第89話 天の闘技場
「貴殿、存外に小賢しい真似をするではないか」
降り注ぐ竜人の拳を槍で受け流しつつ魔物は口を曲げて応じる。
「邪魔なごみ共を一所に集めてやったのだ。我らの戦いに手を出すことは何人も認めぬ」
璧上の弓兵も衛兵達の援護で手一杯になり、魔物へ矢を割く余裕がない。
魔物が胸から引き抜いた最後の槍で竜人の胴に刺突を放つ。
竜人が石板の如し右手の甲で受ければ、緋色の凶器は脆く先端から崩れ散った。
魔物は竜人から距離を取って笑う。
「ようやっと煩わしい棘も抜けた。そろそろ我らの決闘に相応しい場を拵えるとしよう」
魔物を中心に大地の淀みがぶわりと広がってゆく。
竜人の足元すら飲み込んで広大な範囲を生命の揺り籠としたその中から、先の怪魚に引けを取らない三匹の大蛇が湧き上がり天に跳び上がった。
「ぬ!?」
直後、竜人は柔らかに盛り上がっていく大地の感覚に警戒の構えを取る。
それは羊だった。
シルトの壁よりも高く、山のようにこんもりと大きな羊が魔物と竜人を背に乗せて地の底から立ち上がった。
大地から隔絶されて夜空に浮上した雲海の如し広大な羊毛の上で、竜人が辺りを見回せば大羊の周囲を翼の生えた二匹の大蛇が円を描くように飛び回っており、三匹目の大蛇が遥か上空で橙に燃える巨体をくねらせながら夜闇を泳いでいた。
「天の闘技場だ。即席だが悪くない舞台だろう?」
涼しい風に髪を揺られながら得意気に語る魔物の周囲から、更なる異形の獣が次々と生み出されてゆく。
黒い馬の背から頑強な外骨格に覆われた筋肉質な猿の胴が生え、両肘の先から一角獣の如し長く鋭い武器を生やしている。奇怪なことに猿の胴は頭がない。
総勢五十あまりの人ならざる騎士。その軍勢が主の命を待って整然と待機する。
竜人は彼らを一瞥し、天空で翼をはためかせる炎の大蛇に視線をやった後で嘆息した。
「……上で飛んでいるのは大火蜥蜴か? あれには羽根なぞ生えていなかった筈だが。それに手足が失せている。魔角族というのはよくもこう次から次へと珍妙な生物を創りだすものだ」
蓄えた命を混ぜ合わせ、不必要を取り除き、元とは異なる生物を誕生させる。
妙なる神秘を湧現させるその汎用性こそ不死性と生産性に比肩する魔角族の力の真髄だ。
魔物はすぐに眷属たる被造物をけしかけては来なかった。
「何故だ?」
魔物が唐突に問いかけてきた。
「かつて私を差しおき王軍統帥の座まで上り詰めておきながら、何故王を裏切った? 貴様とて永きに渡る時を太陽に溶けて過ごした不滅の王に勝てるなどと本気で信じている訳ではあるまい」
魔物の放つ威圧が薄れている。
静けさを伴って語る姿は話し合いの余地があるとでも言いたげだった。
竜人は闘気を潜めて応じる。
「覇星竜を手懐け夜の地を統一せしめた我らの王こそは星の如し輝きの極致。全ての竜人が頭を垂れその威光を遍く広めんとするに相応しい世の宝物である」
竜人もまたかつては王に仕えていた身。
語られる言葉の一言一句に主であり己が守るべき『宝物』でもあった存在への畏敬と賛美の念が滲み出ていた。
「だが、俺はあの時儚く潰えようとしていた蛇尾族の命に無上の美を見出した」
暫しの静寂があった後、竜人はもう一言だけ発する。
「――――俺は竜である。他に語るべきことはない」
何人も侵せぬ天の舞台で深緑と紫紺の眼が睨み合う。
やがて魔物は研ぎ澄ました殺意を伴って言葉を突き付けた。
「王の膝元に戻る気はないと?」
竜人は断固として宣言する。
「無論だ。王直々の命であれ蛇尾族の少女は差し出せぬ」
「フ――――――」
魔物の口端が引き裂かれたように吊り上がった。




