第137話 エルシィという人間
彼女の言葉に竜人は深緑の瞳を細める。
「皮肉な話でしょう? 遠い国に孤児院の子の家族が見つかって、会わせてあげたくて、一歩この国を出れば火矢が飛んできたり、人の血で濡れた剣を携えて闊歩する人達の集団に出くわしそうになったりするのです」
竜人の脳裏に黒竜の一件より後、数十日間彼女が街を空けていた日々が思い起こされる。
「ガレディアさん、私だって、それなりに命懸けの日々を送ってきたんですよ?」
自慢するような、誇るような声で告げるエルシィの深海色の瞳は、泣きたいと叫んでいるようで、世界の在り方を嘆く憂いに満ちていた。
「今まで、黙っていてごめんなさい。貴方達が街へ入ることが決まってすぐ、戦争を続ける人の地の内情を絶対に魔族に漏らしてはならないというお触れがシルトや、近隣の街に出されたのです」
「……俺とて軍を率いたことのある身だ。その情報が敵軍へ渡れば自陣がどれほどの危険に晒されるか、理解できぬとは言えん。其方の詫びるべきことではなかろう」
竜人が言うと、エルシィは小さく笑った。
「そう言えば、そうでしたね。……安心してください。さっきも言った通り、ここは安全です。この国で暮らす限り、セレンちゃんに危険が及ぶようなことはありませんから」
常と活気に満ちていた彼女の声は、語れば語るほどに疲労が滲んで色褪せてゆく。
「命からがらこの国へ逃げ延びてくる子ども達は大抵、親兄弟なんかとっくにいなくて、血の繋がりもない大人に連れられています。……もう、気付いているでしょう? あなた達も、彼らと同じだったから。壁の前で拒絶されて途方に暮れながら逃げかえっていく姿を見て、話を聞かなくてはいけないと、そう、思ったのです」
二人の間に重い沈黙が流れる。
エルシィの告白を聞き届けた竜人はやがて自嘲気味に漏らした。
「……其方もまた、その若さなりに多くを見てきた者であったか。これは見抜けなんだ。いや、見抜かせぬことこそが其方の矜持であるのかもしれぬな」
竜人は彼女の瞳を真っ直ぐに見据えて告げた。
「我が宝物は無二である。何者もその位に取って代わることは在り得ぬ。だがエルシィよ。少なくとも、この地においてのみであるならばその在り方もまた比類なき輝きの一つであると俺は讃えよう」
「――――――」
何を思ったのか。
彼女は言葉もなく顔を俯けた。
どんな表情をしているのか。
どんな気持ちでそうしたのか。
それは誰にも分からない。
少しして、顔を上げた彼女はいつも通りの微笑を浮かべながら明るく言った。
「もう少し、ここで景色を眺めていきませんか、ガレディアさん?」
きっとそれは、いつだって誰かの為であろうとし続けてきた彼女の、他の誰でもない彼女自身の為の言葉だった。