第141話 少年が願ったもの
「……わたしの目、欲しかったんじゃないの?」
少女は不思議そうに問いかける。
ずっと、それが理由で逃げてきたというのに、いざ相対した脅威の元凶は彼女に対して何の欲も抱いてはいないように見えた。
「きみ達の秘密は言わないって、あの子と約束してたから。きみの瞳が欲しいって言ったのは、半分はその言い訳。もう半分は、蛇尾族の全てが消えてしまうのは悲しくて、残しておきたかったんだ」
もう二度とは取り戻せない時の記憶を紅い瞳の奥に映し出しながら、少年は語り始める。
「昔……ずっと昔ね、ぼく、蛇尾族のお姫様と友達になったんだ。このくらいの背丈で、きっと、今のきみより三千歳くらい年上だった女の子」
少女に示して見せるように持ち上げられた少年の片手は、少女と同じくらいの身長の彼の頭より握りこぶし一つ分くらい上にあった。
「ぼくと出会った時、その沼で生きているのはもうあの子だけだったよ。あの子ね、沢山頑張ったって顔、してたんだ。沢山頑張って、でもなにもかも駄目だったって顔、してたんだ。あの子はもう全部が嫌になって、あの子がそう願ったから、ぼくはあの子を、殺したんだ。
死ぬ前にね、あの子、泣きながら言ってた。いつか蛇尾族が最後の一人になってしまったなら、その子が自分よりも幼かったなら、もう終わらせてあげてほしいって。
あの子は、最期までぼくと仲良くしてくれたから。約束を守ってあげたかったんだ」
きっと、かつて悲嘆の果てに交わされた傷だらけの約束は、間違いではなかった。
少なくとも、閉ざされた牢の中で竜人と出会ったあの日の少女にとって、その願いは確かに救いだった。
だけど彼は、心の底の叶わなかった希望を吐き出すように言い直した。
「…………でも、でも本当は、ずっと昔の繋がりを手放したくなかっただけなんだ」
そう語る少年の姿が、なんだか目玉を抉り出した時よりずっと傷ついて見えたから、少女は思わず問いかけていた。
「あなたも、寂しいの?」
少年は少女の問いに答える。
影の中からはけして見ることのできない太陽の方角に目線を注いで。
「――――うん。寂しいよ。ぼくね、母さんのところに帰りたいんだ。でもぼくは、吸血鬼の子だから。一人では近づけないから。角の彼らが手伝うって約束してくれたからね、大きなお城の立派な椅子に座ってずっと待ってるんだけど、なんだか駄目そうなんだ」
いつの時代も、彼に心を開くのはぼろぼろに傷ついて全てを失った者達ばかりだった。
守るべきものを抱える命にとって、彼はあまりに眩しすぎたから。
歩き続けなければならないことの苦悩を少年は誰よりもよく知っていて、生きることすら辛くなるほど心が壊れてしまった者達は皆その瞳の奥の哀しい優しさに最期の救いを求めた。
少年には、彼らの願いを拒むことができなかった。
永遠の安らぎは、誰よりも彼自身が求めていたものだったから。
少年には、彼らとの関わりを断つことができなかった。
傷付くばかりだと分かっていても、歩き続ける為には温もりが必要だったから。
永遠に歩き続けなければならない少年には他に選択肢なんかなかった。
母の元へ帰るという少年の願いは彼がこの世界で実現し得る唯一の救いだった。
「…………そしたら、わたしが友達になってあげる」
少女はそう言って、少年に片手を差し出した。
いつか人の子がそうしてくれたように。
少女と少年は全然違うけれど、少女と少年は同じだった。
彼らは共に歩き続けなければならない者達だった。
彼らは共に永遠の安らぎを夢見たことがある者達だった。
「きみが? ……いいの?」
少年は不思議そうに聞いてくる。
「うん。あなたがお空に帰れる時まで、生きてるかもしれないよ」
「そんな日が、来るかな?」
「きっと来るよ。時間は沢山あるんだから」
「そっか。……きみがそういうのなら、そんな気がしてきた」
少年は彼女の手を取った。
「ぼくの名前、レグナンティアっていうんだ」
「わたし、セレン。おさかなの山と交換してくれたら、血、分けてあげてもいいよ」
少女は宝石のような瞳に温かな光を宿して頬を緩めた。