第117話 忠誠の剣
「ぬっ……ぐぅっ……!!」
砕けた角の根元から命の光が溢れ出す。
広大な溶岩の湖面が銀の輝きに包まれる。
竜の牙もまた砕け散って赤と銀に煌く欠片の雨を舞い上げる。
「また!! また…………! 私の……敗北…………か」
魔物は呻くような言葉を残して頽れた。
角を失い、輝きの只中に沈んでゆく体は元の姿から離れすぎてもう誰にも正体を判じられぬだろう。
最期、紫紺の瞳の奥に薄れていた知性の光が蘇る。
「ああ……王よ……責務を果たせずして……申し訳……あり……ま――」
魔物は言い切らずして光の中に溶けて消えた。
「……王の忠臣に相応しい者は貴殿だったかもしれぬ、な」
魔物の言葉を聞き届けた竜人は一人呟いた。
力を求め、歴史の野心に焦がれ続けた修羅の男。
しかして男は一度も玉座の王を引きずり降ろそうなどと夢想しなかった。
男が清浄だったのではない。善だったのではない。義があったのでもない。
ただ、男は知っていた。相対した瞬間に悟った。
玉座の小さな王に己が敵うことなど天地が裏返ってもあり得ないことを。
力だけを見続けた男だからこそ、絶対的な力には畏敬を示す。示さずにはいられない。
男が拳を合わせるに足ると認めた存在がただ一つであったように。
男が仕えるに値すると定めた王もまた唯一であった。
竜人が少女にとって絶対の守護者であったように。
魔物は王に傅く忠誠の剣であり続けた。
故に。
男が求めた過去の玉座は、始めから手の届かぬ幻想でしかなかった。
幻想で構わなかった。
男はただ、誇りを示したいだけだった。
男の生涯は、ただ意味のみを求め続けた戦いの記録である。
***
竜の男は草原を駆ける。
赤い躰は壮健にして一片の傷もない。
魔角の角から零れた光は勝者を祝福する如く戦いに疲れた巨躯を癒した。
八体の巨人共は境界の森へ歩き去った。
創造主が消え、自然の在り方を取り戻したことで夜の地へ帰ろうとしているのだろう。
この原より脅威は失せた。
己が宝物の元へ一刻も早く帰還せんと竜人は急ぐ。
少女はまだ草の上に横たわって一人苦しんでいるかもしれない。
未だ彼が戻らないことを不安がっているかもしれない。
如何な戦いの後であれ彼の竜が少女を疎かにする瞬間など片時でさえ在り得ない。
やがて銀波の原を踏み、聳える城壁がくっきりと視界に映る。
前方に人だかりが見えた。
少女が横たわる辺りである。
町を徘徊する魔獣も今では集団としてのまとまりを失っている筈だ。
そのお陰で戻ってこられたのだろう。
ただ、ざわめく群衆を取り巻く空気は異様だった。
近付いてくる巨躯に気付いて彼らが目を向ける。
「竜の旦那だ!」
「ガレディアさんが戻って来たぞ!」
竜人が辿り着くと、人を掻き分けて金髪の少年が出てきた。
少年は狼狽しながら訴えた。
「ガレディア! セレンちゃん、なんか、様子が変なんだ!」
「何?」
竜人は血相を変えて群衆の中心に向かった。