第123話 戦いの後
「負けて、しまいましたね」
穏やかな陽光注ぐ午後の木陰の下、羊のようなちょこんとした角を生やす少女が労わるように切り出した。
「うん。負けちゃったね」
草原の上、影の中でころんと横になる魔王は、居住まいを正して座る世話係の顔を見上げながら柔らかに微笑んだ。
城の全軍を人の地に送り込んで数日後、彼らは今日も日光浴を欠かさない。
散歩中、時折木陰の中で瓶の灰を外へ出して、景色を眺めながら取り留めもない会話を交わすのは他の誰も知らない彼らの習慣である。
白い肌の美しい世話係とあどけない魔王の様相は、この場のゆるりとした光景だけを写し取ったなら姉弟のように見えないこともなかった。
「王は、ラーミナ様の戦死を嘆かれないのですか?」
世話係が躊躇いがちに尋ねる。
ラーミナは王の願いを果たす寸前まで至ったが、撤退の命に反したことは事実だ。
それでも世話係が問いかけるのは、魔王が刃のようなあの男をそれなりに気に入っていたことを知っているから。
「ラーミナはずっとガレディアと腕比べしたがってたからね。満足したんじゃないかな」
魔王はそう言って笑った。金の美しい髪が微風に揺れる。
「そういうきみは、同族が死んじゃったのにあんまり悲しそうじゃないね」
世話係は綺麗な顔を微かに強張らせて、きまり悪そうに告白する。
「私は……他の魔角族とは、違いますから」
世話係というのは、角の短い魔角族から選ばれる役目だ。
角の長さは魔角族が蓄えられる命の総量を示す指標である。
理性と合理を貴ぶ彼らの思想。
その根源に根差す本質は強大な力への誇りと責任である。
彼らはけして穏やかな訳でも心優しい訳でもない。
同じ血が流れていても、彼らは力なき同族を同胞とは見做さない。
彼らは不死鳥の子を王に据えた時、最も力の弱い同族を王に捧げる献上品の一つとした。
城の世話係とは詰まるところ、死ぬまで魔王に血を貢ぎ続ける生贄である。
世話係の朝はまず、『工房』で自らの首を裂いて一日分の『飴玉』を作る所から始まる。
『散歩』の時を除いて城の外へ出ることは許されず、常に王の傍らへ侍り、求められればいつでも自身の血で王の喉を潤す。
力が弱くとも世話係とて魔角族だから、どれだけの血を流そうとどれだけ傷つこうと、蓄えを切らすことさえなければ生き続ける。
役目を拒否する自由はなく、『寿命』が来るまでただ『大儀』と苦痛の日々を送り続け、最期だけは他の同胞と同じように角を落とされて死ぬ。
体裁は繕われていてもその在り方は奴隷と何ら変わりない。
でもそれは、世話係にとって内輪の話だった。
吸血鬼が血を求めるのは自然なことであるし、世話係の役目を魔王が欲した訳でもない。
王の面前で後ろ暗い事情を悟らせてしまうことが、彼女は少し心苦しかった。
「そんな顔しないで。ぼくもね、きみらに吸血鬼が滅んだって聞かされた時、そんなに悲しくなかったんだ。だって彼ら、いつもぼくのことを遠巻きにするんだもの」
魔王が他の吸血鬼と最後に言葉を交わしたのはもう何千年も昔の話。
吸血鬼が人類と戦争を始めたことも、その結果自滅したことも、王を求めた魔角族の一団に聞かされて初めて知ったのだった。
光に穢れた吸血鬼は、闇にしか生きられぬ同胞に疎まれた。