第34話 幼ナーガ、命懸けの逃走劇
幸いにも黒竜は炎を吐いてこない。
集めた宝を燃やしてしまうのを恐れているのだろう。
単純な走力勝負なら勝算は皆無だが、後一歩という所まで近づかれたら腕の中の金品を適当に選んではあらぬ方向へ投げる。
集めた宝を無視できぬ黒竜は投げた品を拾いに行ってしまうから、それで多少は時間を稼げる。
こうしてどうにかこうにか逃走を続ける。
ぜえぜえ苦しい息を吐きながら尾っぽをうねらせる少女の前方に少年と待ち合わせた地点が見えてきた。
片側が岩壁になっていて、もう一方は垂直な崖の狭い道である。
地面の上に転がった岩の中で表面の滑らかなのが少し離れて二つあり、両者の間を植物の蔓でぐるぐる巻いて繋げてある。
傍らに少年の姿もあった。
腰に蔦を巻いてそこに長剣を差し、太股の火傷は少女の服の裾を千切ったもので縛ってある。
少女は目で合図を送る。
少女が持ち出した宝は竜を誘う為の餌である。
少年は足元に転がしておいた丸い石を両手に抱えると、二つの岩の間に這った柔軟な蔦に上から押し付ける。
手を放せば元に戻ろうとする蔦の勢いで石が飛んでゆくだろう。
即席の投石機である。
狙うは岩壁の上に見える大岩の足元だ。
少年は向こうからやって来る黒竜をじっと見据えて時機を窺う。
そして、手を放した。石は砲弾のように打ち上がり間違いなく狙った地点に命中する。
巨大な岩がこちら側に傾いたと思うと、岩壁をごろごろ転がり落ちてきた。
「駄目だ!」
少年は失敗を悟って眉を歪めた。
どう見積もっても黒竜は岩が落ちて来る前に下を潜り抜けてしまう。あまり早く岩を落として少女が潰れてしまったらという躊躇いが彼の判断を鈍らせたらしい。
既に黒竜は少女の間近に追い縋っている。少しでも意識を逸らせばその瞬間に後ろからばっくりやられてしまいそうである。
彼女の体力も限界が近い。
背後に生暖かい吐息を感じて振り返れば少女の眼前で竜の咢が大口を開けていた。
剣山のような牙が少女の目と鼻の先に迫る。
黒竜の喉奥が奈落のように真っ暗く視界を埋めてゆく。
少女はぎゅっと瞼を閉じる。
景色の中で後方へと流れ去った大岩がようやっと落下してずしん! と大地を揺らし、
金属を打ち鳴らすような大顎の閉じる音が響いた。
少女はびくっと身を震わせる。
しかし少女の体はなんともなかった。
「?」
少女が恐る恐る薄目を開けると、黒竜の顎は彼女の鼻先に触れるかどうかというところで止まっている。
直後、大顎から苦し気な咆哮が轟いて黒竜がのたうち回り始めた。鎌のような爪で引っ掻かれた辺りの地面が無残に抉れてゆく。
少女は困惑しながら後ろに飛び退る。
「あ」
よく見ると黒くて長い尻尾の先が大岩の下敷きになって潰れていた。
黒竜は恨めし気に少女を睨んでは幾度も襲い掛かってこようとするのだが、その度に尾っぽがぴんと伸びて鎖で繋がれているみたいに引き留められる。
「やった! 動けなくしてやったぞ!」
「痛そう」
嬉々として大声で叫ぶ少年とは対照的に、先刻尻尾を踏んづけられたばかりの少女は口元に手をやってなんだか悲痛な顔色である。
二人が一先ず安心していると、黒竜は後方に首を巡らせて大岩を頭突き始めた。ごおん、ごおん、と腹の底の震えるような音を立てながら重い岩が少しずつ動いてゆく。
「ああ! 長くは保たなそう! 今のうちに離れよう」
少年はへとへとに疲れ切った少女に背を向けて中腰になる。
「セレンちゃん! 乗って!」
「うん」
少女は腕に金品を抱えており少年に掴まれないので、少年の方が彼女の背中に腕を回しておぶさってやる。代わりに少女は瑠璃色の尻尾をぎっちり少年の胴に絡みつけておく。
少年は少女と金品の両方を背負ってかなり重たそうである。
「カイ、大丈夫?」
「こ、これくらいなんてことないよ」
少年は笑って強がった。歯を食いしばって走り出す。
「すごかった。おっきな岩、本当に落ちてきたね」
「うん。あんなの滅多に見られないや!」
後方で、ずうんと重たい音が響いた。黒竜が大岩を崖下に突き落としたらしい。翼を広げて少女らを追跡してくる。
少女は後ろを振り返りながら腕の中にある銀色の平たい皿をこれ見よがしに投げ放った。しかし黒竜はくるくる回って崖下へ落ちてゆく皿を一瞥しただけで追いかけない。
「あれ?」
少女は他にもカップやらスプーンやら腕輪やらを投げてみるのだが、敵は最早目もくれずに烈火のごとく勢いで少女らに迫る。
「カイ、どうしよう。あの竜、凄く怒ってる」
「え!?」
少年は焦燥を顕わにする。
真っ向勝負になれば少女を背負って無理をしている少年では逃げ切れない。
「あ!」
「今度は何!?」
「りゅ、竜が火吹こうとしてる」
少女の視線の先で黒竜は咢を開いて喉奥の暗闇で紫炎をめらめらさせている。
今となっては自分で集めた宝のことすら念頭にないらしい。
「え、ええ!? 丸焦げにされちゃう!」
先はまだしばらく切り立った岩壁と崖に挟まれた細い道である。
真っ直ぐ炎を吐かれたら逃げ場がない。少年は気休めに過ぎないと解していながらも火炎に備えてなるだけ道の脇へ寄ろうとする。
「あ、カイ! 火が」
「ちょ、ちょっと待って!」
少年が慌てふためきながら振り返ると、黒竜の吐いた業火が波のように背後を埋
め尽くして彼らを呑み込もうとしていた。
「うわあ! もうおしま――――――」
「わっ」
ずるり。
少年は足を滑らせた。




