第93話 竜喰らい鮫の大剣
天に聳えるような大羊は丸焼きとなり、二体の大蛇は半ば黒い炭と化し、魔物に従っていた騎士の群れは灰となって風に流された。
それでも所々に炎が残る大羊の背で炭化しかけながら枯れ木の如し姿を晒す魔物の角に傷はなく、肉体は限界速度で再生を続けている。
同時に焼け焦げた羊の黒い背が波のように揺らめき新たなる被造物を生産し始める。
竜人がこの程度で息絶えることはない。
そう確信しているからこそ魔物は次の一手を打つ。
白の魔物がようやっと元の肉体を取り戻す頃、地上で燃えていた大火蜥蜴の背中が炎熱の輝きをまき散らしながら爆裂した。革を擦るような高い断末魔の叫びが一帯に響き渡る。
炎に包まれた巨体の中から這い出した竜人は体の硬直を覚えて即座に首を巡らせる。
「ふむ。次は石化蜥蜴の邪眼か」
彼もまた魔物の生存を露ほども疑っていない。
赤々と野を焼く火炎の周囲で、夥しい小動物の群れが高い鳴き声の騒音を伴って一斉に竜人を見つめていた。
栗鼠や鼠、兎などの小さくひ弱で雑多な獣共は一匹ごとの体躯や色を異にしながら奇怪な眼光を放つ灰色の瞳だけは一様に揃えている。視線の先に捉えた相手を石化させる呪いの邪眼である。
すばしこく駆けずり回る小さくも致命的な獣共。彼らを即座に一匹残らず葬る術など竜人の手札にはない。
緋色の体が少しずつ彩りを失い固まってゆく。
竜人がちらりと見やれば、魔物は黒く焼けた羊の上に仁王立ちでこちらを睨んでいる。その筋肉質な右腕に対を成して緑と紫二匹の太い蛇が絡みつき、腕の先へ数十匹の小さな栗鼠が群がっている。
彼らは翠玉色に輝く鉱石の牙で岩のように大きな何かを削っている。
訝し気に眉を顰めた後、我に返った竜人は獣共を見渡して呟く。
「あの邪眼をあえて逃走の術に長けた獣の眼窩に埋め込むとは。面白い策を考える」
視線の矢を以て獲物を打ち抜くが如く。
竜人は邪眼の獣共を深緑の瞳でぎろりと睨み返した。
魔角族の力は『生命を創造する』神秘である。
彼らによる被造物は一個の生命として自我を持ち、例え創造主が失われても消滅せず、適合する環境で番ごと野に放てば子孫を残し独自の繁栄を遂げてゆく可能性すらある。
『被造物の使役』は力の本質ではなく、生み出した生命を従える彼らの異能は飽くまでも『生命を創造する』過程で被造物の中に残された力の名残を操作しているに過ぎない。
故に、魔角族は創造した獣の元来持つ在り方を完全に封殺することはできない。
邪眼を与えられた獣共は圧倒的な殺気に溺れ被食者たる己が身分を思い起こした。
小動物達の囀りがぱったりと止み竜人へ注がれていた視線が明後日の方角へ飛ぶ。
狼狽える味方同士の間で石化の邪眼が暴発し小さな石像を拵えては自滅してゆく。
「むんっ!」
竜人が全身に力を込めれば灰色に染まりかけた鱗が体表から剥離し、跡には脱皮したように鮮やかな緋色の鱗が隙間なく並んでいた。
刹那、彼は心胆寒からしめる怖気にぞっと背筋を撫でられた。
何か致命的なモノが迫っている。
直感で悟った竜人の右手が咄嗟に爪を盾とする。
次の瞬間、重い剣戟を打ち鳴らす火花と高音が迸った。
「……ッ! なるほど、邪眼の獣共はそれを準備する為の時間稼ぎだったか!」
「竜喰らい鮫の牙だ! 貴様を仕留めるに相応しい武器だと思わないか!?」
大剣を振りかぶって砲弾の速さで突っ込んできたのは白の魔物だ。
燃え盛る火蜥蜴の背で竜人の爪と魔物の大剣が押し合いを続ける。
膂力の優勢は竜人にある。剛腕の筋肉が大剣を押し切るかに見えたその時、
「何!?」
過去、傷一つ付かなかった鋼の爪に小さなひび割れが生じた。
竜人は強引に大剣を振り払い後ろへ飛び退った。
鋭く細められた深緑の眼が白い右腕の先から伸びる禍々しい武器を注視する。
死と滅びを匂わせる白骨色の巨大な刀身。
それは、魔物の右腕に絡みつく石化した蛇の額から生えていた。
対になって絡みつく紫の蛇が妖しく光る灰色の片目を開いて元は緑だった蛇を凝視している。
紫蛇に与えた邪眼を以て大剣の礎たる緑蛇を石化させることで武器を固定しているのだろう。
竜喰らい鮫は夜の地の海で生態系の頂点に君臨する大怪魚であり、竜の鱗ですら噛み砕く凶悪な牙を持つ。かつて海に近づいた竜を襲撃して捕食した伝承が名前の由来である。
羊の上で群れていた鉱石の牙持つ獣共は緑蛇の額に生やされた無骨で大きな牙を魔物が扱うに相応しい形へと加工する役割を担っていた。
そして今、竜殺しの武器を携えて魔物は対決に舞い戻った。




