第40話 幼ナーガ、戦いの果てに得たもの
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「やった! やったよセレンちゃん! 僕達であのおっきな竜をやっつけたんだ!」
半裸の少年が興奮も露わに両手を広げて小躍りしそうな調子ではしゃいでいる。
「セレンちゃん、これでひどい目に合わされなくていいんだよね?」
「うん」
少年が泥の上にへたり込む少女に明るく問いかけると、彼女も緩んだ顔で頷いた。
「カイ、まだ竜が暴れてたのに、飛び込んできてくれてありがとう」
「セレンちゃんが苦しそうだったから、助けなきゃって思って」
少年は頬を火照らせたままはにかむように語る。
二人は沼の岸で体を休めており、ずぶ濡れで重くなってしまったから少年も服を脱いでいた。
少年を岸に上げた後で少女が確認した所、黒竜は絶命しているようだった。
弱った体で必死になっていた黒竜には少年の不意打ちを迎え撃つ余力がなかったらしい。
「怪我、大丈夫?」
少年が少女の体を見るともなしに尋ねる。
彼女の小さな体には赤い塗料で線を引いたように細長い切り傷が無数に走って痛々しい。流れた血は泥水に洗い流され出血は止まっている。
「ちょっときりきりするけど、平気」
少女はぐったりくたびれた顔で答える。
痛みよりも長らく竜と戦った疲れの方が大きいらしい。
深い傷ではないようだ。
少年は安心してほっと眉を下げる。
霧の中でははっきり分からないが日暮れも近いだろう。
二人は黒竜討伐を知らせる為、街に戻ることにした。
出立の折、衛兵達は少女を送り出した森の入り口で待つと言っていたから、街へ戻るには少し遠回りだが来た道を引き返す。
彼らは森を目指してぬかるんだ泥の上を歩いてゆく。
荷物は少女の疲労を気遣って少年が持ってやる。
地面の上で泥塗れになっていた少女の服は沼で濯いで自分の服と一緒に腰に巻きつけ、水筒は肩にかけておく。
少年は素っ裸の少女を隣にして心臓がどきどき脈打つのを抑えられない。
これまでは生死の賭かった状況だったから無理矢理に冷静を保つことができたけれども、命の危険がすっかり取り除かれてしまうと頭が茹で上がってしまいそうである。
自分も裸であるから余計に恥ずかしくなって、少女の顔すらまともに見られない。
少年はおずおずと問いかけた。
「セ、セレンちゃん、その格好のまま街に戻るの?」
少女がぴくっと歩みを止める。
「……………………あ」
人間の前では服を着ることにしていたのをすっかり忘れていたらしい。
「ついてきて」
彼女は少年に言うと、身を翻して沼の奥へと戻ってゆく。
そのうち二人は大きな石の屋敷に辿り着いた。
「わぁ。こんな所に大きな建物がある! セレンちゃん、ここに住んでるの?」
少年が屋敷を仰いで感嘆の声を上げる。
「住んでないよ。服、置いてあるの」
「え?」
少女が入り口の傍にある壺の水で体を濯いでいるので、少年も同じようにする。
汚れを落として屋敷に入ったら、少女の服の入った箪笥のある一室に赴く。
少女は箪笥の中から適当な服を引っ張り出して頭からすっぽり被る。
彼女が身に纏ったのは丈の長い青いチュニックだった。縞々の白いチェック柄で、ふわっとした大きめの襟が女の子っぽい。
襟の縁が白い糸で装飾されていて可愛らしかった。
少年はようやく直視できるようになった少女の姿に見惚れている。
少女は箪笥の中からもう一枚掴み取って少年に差し出す。
「はい、これ」
少女が初めて着た白いワンピースだった。少年に貸してやるつもりらしい。
少年は困惑顔で首を振る。
「ぼ、僕はいいよ」
「そうなの?」
少女は不思議そうに首を傾げ、特に気を悪くした風でもなくワンピースを箪笥に戻した。
「それ、せっかくつけてるんだから、見えるようにしておこうよ」
少年が衣服の裏に隠れた少女の首飾りを指して言う。
少女が襟の中に手を突っ込んで銀色の鎖紐を取り出すと、先についていた雨雫みたいな形の小さな石が彼女の胸で揺れた。
光の透ける鮮やかな緑色が青い布の上に映える。
「似合ってると思うな。元あった所に返すのがもったいないくらい!」
「そう?」
少年が照れた顔で褒めたら、少女はぱっとしない表情で自分の胸元を見下ろすばかりだった。
少年は、「高いのかな」「どれくらいするんだろう」などと独り言ちながら少女と一緒に部屋を出て行く。
屋敷の出口へ向かう途中、少女がふらりとよろめいて床に両手をついた。
緊張が抜けたことで疲労が現れているのだろう。
少年が心配そうに駆け寄る。
「大丈夫? 立てる?」
少年は腰を屈めて片手を差し伸べてやる。
少女が腕を伸ばして少年の手を握ったら、彼はぱっと顔色を明るくした。
「セレンちゃんの爪、綺麗だね。宝石みたい!」
少年の言葉に少女は少しだけ顔色を曇らせる。
心臓がばくばくして嫌な記憶が蘇ってきそうになる。
それでも彼の目を見ると彼女は安心することができた。
少年の鮮やかな碧眼はどこまでも無邪気で、澄んでいて、その気になればいつでも絞め殺せてしまいそうな人懐こい輝きに満ちていた。
その瞳に見つめられると彼女はまるで野原に遊ぶ子犬にじゃれつかれているような気がして、不思議と心が和んだ。
少女は温かくてすべすべした少年の手を柔らかく握り直した。
屋敷を出る。
「歩くのが辛くなったらいつでも言って。僕、おんぶするから」
「うん」
「セレンちゃんの爪、後で、ゆっくり眺めてもいい?」
少年が興奮気味に問うてくる。
「いいよ。助けてくれたお礼」
少女は瑠璃色の瞳に優しい光を浮かべて微笑んだ。
二人は森を目指して帰路についた。




