おまけ 第95話-第97話(没Version)
おまけの没シーンです。
諸々の都合で没になった展開なのですが、お気に入りなので最後に載せておきます。
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「さっきの爆発音……ガレディアさん、大丈夫かしら?」
蝋燭の灯りのみに照らされた薄暗い部屋の中、エルシィは心配げに呟いた。
エルシィ達は孤児院の地下室に隠れていた。
傍らには蛇尾族の少女と金髪の少年を伴い、他にも三十名程が彼らを囲っている。
何かあった時の為にと一緒に同行してきた人々で、過半数は親衛隊の男達に占められている。竜人と戻った勇者の仲間も二名こちらに残っている。
元々沢山の子どもが隠れられる広さの部屋だから、このくらいの人数であれば押し合いになることもなく収まる。皆硬い石の床に布を敷いて座り込んでいる。
「カイ、お鍋の中に落っこちそうになった時、助けようとしてくれてありがとう。でも、もうあんなことしたら駄目だよ」
少女が少年の片手を握りしめながら言った。
「え、うん……セレンちゃん、生きててよかった」
返す少年の横顔はどことなく気恥ずかしそうだ。少女の前で勇敢な言葉をかけておきながら自分の力で助けられなかったから居心地悪いのだろう。
少女は頷くと、ふと思い出したような顔で尋ねてきた。
「そう言えば、さっき何て言おうとしてたの?」
「さっき?」
少年は何のことだかすぐに浮かばず少しの間逡巡して、謎の大爆発の直前に言いかけていたことだと思い至る。
「な、なんだったかな!? 忘れちゃった!」
少年はばっと少女に首を向けて頬を染めながら言った。
「そうなの?」
綺麗な瑠璃色の瞳が不思議そうに問いかけて来る。
「またそのうち、思い出したら教えるよ」
少年がもじもじしながら返すと少女はわかったと答えた。
こういう時に少年の挙動がどんなに不自然でも少女はいつも疑いなく受け入れてくれる。少年はそのことにほっとしつつほんの少し寂しいような気もするのだった。
竜人達の戦いを皆で静かに待っていると、そのうち少女が頼りなさげに眉をさげながらお腹をさすさす撫で始めた。
「セレンちゃん、具合でも悪いの?」
くぅきゅるきゅる。
少年が問いかけたら、可愛らしい鳴き声を返したのは少女の腹だった。
「お腹、空いた」
少女はとても我慢ならなそうな顔でぽつりと呟いた。
少女は昨日夜の地の使い魔を発見してからあまりものを口に入れていない。竜人の帰還に緊張が抜けたところで健全な空腹感がようやっと戻ってきたのだろう。
地下室は魔族との戦争に備えて作られた防衛設備だ。常ならある程度の備蓄は貯えてあるのだが、申し訳なさそうな顔でエルシィが言う。
「ごめんなさい、セレンちゃん。地下室の非常食は街から避難した子ども達に持たせてしまったの」
エルシィが緊急時に役立ちそうな物資を詰めて持ってきた背嚢にも入っているのは精々飲料水くらいだ。後は包帯などの実用品ばかり。
「セレンちゃんがお腹を空かせているわ。誰か食べ物を持ってないかしら?」
話を聞いていた貴婦人が皆に呼びかけるが、反応は芳しくない。
少女はすっくと立ちあがると、壁際にある木製の物置まで這いずっていって、中を漁り始めた。ひょっとしたら何か残っているかもしれないと淡い期待を抱いているらしい。
しかし出てくるのは自衛用の斧や棍棒などの得物ばかり。
少女はとても残念そうである。
少女が邪魔な武器をその辺にほっぽり出しながら諦めも悪く物置の中を物色し続けていたら、上から突然に大きな物音が響いた。
「わっ」
びっくりした少女の尻尾が跳ね上がる。
「なんだ今の音!?」
人々が困惑してどよめく間にも轟音は振動を伴って続く。
すぐにばたばたと駆ける足音が聞こえて三人の男が部屋に入ってきた。
「まずいぞ皆! 敵がきた! 逃げろ!」
彼らは一階で外を警戒していた石運び人達だ。
「そんな! 既に敵が街の中まで! ガレディアさんは!?」
皆が相貌を歪める。
「まさか、竜人の旦那が負けたのか!?」
「それにしても早すぎる! 街は広いし、水路が多いから全体を見て回るには時間
がかかる筈だ! どうしてここが……!!」
「きっとセレンちゃんの匂いを辿って来たんだ!」
「そうか! セレンちゃんは良い匂いがするからな!」
焦燥に駆られた人々の言葉飛び交う中、石運び人が皆を制する。
「落ち着いて聞いてくれ! やってきたのはあの白い魔物じゃねぇ! 多分あれの手下だ! 竜人の旦那だってきっと負けちゃいない!」
彼の言葉に幾らかの冷静さを取り戻したエルシィが口早に呼びかける。
「皆さん、そこの物置をどかすの、手伝ってもらっていいですか? その後ろに避難用の裏口があるんです!」
シルトでは大きめの建築なら大体地下室に裏口が隠されている。魔族が侵入してきた時の避難経路だ。
「そういうことなら俺達に任せてくれエルシィさん!」
親衛隊の男達が名乗りを上げた時、上から何か吹き飛ぶような轟音がした。
「くそ! 早くどかせ!」
「意外と重いぞこれ!」
「中身を引っ張りだすんだ!」
物置の中はまだ武器などの物資が多く残っていて動かすのが難しそうだ。
「ああ、もう敵が!」
男達が入り口の扉に背を預けて抑え、残りの人々は物置から引っ張り出された武器を各々に携えた。エルシィも軽い石のお玉を抱える。
「セ、セレンちゃん、僕の後ろに隠れてて!」
少女と一緒に壁際へ退避していた少年が前に出て持参していた剣を構えた。少女は不安げな眼差しでその背を見守る。
ガツン! ガツン! ガツン!
獣のような唸り声と共に扉が強い力で叩きつけられた。石製の扉が砕けてしまうことはないが、男達の背中に伝わる衝撃がひしひしと脅威を感じさせる。
「出口はまだか!」
「もう少しで動きそうだ!」
会話の最中、ふいに扉の向こうが静かになった。
「なんだ? 諦めて帰ったのか? 今のうちに――――」
言いかけた言葉はざわめくような高い鳴き声に掻き消された。
「今度は何だよ!? 何か近づいてくるぞ!」
扉を守る男達が気を引き締めて背中に体重をかける。
が、その行いは何の意味も成さなかった。
「何だこいつら!?」
波のように迫る鼠の群れだ。逆立つ紫色の体毛に包まれた小さな躰は猫のような柔軟さで扉と床の隙間を潜り抜け、血走る赤い瞳に獰猛な殺意を秘めながら少女に殺到してゆく。
「な、なんとしてもセレンちゃんを守――――」
少女は素早く男達の前に躍り出ると、旋毛風のような尻尾捌きで先頭の鼠を捕獲した。瑠璃色の尻尾が万力の如くきゅっと絞まり、鼠がぴぎっと断末魔の叫びを上げる。
お腹の辺りが潰れて瓢箪みたいになった紫の躰が少女の小さな両手に抱えられる。
「あーん」
ごっくん。
少女は頭を上向けると、幸せそうな顔で鼠を丸呑みにした。
ぴくぴくと痙攣する桃色の長い尻尾がまだ少女の可愛らしい唇からはみ出していたけれど、それもちゅるんと吸われてすぐに少女の腹の中へ収まっていった。
「「「…………え」」」
時間が止まったような静寂があった。
皆、何かこの世ならざる禁忌の光景を見てしまった顔で呆然と少女を凝視している。凶暴な鼠達さえ戸惑い固まっていた。
なんとなく周囲の空気が変わった事に気付いた少女は不思議そうに両目をぱちくりさせ、ゆっくりと左右を見回して自分に注がれる奇異な視線を目の当たりにする。
「………………」
何かやらかしてしまったと悟ったらしい少女の愛らしい顔が、微妙に焦りの色を見せる。
少女はこうでもしないと飢えてしまったのだと言わんばかりに両手で腹を撫でながら、眉のさがった困り顔を浮かべ、いつもよりほんの少しばかり不自然に感情の籠った声音で訴えた。
「お腹、空いてたの」
一瞬の沈黙の後、誰かが弾けたように叫んだ。
「て、敵は怯んでいるぞ! あんな奴らセレンちゃんの餌にしてやれ!」
「そ、そうだ! いくぞお前ら! 血祭だああああぁああ!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおお!」」」
親衛隊の男達が俄に狂信的な団結を見せて突撃していく。
鼠達は鬼気迫る彼らの勢いと飢えた獣の如し視線を注いでくる少女に恐れをなして一目散に逃げていく。逃げ遅れた何匹かは少女への貢ぎ物として捧げられた。少女は満足そうであった。
「皆! 裏口への道が開いたぞ!」
物置の後ろには扉もなくぽっかりと暗い通路が続いていた。
一行はエルシィを先頭に蝋燭と武器を抱えて細い道へ入ってゆく。
逆流する鼠達に阻まれているのか扉へ体当たりを仕掛けてきた獣はまだ追って来ない。
「さっきはびっくりしたけど、セレンちゃん、何でも食べられるんだね」
歩きながら少年が言葉をかけると、少女は唇をぺろりと舐めて頷く。
「うん。わたし、お魚の方が好きだけど、お腹が空いたらちがうのも食べるよ」
他の皆も今では平静を取り戻している。
人の在り方からはみ出した行いに驚きこそすれど、彼らだって少女がそういう生き物だということはもう知っている。今更これくらいで遠ざけたりはしないのである。