第74話 少女の泥蔵にやって来た少年
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――――――時はまだ敵軍襲来の報が街に届けられるより前、昼に遡る。
少女は沼地に造った泥蔵の中で鬱々として横たわっていた。
休日だから街へ出る義務は特にない。
休みの入りは沼に潜って腹を魚で一杯に満たしてしまうのが習慣であったのだが、今はそういう気持ちにもなれない。
昨日目撃してしまった青い鉱石の瞳を持つ鳥。
あの後、少女は結局あれのことを誰にも話せなかった。
見かけたのはわずかの時間だったし、もしかすると見間違いかもしれない。
少女はそう信じたかった。
なんとなく俯せになって、尻尾を泥の上にずりずり擦りつけていると、少女はふと蔵の外に人の気配があるのに気が付いた。
人間の子どものようだった。泥を踏む規則的な足音も聞こえる。霧の流れを読む少女には蔵へ近づく者があれば大方の姿形は筒抜けである。
向こうは霧のせいで蔵が見えていないのかそのまま通り過ぎてしまいそうである。
「……カイ?」
「セレンちゃん?」
少女が思い切って呼びかけてみると、返す声の主は孤児院の少年だった。他にこんなところまで尋ねて来る者もいないだろうと考えた少女の予想通りである。
泥を踏む足音が明確にこちらへ向かう。
「わ、なんかある」
蔵のすぐ側で少年のびっくりしたような声があった。周りをぐるぐる回る足音のあとで、少年は蔵の入り口を発見して少女に呼びかけてきた。
「入ってもいい?」
「うん」
少女が応答すると、少年はどこかそわそわとして碧眼をきらきら輝かせながら入ってきた。少年程の背丈なら頭を屈めず入り口を潜れる。泥塗れになるかもしれないのを見越していたのか、寝巻用の薄く簡素な服一枚という出で立ちだった。
彼が少女の蔵へやって来るのは初めてだった。
「あ」
少年は白い体を曝け出して泥の上に寝そべる少女を視界に入れるなり顔を真っ赤にさせた。
ここ最近は街で人間の暮らしに溶け込む少女の姿ばかり見ていたから、本来の彼女が野性的な生活に親しむことを失念していたらしい。美しい水色の髪のかぶさった白く滑らかな背中が薄暗い蔵の中でいやに映えて見えた。
彼は目線をうろうろさせながらつい尋ねてしまう。
「セ、セレンちゃん、ここではいつもその、は、裸なの?」
「うん。カイ、どうして剣持ってるの?」
少女は寝そべったまま訝しげに聞いてくる。
少年は鞘に収まって身の丈の半分くらいある剣を泥の上に突くようにしている。黒竜と戦う時に使った長剣であった。
「杖の代りに丁度いいなって。沼に落っこちないようにこれで地面を確かめながら歩いてきたんだ。ここ、霧が深くて全然前が見えないから」
黒竜討伐の褒賞ということで授けられた剣がこんな風に使われていると知ったら元の持ち主は泣きを見るかもしれない。
「……なんで横向いてしゃべるの?」
少女は再び不思議そうに問いかけてきた。少年はさっきから少女を直視できなくて、ざらざらした泥蔵の壁を見つめながら口を動かしていた。
「え? その、この、泥のお家凄いね! なんだか秘密の隠れ家みたい! セレンちゃん、ここに住んでるの?」
少年はようやっと言い訳を見つけたという顔でまくし立てた。
少女は自慢の住処を褒められて嬉しいのかどことなく誇らしそうに教えてくれた。
「そうだよ。わたし、作ったの」
「え!? これ、セレンちゃんが作ったの?」
少年はいたく興奮し少女の恰好も忘れて可愛らしい顔を直視した。
「うん。ここの泥、中々固まらないから石を運ぶ人達に少し手伝ってもらった」
この沼地に住み始めてから少女は草や小石などをせっせと集めて泥と混ぜ、少しずつ積み上げては乾くのを待ちながら竜人と自分が暮らせる泥の蔵を作ろうと奮闘した。
しかし夜の地の泥とは性質が異なるのか、うまくいかないので石運び人達から石を積み上げて固める時に使う凝固剤を少し譲ってもらってようやっと満足のいく蔵を完成させたのである。
少年は少女の努力の結晶をじっくり眺めたい欲求に駆られたけれども、ここまで来たのには大事な用があったことを思い出した。
そもそも、本当はこの沼地に一人で近づくのは危ないからとエルシィに厳しく止められていた。




