第75話 少年に尻尾を触らせてあげる幼ナーガ
少年は尻が泥塗れになるのも構わず寝そべる少女の横側に座り込むと、いつもは浮かべないような表情で切り出した。
「セレンちゃん、昨日別れる時なんだか元気なさそうだったから、それで気になって来たんだ。今日は、竜の人もいないし」
「……」
嫌な記憶を思い出したように少女の顔から色が失われてゆく。
「セレンちゃん、どこか具合悪いの?」
少女は小さくかぶりを振る。
「竜の人がいなくて、さみしいから?」
少女はまたもや否定した。
「じゃあ、お腹空いてるの?」
「ううん。お腹、空いてない」
少年がいくら言葉をかけても少女ははっきりした答えを示さなかった。
そのうちしつこく問い詰める自分の方が少女をいじめているような気がしてきて、少年は黙ってしまった。
氷を削いだような少女の美しい睫毛は悩ましげに伏せられている。
二人の間に重たい沈黙が流れる。
言葉がなくなると、少年の中で影を潜めていた気恥ずかしさが蘇ってきた。
未だ身を起こす気配もない少女の体がほんの少し身じろぎするだけでも少年は胸がどきっと跳ねる。
少女は肘を曲げて両手を顔の前にやっているのだけれども、遮る物のない少女の体を横から見ていると彼は泥の上に少女の胸の膨らみの潰れているのが微かに見て取れてしまうような気がした。
「セレンちゃん、尻尾、触ってもいい? セレンちゃんの綺麗な尻尾、じっくり見てみたかったんだ!」
それは少年が気まずさに耐えかねて捻り出した言葉だったのだが、言ってしまってすぐに後悔した。今の少女の姿も相まってなんとなくやましいお願いをしているように思ったのだ。
「いいよ」
しかし少女は気前よく少年の前に尻尾の先をずるりと滑らせてくれた。
こうなってしまっては引き下がれない。少年が少女の尻尾を触りたい好奇心に駆られていたのは本当である。黒竜の一件で機会はあったけれどもあの時はゆっくり観察するどころではなかった。
ただ、少女の尻尾を触ろうとする少年の様子を彼女が俯せのままじっと横目に見ているのが彼はひどく緊張した。
少年は両手で恐る恐る泥に汚れた少女の尻尾を持ちあげてみた。力の抜けた少女の尻尾は先の方でも少年が想像したより重かった。鱗の重量なのか、あるいはもしかすると人をも絞め殺せる筋肉の重みなのかもしれない。
手で泥を掃って見ると、光を照り返す少女の瑠璃色の鱗は狭く薄暗い蔵の中でもわずかな光にきらきらと輝いて綺麗だった。
びっしりと並んだ扇状の鱗は尻尾の先へ行くほど小さく緻密になって、手触りは本来すべすべしているのだろうけれど、泥に濡れていたからか少しぬめる。
鱗を爪で叩いてみればこつこつ硬い物を叩く音がするが、少年が思い切って尻尾をぎゅっと押して見たらぶにゅっとへこんだ。
尻尾の表面は硬い鱗で覆われているが、中の筋肉は柔軟でしなやかなのだろう。
少女の尻尾が少年の掌の上でにゅるりとうねったから、彼はふと我に返った。
「くすぐったかった?」
「ううん」
少女は特に我慢している風でもなく首を振った。
尻尾を同じ姿勢で静止させておくのが疲れるのだろう。
「あの日、尻尾、踏んづけちゃってごめんね」
少年はふと思い出して言ってみた。
「鱗が硬いからあんまり痛くなかったよ。すごくびっくりしたけど」
「そうなの? 痛くなかったんならよかった!」
少女の口振りは少しおかしそうだ。彼女の中では忘れかけていた話なのかもしれない。
少女の尻尾をにぎにぎしていた少年の手がふいに止まった。彼はあることに気付いてしまった。瑠璃色の鱗を濡らしていた泥の水分は彼が少女の尻尾を持ち上げている間にすっかり乾いたように見えた。
だというのに、彼女の尻尾は表面を撫でてみるとまだ微かにぬるぬるしている。つまりそのぬるぬるとした何かを分泌している由来は少女の尻尾そのものだということになる。
人生の中で多感な時節に差し掛かりつつある少年にしてみれば知らずの内に少女のよく分からない体液に触れていた衝撃たるや筆舌に尽くしがたいものがあった。
少年は顔を真っ赤にしてばっと少女の尻尾を手放した。
「どうしたの?」
動揺する少年に少女は聞いてくる。
「え!? なんでもないよ!」
そして何故か少年は気付いたことを隠そうとする。
「セレン殿!」
「わぁ!」
突然蔵の外から響いた声にびっくりして少年は飛び上がった。少年の頭が蔵の天井に突き当たり、微かに崩れた土の欠片がぱらぱら落ちてくる。
少女はあっと小さく悲鳴をあげて悲しそうに眉を寄せたが、続いて外から投げかけられる言葉の内容にそれどころではなくなる。
「セレン殿! この街に魔王軍の軍勢が向かっております!」
「え」
まるで魂が抜けてしまったみたいに少女の表情が固まった。




