第76話 落日
少年が慌てて蔵の中から出てきて声の主を確認すると、黒衣に身を包んだ勇者の仲間がいた。
この沼地の監視の役割を与えられている者だろう。声色は若い男のようである。
「ま、魔王軍が向かってきてるってどういうこと?」
「つい今しがた、境界の森の向こうで見張りの任についている街の斥候より報が入ったのです。距離が開いていたのではっきりとは分からなかったようですが敵勢力は多数とのこと。恐らく狙いはセレン殿でしょう。彼女の居所が夜の地に露見したのではないかと」
男は明らかに年下である少年や蛇尾族の少女にも恭しい言葉で話した。主である勇者と友好的な者には丁寧に接するのが彼らの慣わしなのかもしれない。
「大変だ! ど、どうしよう」
「現在、我らの主と同胞、街の衛兵達が敵を食い止めんと応戦に向かっております」
少年があたふたしながら右往左往し始めたので男は彼を落ち着かせるように言う。彼は緊張の籠った声で付け加えた。
「しかし油断はできませぬ。もしもの場合にはこの街も戦場になるかもしれない。エルシィ殿の孤児院では子ども達を内地へ避難させる手筈を整えています。貴方も戻った方がよろしいかと」
男の言葉を聞いて少年が振り返ると、少女は蔵の中から這い出て来る素振りもなく怯えたように丸くなっていた。
少年は少女に呼びかける。
「セレンちゃん、一緒に逃げようよ」
「ガレディア、帰ってない」
蔵の中から小さく心細そうな声が聞こえてきた。
少女は竜人が戻って来るのを待ちたいらしい。
街を離れたら彼と会えなくなってしまうと思っているのかもしれない。
少年は男に向き直ると思い切って宣言した。
「僕、セレンちゃんと一緒にいる!」
「……分かりました。エルシィ殿には我らの仲間を通して貴方がここにいることを伝えておきましょう」
男は霧の中に消えていった。
少年はもう一度蔵の中に戻って、暗い眼差しで地面を見つめる少女に呼びかける。
「きっと大丈夫だよ! リアム、戦ってるところ見たことないけど、なんだか立派な剣持ってるし、他にも剣使える人達沢山いるんだから!」
「カイ、エルシィのところに帰らなくていいの?」
少女が目線を地に落としたまま尋ねてきたから、少年は元気よく頷いた。
「うん! それよりも僕、毎日練習してこの剣ちゃんと振れるようになったんだよ! 見てて!」
少年は得意気に自慢するとあろうことか狭い蔵の中で実演しようとして、剣を抜くことすらままならず危なっかしいことこの上ないのでやっぱり止めることにした。
「もうちょっと広い所ならちゃんとできるんだけどな」
少年は刀身を半分程抜きかけて柄が蔵の壁にぶつかった剣を抱えて残念そうに呟いた。
「なんか、初めて会った時みたい」
少年の滑稽な姿を見て懐かしそうに漏らす少女の口元は少しだけ緩んでいた。
「そ、そうかな? でも、セレンちゃんちょっと元気になった!」
成長を見せようとしてこんな風に言われるのは恥ずかしくて仕方なかったのだけれども、それでも少年は剣のことなんかどうでもよくなったみたいに顔色を輝かせるのであった。
太陽が西に傾き始める頃、ずっと蔵に籠っていた二人の元へ勇者の仲間が戻ってきた。
「我らの主は……我らの主は…………‼ 街を守るため勇猛果敢に魔王軍の前に立ちはだかり、悲壮にも…………‼」
涙ぐみながら蔵の前で少年達に知らせる彼の言葉は嗚咽に埋もれてはっきり聞き取ることができなかった。
「あ、あの人がやられちゃうなんて……」
話を聞いていた少年は震え声であわあわと言った。
蔵の中に籠る少女も流石に半身を起こして瞳を大きくしながら眉根を寄せている。
男は外套のフードの下でぐしぐし涙を拭った後に険しい声で報告を続けた。
「戻ってきた味方の情報によれば敵勢力は五千をも上回るとのことでした。そのうち一割程は主と仲間達が退けたのですが、シルトで戦える兵は我々を含めても三百名ほど。あまりに急なことで王都に援軍を乞おうにも到底間に合いませぬし、近隣の町から兵を集めても焼け石に水でしょう」
「そんな……」
少年が眉を歪めて絶望的な顔色を見せる。
「今後の方針については役人や衛兵隊長が議論を重ねている所です。敵軍の勢いは凄まじく、早ければ明日を待たずしてこちらに到達するでしょう。孤児院ではもうじき出立の準備が整います。貴方も早く帰って支度を」
男は言い終えると少年の返事を待つこともなく忙しそうに去ってゆく。
どんよりと息苦しい空気だけが残された。




