は、普段は緊張などとは縁遠い人間だったが、女性の前、殊に自分が好意を持っている女性の前ではいつもの奔放さなど見る影もないほどに緊張してしまう。そして緊張して舞い上がった椎名は、つい訳のわからない余計なことを口走ってしまう傾向があった。


「女王、申し訳ありません。シーナはまだ戦いの興奮が冷めないようで……(バカか、シーナ!?)」


「いえ。楽しい方で……。わたくしもユーモアのある方は好きですから」


『おい、ジョー! 聞いたか!? エレノア女王が俺のこと好きだって!』


(……バカ)


 耳元で喜びの声を囁いてくる椎名に、丈は心の中で溜息を()く。


「お前のことが好きだといったんじゃなく、ユーモアのある人間という一つのくくりに好感を持つと言っただけだ。ユーモアのある人間イコールお前オンリーというのは、論理の飛躍だ」


 椎名にだけ聞こえるように説明してやるが、果たして今の椎名にそれが理解できたかどうか。


「こちらです! さぁ、わがまま言わずにちゃんと歩いてください!」


「なんで私がこんなとこに来なきゃなんないのよ!」


「何故って……あなたはこの国の王女なのですから、挨拶くらいしていただきませんと」


 駄々っ子とその親とのやりとりのような騒がしい会話をする者が、椎名達の方へと近づいてきた。聞いていて気持ちのいい会話ではないので、できることなら無視しておきたかったが、その中に王女とかいう聞き捨てならない単語を耳にしてはそういうわけにもいかない。椎名達は声の主の方に目を向ける。


「あっ!」


 椎名と丈は視線の先にいる者を見て、驚き、互いに顔を見合わせた。

 そこにはいたのは、先程二人と議論を交わしたミリアと同じ顔をした女の子だった。同じ顔をした人物とは言えても、同一人物だと言い切れないのには理由(わけ)があった。

 まずはその衣装。先は機能優先の質素な服装だったのに、今のこの娘がまとっているのはこの晩餐会に参加している淑女達が着ているドレスの中でも、特に目を引く程の意匠を凝らした光沢輝く純白のドレス。椎名達にはドレス姿のミリアなどとても想像できない。

 そして、何より決定的に違うのはその顔つき。顔の作り自体には違いなど見受けられないのだが、その顔つきは丈達と話していたミリアのものとは決定的に異なっていた。あの時は人当たりのよい笑顔を浮かべ、好奇心に輝くその瞳の中に溢れんばかりの知性の光を宿していたのに、今目の前にいるこの娘は、口をへの字に歪め、鋭く尖った目には暗い反骨心を宿しているだけ。先のやりとりで好印象を受けていただけに、二人には今のこの娘がミリアと同一人物だとはとても思えなかった。


「妹のミリアです。さぁ、ミリア。こちらが我が国のために戦ってくださるジョー様とシーナ様です。ご挨拶なさい」


 椎名と丈はエレノア女王の言葉に愕然とする。先のミリア・イコール・目の前の娘。しかも、エレノアの妹ということは、この国の王位継承者の一人であるということだ。さっき王女と呼ばれていたのもこれで理解できる。しかし、理解できないのは、自分の知っているミリアと目の前のミリア──その二人のミリアのギャップだった。二人は神妙な面もちでミリアの言葉を待つ。


「異世界の人間を呼び込んでまで戦争に勝とうなんてあさましい限りだわ! みんな戦いのことばかり考えて、野蛮なのよ。よその国のことなんて無視して、私達は私達で自由気ままに暮らしていればそれでいいじゃない! この人達と顔を合わせているのも、こんな場にこれ以上いるのも不愉快よ。私はこれで失礼させてもらうわ!」


 ミリアは自分をここまで引っ張ってきたお付きの者の手を振り払い、きびすを返すと、優雅なエレノアとは天と地ほどの差がある大股でズカズカした歩き方でさっさと椎名達の前から離れて行った。


「…………」

「…………」


 椎名と丈はあまりのことに、言葉もなくただ立ち尽くしながら、ミリアの背中を見送る。


「まったく! あの方はこの国の置かれている状況を少しも理解しておられない!」

「エレノア様とは大違いだ!」

「ミリア様が次女でまだよかったですよ。もしミリア様が王位を継がれていたらと考えると……」


 心ない言葉が周りで囁かれる。しかし、あの態度ではこういう反応をされるのも仕方がないことだと言えた。


「申し訳ありません。ジョー様、シーナ様。お気を悪くされたことでしょう。お転婆(てんば)な妹で……」


 あれがお転婆で済む範囲かどうかは甚だ疑問だったが、椎名達にはそんなことはどうでもよかった。彼らの頭はひどく混乱していて、それでころではないのだから。


「あれがミリアかよ……。信じられないな」


「もう一度彼女と話してみるか」


「……そうだな」


 二人はミリアの後を追って駆け出そうとした。だが、椎名は問題なく進めたが、丈はルフィーニに腕を掴まれて動くことができなかった。椎名も、丈が自分に続いてこないことに気づき、数歩進んだところで足を止める。


「お二人はこのパーティーの主役です。会場を離れられては皆が混乱します。どうか、この場に留まっていてください」


 丈は、ルフィーニ、エレノア、そして取り巻く人々の顔を見て、自分達がここに残ることを望んでいることをひしと感じた。

 このまま二人共がここを離れてしまっては、人々の信頼を欠くことになりかねない。自分達は戦果を上げたとはいえ、まだまだ新参者にすぎない。この世界でまともに生きていけるだけの立場を築くまでは、周りの者の総意に反することをするわけにはいかなかった。


「……わかった。ここにはオレが残ろう。だが、一人くらいなら少しの間抜けても構わないだろう。シーナ、お前は彼女を追ってくれ」


「いいのか?」


「こういう場は、お前よりはまだオレの方が得意だろ」


「わかった」


 椎名は微塵のためらいもなく、ミリアが出て行った出口を目指して駆け出した。


「これなら構いませんでしょ?」


 椎名が行ったのを確認してから、周りをぐるりと見渡す丈。彼が残ったことに安堵の表情を浮かべるルフィーニやエレノアらから不満の声など上がるはずもなかった。


◇ ◇ ◇ ◇


 会場となった広間を出た椎名は程なくミリアを見つけることができた。彼女はそれほど離れていないところで、開けられた窓から夜空を虚ろげに見上げている。


「ミリア……王女」


 呼びかけに気づいたミリアが我に帰り、顔だけを椎名の方に向けた。


「……追いかけてきてくれたんだ」


 彼女の表情と口調は最初に会った時の優しげなものだった。


「やっぱり、ミリアだったんだよな」


 もしかしたら別人かも知れないという思いをそれでも持っていた椎名だったが、今のミリアの言葉で自分の知っているミリアと同一人物であると確信した。そのことで顔も自然と綻ぶ。


「なによそれ。私はミリアに決まってるじゃない。最初に会った時もミリアだって名乗ったでしょ」


 子供のように頬を膨らませ、怒ったような顔をするミリア。だが、それが本気でないことはその嬉しげな瞳を見れば誰にでも容易にわかる。


「それはそうだけど……その、さっきはあまりにも……あんまりだっただろ」


 その物言いに、ミリアは少しはにかんだ。


「けど、一体どういうことなんだ? さっきのあの態度はとても本心だとは思えないが」


「……まぁ、ね」


 ミリアは後ろ手にして柱にもたれかかり、複雑な表情を浮かべる。触れられたくなさそうにも見え、それでいて聞いて欲しそうでもあり、強い意志があるにもかかわらずどこか不安げで哀しそう、そんな顔だった。

 椎名はかける言葉を見つけられず、ミリアの次の言葉をじっと待った。


「一つの国に、二人の王はいらないのよ」


 ミリアは顔を天井に向け、ぽつりともらす。


「…………?」


「複数の王位継承権を持つ者がいれば、かならず権力争いが起こるわ。たとえ、その者にその気がなくとも、周りの者がそれを利用しようとするし。……だから、王になれない者は愚鈍でなくてはならないの。ほかの者が利用する価値さえないと思うくらいに」


「だから、あんたはさっきのようなバカな王女を演じているっていうのか?」


「……もしも姉に民を率いるだけの器がなかったら、あるいはただの傀儡と化しているとしたら、私もこんなことはしていなかったでしょうね。でも、姉は女王としての魅力と能力を十分に持ち合わせているわ。だから、私の出る幕はないの……むしろ、この国のためには邪魔なくらい」


「そんな……。俺にはあんたはすごく賢い女の子に見えたし、あのジョーだってあんたのことは認めていたんだぞ」


「ありがと。あなた達には愚鈍な王女よりも先に、本当の私を知っていてもらいたくって、ああやって会いに行ったのよ。……だって、バカな王女じゃ、あなた達の世界のこととか、そういうおもしろい話を聞かせてくないでしょうしね」


 そう言ってミリアは笑ってみせたが、その顔はあまりにも寂しげだった。


「けど、今のままじゃ、あんただけでなく、この国にとっても損失だぞ。あんたが影からサポートしてやれば──」


「だから、それは駄目なんだって。そんなことをしていれば、いつか私を利用して権力を手にしようとする人間が現れるもの」


「そんな奴がいたってあんたがうまく立ち回れば──」


「確かに、そんなセコイ奴の一人や二人をなんとかするくらいは、どうとでもなるわ」


 逡巡もなくそう言い切る。それは、ミリアの傲慢に思えるほどの自分に対する自信の現れである。


「けどね、そうなると、そのことにより国の中の意思統一が乱れるのよ。信頼関係にもひびが入るし……。この国のような小国はそんなささいなことが命取りになるの」


「だけど──」


「それに、私が愚かな王女を演じることによるメリットもあるのよ。私がこんなだから、国民も官僚も、姉を中心にして心を一つにするしかないし、姉は姉で自分がしっかりしなきゃって思うようになるし」


 哀しい言い訳だった。ミリアに笑顔を向けられたが、それは(あわ)れなほどに悲しい笑顔にしか椎名の瞳には映らない。


「……そんなことをして自分を犠牲にしていても、誰も感謝してくれないんだぞ。それでもいいのか?」


「……民が不幸になるよりは、ね」


 椎名を直視するミリアの瞳は、透き通るほどに澄みきっている。


「……そうか」


 その瞳を前にしては、椎名も沈黙するよりほかはなかった。

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