第78話 幼ナーガ、再び役人の元へ
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「其方の方から来てくれるとはな。迎えを寄越す手間が省けたというものだ」
蝋燭の灯りに照らされた薄暗い一室にて、王政府から遣わされた役人は抑揚の薄い声で執務机の前に立つ蛇尾族の少女に言った。
蔵の中から飛び出して少女が会いに行った相手は役人であった。
本当は時間が惜しかったのだが、人間との交渉では服を着た方がよいというエルシィの言葉を覚えていたから、少女は青のチュニックを着て訪れていた。
役人のいる部屋は重役に宛がわれるものとしては狭く、窓もなくじめじめとしており、光の源は蝋燭だけだった。内装は簡素で、ただ役人の使う執務机と椅子があるのみだ。
壁際に侍る数名の衛兵達はまるで咎人を見張る如く剣呑な眼差しで少女を捉えて放さない。
「アルフレート……さん、も、わたしに話すことがあるの?」
「左様。だがわざわざ出向いてくれたのだ。そちらの話から聞こう。何用かね?」
少女は役人の群青色の瞳を見上げて、手指の先が震えるのを我慢しながら伝える。
「わたし、この街に向こうの魔物が入って来るのを止めたいの」
「それは我々とて同じことだ。止められねば街は失われる。しかし其方に何か策がある訳でもあるまい」
すると少女は、一度唇をきゅっと引き締めてから、毅然と、だが微かに震える声で胸の内にある考えを言葉にした。
「わたしが……わたしが殺されそうになってたら、敵は止まると思うの」
「……ほう?」
役人は硝子玉のような無機質な瞳にほんの少しだけ興味深げな色を浮かべた。
「向こうの王様はわたしをほしがってる。だから、わたしをよく見えるように縛り付けておいたりして、近づいたらわたしをぐちゃぐちゃにして殺すって言うの」
勇気を振り絞って提案した少女に対して役人はわずかの逡巡を見せた後で告げた。
「其方の案も悪くはない。だが考えてみよ。そんな手間をかけずとも始めから其方を奴らに引き渡してしまえば済む話だとは思わんかね?」
「え」
少女は尻尾の先からぞわぞわと悪寒が這い上がってくる心地がした。
「そもそも、此度の件が其方を巡って起きた争いであると分かっていながら私がその身を放っておく筈もなかろう」
役人が少女を呼び出そうとしていた用件はまさにこの為であったらしい。
途端、少女はここが数十日前に恐ろしい体験をしたあの部屋のように思われてきた。鉄の寝台の上で磔にされていた背中の冷たく硬い感触がまざまざと脳裏に蘇ってくる。
それでも黙してはならないと、少女は自分に言い聞かせる。
「わたしを、あっちの王様に渡したら、ガレディアが怒るよ」
少女はしどろもどろに、しかし精一杯の強気で役人を脅かした。
「それにわたしが死んだら、わたしと仲良くしてくれた人間たちが泣いちゃうかも」
「……ふむ」
役人はほんの少し眉を寄せ、口元に片手を添えて考えている風であった。
役人の中で少女の生死を乗せた天秤がぐらぐらと揺れている様が見えるように思われて、少女の小さな心臓が急き立てるようにどくどくと脈打つ。
役人が口を開いた。
「秩序を保つ為に犠牲は必要だ。ただ、あの竜の男を敵に回すのは確かに避けておきたい。勇者殿が健在ならまだしも、倒れられた今、あれがこちらに牙を向けば如何程の被害が出るものか分からぬ。引き換え、其方がもし敵軍の侵攻を妨げる有用な人質として使えるのであれば我々の貴重な手札となる」
役人は一呼吸おいて、少女に次の条件を提示した。
「此度の戦において敵軍を撤退せしめることに成功した場合、今後、向うの目的が如何なるものであれ魔王軍が侵攻してきた際にはその身を人質として差し出すこと。これを承諾するのであれば其方の希望を呑もう」
黒竜と死闘を繰り広げたあの時と同じく少女に選択の余地はなかったが、少年がこれから先も悲しみなく暮らす為であれば少女は我慢してもいいと思った。
だから、少女は自分の意思を込めてはっきりと応じた。
「いいよ」
役人はわずかに口元を緩めて満足そうに頷いた。
「断っておくが、もし首尾よくことが運ばなかった場合、其方の身の安全は保障できかねるが異論はないかね?」
「……うん。わかった」
「よろしい。交渉は成立した」




