第29話 黒竜退治に出発する幼ナーガ
蛇尾族の少女は鬱蒼とした森の中をとぼとぼ頼りなく這いずっていた。
周囲を見渡せばそこら中の枝からゆらゆらと蔓がぶらさがって怪しい雰囲気を醸し出している。
役人より命が降った後、少女は竜人らと再会する暇も与えられず衛兵達に追い立てられるようにして森へ放り込まれた。
街の北西側に位置するこの森を抜けると峻厳な山がある。
その山の頂上に棲みつく凶悪な黒竜を殺すこと。
それが少女に与えられた任務である。
放っておけば勇者がどうにかした筈の役目をわざわざ小さな少女に押し付けて突撃させるなど、誰が見ても体のいい処刑としか思えない所業であったが、戻ることもできないから少女はとりあえず山を目指して進んでいる。
竜と戦うにあたって少女の身なりはあまりに貧相だった。薄黄色の布からなるぼろぼろの服一枚、それから紐のついた水筒を肩にかけているのみである。
これは少女自身の選択だ。
彼女は役人の用意した装備を取らなかった。武器の扱い方など少女は知らぬし、金属の鎧を身に付けようものなら重くてまともに動けない。それならば硬い鱗に覆われた尻尾一本で頑張った方がまだ生き残れそうな気がした。
熱さにやられてしまってはどうにもならないから水の入った水筒だけは持っていくことに決めた。
夜の地の民である少女は暗い森の中など慣れっこだが、それでも心細くて堪らない。なにしろ竜人の傍らを離れて一人で見知らぬ土地を這い回るなど数十年振りである。
その上待ち受けるは恐ろしい竜だ。
少女は王軍の黒竜を幾度も目にしているけれど、あんなものに近づけば丸焼きにされるか大きな咢で食べられてしまうかのどちらかだという気がする。
少女がそんなことを考えていると、ふいに耳を劈くような獣の咆哮が轟いた。
辺りの木の葉が揺れて小鳥の飛び立つ音が聞こえる。
少女は心臓が跳ねたような心地でしゃがみ込み、尾っぽでくるりと体を囲う。
しばらくして森の中はしいんと静かになった。彼女が目尻に涙を溜めながら顔を上げれば特に異常はない。山に居つく黒竜の鳴き声がここまで届いてきたらしい。
少女は早速怖気づいてしまった。
しかし竜と戦うことなく帰れば拷問と処刑が待っている。逃げれば追手がかけられてやはり同じ末路を辿ることになる。
それに、未だ再開は叶わないけれども竜人は戻ってきてくれたのだ。
少女は挫けてしまいそうな尻尾でもう一度立ち上がる。
遠くの方が明るく白んで森の終わりに差し掛かろうかという頃、少女の背後でがさがさと茂みが揺れた。
彼女はぎょっと振り返って警戒を顕わにする。
茂みの奥から少女と同い年くらいに見える金髪の少年が出てきた。
「やっと追いついた!」
少年は嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
「あ」
少女は少年に見覚えがあった。
川で溺れている所を助けた後、強く締め付けすぎて骨が折れてしまった少年であった。あの時は瞼が降りていたが、くりくりした純朴そうな碧眼が綺麗だ。
ボタンを掛けずに袖なしの茶色いベストを羽織っており、身の丈の半分くらいあるぎらぎらした鉄の剣を引きずるようにしている。背丈は少女よりも頭一つ分高いようである。
「え……なんで」
少女が困惑していると少年は尋ねてきた。
「セレンちゃん、だよね?」
少女は小さく頷く。
「良かった! 僕、カイっていうんだ」
少年が片手を差し出してきたので、少女はぱっと両手を後ろに隠す。
「あれ?」
少年は肩透かしを食らったような顔で仕切り直すように再び笑いかけてくる。
「僕、セレンちゃんが竜退治に行かされたって聞いて、助けにきたんだよ。ほら、剣も持ってきたんだ。街の衛兵が食事処でご飯食べてる時にこっそり持ち出してきた」
少年は得意げに言うと、鉄の剣を重たそうに持ち上げて見せた。
鞘はなく細い刀身が銀に煌いている。少女は切れ味の鋭そうな刃を頭上に掲げられて肝を冷やしながらも怪訝な気持ちで尋ねる。
「……どうして?」
少年はちょっと極まりの悪い顔でしゅんとした。
「だって、頼んでも貸してくれないだろうし。まあどうせ後で怒られるんだけど。やだな」
「え?」
「ん?」
少女が問い返すと少年も釈然としない風である。
しばしの静寂が流れる。
少女がずるずると森の出口を目指し始めたら、少年もてくてくついてきた。




