第35話 落ちてゆく幼ナーガ
少年が走っていたのは道の崖側だった。
少年の体がぐらりと宙に向かって傾いてゆく。
すぐ傍らを舐めるように埋めてゆく炎の塊が二人の視界に映し出される。
少年達はきらきら光る金品をまき散らしながら崖から落っこちた。
「わああああああああああああああああ!」
少年はぐんぐん近付いてくる地面に慄きながらぺしゃんこになるのを待ったが、彼の体は大地に叩きつけられる少し手前で浮いたまま止まる。
「?」
少年が不思議に思って見上げると、少女が岩壁から突き出した木の幹に尾っぽをぐるぐる巻き付けて、片手で少年の服を後ろからぎゅっと掴んでいた。
「あ、セレンちゃ――――――」
バキッ。
少年がぱっと顔色を明るくさせて言いかけた瞬間、木の幹が重みに耐えかねて折れた。
どしんと音を立てて今度こそ地に落ちる。
「いたっ」
「カイ、平気?」
少年に覆いかぶさる格好になった少女が彼を見下ろしながら尋ねる。
「あ、う、うん、全然平気」
少年はちょっと気恥ずかしげに目を逸らした。
「良かった」
少女がほっと胸を撫でおろす一方で少年は瞳を見開く。
「セレンちゃん! 上見て!」
彼の言葉に釣られて少女が首を上向けたら、黒竜が二人目掛けて急降下して来るのが見えた。
黒い塊がみるみる大きくなってゆく。
少年は少女を背負い直して草木のまばらな土の上を急ぎ走り出した。
そこら中に散らばっている金品は捨て置く。少女の身に付けていた装飾類も落下の時にほとんど外れてしまい、幾つか残されているのみである。
彼女は腕が空いたので少年にぎゅっとしがみつく。少女の体は少しひんやりとして、体温が伝わるくらいに押し付けられると汗に濡れて熱くなった少年の背中に心地よい。
「崖から落っこちた時は死ぬかと思ったけど、これで山を降りられた!」
「あともう少し、頑張って、カイ」
少女がちらちら後方を確認しながら少年を励ましてやったら、少年は俄然気力を漲らせてもう一息とばかりに踏ん張った。
目指すは南西の方角である。
*
「これで石を投げるんだ!」
森の中で頭を悩ませていた時のことである。
少女は自分の服の裾を細く千切って草の上に座り込んだ少年の火傷した太股に巻いてやっていた。
少年は気恥ずかしそうにじっとしていたのだが、突然閃いたような顔をすると、木の枝からぶら下がる蔦を握って興奮気味に言った。
少女は首を傾げて尋ねる。
「……どうやって?」
「これをバネみたいに使って、石を跳ねさせるんだよ。院の子達が先の二股に分かれた枝を探して、そこに蔦を張って小石を飛ばして遊んでるの、見たことあるんだ」
「でも、小石を投げてどうするの?」
少女が布を結びながら疑問を口にしたら、少年は得意げに自分の考えを披露する。
「そうじゃなくて、山にある岩の間に蔦をぐるぐる巻いて、それでもっと大きな石を投げるんだ。うまくやったら上の方で転がってる岩を落として、あの竜の気を引いたり足止めしたりできるかも!」
火傷の処置を終えた少年はすっくと立ちあがり蔦を引っ張る。
うんうん唸りながら頑張っても中々千切れなくて、そのうち疲れて手放すと猛烈な勢いで鞭のように跳ねあがった。
少年はわっと声を上げて尻もちをつく。
「これ、しなやかでよく伸びるから刃物がないと中々切れなくて。剣さえあったらな」
少女はしょんぼり残念がる少年の姿を見て腰を上げる。
「私がやってみる。長い方がいい?」
「え? うん、引っ張ったら、縮む時に危ないから気を付けて」
「平気」
少女はゆらゆら蔦の垂れる木に尾っぽを巻き付けて這い登ってゆく。少年のいる所から姿が見えなくなる。
「セレンちゃん?」
木の上に向かって呼びかけるが返事はない。
少年がしばらく待っていると、視界の中で揺れる蔦が唐突にぼとっ、と落ちてきた。子どもを集めて綱引きをやれるくらいの長さはある。
少女は木肌を滑るように降りてくる。
「すごい! どうやったの?」
「噛み千切ったの」
「噛み千切った?」
少女は草の上に落ちた蔦を拾って、端っこの方に噛みついて見せた。細く尖った白い歯でがじがじやったらぶちりと切れた。
少年は分かたれた蔦の噛み跡と少女の可愛らしい唇へ交互に視線をやって、珍奇なものでも見たように目をぱちくりさせる。
「セレンちゃん、あんまり口を開けないから分からなかったけど、歯がぎざぎざしてるんだね。でも、これで思いついたことが試せるよ! もっと頼んでもいい?」
「うん」
少女は鷹揚に頷いた。
やがて欲しいだけの蔦が集まったらそれらをきつく結んで幾つかにまとめる。
話し合いを終えて二人は山へ向かった。
少女らが黒竜の急襲を受けた所まで戻ると、剣はまだそこにあった。少女が先刻籠っていた岩陰に落ちて見えづらくなっていたから黒竜も気付かなかったのかもしれない。
それを回収した後、二人は条件に合う場所を探して長らく歩き回った。
蔦を張り渡せそうなすべすべした岩の組があって、それより高い崖の端に大岩が転がっている所をようやっと一つ見つけたら少年はご機嫌そうに準備を始める。
「これ、本当にうまくいくのかな?」
「どうだろう? でも、大きな物を遠くに飛ばすのってわくわくしない?」
「カイ、なんだか楽しそう」
「エルシィに危ないって怒られるから我慢してたんだけど、本当はずっと他の子がやってるの真似してみたかったんだ。こんなの見たらあいつらも驚くだろうな!」
作業を済ませてしまうともう一か所同じ条件の整った地形を探しに行った。
二人は着々とお膳立てを整えてゆく。




