第63話 心を伝える幼ナーガ
人々は神秘的な登場を果たした蛇尾族の少女の姿に――
「……あれ?」
あまり注目していなかった。
少女はきょとんと広場を見下ろして呟いた。
「なんか、ざわざわしてる」
水球の中で待機していた少女はこれまでの経緯を知らない。
舞台の手前では親衛隊と暴徒が押し合いへし合いを続けこの場の主役である少女が姿を見せたことにすら気付いていない。一方の民衆は揉め事のとばっちりを恐れて戦々恐々としているばかりでそれどころではないらしい。
拘束された暴徒の指導者は不屈の闘志を漲らせて変わらず怒声を張り上げている。
「分かっているのかお前ら! これから舞台に立とうとしている奴は沼に潜み、陽射しを嫌い、闇を好み、生魚を平気で丸呑みにする得体の知れない化けも――」
瞬間、鞭を振るうような苛烈で高い打撃音が広場に響き渡った。
「な、なんだ!?」
続けて繰り返される暴力的な怪音に暴徒の青年が上ずった声で叫ぶ。
彼だけではない。民衆も、他の暴徒達も、親衛隊も、誰もが目を剥き、舞台に立つ怪音の主を認めて絶句する。
少女が尾っぽで床をびったんびったん叩いていた。木製の舞台の床にはヒビが入っている。かつての悲劇を忘れていないらしく、尾先にくっついていた鈴はきちんと外して小さな手に握られている。
「セレンちゃん!? 何やってるの!? あの人達を刺激するようなことして!」
控室のエルシィは小声で絶叫し、隣の竜人はやはり囁くように笑う。
「あやつも度胸がついたものだ!」
少女は注目を集めることができて満足らしい。
宝物の鈴を丁寧な手付きで尾先に結わえ直すと、観衆にあどけなく笑いかける。
それはみたこともない初めての土地
ぎらぎらと降り注ぐお日様
積み上げられた石の建物
心細くて牢屋に閉じ込められているみたいだよ♪
少女は凍りついた空気をものともせず元気に歌い出した。
尾っぽをふりふり鈴の音を響かせながらたっぷたっぷ跳ねてリズムを取る。
後を追うように可愛らしく陽気な旋律の楽奏が始まり、親衛隊の男達は熱病に侵されたみたいな顔で身を震わせながら声にならない魂の歓喜を叫んだ。
人は透き通る空気が好きだけれど
わたしの心は泥のように柔らかいから
世界は黒い竜のように怖いから
優しい霧の中に隠れていたいの
ふわふわの泥に埋まって
小さな蔵に籠って
お腹いっぱいのお魚を食べて
丸くなって目を閉じたいの
そうしたら安心して夢を見られるの♪
少女は知っている。
分からないことほど恐ろしいものはない。
目の前の生き物は何を考えているのか?
自分をどう思っているのか?
友好的か?
突然牙を向けてきたりはしないだろうか?
それが分からないということは、命の安全が保障されていないということだ。
命の安全が保障されていないということは、危険だということになる。
危険な生き物は遠ざけなければならない。
だから、少女は歌と踊りと笑顔で伝えることにした。
わたしは怖い生き物じゃないよ。
わたしはそんなに強くないよ。
わたしも人間が怖いよ。
わたしの言葉を聞いて。
わたしを見て。
わたしを知って。
あなたが怖くないように。
少女は訴えかけるように愛らしい歌声を響かせる。
だけど青い空の町は教えてくれたよ
きっと隠れているばかりなら分からなかったこと
わたしもあなたもお魚が好き
わたしもあなたも歌と踊りが好き
わたしもあなたも傷つけられるのに怯えてる
霧の外の優しい時間
泥の蔵にはない素敵な音♪
少女は一点の曇りなき笑みに顔色を輝かせて瑠璃色の尻尾をうねらせ、頬を染めて奏でられる歌声は籠の中の小鳥がようやっと解放されたごとく自由である。
水を弾く青い衣の段々になった布がひらひらと揺れる。
その身振りは清々しいまでに奔放で、愛嬌に満ちて、拙かった。
少女はただ、舞台の上で力一杯に歌って踊るだけ。
しかしだからこそ彼女の一生懸命な姿に虚がないと民衆は信じられる。
飾ることも、取り繕うこともなく「みて、みて」と全身で呼びかける少女のいじらしさに皆の心を囲う硬い壁が溶かされてゆく。




