第118話 少女を蝕むもの
人垣を抜ければ、少女は赤く濡れた薄布を被せられて横たわっていた。
傍らでエルシィが何事か呼びかけている。
周囲の人々は少し離れて緊張の面持ちで見守っている。
竜人を視界に認めたエルシィが憔悴を露わに問いかけてくる。
「ガレディアさん……ここで何があったんですか? セレンちゃん、傷はないみたいですけど、こんなに血塗れで、とても苦しそうにしていて、でも、私達には何をしてあげたらいいのか分からなくて」
竜人は無言で少女の傍らに跪く。
眉を歪めて喘ぐ少女の顔面は蒼白で、対照的に両の頬だけは熱っぽく赤らんでいる。寒いのか、体が微かに震えていることは布の上からでも分かった。
消えてしまいそうな蝋燭のように薄弱な意思を湛える瑠璃色の瞳が、竜人の姿に気付いて大きくなる。
「ガレ……ディア…………よかった」
少女は竜人の無事を喜ぶようにほんの少しだけ口の端を緩ませた。
「うむ。セレンよ……敵は打倒した。危機は去った」
竜人は安心させるように勝利を告げると少女の体に被せられていた布をめくった。
少女の腹は今も真っ赤で、背中を濡らす血だまりは否応なく命の終わりを想起させる。
ただ、エルシィの言葉通り傷は塞がっているらしい。
竜人が赤い腹に触れても少女が痛みを訴えることはなく、滑らかな肌のどこにも綻びはなかった。
仰々しい大量の血は魔物に斬られた時のものだろう。
一方で少女の命が生気を失いつつあることもまた明白だった。
彼女は全身から冷や汗を吹き出しているが、尻尾は湿っているから脱水症状ではない。体は寒さに震えているというよりも不規則に痙攣しているようで、呼吸は浅く荒く、時折小さく咳き込むと血を吐き出す。
何より、あらゆる生命を癒すこの『場』にあって回復の兆しを見せないことが最たる異常だった。
原因不明の症状に歯噛みした時、竜人は少女の唇の端を伝う赤色に異質な緑がわずかに混ざっているのを見た。
「……毒か」
竜人は薄布をそっと少女の体に戻して呟く。
彼とて、少女があの時何らかの薬物を用いて反撃を加えたことは察しがついている。その正体を彼は知らないが、不用意に口内に含んで平気なものではない筈だ。
腹を裂かれて混濁する意識の中、少女が口の中に残っている毒薬を呑み込んでしまったのだとしたら?
ようやくその可能性に思い至った時、後ろから切迫した男の声がした。
「セレンちゃんの容態は!?」
竜人が振り返れば鞄を抱えた医者が息を切らして立っていた。後ろにはクリストフとブルーノもいる。
「アルツさん……そうだ、クリストフさん達にアルツさんを呼びに行ってもらっていたんでした」
エルシィが思い出しように言う。
医者もまた街に残っていた市民の一人だった。彼の役割は怪我の手当だ。危険な街に残りながらも、役目を果たす時まで自分が倒れてはならないとずっと隠れていたのだった。
竜人は少女が毒に侵されているのであろうことを手短に伝えた。
「毒薬か……まずいな。薬は最低限のものしか持って来ていない。どうにかして、一度セレンちゃんを診療所に」
「それはならぬ!」
言いかけた言葉を竜人は荒い声で遮る。
「この子にまだ息があるのはこの場を満たす生命力のお陰だ。この光は傷や病を癒すが、体内の毒まで消し去ることは叶わない。光の外へ出れば死んでしまうだろう」
いっそ、毒が体外へ排出されるまで少女を横たえておけばあるいは助かるかもしれない。ただ、繰り返される再生と損傷に小さな体が耐えられる保証はない。
「そうか……しかし、毒の成分が分からないことには手の施しようが――――」
「それならば心配はない」
唐突に降りかかった低く抑揚の乏しい声。
声の主は護衛を連れた役人だった。