第24話 元気一杯で張り切る幼ナーガ
竜人と少女が街にやってきて二十日目の朝を迎えた。
霧の中、ぬかるんだ泥の上に裸で眠っていた少女がゆっくりと目を覚ます。
尾っぽは体を包むように弧を描いている。鱗の剥がれた所は見た目に分からない程によくなって、腹は元に戻った。
五日間の静養で気分はすこぶる良い。少女はすっかり元気であった。
傍らでは竜人が胡坐をかいている。竜人は静かに呼びかける。
「起きたか」
「うん」
「気分はどうだ?」
「元気」
シルトの沼地には一つだけ大きな屋敷がある。かつて変わり者の老人が住んでいたらしい。今は使われていない。街の市長から許可が出たので、衣類や鞄など汚れてはならない品々をそこに保管している。
少女は竜人の後ろにくっついて屋敷に赴く。
屋敷の入り口に綺麗な水を溜めた壺があるので、泥塗れの体を洗い流す。体を伝う水滴を手拭で拭き取ったら、屋敷の一室で竜人に保湿液を塗ってもらう。
それを済ませると、少女は箪笥の中から服を引っ張り出す。
本日の服は薄桃色のワンピースであった。袖の長い無地のものである。
少女は頭からそれを被って袖を通すと別な引き出しからいつもの鞄を引っ張り出して肩にかける。
ぼろ布を纏った竜人と一緒に屋敷を出る。
一度沼へ赴いて水筒に泥水を入れてから東へ向かう。
二人は今日から奉仕の義務を再開する。
少女らの移住した沼地はシルトの西側に位置する。竜人達の仮住まいがあった市街地の西側に建築物の少ない農耕区域があり、それを越えて更に西へ赴くと少しずつ足元がぬかるんで霧が立ち込め、沼地へ出る。
二人はその逆を辿る。
しばらく進んで農耕区域に出ると辺りは一面小麦色の畑に覆われ見晴らしが良い。
二人が景色を眺めながら歩いていたら、どこからともなく勇者がやって来る。
「五日ぶりだねセレンちゃん! 元気になったかい?」
「うん」
少女は常より大振りに首を振る。
三人はのんびりと畑の間の細い道を進んでゆく。
やがて市街地に出たので、水路に沿って草原の本流を目指す。
エルシィも仕事を抜ける合間があれば途中で合流する予定である。
少女は竜人と勇者の先頭に立って前を行った。
表情には出ないが張り切っているのである。
安全で快適な住処を得るという念願は叶ったが、人間達に殺されてしまう脅威は未だ残っている。魚も前より沢山捕らなければいけない。
しかし、休日が増えて十日間奉仕したら五日間休んでよいことになった。それだけ我慢したらまたお腹を一杯にして泥の上で眠れると思えば、少女は頑張れる気がするのである。
通りの向こうから人が歩いてきた。
少女の綺麗な顔が緊張で固くなり、ぎゅっと握られた白いワンピースの裾に皺が寄る。
品のある身だしなみの、妙齢の女性だった。幅の広い帽子を被っている。青空の下にそよぐ爽やかな微風に誘われて散歩に出たくなったのかもしれない。
少女はすれ違ってしまう前に、竜人の衣の端を引いて貴婦人の方へと這い寄ってゆく。
貴婦人は不思議そうな顔で少女にちらりと視線をやったが、少女は構うことなく女性の正面に立つと、彼女を見上げた。
軽く手を伸ばせば女性の胸に触れる距離である。
貴婦人は足を止めると、困惑した様子で左右を見回した。まさか自分を見ているはずはないと思っている仕草だが側には誰もいない。少女はやはり女性を見ている。
「お」
「お?」
少女が息を吸い込んで意を決したように発したので、女性は思わず繰り返した。
少女は兵士が死地へ向かう事を想い人に伝える時の如く強張った表情で、その一言を紡ぎ出した。
「おはようございます」
「……お、おはよう」
女性がなんだか片言の赤ん坊みたいな口調で返事をするのを聞き届けると、少女は一仕事終えた後みたいにふぅと息を吐いて、表情を和らげた。
瑠璃色の尻尾をうねらせていそいそと貴婦人から離れてゆく。
女性は頭上に疑問符を浮かべたような顔でしばし棒立ちになっていた。
少女らは歩みを再開する。
「うむ。上出来である!」
竜人は少女の頭に掌を乗せて褒める。
「うん、わたし、人間に懐かれるように頑張る」
少女が通行人に話しかけたのはエルシィの提案があってのことだ。
投票を生き残るには人間との交流を深めるのが手っ取り早い。まずは挨拶から初めて少しでも印象をよくする作戦だ。単純な方法だが、人見知りの少女にもできて無理なく多人数と接することができる現実的な策だと言える。
反応は相手によってまちまちだったが、少女はあまり気にしていないようである。
害意の有無の分からない人間に近づいて、文字通り無事に済んだだけで少女は満足らしい。




