第79話 吊られる幼ナーガの真実と誤算
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かくして今、少女は鍋の上に吊られているのであった。
彼女を追いかけてきた人々は少女が無理矢理連れてこられて人質にされているものとばかり思っているが、本当は少女自ら志願したのである。
誰も民衆に経緯を説明しないのは情報漏洩を警戒してのことである。
役人との打ち合わせに際して少女は夜の地の使い魔に関する情報を共有している。少女が見かけた個体は飛び去ったが、夜の地に帰ったという確証はないし、諜報が一匹だけとも限らない。
不用意に情報を開示して使い魔に盗み聞かれたら作戦が台無しになりかねない。人の地の脅しが本気でないと断じられてしまえば元も子もないという訳だ。
役人が街中を探させてみたところ、案の定二匹の使い魔が捕獲された。丁度よいからその二匹は夜の地の王に人質たる少女の有様を見せつける『目』になってもらう事になった。
今の所は万事予定通り。
この作戦に携わった者は皆がそのように考えていた。
ただ一人作戦の中心である少女を除いては。
尻尾を結わえられて逆さ吊りにされてからというもの、少女はずっと恐怖を訴えるように白い体をぶるぶる震わせてあどけない顔を蒼白に染め上げていた。眦にはうっすらと透明な雫が溜まっている。
誰も気付いていないが、彼女の尻尾は少しずつ縄を抜けてずり落ちていた。
少女の尻尾は鱗の隙間から常に微量の粘液を分泌している。この粘液は走行時に接地面との摩擦を軽減して加速を促す役割を担っており、分泌量を調整することで細かな速度制御をも可能にする蛇尾族の優れた武器である。
粘液の分泌量は概ね少女の強い興奮や怒り、恐怖の発露と連動しており、これは該当の感情が生じる時に高い確率で必要とされる行動、即ち戦闘、あるいは逃走に際して素早く動く為の生理的機構である。
逆に言えば、今のように本人の精神を大いに乱す状況で尻尾を結わえて吊るされると、どう足掻いてもいずれは尻尾が縄をすり抜けて落っこちてしまう。
衛兵や民衆に助けは求められない。下手に彼らを頼ろうとすれば使い魔を通してこちらを見ている魔王に少女と衛兵達との繋がりを勘ぐられてしまうかもしれない。
少女は絶体絶命の窮地に置かれている。
衣類を剥いて逆さに吊るすという行為の意味は敵に「我々は本気である」という非情さを示すことなのだろうが、こんな風にするのなら始めに教えてほしかったと少女は嘆く。
衛兵達は律儀にも少女を「裸で晒しものにすること」に関しては同意の確認を取ってくれたのに、「逆さに吊るしてよいか」とは聞いてくれなかった。
硬い鱗に覆われた尻尾は触覚が鈍い。舞台の上で真正面を向くように立たされて、あれと思った時には手遅れだった。背中を小突かれて鍋の直上へ落ちゆく視界の中、彼女は尻尾を縛る縄だけが命綱だという驚愕の事実を初めて知ったのである。
少女が生き残る希望はただ一つ。
尻尾が縄を抜けてしまうよりも先に魔王軍が撤退して彼女の身が解放されること。
少女にできることは少しでも心を落ち着けて縄抜けを遅らせるのみである。
故に少女は深呼吸や考え事で必死に気を紛らわしている。いっそ目を瞑ってみたら鍋から立ち昇って繊細な肌を撫でる熱気が一層鮮烈に感じられて怖かったからそれは止めた。
少女の尾先から縄で縛られた部位まで、あと握り拳六つ分程である。




