第39話 黒竜討伐
黒竜は燃えるような赤い目玉を剥いて生き返ったかの如く再び暴れ始めた。
死を間際にした最後の抵抗らしい。
翼や尾をじたばたさせて盛大に水飛沫を巻き上げながら足掻く。
少女は疲労の溜まった尾っぽを酷使して全身全霊で首を絞め上げる。
「ううっ!」
水の抵抗を介さない分少女の体は激しく振り回され、鋭利な竜の鱗に引っかかって繊細な皮膚が裂けてしまう。流れた血雫が肌を伝う水と混ざって白い体がうっすら赤く染まってゆく。
少女は必死で痛みを堪えるが竜の抵抗は止まない。
「あ、だめ!」
少女が血相を変えて叫ぶ。
黒い翼がまるで空気を叩くようにばたばたとはためいている。辺りに突風が吹き渡り、沼面が大きく揺れ、額や胸元に波打って張り付いていた少女の髪が荒れ狂う。
黒竜は巨体を半ば水に浸けたまま飛行しようとしているらしい。
超重量の巨体がわずかに浮いた。
全身が水面を離れた訳ではないが、明らかに自然な水の浮力を越えて体が持ち上がっている。翼の動きは狂ったように激しさを増してゆく。
少女の半身が嵐に傾ぐ枯れ木の如く煽られる。
今や水中に残されているのは筋肉質で強靭そうな脚の膝より下のみである。
黒竜が水の牢獄を脱して飛翔を開始しようとする。
その時――――――
「わ、わああああああああああああああああっ!」
岸の向こうから少年の甲高い声が響き渡った。
少年が長剣を高々と掲げてよろよろ走ってくる。
彼は黒竜の大きな顔面目掛けて沼の縁を不格好に跳んだ。
宙を舞う少年を赤い目玉がぎろりと睨む。
最早引き返すことのできない少年の綺麗な顔がぐしゃっと引き攣り、両者の瞳の中で互いの相貌が膨らんでゆく。
少年は煌く剣を震える両手に握り続ける。
黒竜は少年をかみ砕かんと大口を開こうとする。
少女の尻尾は懸命の奮戦を諦めない。
そして――――――
どずっ、と音を立てて長剣の刀身が黒竜の片目に深々と突き刺さった。
赤い目玉のあった所から泉のように鮮血が溢れ、濁った沼の水を混沌として毒々しい色合いに染めてゆく。
黒竜の翼は動きを止め、持ち上がりかけた巨体が堕して大きな水飛沫を降らせる。竜の巨体はぴくぴくと小さく震えている。
長剣の柄にしがみついていた少年の両手が泥水と竜の血でずるりと滑った。
少年の体が、ぽっちゃんと音を立てて淀んだ沼に落っこちる。
「ああ! 溺れる! 溺れちゃう! 助けてっ!」
少年は途端に情けない声で泣き喚いた。両手をじたばたさせて水の中でもがいている。今にも沼底へ沈んでしまいそうである。
「カイ!」
少女は慌てて彼の救援に向かう。
泥水に飛び込み、少年の体を捕まえて脇に抱えてやる。見たところ水を大量に呑んだりはしていないようだが、少年が急にふにゃっとして押し黙ってしまったから彼女は心配になって尋ねる。
「カイ、平気?」
「セ、セレンちゃんの胸が」
「わたしのおっぱいがどうかしたの?」
「な、なんでもない!」
少女が真面目な口振りで問いかけると少年は恥ずかしそうに口を閉ざしてしまう。
彼はふっくらした頬を林檎のように染め上げて、肩の辺りに柔らかく押し付けられるむにゅっとした感触に脱力している。
少女は首を傾げながら少年を岸まで連れて行ってやった。
少年の体はそれまでずっと少女のささやかに柔い胸元にくっつけられていた。




