第90話 修羅の男
「フハハハハハハハハハハ! 二言はないな!? 私に続け混獣騎兵共!」
魔物が弾けたように騎士を引き連れて迫る。
黒く長い爪で突くように繰り出される魔物の手刀。
竜人は右の拳を握りしめて真っ向から打ち返す。
魔物の手刀が弾かれたように跳ねあがる。
同時、竜人の拳の先で鱗が砕け、内側の肉を突かれて少量の血飛沫が舞う。
「む!? 貴殿、腕を上げたようだ!」
「当然だろう!? いつまでも昔のように高みでふんぞり返っていられると思うな!?」
直後に四方八方から竜人目がけて騎士共の槍が迫る。
竜人は間一髪しゃがんで回避すると、勢いよく足払いを繰り出して彼らの脚をへし折る。そのまま魔物に殴りかかっていこうとした。
「ぬ!?」
立ち上がろうとする巨体の足が何かに掴まれてぐんと引き留められる。
「貴様が城に戻らなかった時、実を言えば私は天に感謝を捧げる程喜ばしかった!」
直上から竜人の頭めがけて魔物の踵が落ちる。
竜人は咄嗟に片腕を上げて防御するが、再び鱗が砕けて血が滲む。
「これで気兼ねなく貴様と殺し合えるとなぁ!!」
竜人が眉を歪め顧みれば羊毛の大地の狭間から伸びて彼の片足を引っ掴んでいるのは、真っ白い滑らかな手だった。
人の手にしてはあまりに蒼白で生気がない。
「ふんっ!」
竜人の足を覆う鱗が鋭く節くれだつ。謎の白い手が赤い血を噴出し、ぎょっと足を離して羊毛深くに潜ってゆく。
竜人は魔物の脚を強引に跳ねのけ、一度後方に跳び退った。
ばきばきと奇怪な音を響かせながら拳と腕の砕けた鱗が生え替わってゆく。
竜人が目を凝らして魔物や騎士の足元を見れば、彼らの足場を支えるように無数の白い手が羊毛の中からうようよと伸びていた。
「この足場……千手羊の背か」
千手羊。
温かな羊毛でおびき寄せた獲物を無数の腕にて引きずり込む怪異の獣。哀れな虜囚が羊毛の底で迎える末路は陰惨極まりない。闇の魔境なる夜の地を闊歩するに相応しき化け物である。
「ふむ」
竜人は落ち着いた眼で死の雲海を睥睨する。
彼の大羊など竜の男にしてみれば所詮は愚か者を待つのみの詐欺師に過ぎない。
貧弱な腕を幾らより集めたところで緋色の巨躯を取り込めよう筈もない。
ただし、厄介には変わりない。
ふわふわと沈み込む綿の上では踏ん張りが効かず、ただ移動するにも勢いを削がれてしまう。
まとわりつく腕を掃うことは容易いが、同じ腕に支えられた敵と殺し合うことを鑑みれば戦況に与える影響は無視できない。
璧門跡の守りを確認しようと竜人が後方を振り返れば、大羊を囲うように飛び回る大蛇が月光色の鋭い瞳で睨みを利かせていた。
「俺をあちらの加勢に行かせぬ魂胆か」
先程から二匹の大蛇は攻撃して来ない。
頭上の大火蜥蜴も同様だ。
白の魔物に有利な舞台から竜人を逃がさぬ役割があるのだろう。
「そちらが気になるか? 最も、人間共を助けにゆく余裕は与えんがな」
魔物は愉快げに言いながら時機を計ったように璧門跡の攻勢へ増援を生み出し始めた。
先刻少女の首を狙った怪鳥の夥しい群れが雲間から湧きだすように浮上して、璧門跡へ向かう。空を飛ぶ襲撃者があれば壁上の弓兵もただでは済まない。
「私を倒さずしてこの場を離れる方途はないと知れ」
「……どうやらそうらしい」
竜人の返答に満足した魔物は荒ぶる獣の如く爛々と瞳を輝かせながら叫んだ。
「今宵こそは忌まわしき竜族を打ち砕き我ら魔角が王座にふさわしき覇者であったと証明してくれよう!!」
「まだそのようなことに拘っていたかラーミナ!!」
雲海からぶわりと魔性の腕が溢れ出した。




