第42話 玉座の小さな主
「ラーミナ。蛇尾族の子は見つかったかい?」
赤い絨毯の敷かれた大広間に春の陽気を思わせるあどけなく澄んだ声が響いた。
身の丈には大きすぎる豪奢な玉座に腰掛ける少年の齢は十歳程に見える。
愛らしく整った顔立ちを彩る黄金の髪は朝の陽光を編んだように美しく、優しげな目元に反して深紅の瞳は万象を射貫く鋭さを湛えている。
少年は白いシャツに茶色のベスト、ベージュのスラックスを纏い、椅子から伸びて床まで届かない足はよく磨かれた黒い革の靴を履いている。
小奇麗な身なりはまるで貴族の子どもみたいだ。
玉座の周囲では赤い煌きを放つ小さな火の鳥達が彼を祝福するように飛び回っている。
「王よ、報告いたします。蛇尾族の生存に適した土地はくまなく確認しましたが、未だに影も形も見かけませぬ。今後は夜の地全土を虱潰しに探させる所存にございます」
玉座から少し離れて跪く男が恭しく答える。
飾り気のない白装束を纏う男の髪は黒く、側頭から突き出して前方に伸びる白い角は牡牛を連想させる。
紫水晶を削り出したような紫紺の瞳の奥には静かな野心を灯し、顔立ちは青年と呼んでも差し支えない若さを窺わせるが、その振る舞いは老成した武将の如く洗練されている。
男の名はラーミナ・スペルビア・ベルルム。
夜の地を支配する王軍の統帥である。
彼のような男が少年に頭を垂れる姿は奇妙極まりないがこの地にそれを笑う者はない。
魔族であれば誰もが心得ているからだ。
魔王の逆鱗に触れることがあればこの地上は須らく滅び去るであろう、ということを。
数百人を擁せそうなこの広間にいる者は魔王を含めて三人だけだった。
魔王、ラーミナ、それに、玉座の傍らに侍る少女である。
少女はラーミナと同じ魔角族であるが、小さく短い角はくるりと螺旋を描いて羊を連想させる。齢は人であれば十四歳程、髪は肩の辺りに達し、存在感の希薄な静謐とした佇まいが美しい相貌をますます人形のように見せている。
漆黒の睫毛に縁どられた瞳の色合いはラーミナのものよりも明るい若紫に輝いて、肩の露出した黒のドレスが肌の白さを際立たせていた。
昼夜を問わず薄暗い夜の地の民は多くが色白であるが、魔角族は取り分け死人のような白い肌を有する。
二人のやり取りを黙って見守る少女は魔王の世話係である。
魔王は玉座の横に設えられた台の上に置かれた大皿に手を伸ばした。
皿の上では指先程の艶々とした赤い『飴玉』が山と盛られている。彼はそれを一つ手に取ると、口の中に放って転がした。
「どこに行ったのかな? ちゃんと探してる?」
魔王が何気なく問いかければラーミナは先よりも数段改まった声音で応じた。
「竜騎兵と半馬人の偵察隊が総力を以って捜索しております。彼らの働きがご不満でしょうか? 制裁を検討いたしますか?」
魔王は瞳を丸くして首を振る。
「ううん、時間はたっぷりあるからね。でも、そっか。沼にはもういないんだ。頑張って探してもまた見つけづらいところに隠れられちゃったら大変だなあ。ぼくはここから離れられないし」
彼は宙を見つめながら困り顔で考え始めた。
魔王は闇と血に生きる吸血鬼最後の生き残りである。
鮮血のような赤い瞳、口を開けば覗ける鋭い牙、血色の透けない分厚く頑強な白い爪。彼らはかつて強大な権勢を誇り人類と争いを繰り広げた。
敗因は夜の地でも圧倒的だった己が強さを過信するあまりの傲慢にあった訳だが、それでも人の地を攻める上で致命的なとある弱点さえ無ければ勝利を収めていたかもしれない。
吸血鬼は日光に弱い。
広間には燦然と陽が射していた。
南に面する硝子窓から温かな陽光が一杯に降り注いでいる。
荒涼として薄暗い北側の窓から見える景色とは全く対照的である。
部屋の西側に位置する玉座は直射日光を逃れており、陽射しはちょうど魔王とラーミナを隔てるように赤い絨毯を照らしている。
魔王の傍らをちろちろ揺蕩う小鳥達の起源は広間に入り込む陽射しであった。
光は集まって、凝縮し、鳥の形を成すと、輝きの残滓を振り撒きながら影の中の玉座へ向けて羽ばたいてゆく。彼らは湧き水のように次々と生まれ、しばらくすると消滅し、また誕生する。
魔王が玉座の手すりに泊まる一羽へ手を伸ばすと、赤い輝きを放つ翼に触れた指先はさらさらとほどけて灰に変じた。しかし散らばった灰はすぐに欠けたところへ集まって元通りになる。
魔王は光に呪われた吸血鬼の血を引きながら、不滅にして炎の化身たる不死鳥の子だった。
太陽の輝きは魔王に呪いと祝福を同時に授け与える。
その身を塵に砕いておきながら光と熱の加護を残してゆく。
何人も滅ぼすこと能わず、封印せしめる方途はただ一つ、太陽に封じ込めるのみ。
永劫の時を生きる光と闇の御子。
いつから彼が現在の姿で生きているのか、それを知る者はどこにもいない。
それが夜の地の魔王である。
魔王は一度崩れて再生した指先を気にする素振りもなく燃える鳥に愛しそうな眼差しを注いでいる。蛇尾族のことなど忘れてしまったように見えたが、そのうちぽつりと呟いた。
「うん、こうしよう」
魔王は王軍統帥に柔らかく微笑みかけた。
「ラーミナ、きみに命令だ。蛇尾族の子を見つけたら、その時は――――」




