第36話 少年少女の仕掛けた罠
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竜族には多くの亜種が存在するが、「宝を守る」という本能は全種に共通する習性である。宝の定義は種族や個々によっても異なる場合があるが、中でも黒竜は輝かしい金属や宝石類を集める習性を持つ。
夜の地の王軍で騎兵隊の運び手として重用されている一因も戦地で戦利品を収集するのにこの性質が役立つことである。
夜の地で幾度も黒竜による騎兵隊の襲撃を受けた少女が竜人に聞かされていた知識だ。
少女は考えた。
集めた宝をどうにかして持ち出せれば狙った所に竜を誘い込めるかもしれない。
わざわざ二つの投石機を準備するのはこの為である。
一つ目の大岩。
これは竜を巣から離す為に用いる。山頂から見えない所で大岩を落として轟音を立てたら、黒竜は異変を訝しんでやってくるだろう。その間に前もって山頂で待機していた少女が竜の宝を持ちだし、二つ目の大岩の所までおびき寄せる。
そして二つ目の大岩。
これを頭に落としてやることで黒竜の動きを封じる。
これが蔦の投石機を用いた作戦だった。
山頂へ赴いた少女は一つ目の大岩の段階からひやひやさせられた。
本当は三度空に石が打ちあがって岩落としの合図となるはずだったのに、五回も六回も石が見えたということは少年の投石が空ぶって失敗を続けているということである。
ぶっつけ本番の荒業を試みているのだからうまくいかなくても不思議はない。
二つ目の大岩にしてもかろうじて少しの間竜の動きを封じられたが予定通りとはいかなかった。
一度で狙い通りの位置に石を投げただけでもよくやった方だろう。
しかし少女が黒竜を本当に誘い込みたい場所は別にある。
投石機の策は元よりその為の布石に過ぎない。
少年は少女を背に走り続ける。怒れる竜をその背後に引き連れながら。
流れてゆく景色の中に少しずつ霧が立ち込める。
地面が柔らかくなってゆく。陽射しが遮られて、もやもやと視界が悪くなって、足元がぬかるんでくる。空気がひんやり涼しくなる。
やがて視界が真っ白になる。
黒竜の山は市街地の北西方面にある。
山さえ降ってしまえばあとは南西方面にしばらく行くだけでよかった。
シルトの沼地である。
「カイ、ここまででいい」
少年が力尽きたように足を止める。
少女は残っていた腕輪を一緒くたに遠くへ放り投げた。
泥の上に落ちてぼっちゃり水っぽい音を立てる。
後方の黒竜は視界の悪いこの沼地で音を頼りにそちらへ突撃してゆく。
ここは夜の地の沼地に比べ明るいがその分霧は深く陽射しがほとんど通らない。
巨体の黒竜は多少離れていてもぼんやり影が見えるが、向こうからこちらを視認するのは難しいだろう。敵が見当違いの方面を飛び回っている今の内にと、少女はぐったりした少年の袖を引きながら静かに泥の上を這い進む。
広大な沼が見えてきた。
「わぁ」
少年の口から感嘆の声が漏れる。
沼面は吸い込まれるように暗く底知れず、向こう岸は霧に阻まれて視認できない。足を踏み入れたが最後何者かに引きずり込まれて二度と這い上がって来られないのではないか。
少年は一目でおどろおどろしい空想の虜になる。
少年を岸まで導くと、少女は囁き声で彼を労う。
「カイ、ここまで運んでくれてありがとう。しばらくは休んでて」
「う、うん」
彼は泥の上に突き立てた長剣に凭れ、弱々しくも誇らしげな顔で頷く。
少女は屈みこみ、両手に沼の泥水を一掬いして啜った。
唖然として自分を見る少年に気付いて彼女は不思議そうに尋ねる。
「お水、飲まないの?」
「それ、飲んで大丈夫なのかな?」
少年は得体の知れないものを訝しむように泥水を凝視する。
「そしたら、これあげる。まだちょっぴり残ってるよ」
少女は綺麗な水の入った水筒を少年に差し出す。
「え。いいの?」
「うん」
少年はうっすら頬を染めながら水筒を受け取って、わずかの間飲み口を見つめた後、残り少ない水をぐいっと喉に流し込んだ。走り詰めでからからの喉が潤ってゆく。少女に礼を言おうとして、思わず水を吹き出しそうになる。
「セ、セレンちゃん、何して……!?」
少年のすぐ隣で少女は服を脱ぎ裸になっていた。
深い霧のせいで彼女の白くあどけない体はところどころうっすら覗けるばかりだけれども、少年はみるみる顔を真っ赤にしてゆく。
少女は構うことなく少年に向き合う。
「邪魔になるから、水筒と一緒に預かっててもらっていい?」
「あ、ま、任せて」
少年は視線のやり場に困っておろおろ目を泳がせながら手渡された服を受け取る。
裸身の少女が纏うは一つ、白い胸元に光る銀の首飾りのみである。
「行ってくる。あんまりここを動いちゃだめだよ」
「わ、分かってる」
少年は我慢できずに少女の体へちらちら目をやりながら応じる。
彼が何か煮え切らない表情でもじもじするから少女が待っていたら、彼は頼りなさそうに問いかけてきた。
「セレンちゃん、本当に一人で行くの?」
少女は瑠璃色の瞳にきっと力を込めて少年の碧眼を見つめる。
「平気。ここは、私のお庭だから」
「気を付けて」
少女は心配する少年に小さく頷いて身を翻した。
小さな捕食者は尾っぽを奮い立たせて霧の奥へと這い進む。
そして――――――幼蛇尾族と黒竜の生死を賭けた殺し合いが、始まる。




